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三十代半ばほどの男性が差し出してくれた。
長身でイケメンの部類に入る。黒いシャツがよく似合っている。がっしりタイプの人だ。ラクビ―のようなスポーツをしていた感じにみえた。
私はなにも言わず、カフェラテのカップを受け取る。私がじっとその石鹸をみていたのに気づいたのだろう。
「よかったら、サンプルいかがですか。気に入ったら買ってください」と声をかけてきた。
サンプルと聞いて、また嬉しくなった。
「いいんですか? いただいても」
「どうぞ、はい」
その男性は屈みながらカウンターの奥を覗き込み、小さな袋を手に取った。その中に二センチほどの正方形の石鹸が入っていた。
きれいな色、ラベンダーのサボン。
本当は別にサンプルではなく、最初から商品を買ってもよかった。けど私は、自分の心の欲求を満たすことを小出しにすることにした。また、ここへ来たいと思うから、その言い訳にしようってこと。
今夜、私はこのサンプルを使う。そしてすごく気に入ったからと言って、もっと大きい石鹸を買うためにここへ戻ってくる。自分の中に浮かんだ戻るという言葉に、苦笑する。戻るもなにも、私は今日初めてここに来たというのに。
カフェラテを手にして、ポツリポツリと埋まっている長いテーブル席の中央へ座った。そこから店内を眺める。丸い椅子は寄せられるから、隣に誰かが座っても窮屈にならない空間が保たれた。少し高めのテーブルの内側にはハンドバッグや手荷物をおける棚も備え付けられていた。これなら隣の椅子に荷物を置くことも必要ない。隣を見ると営業マンらしい男性は大きなアタッシュケースを足元に置いている。奥行もあるから横や後ろに置いて通行の妨げにもならないだろう。
カフェラテもおいしい。そう、このことが最も重要なこと。一口目は熱々だったが、二口目はグイッと飲めた。口当たりのいい液体が喉を通っていった。
周囲の客のほとんどが一人か、二人でいても声を抑えて話している。居心地のいい空間だった。サボンを売っていたことも気に言ったが、ラテもその雰囲気も大満足だった。
カフェラテを飲み終えると私は長居することもなく、すぐにそのカフェを出て、隣の弁当屋でから揚げ弁当を買った。今夜の夕飯だった。そして来た道を戻り、駅へ向かう。そこから家路にたどり着く私は、もう昨日の自分と、いや、さっきまでの自分とは違っていた。
家に辿りついた私はすぐにもらったラベンダーのサボンを袋から取り出した。淡い香りがする。それだけでウキウキしていた。誰もいない部屋に一人いることが気にならなくなっている。コンビニの弁当と大差はないのに、その夜の弁当は格別においしく感じた。
人の生活とは、その時の感情によって、こんなに世の中が違って見えるのかと実感をせざるを得ない。その夜のお風呂、早速石鹸を使ってみた。泡立ちもいいし、ラベンダーの香りが邪魔にならない。大好きなラベンダーの香りに包まれている幸福感があった。