後ろから赤坂:参
コーヒーカップの底が見えてしばらくのこと。
琴葉が唐突にこんなことを言い出した。
「ゆうやくん、二人の世界を見てみたいとは思わないですか」
「二人ってもここと泡子のことか?」
「ですっ」
見たい見たくないでいえば間違いなく前者のほうだ。クセの強い部員の世界なんてさぞかし面白いに違いない。……ただ、それには相応のリスクが伴うわけで。
「あめ玉だよな……?」
「も、もちろんですっ」
言い出したお前が照れるなよ。
「……それを言うならボクはいなりんの世界が見たい」
「お、おなじく私も」
「お前もなのかもここ……」
泡子の賛成はなんとなく分かっていた。もここまでもが乗り気だとはいささか驚きだ。
いや、それ以前に。
「俺の世界って透明で見れないんじゃなかったっけ?」
「……その透明が気になるのだよ、たわけい」
「お、おなじく」
十人十色という言葉があるように人の感性は多種多様だなと感心する一コマだった。俺なら別に見たいとは思わない。
「決まりですっ! 交代バンコにしましょう」
「……最初はボクがいく」
「でしたら次はもここですね」
「透明って綺麗なのかなあ」
「…………はあ」
結局、俺はあめ玉は舐めることになるのか。
まあ、もう二回ほど経験しているわけだしメンタルブレイクするほどでもない。慣れとは恐ろしいものだ。
「…………ん?」
待てよ。
最後に俺の番がくるってことは二人の舐めたあめ玉を舐めるってことになるんじゃないか……? 舐める舐めると連呼したがそれどころではない。
「ちょっ、ストッ――」
――プと止めたときには遅かった。
琴葉の指先が泡子の口内にインしている。二人の女子の舐めたあめ玉を舐めることが確定した瞬間であった。こんな確定演出は願い下げだ。
羞恥と罪悪感を背に泣く泣く机の上に伏していると、
「……キタっ!!」
突如、泡子が大声をあげた。
いつもは眠そうな瞳も開眼している。
「ことはん、もここんには色があるのに、いなりんには何にもないっ! 透明だッ!」
「そ、そうか」
泡子の異様な興奮具合に困惑した。透明な世界とはそれほど異質なのだろうか。自覚のない俺には図り得ない。
「わ、私にも見せてっ」
興奮気味な泡子の肩をもここがつつく。鼻息を荒くした泡子は口から唾液まみれのあめ玉を取り出して、彼女の口元に押し込んだ。
「む、むぐっ。あわこちゃん力強い……ってえぇっ!?」
「もここまで……そんなにびっくりすることか?」
「だ、だってっ! ことはちゃんとあわこちゃんには世界が見えるのにゆうやくんだけは何もなくてそれが不思議で不思議で……っ!」
「…………」
なんだかよくわからんが、世界が見えないってのは相当な違和感なんだとちんけな感想を抱く。琴葉がストーキングしたのも無理ないわけだ。
「それじゃ最後にゆうやくんの番ですっ。もここ、あめ玉をお願いします!」
「え?」
ようやくことの重大さを認識したらしい。
もここの耳先がみるみるうちに朱に染まった。わたわたと手が騒ぎ始める。
「わ、私が舐めたものなんて汚いから男の子にはなおさらあげられないよっ! ことはちゃん新しいあめ玉を使おう?」
目がぐるぐる回っている。相当滅入っているな。
気持ちはわかる。
「うーん。でもそれがラスト一個なんですよね」
「そ、そんなっ!」
「今後も似たようなことがあるでしょうから今のうちに慣れたらいいかと」
「そ、そういうことなら」
「いいのかよ……」
意外とあっさり折れるんだなと俺はため息をついた。
押しに弱いタイプだ。
というか今後も似たよなことがあると思うと気が重い……。
「それじゃあ稲荷くん」
「…………」
もここの口からあめ玉があらわれる。なんとか指には触れないように注意してあめ玉を食らった。グレープに引き続いてストロベリー味である。
次の瞬間、目の前に未知の世界が広がった。
「おぉ……っ!」
「どうです?」
背中まで伸びた髪を揺らして琴葉が尋ねてくる。
