第二章 破滅の足音 3
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シャインソール王国は、今日も天気に恵まれ平和であった。タイトは午前中、毎日の日課である王都サンディアスの巡回に当たっていた。
普段ならば、平和なシャインソール王国の巡回など、退屈そのものであったが、今日は違っていた。
何故なら、今日は月に一度のエミリオ将軍自ら行う巡回の日だったからである。当然、巡回に伴われた兵士たちは、極度に緊張しており、心中は平和とは、程遠いものであった。
特に、タイトは、十三年前の一件以来、エミリオからは、敵視されており、共に行動することによる緊張感は、他の兵士の比ではない。
十三年前に、ジェラルド公爵と父親であるアルフレッド・プラーム公爵によって、エミリオは、アスリーンとの婚約に辿り着けたのである。当然、そこには、エミリオ自身の強い意志も働いており、なるべくしてなった婚約であった。
ところが、もうひとりの当事者であるアスリーンの意思は、別にあったのだ。それが、タイトとの結婚というアスリーンの想いである。
そもそもアスリーンは、小さいころからのジェラルドの教育もあり、貴族同士の結婚に何の疑問も持っていなかった。ある意味、カスバーン家のために自分の身を捧げることに、どちらかと言うと積極的な気概さえ見て取れたほどである。
それでも二十七まで結婚できなかったのには、やはり、気持ちの何処かで結婚に踏み切れない思いがあったのかもしれないとアスリーンは考えていた。
そんな思いを抱いていたあるとき、カスバーン家の直轄領であるフォレスティン村を父であるジェラルドに伴われて視察をすることになった。そこで運命的な出会いがあるとは、当の本人であるアスリーンでさえも思いもよらないことであった。
そのときの第一印象は、正直、良いものではなかった。タイトの容姿は、殆どの者が見て、決して良いといえるものではなかった。太っていて、背も高いわけではなく、顔立ちも中の下と言ったところであろう。
ところが、アスリーンの、そんな気持ちを変化させたのは、タイトの発した言葉であった。タイトの発する言葉には力があった。
「良いかい、人は生きるために、自ら考えて行動するんだ。だから、自分自身で考えないで、行動することは、生きるためにする行動ではないんだよ。故に、他人の言いなりな人生は、人生とは言えない。何故なら、人として生きていないからなんだ。人として生きられない者が、他人との関係の間で生きる人間として、共に生きていくことなんてできはしない。共に生きていくことができなければ、自分以外の人間がいない世界でしか、生きられない。そんな孤独な世界で生きることが、本当に生きていると言えるのか。否、誰も自分が生きていたことを知らなければ、自分が亡くなった後、どうやって自分の存在を、生きてきたという事実を証明してくれるんだ。そんな人生は、無かったことと同じだよ」
その言葉が、アスリーンの心に響いたのだ。今まで、アスリーンは、父親が望むならば、どのような相手とでも結婚するつもりでいた。そこに、アスリーンの意思は関係ないと思っていたのだ。
ところが、今、アスリーンの耳に飛び込んできた言葉は、まるっきり反対のことを言っているのだ。自分の意思のない行動をして生きていくことは、他人とは生きていくことはできないと言っているのだ。そんな人は、誰もいない世界でしか生きられないと言っている。
つまり、自分の意思のない結婚をすることは、人間として間違っていると言っているように聞こえたのだ。
貴族として、二十七年間生きてきたアスリーンにとって、その言葉は、初めて聞く強い意志の籠った言葉であった。そして、アスリーンは変わった。
それ以来、アスリーンは、ジェラルドに断ることもなく、勝手にフォレスティン村に赴き、遠くからタイトが村人たちに話している姿を黙って見ていたのだ。それが、一週間も続くと、アスリーンの心の中には、自分では如何しようもないほど、タイトへの想いで満ち溢れていったのである。
