迷子のボールペン:弐
「塩っ気のあとに食べるアイスはまた格別ですねー!」
「……くう~っ!」
両手に華(ただし冷たく甘いやつ)を握りしめ、ご満悦な琴葉と泡子。ショッピングモールのメインストリートを歩くその姿は両親に連れてきてもらったお子様となんら変わりなかった。
別腹というやつが目覚めたらしく、急遽甘いもの巡りをすることが決定した。
「悪いな、もここ。相談の途中なのに」
「ううん。私も小腹が減ってたから平気」
「そうか」
気を遣ってくれての言葉なのだろうが、彼女も両手に華(ストロベリーとピーチ味のやつ)を握りしめているので説得力が違う。
まあ、本人が気にしないならいいのだが。
「そういえばボールペンってどこに置いてあったんですか?」
「塾長の席の近くだよ。一応、誰でも使えるように置いてあるけど」
「……それ、誰も使わないやつ」
「あー……」
泡子の言うこともなんとなく分かる。
教室にある備品ってのはあんまり使われないイメージだ。ちょこちょこ使われているのかもしれないが、どちらかというと教室感を演出するための小道具の役割を果たしている気がする。年季の入ったやつとかもありそうだし。
「なおさら盗む意味がわからん」
「犯人にとっては大切なものだったのかもしれません」
「……思い出の品とか」
大切なもの。思い出の品、か。
存外、二人の推測は悪くないと思う。受験生がお世話になった記念に残していったものとかもあるかもしれない。
「じゃあ先生が犯人だったりするんですかね?」
「琴葉ちゃん、口元にアイスついてるよ」
「ありがとです」
お前らは親子か。
という気持ちをおさえて、意識を集中させる。
「ボールペンが盗まれたと思われる時間帯、つまり月曜日の閉校間際にいた先生は何人だ?」
「最後の授業は生徒も少なかったし、二人だったよ」
「ほう」
思いがけない収穫だ。授業と休み時間に盗めない以上、可能性があるのは生徒が帰ったあとの閉校間際にしぼられる。
つまり盗んだ犯人はこのタイミングにいる先生と塾長の誰かだ。
そういえば、ともここがポンと手を打った。
「あの日の終わりに塾長はいなかった。用事があるとかで先生に教室の戸締りをお願いしてたから」
おいおい、それだと話がだいぶ変わってくるぞ。
第一に、
「塾長が鍵を持ってるって話だったろ。それだと辻褄が合わない」
「鍵はオートロックなんだよ。閉校するに鍵は必要ないの」
鍵は教室を開ける時だけ必要ってことか。
ともすれば、焦点の当て方はおのずと決まってくる。
事件が発覚する前日の閉校時、塾長は教室にいなかった。
つまりそれは、
「犯人は二人の先生のどちらかってわけですね!」
「……盛り上がってきた」
「こうしちゃいられません。目の前のドーナツを食べて糖分を補給しましょう」
ブラックホールでも胸焼けするぞ。
三人があまりにも乗り気だったため、ここでも心の中にとどめておく。
それから俺たちはショッピングモールから一度外へと出た。近くに日当たりのいい公園があるらしく、ピクニック気分でドーナツをいただきたいらしい。
口いっぱいにドーナツを頬張り、
「それじゃ二人の先生について詳しく聞かせてください」
琴葉が口火を切った。
「私もそんなに詳しいわけじゃないけどね、一人は椎名先生って言って、もうずっと勤務してる先生だよ。教室の参考書とか整理してたりするのもよく見かけるかなあ。ただ機械には弱いらしっくてコピー機にはいつも苦戦してる」
「大丈夫なのかそれは」
「連絡も実家の電話でしてるっていつの日にか聞いた気がするけど。でも、すごく几帳面で丁寧な教え方をしてくれる先生だよ」
「ほほう。じゃあ犯人じゃないですね」
名探偵にでもなったつもりなのか、虫眼鏡のようにドーナツホールを覗き込む琴葉。それで答えが見つかるのなら誰も苦労しない。
俺は滑り台に夢中な子供をぼうと眺めながら、
「長年続けてるってことは思い出の品が一つあってもおかしくないな」
「うーん。塾長が頼りにしてる先生だし、盗むなんてことはしないんじゃないかなあ?」
頼りになる人間が善良だとは一概に言えないが、ここは一つ黙っておこう。
ベテランの講師ではないとすれば、
「もう一人のほうはどんな人なんだ?」