俺の目の前には三つの世界が広がっていた。可能な限り具体的に描写するつもりだが抽象的になってしまうのはご了承願いたい。
まず琴葉の世界。彼女をかたどっている輪郭から約三メートルほどの距離まで眩しいほど輝いている。比喩とかそういったものではなくて本当に輝いているのだ。髪に似て銀に近い色をしていた。はつらつとした太陽を連想させれば、指先一つで散ってしまう月のような儚さもどこか感じる。
もここの世界。彼女の周りは印象通りの桃色の空気で満ちていた。ふわふわなエフェクトに水玉模様が浮かんでいるような感覚。けれど、ヒヨコが飛んでいるような子供っぽい世界観でもない。なんというか、ちょっとエロティックな匂いが漂う世界だ。
最後に泡子。彼女の世界は二人とは打って変わってダークチックだ。今までの口調や言動を察するに中二病を患っているのかもしれない。その証拠に十字架や黒い羽根、さらには幽霊なんかが漂っている。心霊系のジャンルも好みなのか。一番カオスな世界観だった。
「面白いな、これ」
「常日頃から見えてるわたしに言えるのは、人にはそれぞれの世界観が存在していて、同じものはないってことですかね」
「へえ」
琴葉はいつからこんなふうに見えていたのだろう。生まれつきの能力なら一般人との感覚のすり合わせに時間がかかったはずだ。
この旨を本人に伝えてみると、
「初めて見えたのは小学生だった気がします。そのときは…………そんなに驚きませんでしたね」
「お前ってほんと肝がすわってるな」
「えへへーっ」
嬉しそうに頬をかいているが褒めたつもりはない。呆れていると急に三人の世界が消えた。あめ玉を舐めきってしまったのだ。
「終わった」
「四人で舐めまわしましたからね。すぐに溶けちゃったんでしょう」
「その言い方で他のやつには言いふらすなよ、絶対にだ」
互いの世界を覗くのも終わり。
話題は昨日の出来事へと移る。追加で注いでもらったコーヒーがうまい。
「そのおかげでおばあさんの世界がガラリと変わったんですっ!」
「いいお話だねぇ」
「でしょう」
穏やかに会話を交わす琴葉ともここ。
それを頬杖をついて眺めている俺。
泡子といえば我関せず本に夢中だった。なにやら都市伝説についての特集みたいだ。
「人の世界ってそんな簡単に変わるものなの?」
「わたしの経験からいえば滅多にないです。ふつうは変わりません」
だとすれば昨日のおばあさんの世界が変わったのはたまたま運がよかったのか。
「嘘も方便とはこのことだな」
「ゆうやくんの嘘はすごかったです」
それじゃ俺が大嘘つきみたいだろうに。
「……稲荷くんって嘘つきなの?」
「断じて違う」
「でも昨日の嘘は素敵でしたよ。こう、言葉巧みというか」
「そんなことはない」
「そんなことありますよ」
日常的に言葉の勉強をしているのが功を奏したのかもしれない。勉強といっても趣味の範囲で言葉に関する書物に目を通しているだけだ。
「ゆうやくん」
「ん?」
琴葉がくいくいっと机越しにそでを引っ張ってくる。
「推理小説とかよく読みますか?」
「たしなむ程度ってやつだ」
「やっぱりっ! ゆうやくんの推理力にも目を見張るものがありましたから」
「推理力?」
もここが首をかしげる。
「ほらっ、わたしがストーキングしたって話です」
「そういえばことはちゃんの悪事を見破ったんだったね!」
「あ、悪事ではないですけど」
もここは何気に天然だったりするのか? こんな短時間でも話していて人の性格ってわかってくるもんだ。
人の波にもまれて感心する。
「とにかくゆうやくんはすごい人ということで決まりですっ!」
「お、おなじく」
さすがに買いかぶりすぎだ。
今後のことを見据えて誤解は解いておいたほうがいいだろう。面倒ごとにつながりかねない。
「別に俺は大した人間じゃないぞ。ただ言葉を大切にしてるだけで」
「「言葉?」」
「うっ……」
二人そろって顔を近づけてきやがった。無垢な瞳が慣れない俺の精神に突き刺さる。眼前に女子の顔は心臓に悪い。