そして、十日目には、遂にタイトへの告白に至った。最初は、今までに経験したことがない、女性からの告白に戸惑い、信じられない思いのタイトであった。しかし、アスリーンの真剣な態度と、その純粋な心に打たれ、徐々に、惹かれていくようになったのだ。
そして、直ぐに、アスリーンの気持ちが嘘でも構わないと思うようになり、タイトは、自分自身の気持ちを抑えられなくなっていった。タイトの中で、アスリーンを愛する気持ちが、膨れ上がっていったのだ。
結果として、二人の意思が合致し、タイトは、アスリーンの両親の元を訪れることになったのである。
母親であるアイシャ・カスバーンは、娘の相手が農民の倅だと知り、最初は戸惑っていたが、娘の真剣な態度と、タイトの実直な思いにほだされ、了承したのだ。
「タイトさん、娘のことを宜しくお願いね。娘も、もう二十七にもなるので、このまま花嫁姿を見ることもなく、終わるのかと思ったわ。本当に良かった。幸せになるのよ、アスリーン」
そう言われ、アスリーンは、涙を流しながら、アイシャに抱きついた。それを見てタイトもアイシャにお礼の言葉を述べた。
「ありがとうございます、アイシャさん。私は、既に両親も無く、独り身です。アスリーンさんには、きっと苦労を掛けますが、それでも、私には、アスリーンさんが必要です。簡単に、幸せにしますとは、言えません。しかし、こう言っては、申し訳ありませんが、間違いなく、私は、幸せになります。私にとっては、アスリーンさんの存在は、それほど大きなものなのです。それでも、言わせていただけるのならば、私は、絶対にアスリーンさんを幸せにする努力を怠ることはいたしません。私から、お約束できることは、申し訳ありませんが、それだけです」
「ホホホ・・・。本当に良い人を見つけたわね、アスリーン。貴女は、きっと、タイトさんと巡り会うために、今までひとりでいたのよ。神とタイトさんに感謝なさいね」
「ええ、お母様。私も、断言できますわ。タイト様と結婚することによって、少なくとも私だけは、確実に幸せになれます。ありがとう、お母様」
これで、アスリーンは、全てが上手くいくと考えていたが、甘かったのである。
父親であるジェラルドが、猛反対したのだ。そのために、ジェラルドは、水面下で画策してきたプラーム家との結婚話を誰にでも分かるように大々的に進めるようになったのだ。
アスリーンは、二十七になるまで、結婚を強要してこなかった父であるジェラルドは、自分のことを大切に思い、自分の意思を尊重してくれている結果だと思っていた。逆に、母親であるアイシャの方が、口うるさく結婚することを強要してきたぐらいである。
ところが、そんな父親が、アスリーンが、自ら見つけてきた結婚相手を否定し、エミリオ・プラームとの結婚を勧めることが信じられない思いであった。
「貴様のような農民出の倅に大事な娘をやれるものか。出ていけ、このクズが」
そう言うと、ジェラルドは、タイトを蹴りつけた。タイトは、ジェラルドの蹴りを、まともに顔面に受けて、口から血を流した。しかし、タイトは怯まなかった。
「お父さん、お気持ちはお察しします。確かに、私は農民です。財力もありません。そして、この容姿です。決して、誇れるところのない人間です。それでも、私は、誰よりもお嬢様のことを愛することを誓います。それが、例え、お父さんであってもです。私の愛は、お父さんに、勝ることはあっても劣ることはありません」
その言葉が、更にジェラルドを逆上させた。
「お前に、『お父さん』と言われる筋合いはないわ。それに、私の愛よりも、お前の愛の方が勝っているだと、ふざけるのも大概にしろ。お前に、私が二十七年間掛けてきた娘への愛情を否定される言われはないわ」
そう言って、ジェラルドが、今度は拳で殴りつけようとして、アスリーンに止められた。
「止めて、お父様」
タイトは、アスリーンが父親を止める姿を見て考え直した。
「すいません。私の言葉が足りませんでした。確かに、お父っ・・・、ジェラルド公爵様がお嬢様に掛けてきた愛に勝ると言ったことは、私の短慮でした」