「椎名先生とは違って最近入ってきた山本先生。はじめたばかりなのに教え方がすごく上手くて、話も面白いから生徒の人気者だよ。本当は昨日もいたはずなんだけど、お休みしてたから生徒さんががっかりしてた」
「……そういうやつほど根が腐ってる」
親の仇を見えるような目でシュークリームの皮を食い破る泡子。ダークサイドに生きるこいつはキラキラ系の人間を意味なく嫌う。というか、いつのまにシュークリームなぞ仕入れているのだ。
「でも、新人の先生だから思い入れのあるボールペンなんてないと思うな」
「たしかに、もここの言う通りです!」
「……もう、ボールペンに手足が生えて勝手に遊びにいったとしか考えられない」
「まさか! ボールペンに手足が生えるなんてことが……いや、むしろ備品のボールペンだからこそあり得るのかもしれません!」
「……長い年月を経た道具には神や精霊が宿る」
「迷子になって帰れなくなったボールペン『迷子のボールペン』事件ですか……いよいよわたしたちらしくなって来ましたね!」
教室のボールペンが付喪神となって迷子になった、ね。たしかにいつもの俺たちらしい怪事件だが、まったくの見当違いだ。
邪推がますますヒートアップして、公園の子供たちの俺たちに対する視線が怪しげな大人に向けるものへと変わりつつある。
「そういえば、なあ泡子」
「……なに? こっちは今クライマックス」
「お前、火曜日の朝に寮のゴミ出す忘れてるだろう?」
「あぁーーーッ‼」
ターザンも腰を抜かすぐらいの大絶叫だった。いよいよ子供たちの保護者に通報されるかもしれない。
「どうしよう! 来週まで生ゴミとの新婚生活が始まる‼」
「お、落ち着いて泡子ちゃん。寮母さんに言えばきっとなんとかしてくれるよ」
私立高校のうちは部活動が非常に盛んで、団結力やらなんやらを強めるために部活動単位での寮生活が許されている。
この三人も例外ではない。
なにはともあれ、今ので確信した。
ボールペンを盗んだ犯人などいない。
*
俺たちは再び書店の文房具売り場を訪れた。かすかに漂う本の匂いが甘ったるい肺をリフレッシュしてくれる。
お菓子タイムを切り上げたせいで琴葉はむくれている。
「佑哉君、どうしてわざわざ戻ってきたんですか?」
「物があったほうが分かりやすいと思ってな。ところで、ボールペンの消費期限って知ってるか?」
「え、食べ物以外にも消費期限ってあるの⁉」
驚いたのはもここだ。
……言葉のチョイスが少し悪かった。
「消費期限というより寿命だな。溶剤が古くなるとインクの出が悪くなるそうだ」
「へ~、勉強になる」
「寿命っていくらくらいなんです?」
「ボールペンによって差はあるが、だいたい三年を過ぎると快適に使えなくなるらしい」
「三年……」
俺たちがどうあがいても高校生でいられる期間と同等の月日。
大人は三年を一瞬の時間だとそろえて口にするが、十何年も生きていない俺たち高校生にはピンとこない。来てほしいとも思わないが。
「ところで、もここ。お前の通う塾は何年前からやってるんだ?」
「え? うーん、そこまではわからないけど、私が小学生のときからあるから五年以上前からだと思うよ」
「だろうな。そうじゃないとボールペンを捨てることはない」
「え?」
ぱちくりとまばたきを繰り返すもここ。琴葉と泡子も鏡合わせのように顔を見合わせて首をかしげた。
何も勿体ぶるつもりはない。
俺は単刀直入に事件の真相を切り出した。
「ボールペンは盗まれたんじゃなく捨てられてたんだよ」
「ど、どういうことですか佑哉君⁉ 思い出の品を捨てるはずないじゃないですか!」
「思い出の品ってのは盗まれたと仮定した場合の動機であり推察にすぎないだろう」
……まあ否定はしないけれど。
動揺する琴葉と泡子だったが、もここは違った。そんなことよりも事件の真相のほうが知りたいのかもしれない。
「それじゃあ椎名先生と山本先生のどちらかが犯人だっていうの?」
「いいや、そのどちらもだ」
「……ははん、二人の共犯だったわけか」
わたし分かってましたけどと表情で語る泡子は無視。
俺は商品棚にある一本のボールペンをつまみ上げた。
「ボールペンの消費期限は三年って話だっただろう。塾にあったボールペンの大半は開校当初のものだっただろうよ」
