第一章 シャインソール王国 5<前編>
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タイトの斜向かいには、ダグという青年が住んでいる。今年で十八歳になる。三年前に、父を亡くし、その家業を継いで、鍛冶屋を営んでいた。母親は、既に十年前に他界している。まさに天涯孤独の身なのである。
「やぁ、ダグ。どうだい、私の剣は、直ったかい」
タイトが、城に上がる前に、ダグのところに顔を出した。
「タイトさん、出来上がっていますよ」
「ありがとう、剣無しで警備に就こうものなら、エミリオ将軍から何されるか分からないからね」
「本当ですよ。剣も持たずに、警備に就くなんて、将軍でなくても『何しに来ているんだ』と雷のひとつも落としたくなりますよ」
「いやぁ、ダグ、全く君の言うとおりだよ。本当にありがとう」
「でも、ちゃんと手入れしなくちゃ駄目ですよ。特に雨に濡れたりした後は、きちんと手入れしておかなくちゃ、錆びてしまうのは当たり前です。もう、入隊して長いのでしょう。いったい、今まで、どんな手入れ方法を学んできたんですか」
「そう言われると面目ない。手入れ方法は知ってはいるが、そのう・・・」
タイトが言い淀んでいると、ダグが不思議そうに聞いてきた。
「どうしたんです。何か問題があるんですか」
そう言われて、タイトは、決心して喋り出した。
「実は、剣が怖いんだよ。見るのも嫌なんだ。だから、手入れ方法は知っていても、手入れできないんだよ、触れないんだから」
ダグは、呆れ顔で聞き直した。
「えっ、剣が怖いんですか。それで、何で兵士になったんですか」
そう言われると、タイトは、困った顔になり、ダグの耳元で囁いた。
「誰にも言わないでくれよ。兵士になったのは、剣が好きとか、喧嘩が強いからじゃないんだ。兵士になったのは、アスリーンと一緒になるためなんだ」
ダグは、とてつもない脱力感に見舞われた。
(この人の頭の中には、世間体とか、そんな世俗的なことは、全く欠如している。本当に幸せな人だ。自分の好きな人たちと唯一緒にいたい。その思いだけで、好きでもない剣を握らされ、今日も兵役に就くことのできる人なんだ)と、本当に家族思いの良い人なんだと、今日も思い知らされた。
ダグとタイトとは、家が近いこともあり、ダグが生まれて直ぐからの付き合いである。つまり、ダグの年齢と同じ十八年間の付き合いなのだ。
ダグにとっては、両親亡き後の親代わりのようなものであり、家族のような付き合いをさせてもらっていた。
普段の行動や言動は本当に頼りないが、何故か信頼が置ける人物なのである。だからダグも何でも相談できた。
「馬鹿らしくて聞いていられませんよ。それより、今度、また、お城で舞踏会があるんですか」
そう、聞かれて、タイトの顔は曇ったようだった。
「そうか、もう、村中に知れ渡ってしまったんだね」
「あたりまえじゃないですか。この村には、王都サンディアスの宝石商に努めているミランダがいるんですよ。あいつが、自慢げに、自分も参加するんだと、村中の女性たちに喋っていましたよ」
「そうか、ミランダが・・・」
タイトは、そうひとこと言うと、難しい顔をして俯いてしまった。そんなことには構わず、ダグは喋り続けた。
「それを聞かされていたキャサリンが悔しがって、昨日は諌めるのが大変だったんですからね。おかげで、ずっとムッとしていて、楽しいはずのデートが台無しでしたよ」
キャサリンとは、十六歳になるダグの恋人である。その容姿は、年齢よりも若く見え、少女のようであるが、性格は大人っぽく、気の強い女性であった。
タイトたちの出会いは突然であり、恋に落ちたのも偶然としか言いようがない。それに比べ、ダグとキャサリンは、幼いころからの付き合いで、お互いを知るには十分な時間を得られた。つまり恋愛においてダグは、タイトとは全く違った人生を歩んでいる。
