アメリカン・スピリット 上
俺は愛煙家だ。それでも一日五本と決めている。
吸っているタバコはアメリカンスピリットの六ミリ。黄色いバッケージにネイティブアメリカンのデザイン。
この異世界にもタバコ農家はいる。だが、俺は決して異世界産のタバコは吸わない。
じゃあどうしてるかって言うと、現世からいろいろ融通してくる業者がいるわけだ。
「や、龍ヶ宮さん。これ、この前オーダーされたの、持ってきたよ」
保存用の木箱が並んだ一見してただの倉庫のような商店。神宮寺瑞香は子犬のように無邪気に笑った。素朴だが、味のある顔立ち。ショートカットの黒髪がよく似合っている。
「アメリカンスピリットの六ミリが二カートン。それに石田衣良と深見真と八神淳一の新刊。米津玄師とハンバートハンバート、あとヨルシカのCD」
「いつもすまんな」
「いいえー、龍ヶ宮さんはお得意様だからね」
瑞香がはにかんだ。本当に笑顔が似合う子だ。
「転生者の人は本も読まないし、音楽もYoutubeで済ませちゃう人が多いからねー」
俺は渡された深見真の新刊をペラペラめくった。レズの女刑事が活躍する、変わった警察モノ。深見真の作品はこんなのばっかりだ。
「これ、支払い」
「はーい、確認しまーす」
瑞香が手際よく金勘定を済ませる。商人だけに慣れたものだ。
瑞香は転生者だけでなく、異世界原住民相手にも商売する。とはいえ、自分が住んでいる世界とは違う世界から何か買うなんてなかなかないし、値が張る分買い付けは少ない。
「ところで、ちょっとお願いがあるんだけど、いいかな?」
瑞香が短い髪を耳に掛けた。
「なんかこのへんで、私が卸した商品を法外な値段で転売してる人がいるらしいんだよねー」
「へえ?」
「例えばこのマルボロ」
瑞香はタバコの箱を拾い上げた。マルボロ・メンソールの一二ミリ。
「異世界原住民の人たちも好きな人が多いから、カートン単位で買ってきたんだけど、在庫分全部買われちゃって」
瑞香が頭をかいた。
「別のタバコを買いつけに来た人たちから屋台を出して二倍の値段に売ってるやつがいたって、連絡があったんだよ」
「なるほど」
俺は嫌煙家を敵視するわけではないが、愛煙家の味方だ。
「異世界と現世をつなぐゲートを作るのもなかなか大変だし、ちょっと腹立たしいよね」
「そいつを殺せばいいのか?」
「どっちでもいいよ。むしろ見せしめに、いい感じに酷い目にあわせてよ。師匠も怒ってる」
師匠、というのは異世界と現世をつなぐ転移魔法を作った人間だ。俺はあったことがないが、魔法技術の発展に一役買っているらしい。師弟関係を作った相手にしかそういう特殊な魔法は教えない。
俺はそれを独占だとは思わない。開発者の当然の権利だ。
魔法を使うのは、半分頭脳労働、半分肉体労働だ。簡単なことではない。
「わかった。なんとかしよう」
「その言葉を待ってたよ!頼りにしてるよ!」
女に頼られるのは悪い気分じゃない。ましてやそれがいい女ならなおさらだ。
愛煙家のコネクションは強い。どうやらどこの世界も愛煙家は一部の健康志向のおばさま方には嫌われるらしい。
表通りから一本外れて、さらにもう一本外れた先。廃業したレストランを改築したバーに俺は立ち寄った。――『ガラム』と下手くそな文字で書かれた看板。チェーン店が立ち並ぶ現世じゃ見られない愛嬌が溢れている。
立ち入るやいなや染み付いたヤニの匂いが俺の鼻孔をくすぐった。
ヤニの「臭い」と表現するやつとは俺は友達にはなれない。ガキの頃から祖父が吸っていた葉巻の「匂い」に慣れ親しんだ俺からしてみれば、これは安らぎの芳香なのだ。
ここは美味いコーヒーを出す。知る人ぞ知る店だから、真っ昼間にもかかわらずちらほら客の姿がある。
奥まった場所にあ小さなステージで、オークと人間のハーフの大男が「つじあやの」の「クローバー」を歌っている。『ガラム』の専属アーティスト。ドヴェイン・ジョンソンみたいなおっさんが可愛い歌を歌っているのを滑稽だと笑うやつはみんな死ねばいい。
創作物をひねくれた目線でしか見えないやつはつまらない人間だ。
「シモノフ、今日もいい歌だな」
歌い終わったのを見て話掛けた。
「ありがとう禅さん、そう言ってもらえると嬉しいよ」
シモノフはいかつい外見だが、紳士だ。俺は現世でもここまで礼儀正しい男にあったことがない。筋肉と脂肪のバランスの良い肉の鎧をまとった騎士。
この店はバーとタバコ屋を兼ねている。瑞香が卸売業者なら、ここは街の小さなタバコ屋。目利きと人脈で稼ぐ。人付き合いが嫌いな俺にはできない芸当。
「マスター、コーヒーを一杯。粗挽きで」
ゆっくりとした口調でオーダー。マスターは微笑んで頷いた。
マスターはゴブリン、人間に迎合した元魔族。簡単な会話はできるが、込み入った話をするときはシモノフに通訳を頼む。
「シモノフ、通訳、頼めるか」
「もちろんだ」
シモノフはギターを置いた。異世界製ではなく、現世から輸入したSeagullのS6。こだわりぬいたカナダ産の上質な木材で作られたアコースティック・ギター。
「ここらで、タバコの悪質な転売があると聞いた」
シモノフが通訳すると、マスターはわずかに眉間に皺を寄せた。魔族の言葉でなにか話す。
「たしかにある。数品種に絞って、買い占めてるやつがいると」
マスターはなにか言ってタバコの並んだ棚を指さした。マルボロのメンソール一二ミリと、ピアニッシモのよくわからない銘柄。それに俺が知らない異世界産の品種。
「有名どころではないが、コアなファンが居る品種ばかりだ」
どういうわけか異世界ではマルボロ派よりメビウス派のほうが多い。俺は比べるなら断然メビウス派だが、喫煙者を狙った犯行。俺には許せない。
「どんな奴が転売してるか、わかるか?」
「それはマスターよりここの客に聞いたほうが話が早いな。それとなく夜、客が増えたら俺が聞いてみよう」
シモノフが頷いた。
「ありがとう、助かるよ」
「大丈夫だ」
紳士なアーティストと、無口なマスター。『ガラム』はジョグジャカルタで最高のバー。
俺はコーヒーを二杯おかわりし、シモノフの演奏を楽しんだ。「スピッツ」の「潮騒ちゃん」、「サンボマスター」の「そのぬくもりに用がある」のアコースティック・アレンジ。JASRACが血眼で金づるを探す現世では消えてしまった光景だ。