「五年以上前のものだからつまり……全部使えなくなってたってこと?」
「さすがにそれはないんじゃないですか? 塾長が新しいものを入れてそうですけど」
「その通り。捨てられたボールペンの中には途中で購入されたものもあったはずだ。けれど、それらはすべてインク切れで捨てられた」
「どうしてそう言い切れるんです?」
疑問を持つのも当然だ。
寿命のものは当然使えず、寿命以外のものはすべてインク切れで、備品のボールペンはどれも使えない状態だったとは都合が良すぎる。
しかし、これはごく自然なことだった。
「備品のボールペンは塾長の机にあったそうだな。きっと文房具立てにでも入れられていたんだろう。……突然だが、泡子。ふと手に取ったボールペンが使えなかったらどうする?」
「……え、どうするって――――別のやつに変えるけど」
「そう、使えないのなら別のやつにするよな」
「そうか……! そうやって古いボールペンが溜まって、使えるボールペンのインクが切れていくんですね」
「その通り」
ボールペンを使うということは逆説的に何かを書くタイミングだ。よっぽど几帳面じゃない限り、わざわざボールペンをゴミ箱に捨てて、新しいものを使おうとは思わないのが人間の心理というやつだ。
「五年もの歳月があれば使えないボールペンが溜まっても不思議じゃない」
「古いものとインク切れのもの。すべてのボールペンが使えなくなっていたから捨てた……筋は通ってます!」
「じゃあ閉校するときに椎名先生と山本先生がボールペンを捨てたってことだよね。塾長の許可をとらないのはまだしも、さすがに連絡はすると思うな」
「でも塾長には伝わっていなかった、ですか」
鋭い指摘だ。
たかがボールペンとはいえ、塾の備品を勝手に捨てることはないだろう。けれど、偶然が重なったことによってそれは実現した。
「椎名先生はベテラン、山本先生は新人講師だったよな」
「それがどうしたの?」
「二人は先輩後輩の関係だ。備品を捨てたとなれば新人は先輩が塾長に報告していると勘違いしているだろうさ。なんせ自分よりも椎名先輩のほうが塾長と親しい間柄だと思い込むからだ」
「たしかに、後輩だと無意識に先輩頼りにしてる可能性はあります」
「ところが、だ」
陳列棚を物色しながら筆箱を一つ手に取る。今では生活の基盤となったスマホをモチーフにした筆箱だ。
顔の横で軽く振って見せる。
「ベテランの椎名先生は機械に疎い。実家の電話で連絡を取るくらいにはな」
「閉校時、塾長は近くにいなかった。報告できないわけです」
「つまり……二人ともボールペンを捨てたって塾長に伝えてないことになる……」
「だからボールペンが盗まれたって勘違いしたわけですか!」
「そういうことだ」
人間は自身の中で判断を下せないとき、決まってあり得ない妄想へとたどり着いてしまう。ラップ現象なんかがいい例だ。音のする原因がわかりかねるからこそ、もしかして幽霊の仕業なんじゃないかと妄想を膨らませる。幽霊さんもいい迷惑だろうに。
この場合も同じ。非日常な出来事に遭遇した塾長は『盗まれた』という最悪の想定へとたどりついた。
「……ちょっと待って」
泡子が物申す。
「……椎名先生は几帳面な性格なはず。だったら実家の電話を使って塾長に連絡しててもおかしくない」
「たしかに泡子の言う通りだ。いくらスマホを持っていないとはいえ、塾長に報告をする手段はいくらでもある。けれど、椎名先生には確信がった」
「……確信?」
「山本先生が塾長に伝えてくれるって確信がさ」
自分で言っておいてなんだが、話が妙に複雑になってきた。
俺もさっき当分補給しておいたほうがよかったのかもしれない。今更ながらに甘いものが恋しくなる。この問題が解決してからでも間に合うだろうか。
手っ取り早く済ますことにしよう。
「ここで一つ確認なんだが、塾の先生が来る曜日ってのは固定されてるのか?」
「う、うん。曜日ごとに見かける先生は同じだと思う」
「んで、昨日来るはずだった山本先生はおやすみしたんだよな」
「あー、そういうことですね!」
俺の伝えたいことを理解したようで、琴葉が素っ頓狂な声をあげた。店員さんの視線が冷ややかで痛い。
爛々と瞳を輝かせる琴葉は喉の奥から込み上げるアハ体験を盛大にぶちまけた。
