悪役は一人でいい! ~王子、修業をする~
「ガッハッハッハ! そのために我輩を訪ねたか! 理由は軟弱なれど、心意気はよし!」
「武に身を捧げた武神殿にしてみれば、ボクは軟弱に見えるでしょう。ですが、彼女の隣を歩むならば、武神殿程度倒せなければ、夢のまた夢なのです」
「それもよし! だが、安々と負けるつもりはない! 我輩を踏み台とするならば、この山より高く飛ぶ必要があると心得よ!」
武山と呼ばれる、文字通り針の山のごとし鋭い山の山頂に、男の豪快な笑い声が響く。
武神。本当の名も忘れられたその男は、太古より生き続けている神の一柱である。
山頂より少し降りたところには粗末な家が立ち並び、そこでは武人たちが日々修行を重ねている。
この山に集う者に、老若男女は関係ない。ただ武に身を捧げる覚悟を持つこと。それが、この山で修行を重ねることの条件である。。
自ら食料を取り、限界まで体を苛め抜き、そして眠る。この山に篭もる武人達は、そんな日々を延々と続けるのだ。
故に武山。武人達の聖地であるこの山は、そう呼ばれていた。
そんな聖地に、覇王勇者イーリス・エル・カッツェの婚約者であるカイル・エル・バハームドは足を運んでいた。
彼の目的はただ一つ。この山の頂上にいる最強の武人である武神に勝つことである。
この山に登り、修行に明け暮れた一人の男。名も忘れられ、そして自らも名を捨て、一人の武人として強さを求め続けた結果、男は神となり、武人は武神となった。以来、武神はこの山の頂上で自らを鍛え続けている。
過去の彼方から武を磨き続けたその強さは如何なるものか。数多の武人が武神に闘いを挑んだが、武神の強さの深淵を引き出せた者はいない。
その強さ、間違いなく世界最強の一角である。大賢者、剣王、覇王勇者、真魔人、天巨人などと並び称されるだけはあるだろう。
「イーリスなるその少女、よほど強いようだな。貴様より強いとは、顔が見てみたいものだ」
「いえ、見たことはあると思いますよ。イーリス自身、武神殿と会ったことがあると話しておりました」
「むぅ、覚えておらんな。我輩は脳まで筋肉でできているからな。体は強いが、頭は弱いのだ」
武神の言葉に、カイルは苦笑することしかできない。否定しようにも、武神が脳筋なのは事実であり、それは本人も認めているのだ。苦笑以外何もできない。
「まあよい。いずれ思い出すかもしれぬ。それより……ふん!」
掛け声とともに武神が地面を踏むと、武神の周囲だけが円状に地面が下がった。
「我輩をこの円から出すことができれば貴様の勝ちと認めよう。文句はあるまい」
「……ええ、構いません」
「不満そうだな。だが、自らの強さも知っている。若いが、愚かではないな」
「負けず嫌いなんですよ、ボクは。イーリスの隣に立てない自分に腹が立つほどに」
「ガッハッハッハ! それも若さゆえの特権よ! その気持ちを晴らすには、強くなる他ない!」
「知っています。だからボクはあなたに会いに来た!」
「いいだろう! 強さを求めるならば、我輩をこの円の外に出してみよ!」
「いきます!」
叫ぶと同時に、カイルが武神に拳を打ち込む。全力だが、カイル自身この程度で終わると思わないし、思えない。どの程度の差があるのか、見極めるための一撃だ。
武神は何の動きも見せずに、無防備にカイルの一撃を腹に受けた。避けようともせず、防ぐこともしない。武神にとっては、守るまでもない一撃ということだ。
その通りである。岩、どころではない。もっと硬い、それこそ鋼鉄のような印象をカイルは受けた。そして、武神の重さ以上の重さを、手応えから感じることができた。
体は鋼鉄、重さは山。どうやって動かせというのか。カイルには、武神を動かせるイメージがまるでわかなかった。
同時に、イーリスのいる頂の高さを実感する。カイルの愛する婚約者は、遥かな頂に立っているのだ。それが誇らしいと同時に、自分への情けなさにも繋がる。
「今度はこちらの番だな! 死ぬでないぞ!」
