「お父さんを殺してください!」 上
転生者はいろいろな方法でこの異世界で生きている。行先行先で女を引っ掛けて遊び歩く女たらし。人のために戦うと意気込んでバスタオルみたいなサイズの剣を背負って戦う中二病の偽善者。異世界原住民相手にボロい商売をしているビジネスマン。
俺はその中で一番異世界原住民に近い仕事――便利屋をやっている。無論、知り合いの紹介のある仕事しか受けない。世間の不条理さを学ぶのは現世で飽き飽きだ。
朝のコーヒーを一杯いこうじゃないか、と思ったところで玄関のドアが叩かれた。
こんな朝っぱらから依頼か?そもそも紹介がないと俺は仕事は受けないはずなんだが。とにかく俺は玄関に向かう。
「あの!転生者の方ですか!」
ドアを開けるなり話し始めたのは、小学生くらいの人間のガキだ。小学校低学年くらいの男の子に、幼稚園年長くらいの女の子。
「お願いです!お父さんを殺してください!」
ワーオ。朝っぱらからヘビーだね。
とりあえず玄関で話すわけにも行かない。俺は二人をダイニングの椅子に座らせた。
客と言うには幼いが、客は客だ。一応名乗っておく。だがこのお子さん二人は自分の名前を名乗りたくないという。よくわからないがプライバシーというものだろうか?中学生になると親に部屋に入るときノックしろとせがむみたいな?
朝飯を食っていないと言うから近所の店で買っておいた黒パンを焼いて出してやる。
驚いたのはガキ二人は焼いたパンを何もつけずに食い始めたことだ。バターとジャムを出してやると男の子の方は目を輝かせてべっとり塗りつけ始める。女の子のほうは男の子がそうやっているのを見てゆっくりと真似して塗りつけている。
「お母さんはご飯を作ってくれないんです」
なるほど。子供の自主性を重んじる家庭なのか。冗談。
「お父さんはお酒ばっかり飲んで、ちょっと働いてもお金を全部お酒に使っちゃうんです」
ネグレクト。アル中。もう次は何がきても驚かない。
「お父さんは妹をレイプしたんです」
ワーオ。えっぐい。村田諒太の黄金の右ストレートを顎に食らった感じ。鳩がマグナムを食ったよう。
「それっきり妹はまともに口を聞かなくなっちゃったんです。お父さんはキャーキャー騒がないいい子になったって」
勘弁してくれよ。小説家になろうに投稿するような軽い内容じゃなくなってきたぞ。中高生の読者もドン引きだよ。
「お母さんは働いてたけど病気になって、そんなお母さんをお父さんは怠け者って殴るんです」
ワーオ。
「だから、お願いです。龍ヶ宮さん。お父さんを殺してください」
ワーオ。
こいつらが俺を頼ったように、俺も他人を頼ることにする。残念ながら児童相談所の類はこの世界にはない。
ジョグジャカルタ、と呼ばれるこの街は異世界の中にある有象無象の地方都市の一つだ。真面目に労働に勤しむ人間。日雇いで暮らす目をギラギラさせたオークと人間のハーフ。すべてを見下したような目をしたエルフ。いろんな奴がいる。
『ガラム』の看板のかかったバーやタバコやを兼ねる喫茶店の前に行くとちょうどマスターのゴブリンが店の前を掃除し終わったところだった。子供を連れた俺を見て目を丸くしている。
「開いてる?」
「どうぞ」
マスターに促されて、中へ。残念ながら目当ての友人はまだ来ていない。
「だれ?」
マスターがたどたどしく言った。マスターはゴブリン族ということもあって人間の言葉がうまくしゃべることができない。
「客。児童虐待の被害者で、父親を殺してほしいと」
マスターは困ったような表情を浮かべた。いつも通訳してくれる友人はいないし、他に語学が堪能な客もいない。
マスターはタバコの棚の上から一冊の分厚い本を取り出した。
魔族の言葉と対訳のついた辞典。俺は児童虐待の対訳を探す。
無い。
なんてことだ。この世界には児童虐待の定義すら無いのだ。いつだって世界はサイレントマイノリティに厳しい。
仕方なく俺は『子供』『いじめる』で対訳を探す。あった。マスターに示す。
マスターは苦々しい表情でため息を付いた。
マスターはとりあえずミルクと砂糖マシマシの子供用コーヒーを作って出してやった。
妹の方は俺たちの反応をじっと見ていた。
コーヒーには一口も手を付けなかった。
「なるほど……」
「そんなことがあったんですね」
かいつまんで説明したがシモノフとズブロヨフカも芳しい反応は得られなかった。
シモノフはオークと人間のハーフの大男。ガタイは良いがギターも弾ける繊細な男。ズブロヨフカはエルフの小柄な女。シモノフと出来てるような様子があると勘ぐってしまうのは俺の妄想だろうか?