「ボールペンを捨てた月曜日、椎名先生はこう思ったんですよ。『塾長に報告しなくちゃいけないけど、明日は山本先生が出勤するから、私の代わりに伝えてくれるだろう』って!」
「そういうこった。火曜日の朝がごみの収集日だったのも根拠の一つだな」
もここの通う塾もうちの学校と同じ区内。
泡子が出す予定だった収集日と一致する。
「要するに、使えなくなったボールペンを捨てたけど、先生の行き違いがあって塾長に伝わらず、泥棒騒ぎになったわけですか!」
「あくまで推測にすぎないけどな」
くああっと、張り詰めていた空気が一気に弛緩する。
伸びをしたのは泡子だ。
「……なんだかあっけない事件だった」
「まあ普段の依頼が依頼ですからね。ホラー展開がなかっただけラッキーってもんですよ!」
「……頭使ったら甘いもの食べたくなってきた」
「いいですねえ。みんなでケーキ食べに行きませんか?」
どんだけ食うんだよとは思いつつも、甘いものを食べる案には賛成だ。
賛成だが……。
「早とちりはよせ。肝心な部分がまだ残ってるだろう」
「「へ?」」
裸の王様だってびっくりのアホ面だ。
この事件……と呼ぶのも仰々しいが、真相はあらかた俺の推理通りだと思う。椎名先生か山本先生が出勤したときにでも尋ねれば一件落着だ。
けれど、二人は大事なことを見落としている。
それは。
「そもそも、どうして俺たちに相談を持ちかけたんだ――――もここ?」
「……っ」
びくりともここの肩が跳ね上がる。
まさかそこまで推察されるとは思ってもみなかったのだろう。……いや、それを含めて俺たちに相談してきたのだとしたら……それこそ考えものだ。
「なんのことかな。私はただ事件の真相が知りたかっただけだよ……?」
「そうですよ佑哉君! そうやって疑り深い性格だからクラスに友達ができないんです」
「……愚か」
……そこまで言わんでもいいだろうに。
俺は一つ咳ばらいをした。
「お前たちこそ愚かかもしれないぞ。もここの性格をよく思い出してみなさい」
「お母さんみたいに優しい」
「……こんなお姉ちゃんが欲しかった」
「慈愛の女神」
「みんなやめて……」
いかん。
これじゃあもここを褒める会になってしまう。
もひとつ、咳ばらいを。
「お前らの言うように、もここは非常にできた人間だ。だからこそ、悩み事なんかがあればいつも胸の内にしまいこんでしまう」
「「たしかに」」
「うう……」
目の前で自分を分析されることほど辛いことはないかもしれない。受験生だったこそ、面接で自己PRをしたときですら羞恥で爆散しそうだったのに。
どうにも話がそれる。
「つまりだ、今回の事件はもここが一人で抱えきれないくらい不安だったことになる。塾のボールペンがなくなったくらいでそうなるとは思えない」
痛いところをつかれたのか。
もここの表情が徐々に曇っていく。本当に素直なやつだ。
だからこそ、だったのだろう。
「文房具売り場に戻ってきた理由をそろそろ明かそうか。用があったのはこいつだ」
「それって……」
「……ポッキーの鉛筆?」
そう。
このポッキーの鉛筆こそがこの事件のマクガフィンだったのだ。
もここはついに完全にうつむいてしまった。
「ポッキーの鉛筆の話をしていたとき、もここは言ったよな。鉛筆のほかにボールペンバージョンもあるんだって」
「ん? それがどうかしたんですか?」
琴葉にとっては何気ない日常の一コマだったのだろう。
けれど、俺は違和感をぬぐいきれなかった。
「ポッキーの鉛筆だってマイナーなのに、商品棚にすら並んでいないボールペンの存在を知っていた。もここが文房具マニアってことでもないだろう?」
「そうですけど……」
言葉を重ねるごとにもここが小さくなって萎縮する。
俺だって人の皮をかぶった悪魔じゃない。次の言葉を紡ぐには勇気がいた。
それでも。
引くわけにはいかない。
「これから話すことはあくまで俺の妄言にすぎない。それを承知で聞いてほしい」
「……うん。わかった」
よくぞ頷いてくれた。
説明は短く速く。
昔、テレビに出ていた塾の講師が口にしていたのを思い出す。
ただし、言葉選びは慎重にだけれど。
「結論から言おう。もここ、お前は塾から借りたボールペンを持っているな? それもポッキーのボールペンをだ」
「「はい?」」