当然、失敗がないのは、自分たちのほうであるとダグは思っている。しかし、何故か、タイトとアスリーンのことが羨ましいと思ってしまう。ダグには、そんな自分の気持ちが良く分からなかった。
「タイトさん、聞いていますか」
ダグに、そう言われて我に返ったタイトは、慌てて顔を上げた。
「あっ、すまない。なっ、何の話だっけ」
「キャサリンの話ですよ、もう、確りしてください」
「そっ、そうだった。キャサリンの話だった。どうなんだい、彼女とは」
そう言われて、ダグは呆れ顔で答えた。
「だから、そのキャサリンとの仲が、自分でも心配だと言っているんじゃないですか。ミランダの自慢話の所為で、村中の女性は、みんな、不機嫌なんですよ」
「そうか、村中の女性が、否、ちょっと待て、村中の女性とは、おかしいぞ。うちのアスリーンとフラニーは、全然、そんな話はしてなかったぞ」
「アスリーンさんたちは、特殊なんですよ。タイトさんのところと一緒にしないでください。あぁ、女性問題をタイトさんに聞くのが間違いでした。忘れてください」
「いやぁ、面目ない」
「まもなく、キャサリンが来るんです。自分で何とかしますよ」
「そうか、その方が良いよ。自分の思いを相手にぶつけるのが恋なんだと思うよ。自分の思いを他人の力を借りて相手に伝えたって、自分で思っていることとは、違う意味で伝わってしまうことになる。そこには、自分の思い以外に、力を貸してくれた他人の思いが加わってしまうからなんだ。そんな思いを相手にぶつけても、相手の気持ちを自分の方に振り向かせることはできないよ」
そう言って、タイトは、剣の礼を言って、ダグのもとを去った。しかし、タイトの心は、今朝方のように晴れ渡ってはいなかった。
ダグの言っていた女性たちの問題が、タイトには重く圧し掛かっていたのだ。タイトは、思った。ひとつひとつは、小さな問題でも、それらが集まると・・・。そう考えずにはいられないのだった。
タイトの後ろ姿を見送りながら、ダグは思った。
「タイトさんは、ときどき凄い発言をするんだよなぁ。言ってる意味は、何となく分かるんだけど、いざ、実行しようと思うと、何か気が引けるんだよなぁ」
そんなことをひとり考えていると、背後に人の気配を感じ、慌てて振り向いた。
「きゃっ」
悲鳴のもとは、愛する女性、キャサリンであった。
「どうしたの、ぼぉっとして。驚かそうとして、こっちが驚いたわ」
「御免、さっきまでタイトさんと話していたんだよ。ほら、あの人、ときどき、人生を達観したような話し方をするじゃないか。それで、今も、そんな発言があってさ、ちょっと考えさせられたんだ」
「タイトさんは、恰好の方は、太っていて、いまいちだけど、本当に良いことを言うわよね。私も、そんな話をしているときは、タイトさんのこと、素敵って思えるわ」
「おいおい、キャサリン」
「大丈夫よ、ダグ。私には貴方しかいない。それに、仮に私がタイトさんのことを好きになったって、タイトさんにはアスリーンさんがいるわ。あの二人の間には誰も入ることはできないわ」
「そうだな。俺たちもあんな風になれたら良いなぁ」
「えぇ、そうね。こんな近くにお手本になる人たちがいるんだから、頑張らなくっちゃね」
「ところで、今日は大丈夫なんだろうなぁ、キャサリン」
恐る恐るダグは、キャサリンの顔色を伺いながら尋ねた。
「御免なさい。昨日は、余りにも頭にきたものだから。まだ少し、むしゃくしゃするけど、今日は大丈夫よ。さぁ、みんなも待っているわ、行きましょう」
今日は、五日後に開かれる村祭りの会合の日なのだ。村中あげての年に一度のお祭りである。誰もが楽しみしており、村人全員で力を合わせて行うのである。日頃争っている人たちも、この日ばかりは、一致団結するのだ。