宣言とともに、武神が拳を構える。腰だめに右拳を構え、これで攻撃するぞと宣言する。
その瞬間、カイルは死を自覚した。一秒もせずに、自分は死ぬ。それは予想ではなく確信。絶対的な事実として、既に確定された未来だ。
そして、カイルは死んだ。コンマ一秒もせずに、目の前で止められた拳のせいで、カイルは死んでいた。死という事実を、突きつけられた。
「一度死亡だな。未熟なり」
「……ええ、死にました」
カイルの頬を一筋の汗が流れる。冷たい汗がどっと湧いてきて、カイルはようやく生きていることを自覚できた。
見ることもできなかった。反応することもできなかった。拳を打ち込むのに、武神は時間を必要としたのだろうか。カイルにしてみれば、瞬間で攻撃されたようにしか思えなかった。
カイルは、何度かイーリスが戦っている姿を見たことがある。だが、イーリスでもここまでの速さは持っていなかった。それはつまり、イーリスがこのレベルで戦う相手がいなかったということではないだろうか。
神殺しの牙と戦う時でさえ、イーリスにとっては撫でるようなものだったのだろう。一体、イーリスの強さの底はどこになるのだろうか。
「続けるか?」
「ええ、お願いします。この程度で諦めると思っていないのでしょう?」
「もちろんだ。貴様は屈辱をバネに進む男と確信している!」
そう言って豪快に笑う武神につられて、カイルも笑う。何とも気持ちのいい性格をしている神だ。カイルのように遥か格下の相手であっても、敬意を持って戦いに臨む。
だからこそ来たかいがあった。カイルは笑い、再び武神に挑む。
全力の蹴りは躱された。
風を纏った必殺の切断は、指一本で防がれた。
消えて見えるほどの速さで翻弄しても、正確に額にデコピンを打ち込まれた。
投げようとしても逆に投げ返され、顔面を踏みつけられた。
武神が動けないのをいいことに離れて風の刃を飛ばしても、武神の拳は距離を無視してカイルを貫いた。
無論、全ては寸止めであったり、数センチ横を通り過ぎた攻撃ばかりだ。
何度も、何十度も、何百度も、カイルは負けた。何度も、何十度も、何百度も、カイルは死んだ。
しかし、それでいいとカイルは感じていた。カイルは今、世界の頂に触れているのだ。世界の頂と戦っているのだ。
負けても全てが糧になる。死を錯覚させるという武神の手心は、死そのものをカイルに教え込む。
負ける度に、死ぬ度に、カイルは死を覚えていった。死の気配を、死の感覚を、そして、死への予感を覚えていった。
死ぬことに慣れることはない。死は怖い。死は恐ろしい。死にたくない。それらは全て、カイルの本心だ。
だからなのか、カイルは死の感覚を覚え、死との距離をがわかるようになっていった。死を見切るようになっていった。
腹が減ったら食い、眠くなったら眠り、それ以外は死に続ける。そんな日々を一ヶ月以上繰り返したおかげだ。何千回、何万回と死に続けたおかげで、カイルは死を友とし始めた。
そして、武神と戦いはじめて、ちょうど二ヶ月が経った日のことだった。
「ヌゥン!」
最初は見えなかった武神の拳を、カイルは右手で流して躱す。死なないための最適な動作で、死なないために必要な最低限の力で受け流す。
攻撃は終わらない。拳、肘、蹴り、手刀、武神の持つ無限とも言える攻撃のパターン、変化し続ける攻撃のリズムを読み抜き、カイルは死の横を走り抜ける。
自らの死をカイルは見切った。ならば、次は相手の死である。
相手の死へと繋がる死角。相手を死に導く急所。どのくらいの力で、どういった攻撃で、いつ突けばよいか、カイルは理解し始めていた。
武神もわかっているため、自らの死を隠すことをしない。武神ほど強さがあれば、攻撃の死角や繋がりの隙などを極限まで減らすことができる。それをせずに、カイルが見切れる程度に隙を残すということは、カイルの成長を願っているに他ならない。
(ありがとう、武神殿)
思いながら、武神から距離を取る。距離を無視して攻撃できる武神に対しては無意味な行動だが、これは布石だ。
