アメリカン・スピリット 下
夜まで瑞香に受け取った本とCDで時間を潰した。
やはり芸術は素晴らしい。文芸も、音楽も、人生の潤いだ。
満たされた気持ちになって、俺は夜の街に繰り出す。夜の街はバーや飲食店、それに小さな屋台が繰り出す飲食店の戦場。
『ガラム』に入ると昼間とは違った光景が広がる。
まず、小さなステージはアコースティック・アレンジ主体のしっとりした大人のコーヒーショップから、ミュージックも楽しめるバーに早変わりする。
夜になるとステージにはドラムセットとギターアンプ、ベースアンプそれに俺がよくわからないエフェクターとか言う器材が並ぶ。
異世界原住民には電子機器は高価だ。瑞香のような異世界と現世をつなぐ業者。目利きと買い付けをする業者。間に何人もの汗が流れるのだから、仕方ない。
マスターはバーの売上で器材や楽器を揃え、地元の音楽愛好者に開放している。いま演奏しているのは地元の高校生くらいの子供たち。普段はアコースティック・ギターや代替の楽器で代用して練習しているのだろう。少し緊張しているようだ。
歌いだしたのは「[Alexandros]」の「Adventure」。現世から輸入した音楽は異世界でも親しまれている。日本で洋楽が流行ったのと同じ。
生演奏は良い。MP3のプロの演奏も悪くないが、ヘッドホンで聴くのと重厚なアンプを通して聴くのではかなり違う。空気と音圧。
とはいえ、楽しんでばかりもいられない。俺はカウンターで飲んでいたシモノフの元に向かう。
「よう、シモノフ。情報は集まったか?」
「ああ、禅さん。十二分に集まったよ」
柔和な笑みを浮かべるシモノフの隣に座っていた長身のエルフの女が頭を下げた。
「ズブロヨフカと申します」
俺は慌てて頭を下げた。
「私が愛用しているピアニッシモ・アリア・メンソールが転売屋の被害にあっている、という話をしていたんです」
ズブロヨフカはハキハキした口調で言う。音楽の先生でもやってそうな雰囲気。
「その転売屋がどこで商売してるかわかるか?」
「第一一大通りのラーメン屋の前に屋台がありました。金髪の男です。多分今日も、そこにいると思います」
なるほど。その情報を待ってた。俺は早速『ガラム』を飛び出そうとする。
「ちょっと待て、俺もいこう」
シモノフが腰を浮かせた。
「じゃあ、私も」
「いや、君はここで待っていたほうが良い」
シモノフとズブロヨフカが見つめ合う。そしてズブロヨフカが耳打ち。シモノフが頷く。手を握り合っている。お前らそういう関係なのか。
第一一大通りのラーメン屋の前。転生者が持ち込んだラーメンを、エルフのおっさんが作っている。難しい顔をしてスープを煮込み、麺を次々茹でて客をさばいていく。
金髪の男はそれとは対象的だった。営業スマイルと履き違えた軽薄な笑み。荷台に乱雑に積んだ木箱からはみ出したタバコ。
「たばこ売ってくれますか?マルボロ・メンソールの一二ミリ」
精一杯の愛想笑い。万が一にも人違いがあってはいけない。
「はいはい、マルボロね」
金髪の男がにやにやしながらタバコを取り出す。
「一箱銅貨一八枚ね」
「え、高くないですか?」
「最近仕入れが滞ってるんすよ」
「じゃあこれで――」
金髪の男が意気揚々と右手を差し出す。
俺は無造作に男の中指を掴んで、へし折った。
第一一大通りに、男の絶叫が響き渡った。ラーメン屋のエルフのおっさんが驚いてこちらを向いた。ごめんよおっさん。なんでもないんだ。
「ってえなあ!!クソ、何しやがる」
「仕入れが滞ってる、だぁーー?」
俺は男の髪を掴んで、そのまま引きちぎった。頭皮がこびりついたまま、金髪が百本近く抜けた。
抵抗するように伸ばした左手を脇に挟み込み全身を使ってひねる。脱臼。そのまま神経繊維を引きちぎらんばかりに相手を振り回す。
一オクターブ高い絶叫。汚い楽器。SeagullのS6を見習ってくれ。
俺は男を離して、軽いファイティングスタンスに構える。正しいパンチは正しいスタンスから。俺はモハメド・アリじゃない。
パンチは腕の力で打つのではない。フォームと重心移動で打つ。
男に右胸にジャブを叩き込む。魔法で身体能力を強化したりはしないし、今回は少し手を抜く。
露骨な弱点は狙わない。鎖骨にジャブ。肩にストレート。アバラに左フック。大腿部に前蹴り。もう一度大腿部に下段回し蹴り。
男が立っていられなくなり倒れる。
「なんでだよ!転売なんてみんなやってることだろ。街のタバコ屋と俺がやってること、何が違うんだよ」
男が泣きながら叫ぶ。
「お前は汗を流していない。目利きも人脈も使わずに買い占めて値段を釣りあげるのは商売とは言わない」
男の首を踏みつける。喉仏に体重を掛けて、男は踏まれたカエルみたいな声を絞り出す。
「落ち着け!禅さん、こいつを殺す気か」
「それでもいいと思ってる」
ふと、俺はいいアイデアが浮かんだ。殺すよりもこっちのほうが面白いだろう。
「……私は男の身体に興味があるの。旦那さんじゃ試せないことができて、私はとても嬉しい」
山羊の角が生えた獣人の美女が、大きなカバンを開きながら言う。サコーはすっかり男を犯す快感に目覚めてしまった。
「女は男に比べて筋力で劣ると言われている。それは私にもわかる。でも精神力はどうなのかしら?」
鞄の中は拷問道具でいっぱいだ。拷問道具と言っても苦痛に苛むようなものではない。牛の角を削り出したディルド。天然ゴムのエネマグラ。蔦と木の実でできたアナルビーズ。その他諸々。
「人によると言ってしまえばそれまでだけど。それはただの思考放棄」
サコーの後ろで控えているサコーの旦那が自分のことのように青い顔をしている。
サコーは去勢鉗子と呼ばれるペンチをかちりと鳴らした。舌を引っこ抜く閻魔大王みたい。実際は舌を引き抜くんじゃなくて、睾丸を血管ごと押しつぶす。
「猫や牛は去勢するとおとなしくなるけど、人間はどうなのかしら?」
ワーオ。
キリスト教ではパフォメットという悪魔がいる。皮肉にもこいつは山羊の頭をもっているという。獣人の悪魔。なんらかのパラドックスが生じている気がする。
俺の家の拷問部屋までついてきたシモノフとズブロヨフカは若干どころじゃなく引いていた。ズブロヨフカは顔が真っ青。シモノフは青を通り越して真っ白。
俺とシモノフとズブロヨフカは拷問部屋を出た。ズブロヨフカは小走りでトイレに駆け込んだ。
仕方がないのでシモノフはキッチンの流しにつれていく。シモノフの広い背中をさすってやる。大丈夫。ズブロヨフカはきっと優しい女だ。
サコーがやったことをそれとなく街の噂に流してやれば、二度と転売屋なんてジョグジャカルタには現れないだろう。一件落着。
でも俺は死ぬまでマルボロのメンソール十二ミリは吸わないだろうな。