「当たり前だ。貴様ごときに、娘に対する愛情で負けてたまるものか」
「しかし、私の愛も、ジェラルド公爵様に否定される言われはございません。私の愛は、元々、公爵様の愛情とは、全く違うものです。最初から比べることに意味はありません。私は、私の愛し方を持って、アスリーンさんを愛するだけです。その点においては、勝ち負けではなく、他の誰からも否定されることを受け入れない強い意志があると言うことです。それは、私が、これから生きていくために必要な強い信念であると言っても過言ではありません」
そう言ったタイトの瞳には、強い意志の炎が燃え盛っていた。その気位に押され、ジェラルドは、言葉に詰まった。
「な、何を・・・、そ、そんなことは、詭弁に過ぎん」
「そうですね、公爵様にとっては詭弁に過ぎないかもしれません。それを否定することは、私にはできませんし、否定しても公爵様を納得させることはできないかもしれません。ならば、同様に、公爵様の言葉を持って、私は、アスリーンさんのことを諦めることに納得することなど、全くできません」
タイトは、更に、語気を強め、ジェラルドと向き合った。ジェラルドは、完全にタイトの気合いに押され、視線を外していた。その様子を黙って見ていた妻であるアイシャは、ジェラルドの肩に手を添えて、アスリーンとタイトに話しかけた。
「タイトさん、分かってあげてね。目に入れても痛くないほど愛情を掛けてきた夫の父親としての気持ちを。極端なことを言えば、例え、相手が国王陛下であっても、父親としては、簡単には納得できないのよ。特に、このジェラルドはね。本当に子供思いの良い父親なのよ。だから、娘が二十七になって結婚していなくても、私のようにうるさくはアスリーンに言えないの。娘の幸せを誰よりも考えているからなの。貴方達も分かるわよ、もう直ぐね、可愛い子供ができるでしょうから」
タイトは、思わず、下を向いてしまった。心底恥じていたのだ。自分の思慮の無さに。子を思う親の気持ちを考えず、自分の意思を貫き通すことだけをしてきた。そんな子供でしかない自分の行為を恥じずにはいられなかった。そして、親の愛情の深さを学ばされた。
タイトは、もう、これ以上、自分勝手な思いを貫き通すことを止め、時間を掛けても、必ず、ジェラルドに納得してもらうことを心に決め、一旦、引き下がることを告げた。
「本当に申し訳ありませんでした。まるで子供のように駄々をこねてしまい。また、出直してまいります。必ず、お父さんにも納得していただけるよう、努力してまいります」
そう言って、頭を下げた。そして、タイトはアスリーンにも申し訳ない気持ちから頭を下げ、その場を引き揚げた。しかし、タイトは、決して諦めることなく、三日と空けずにジェラルドのもとを訪れた。
そんなタイトの行為と娘からの強い意志表示に根負けしたジェラルドは、一つの条件を出してきた。
「良いか、タイト。娘を庶民のもとへ嫁に出すことによって、肩身の狭い思いや金銭的な苦労を掛けることは忍びない。よって、お前は、明日から城の兵士として、国王陛下に命を捧げて仕えるのだ。それが、アスリーンとの結婚の条件である」
「ま、待って、お父様。タイト様は、農家の出で、剣を使ったこともないのよ。何より、温厚な人柄のタイト様が、兵士に向いているとは思えないわ。お父様は、それほど、タイト様と私の結婚が嫌ですの。分かりました。もう、お父様の許可はいりません。私は、タイト様のもとへ、自分の意思で参ります。お父様から絶縁されても構いません」
「ア、アスリーン、待て、何も、早急にことを進めることもあるまい。もう少し、冷静になってだな・・・」
ジェラルドが、娘の強硬な姿勢に困っていると、タイトが割って入ってきた。
「アスリーンさん。何を怒っているんだい。お父さんは、私たちの結婚を許してくれたのだよ。喜ばしい限りじゃないか。それなのに、自分たちから結婚を壊して如何するんだい。私は、お父さんの言うとおり、明日から、お城に上がって、兵士として、誠心誠意働くよ。それが、結婚を承諾してくれたお父さんに対する誠意だからね。それに、確かに私は兵士には向いていないだろうけど、それが、君と一緒にいる条件なら、迷うことなんかないさ、アスリーン、私を信じてくれ。本当にありがとうございます、お父さん」