気をまぎらわすように俺はこんな話をしてみた。
「例えばだな、『赤坂』に関する話がある。知ってるか?」
「ゆうやくん、わたしをおバカな子だと思ってませんか」
「…………」
「そこは黙らないでください!」
「「…………」」
「みんなも目をそらさないでくださいよもぉーっ!」
涙目の琴葉。
現象学研究会内でもそういう認識をされていたんだな。ご愁傷さまなこった。
「いいです。『赤坂』の意味を答えておバカじゃないことを証明しますから!」
やけに自信満々の様子だった。
はたして無事に回答することができるのだろうか。
「その心は?」
「サーカスです!」
「……そうだな」
期待を裏切らないオチを呼び込む女であった。
ふんすと鼻息を鳴らし、やり切った感がしゃしゃり出てる琴葉に、
「(琴葉ちゃんそれ違うっ)」
「ふむ?」
もここが耳打ちした。さすが母性あふれる面倒見のいいマザー。
あーっ! と琴葉は閃いたようで、
「赤坂カサスですね!」
「やったね琴葉ちゃん!」
「赤坂サカスだ」
「「ええ~っ!」」
珍解答者と珍入者の二人はそろって声をあげた。手をとりあってさぞかし仲がいい。蚊帳の外の泡子がちらちらジェラシーの視線を飛ばしているのに気づいてやれ。
赤坂といえばと聞いただけでこれだ。
話が進まないので強引に手綱をひくことにする。
「俺が言いたいのは赤坂サカスを知っているかじゃなくて赤坂にまつわる言語論だ」
「言語論ってなんですか?」
「言語論は言葉の性質を研究した成果のことでだな」
「???」
つい今しがた確認したところではないか。この二人に小難しい話は通じない。
俺が知的であるかといえば決してそうではないが、万人に通用するレベルの段階に落とし込む必要がある。
俺は話を始めた。
「赤坂ってのは魔法の言葉なんだ。……そうだな、赤坂を反対から読み上げてくれ」
「赤坂をですか? ええっと……」
琴葉はまるでおつりを数える小学生のように指を一本ずつ折り曲げて考えた。
「あかさか、だから……か、さ、か、あ……」
「琴葉ちゃん、紙に書いてみたら?」
「助かります!」
もここに渡されたA4用紙に反対から読み上げた言葉を書き並べていく。完成したのは『かさかあ』という文字列だ。
目を細めてじーっと凝視する現象学研究会の面々。いつの間にか泡子も参戦している。
「どうだ?」
「どうだと言われましても……意味がわからないですね」
「そうだな。俺もさっぱりだ」
「ちょっとゆうやくん!?」
「そう焦るな。ところでもここ、スマホは持ってるか」
「す、スマホ?」
突然のことであたふたとする彼女だったが、カバンから羊のストラップのついたスマホを手に取った。
「電源つけるから待ってね」
「……お前、電源切ってるのか?」
「学校じゃ切らなきゃいけない校則だし……」
非常に彼女らしい理由だった。俺なんか転校初日から電源つけっぱなしだ。もちろん授業中に使用するなんてバカなことはしない。
明かりのついたスマホを差し出される。俺は録音アプリを起動して机の真ん中に配置した。ここからが本番だ。
録音ボタンをプッシュして泡子にうながす。
「赤坂って言ってくれないか?」
「……なんでボクが」
「小さいけど、お前の声が一番通ってるからな」
「…………ボクにフラグは立てられない」
「意味の分からんこと言ってないで、頼む」
「……乗せられたわけじゃない」
誰に言い訳してるのか、泡子は少々のためらいののちに、
「……赤坂」
とマイクの近くでつぶやいた。
録音ボタンをとめて話を再開する。
「ここで問題。これを逆再生するとどうなるでしょう?」
「どうなるって、逆になるわけですから」
「……紙に書いてあるやつになる」
「おなじく」
三人が述べたように赤坂サカスを逆から読むわけだから『かさかあ』になるのが道理だ。誰だって同じように思う。
「それじゃあ答え合わせとしゃれこもう」