「とりあえずだけど」
シモノフが切り出す。優しい巨人。
「禅さんの魔法でこの子達の母親の病気を直してあげる、っていうのはできるよね」
「でも、根本的な解決にはならない」
ズブロヨフカは沈痛な表情で言う。そのとおりだ。調子が悪くなったパソコンにクリーンインストールするように人間性は直らない。
「とりあえず、動きましょう」
ズブロヨフカが言った。
「ここでじっとしていても、何も事態は良くならない。ええっと……僕?」
ズブロヨフカは男の子に話しかけた。
「初等教育は受けてる?」
「受けてます。でも今日は休みますって伝えてあるので……」
「とにかく行ってみよう」
「龍ヶ宮さん、行っちゃうの?」
不安げな男の子。
無表情の女の子。
シモノフが頷いた。
「ズブロヨフカはその子達を面倒見ててやってくれ。俺たちが初等教育施設に行ってみよう」
「ええ、その子達が親から酷い扱いをされているのは私達も把握しています」
「そういった子供たちを支援する制度は無いんですか?」
「残念ながら……普通の家庭なら両親が忙しくても祖父や祖母が面倒を見ることが多いんです」
「その子達の祖父は?」
「わかりません……すくなくともあの子達と話していて話題になったことはありません」
「……」
「あの……」
すまなそうに教師が言った。
「あの子達、自分の名前を全然名乗ろうとしないんです。親にもらった名前が嫌いだからって……祖父母も……」
だめだ。教師はあてにならない。最期の望みを掛けて祖父母のことを聞いてみる。
「おばあちゃんとおじいちゃんは……」
言いかけて、男の子は黙ってしまった。
「死んだ」
女の子が口を開いた。
「おばあちゃんは働きすぎで死んだ。おじいちゃんは、お父さんに殺された」
どこかで聞いた話。今度は俺たちが黙る番だった。
「母方のおばあちゃんとおじいちゃんは?」
ズブロヨフカが引きつった笑いを浮かべて言った。
「おじいちゃんは、魔族との戦争でわたしが生まれるよりもっと前に死んじゃった。遺体も回収できなくてお墓は空っぽ。おばあちゃんは、わたしたちがあかちゃんだったときに死んじゃったって」
死んじゃった?
忘れていた。俺は転生者なのだ。異世界原住民とは違う。
「マスター!」
俺は思わず叫んでいた。
「空き部屋!あるよな?」
マスターは目を見開いたが、俺の様子をみて頷いた。
「考えがあるのか」
シモノフが俺をじっと見やる。
「ある。俺が帰るまで数日、この子達の面倒を見てやってくれないか」
「俺とズブロヨフカでなんとかしよう」
ズブロヨフカは力強く頷いた。
「しばらく、お泊りしようか。私とシモノフお兄さんが一緒にいるからね」
ズブロヨフカが話しかけているのを横目に、シモノフがそっと耳打ちした。
「男の子はともかく、女の子がやばい。お父さんを殺してくださいって頼みに来たのは女の子の入れ知恵だろう。このまま帰したら本気で父親を殺しにかかるか、自殺するか、どっちかだぞ」
「わかってる」
俺は懐に入れてきた財布をシモノフに手渡した。
「これは?」
「初等教育施設にも話をつけるのに賄賂は必要だろう。それにこいつらの生活費に、今回の迷惑料だ。どうせ金は無いんだろう」
「……」
シモノフは財布をじっと見つめてから、懐にしまった。
「俺はこの街から離れる。数日以内には戻る」