わかっているのか、いないのか。武神はまたも距離を無視して手刀を繰り出す。
上からの手刀による一撃を半身にして避ける。武神の次の一撃は遅い。本来であれば、避けると同時に次の一撃が迫っているはずだ。明らかな隙、明らかな誘い。釣られて飛び出せば、武神のカウンターが待っている。
だが、カイルには見えている。その奥に、武神の死が眠っている。
一歩、カイルは踏み込んだ。予想通りに待っていたカウンター。武神の左拳が、真っ直ぐ迫ってくる。
カイルの動きは止まらない。だが、それでいい。これはカイルの死ではない。ならばそれでいい。
更にもう一歩。倒れ込むようにして、ほとんど地面と水平になるように疾走する。カイルの遥か頭上を武神の攻撃が通り過ぎる。
武神は距離を無視して攻撃できるが、攻撃という過程は必要である。瞬間で攻撃しているように見えても、攻撃そのものはしているのだ。攻撃せずに相手を倒すことができるわけではない。
武神が体勢を整える前に、一気に懐へ。狙うは胸の真ん中。人であろうと神であろうと、ここを貫かれれば大抵は死ぬ。
右手を鋭い刃にして、心臓を抉らんとカイルは突く。五センチ、三センチ、ミリ単位まで近づいたところで、武神は微笑んだ。
嬉しそうに、優しそうに、武神は微笑んでみせた。
その瞬間、武神は消えた。カイルの攻撃が届かないカイルの背後に、武神は腕を組んで立っていた。
武神が攻撃してくる気配はない。今だったら絶好のチャンスなのに、だ。武神が攻撃をしたら、カイルはあっさりと更なる死を繰り返しただろう。
だが、武神が攻撃をすることはない。何故ならば、ようやく勝負がついたからだ。
「あのままではやられていたな」
「ええ、心臓を貫きました」
「そして、避けた結果、我輩は円の外、か」
そう、武神がカイルの背後に移動したことで、武神は自らが定めた敗北の条件を満たしてしまったのだ。
自らを円の外に出してみろ。その言葉通り、カイルは武神を円の外に出し、見事武神に勝ってみせたのだ。
永遠にも続くと思われた挑戦は、カイルの勝利という結果でようやく終わったのだ。
「ガッハッハッハ! 見事なり! 我輩の負けだ! 我輩は貴様を称えよう、カイル・エル・バハームド!」
「いえ、結局ボクはあなたに膝をつかせることができませんでした」
「あーたりまえだ。我輩が何年修行してると思っとる。こう見えて世界最強に数えられる一柱よ。我輩の膝をつかせるなど千年早い!」
武神が言うと、その言葉も重みが違う。武神は年月を忘れるほど修行に明け暮れた男が神になった存在だ。その修業は千年を遥かに超え、万を更に超えているかもしれない。
「しかし、イーリスは武神殿に勝ったと聞いています。ボクもあなたに勝てれば、彼女の隣に立つのに相応しい男になれるのですが……」
「イーリス、貴様の好いている娘か。其奴が我輩に勝った? 最近だと……うむ、確かに数ヶ月前に覇王勇者と闘い、一度敗れているが……おお、思い出した。イーリスとは覇王勇者の名であったな! なんと! 貴様の好いている女とは、あの覇王勇者であったか!」
「ええ、その通りです」
「何と大きな目標よ。あの覇王勇者の隣に立とうとはな。だが天晴! 我輩は貴様を気に入った! いつでも来るがいい、我輩は貴様を歓迎しよう!」
「ありがとうございます。心から感謝いたします」
豪快に笑う武神に、カイルは深く頭を下げる。自らをここまで導いてくれた師匠に、深い尊敬の意を表す。
武神との戦いでカイルは格段に強くなった。そんじょそこらの神が相手であっても、カイルは見事に勝利してみせるだろう。
だが、これはまだまだスタートラインなのだ。強くなったと言っても、カイルはまだまだ弱い。イーリスや武神の足元にも及ばない強さしか持たないのだ。
もっともっと強くならなければならない。
覇王勇者であるイーリスの横に立つために、更に強くなることをカイルは決意するのだった。