「タイト様・・・、分かりました。お父様のことではなく、私は、貴方を信じております。その貴方が、そう言うのなら、私は、明日から、貴方の妻として、御傍にいて支えてまいります。それが、私の、これから生きる道ですから」
そこで、アスリーンは、両親の眼を気にすることもなく、タイトに抱きつき、口づけを交わした。アスリーンにとって、それが結婚の儀式のようであった。その姿を見て、アイシャがジェラルドに言った。
「貴方、約束通り、タイトさんは、明日から兵士として、お城に上がるのですから、今日から、アスリーンは、妻としてタイトさんと暮らすことを認めてあげて下さいな。それが、男の約束というものでしょ」
「くっ、わ、分かっておるわ」
ジェラルドは、妻から、そう言われては二人の結婚を了承するより他に道はなかった。結局、ジェラルドは、自分の策によって、タイトとアスリーンの結婚を許す羽目になってしまったのだ。
タイトにとっては、忘れられぬ出来事である。それは、エミリオにとっても同様なのであろう。
ジェラルドは、早急にことを進めるために、エミリオとアスリーンの結婚を当時のプラーム家の当主であるアルフレッド公爵と進めてきたのだ。そうとは、知らないエミリオは、結果的に赤っ恥をかくことになった。
しかし、エミリオにとって、そんなことは、如何でもよかったのである。自分自身が恥をかいた現実よりも、愛するアスリーンを、身分の低い農民に取られた、その事実が受け入れ難いのであった。
何故、あの美しいアスリーンが、低俗で容姿も醜い男と結婚するのか、全く理解できないのである。その理解できない事実が、エミリオを驚愕させたのだ。
そして、アスリーンの父親であるジェラルドが、自分の父親であるアルフレッドに結婚の破断を申し込んだことを聞き、エミリオは、ジェラルドに、タイトの入隊を促したのである。
それは、アスリーンを奪った男の真実を自らの眼で確かめることと、自らの怒りの対象であるタイトを傍に置くことによって、自分自身を鼓舞する目的があった。
入隊以来、エミリオは噂どおりの男であるタイトの存在を許すことができず、誰よりも厳しく接してきた。そして、今でも、この男の、どこにアスリーンは、惚れているのかを全く理解できずにいた。
剣を振らせれば、自ら手放し、あらぬ方向に放り投げ、規律を破った者を処罰せよと命じれば、相手を口説いて、事を収めて、自分の命令を無視する始末である。そして、その処罰の対象であった者が、人が変わったように、その後、隊の規律を確りと守るようになり、もう処罰に値する規則違反等をしなくなってしまうのだから、エミリオの立つ瀬がない。
軍隊において、タイトの存在は、闘争心を掻き立てるどころか、兵士の心を和ませる存在となっていた。そのようなタイトの行為は、エミリオには全く真似できないことであった。その事実が、また、エミリオを苛立たせた。
タイトが、自分にないものを持っていることを知ることは、アスリーンが自分ではなく、タイトを選ぶ理由を知ることになるような気がして受け入れられないのである。
だから、エミリオは、自然とタイトに対して武力の行使を強要するようになるのである。タイトにはできず、自分には難なく、否、寧ろ、誰よりも上手くこなすことができる武力行使を強要するのである。
武力行使、すなわち、剣の腕をもって、物事を収める方法、それは、剣聖の生まれ変わりと言われるエミリオにとって、誰よりも得意とするところなのだ。その事実をタイトに突きつけることによって、エミリオ自身の優位性を持ってタイトに劣等感を与えたい、そこまでしても、手に入れたいのが、エミリオにとってのアスリーンと言う女性なのであった。
そして、今日も、ちょうど、巡回に出て、一時間が過ぎようとした頃に、それは、起こったのだ。




