鹿島郁・生き甲斐の発見
ただ今、書き換えております。
一ページが長いので、読みやすくするため、
ページを増やしています。
ふと気づくと一人ぼっちだった。心の中も一人だし、周りに誰かがいてもすれ違うだけの登場人物Aという存在。相手がAじゃなくて、向こうにとって私が名無しのA。
それでもいいって思ってた。一緒にいる誰かに気兼ねしたり、気をつかうことが私には苦痛だったから。一人なら、その誰かに期待をしないし、されない。期待をしないってことは裏切られないってこと。
すごく楽しいって思えることも、無情にもその時間は過ぎていく。それどころか臆病者の私は、この楽しい時間が終わってしまうことに恐怖まで覚えるだろう。そんなことなら最初から楽しいなんて感じない方がいい。
その頃の私はそんなことを想っていた。
その日も無気力なのに、駅へと足が向いていた。
駅のホームに降り立つと、絶好のタイミングで電車が滑り込んできた。そして私の目の前で扉が開く。
まるで、さあお乗りなさい、と語られているようだ。
その行き先を見た。この電車は私の降りる駅へは行かない。方向違いだ。これに乗ったら、またこの駅に引き返さないと帰れないだろう。けれど、その時の私は真っ直ぐに家へ帰りたくなかった。
そこに現れた心の中の波紋。いつも私の心は穏やかではない。常になにかを見て心にさざ波をたてている。言ってみればそれは波紋というよりもさざ波を静せるきっかけだったのかもしれない。
いつもと違う方向へ行く、この電車に揺られてみようかと思った。別の黄昏の景色を眺めるのも魅力的に感じたからだ。
電車内はそれほど混雑してはいない。一歩踏み出ようかどうしようか判断に迷っていた時、後ろに並んでいた人が、ドアの前に立ったまま動かない私に舌打ちをして回り込んでいた。乗らないならどいてくれと言わんばかりに睨まれた。そんなことに肩を押されたかのように、脚が動いていた。
座席はあいていたが、敢えて座らずに反対側の扉の横に立つ。外を眺めるには、そこが絶好の特等席になるだろう。いつもと違う冒険を始めるように思えてきた。
そんな他愛のないワクワク感に包まれた私を乗せた電車は、ゆっくりと動き始めた。駅を出るとすぐに電車が違う方向へ進んで行った。
同じようなビル街だが、別の角度からだと違ってみえる。色鮮やかな広告や綺麗な写真も視界に飛び込んできた。おもしろそうなカルチャーセンターを見つけ、目についた講座にも気をひかれる。おしゃれなレストラン、カフェ、大勢が出入りをしている賑やかな電化製品の店。立派なマンションを見ればそこに住む人たちを想像してみたりした。見る物が新鮮で退屈しない。
そのうちに、建物や街灯にうっすらと明かりがつきはじめた。カラー映像がモノクロに変わる時、その存在をアピールするように色をつけてみたという感じ。そんなことが楽しく思えた。