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 私の働くARIMAという会社は、石鹸や素肌ケア、化粧品類などを主に取り扱う。洗面所などに備え付けるオーガニックソープや衛生用品なども手掛けているため、薬局や病院関係にも幅広く進出していた。

 入社した当時は商品開発部に配属され、部長秘書兼雑務役で忙しくしていた。そして本年度、つまり今月から営業部に配属になった。


 大手の薬局やスーパーマーケット企業へ出向くことが多い。こんな話術に乏しい私が営業部で、なんとかこなしていた。

 始めは胃が縮む思いだったが、元の私を知らない相手先では、別人になりすます術を覚えた。こんな私が不思議なことにお愛想も言えるし、相手からの冗談を受け止め、笑うこともできた。それはそれで新たな自分を発見することにもなった。

 人間としての成長なのかもしれない。けど我ながら時間がかかったと思う。普通の人なら就職したらすぐにでも身につけることだ。


 それに営業は外回りがあるから、その合間にちょっとした息抜きができた。それがよかったのかもしれない。社内でのおざなりの会話をしなくてすむ。自分を殺し、相手に合わせる会話が苦手だったから。

 さらに自分の仕事をきちんとしていれば、早めに上がっても、昼間抜け出したとしても咎められない自由さも気に入っていた。


 それでもやはり明りのついていないアパートに戻り、誰の声もしない部屋で夜を過ごすことが時々苦痛になった。だから発作的に目の前の電車へ飛び乗るなんてことをしていた。


 私は無表情のまま、電車の窓から外の景色を見入っていた。いつもと違う方向へ行く電車から見る風景は初めて行く土地のような気がして楽しいと感じた。


 そんな中で、その看板が見えたのは奇跡に近かった。そろそろ次の駅に到着するから、電車が減速していたのも幸いだったのだろう。


 遮断機の降りた通りの向こう側に、ふんわりとした紫色の明かりが見えた。そちらに目を惹かれ、ちらりと見えたその店の看板に釘付けになった。


 行きたい。その店を覗いてみたいと思った。何気なく乗り込んだいつもと違う電車で、いつもの日常では見つけられなかったものが発見できたことにワクワクしていた。こんな感情、久しぶりだ。


 こんな私なんかが、こんなに高揚することがあるのかと、別の自分がさめた目で見ている。しかし、そんなことは気にしない。あの気詰まりだったエレベーターの出来事でさえ、感謝する気分になっている。


 ゲンキンなものだ。本当にあの出来事がなかったら、今頃は誰もいないアパートに真っ直ぐに戻って、いつものコンビニに立ちより、昨日とは違う弁当を選び、買い求める。そしてそれを味わいもしないでただ飲み込んでいる頃だ。


 私が台所を使って調理をするのは休みの日だけ。食に関してもあまり興味がなかった。体に必要だから仕方なく何かを口にしているだけのこと。だから一度気に入ったメニューはしばらく続くことになる。一週間、冷やし中華を食べた記録も持っている。けど、誰もそれを咎めることもないし、笑う人もいない。 


 そして、弁当の容器をゴミ箱に捨て、自室の静けさから逃げるようにして、パソコンを開き、見たくもない動画を流すんだろう。そんな変わらないいつもの夜を、この日のこの発見は過去のことにしてくれた。


 のろのろと電車が止まるのを、こんなふうにじれったいと思ったことがなかった。ドアが開くとすぐに電車から飛び出し、初めて足を踏み入れる駅へ降りた。


 その時の私はまるで、さっき見た店が幻だったらどうしようという恐れに近い想いがあった。早く行かないと消えてしまいそうな不安もあった。小走りになる。すぐにさっき見た遮断器のある道路が見えてきた。そして、その向こうに、ラベンダー色の看板が見えた。

 脱力するほど安堵した。見つけた。小躍りしたい気分だった。


【ラベンダーのサボン】という店が現れた。


 なにを売る店なのかわからなかった。その色と名前に惹かれていた。昔から薄紫が好きな色だった。

今では薄紫というよりも、ラベンダー色といった方がかっこいい。高貴な印象を与える。

もしかしたら、雑貨店なのかもしれない。サボンは石鹸という意味だ。興味がわいた。

  

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