画面に表示されている逆再生に触れる。
「…………」
「…………」
「…………」
すると、みるみるうちに三人のまゆにしわが寄ってきた。
やがて再生画面が閉じる。
最初に声を発したのは他でもない琴葉だった。
「…………って……聞こえました」
「なんだって?」
彼女らしからぬ小声に思わず聞き返す。
琴葉は叫ぶように声を張り上げて言った。
「『あかさか』って聞こえました!」
「そうだろう」
俺の思惑は大成功のようだ。
同様にもここと泡子も各々にアメイジングしている。まるで部室の天地がひっくり返ったような状況だった。
「不思議……不思議ですよ! もしかしてゆうやくん普通に再生しました?」
「バカいうな。俺と泡子の会話も逆再生で聞こえたろう」
「ぐぬぬ……っ」
納得のいかない琴葉が誰が見てもわかるくらいに悔しそうな表情をした。勝負なんかしていないのに完敗した高校球児みたくなってる。
一方で、意外にも早く平静を取り戻したもここが説明を求めてきた。隣からは泡子の熱烈な視線も送られる。
「なんで『あかさか』って聞こえたの?」
「……『かさかあ』で流れるはず」
「そこがミソだ」
ここに『赤坂』に関する言語論が展開できる。
俺は『かさかあ』と書かれた紙の空白にペンを走らせた。
「言葉は大体、母音と子音の二種類で発音が決まる。『あ』なら『a』、『か』なら『ka』って具合にだ」
「英語の勉強をしてるみたいですね」
「その感覚に近いかもな。なにせ日本語は母音・子音を気にしない」
この母音・子音を意識しないところに死角が生まれる。
俺は説明を続けた。
「どうせだ。『赤坂』を発音の面から見ていこうじゃないか」
「そうですね。ええっと『あかさか』だから……こうですかね?」
キャラクターのデフォルメされたシャーペンで琴葉がローマ字書きする。
『akasaka』
「何か見えてこないか」
「んむむ……?」
「……ボクの邪眼を持ってしても見抜けないだと?」
「物騒なもんを使うな」
「……あっ!」
どうやらもここが俺の意図したことに気づいたようだ。
彼女は紙を指さし立ち上がった。
「ローマ字読みすると反対から読んでも『あかさか』になる!」
「そういうことだ。音はひらがなじゃなくローマ字読みで再生されるんだ」
どういうことですか! と紙に顔を伏せる勢いの琴葉と泡子。
数秒して、
「うひゃーっ! これはしてやられましたね」
「……卑怯極まりない」
などと感想を述べた。
答え合わせのあとは補足で決まりだ。
「三人ともしてやられたりってとこだろう。なにせ日本語は母音や子音を意識することがないからな。日本語の最小を『ひらがな』って思いがちなんだ。『赤坂』を反対から読もうとしたときも、ひらがなにして考えてたからな」
「言われてみれば…………」
むむむっとあごに手をやって難しそうな顔をする琴葉ともここ。泡子はすでに都市伝説の世界に戻っていた。
ふと。
自分の好きなものをこれほど熱弁したことがあっただろうかと思い返す。
すると自分のしでかしたことがどう思われているのか恐ろしく思えてならなかった。
「…………」
俺は恐る恐る二人の様子をうかがうようにして尋ねてみた。
「……長々しかったと思うが納得できたか?」
「「すごいことだけは分かりましたっ」」
ダメだまるで分かっていない。
とはいえ悪い手ごたえはないように思えた。それに三人との距離が縮まったのも嫌な気はしない。
口下手な俺に言葉をつむがせる。
彼女たちはいつも通りの世界に帰っていた。
「いやあ、面白いですねえ。……んむ、ツチノコの特集ですか?」
「……ムネアツ」
「私ツチノコ捕まえたことあるよっ」
「……詳しく」
「イメージとは違って青色だったかなあ」
「それワニノコじゃないですか……?」
これがきっと『現象学研究会』の世界なんだろう。
今あめ玉を舐めたらいったいどんな風に映るのかと、少しばかり興味が湧くような、やはりおっかないような、そんな気がした。