この村祭りの件が、キャサリンの機嫌を損ねる原因のひとつになっている。ミランダが言っていたお城の舞踏会も同じ五日後に執り行われるのだ。
ミランダ曰く、「私は、アルテア様が開かれるお城の舞踏会に参加しますので、お手伝いもできません、御免なさい」である。
ミランダ自身に悪気があったかどうかは定かでないが、問題は、それを聞いた村の女性が如何思っていたかなのである。
自分たちが村で行われる荒々しい祭りに興じているときに、ミランダひとりだけが、お城で開かれた舞踏会で貴族たちに交じって踊っているのである。同じ村で生まれ育った者として、何故、ミランダだけが特別なのか、村の女性たちには納得できないのである。
確かにミランダは、村一番の美女との噂である。昔は、控えめな、どちらかと言うと村に馴染めないようなおとなしく、目立たない子であった。そのような誰も気にも掛けないようなミランダが変わったのは、二年ほど前のことである。
その一年前から王都サンディアスにある宝石商に勤め始めていたミランダは、主人が、どうしても外せない用事があるということで、アルテア妃に頼まれていた宝石を届けに登城したことがあった。
そこで、アルテアに気に入られたミランダは、アルテア専属の宝石商として登城を許される身分となったのだ。
ミランダが身なりを整え、身振りも粗相がなくなり、貴族のような振る舞いをするようになったのは、それからである。
特に、その美意識は異常とも言えるほどであった。村の誰かが、ミランダの身体に触ろうものなら、睨み付け、取り乱したように喚き散らすのである。当然、村の人たちは、自然とミランダのことを避けるようになり、孤立していくことになった。
しかし、当のミランダは、全く気にすることなく、逆に、活き活きとして、更に自分の美に磨きを掛けていった。そうなると、益々、村の女性たちは、ミランダに嫉妬していくことになったのだ。
キャサリンには、申し訳ないが、ミランダの美貌は、村の中、否、王国中でも他に類を見ないほどであるとダグも思っている。
しかし、それでもダグは、ミランダと結婚したいとは思わない。何故なら、ミランダの美しさは、近寄りがたいものがある。言い換えれば、悪魔に魅せられたような美しさなのだ。 触れようものなら、火傷することになる。
だから、ダグにとっては、キャサリンこそが、最愛の人なのである。例え、怒りっぽくても、泣き虫でも、そのキャサリンの全てを愛おしく思っている。
「よし、マイケルなんか、もう、頭の中は祭り気分だからな、遅刻すると、うるさいぜ」
そういうと、ダグは、キャサリンの手を引き、村の集会場に向かって走り出した。今、この幸せを逃さないように、キャサリンの手を強く確りと握りしめ、自分のもとを離れていかないように袂に引きつけた。
「ちょっと、そんなに強く引っ張らないで、転んで怪我するわ」
キャサリンが、痛さのあまり、ダグから強引に自分の手を引き抜いた。
「あっ、御免。俺もマイケルのことは言えないな。すっかり、浮かれちまってるようだ。ハハハ・・・」
ダグは、我に返り、自分の焦る気持ちを落ち着かせた。キャサリンだけじゃなく、自分もミランダの話をされると何故か、胸騒ぎがするのである。
男であるダグに、ミランダに対する嫉妬はない。そして、恋愛の対象としてミランダを見ることもない。それなのに、この抑えきれない不安は、いったい何なのだろう。
「もう、今から、そんなに浮かれていたら、お祭りの当日は、どうなっちゃうか、不安だわ。私のことを放り出して、マイケルと二人で楽しむ気でしょう」
二人の会話に出てくるマイケルとは、ダグの幼馴染みで、親友である。ダグとマイケルは、悪戯ばかりをしていたので、村人たちから煙たがられていた。いわゆる悪友なのだ。
今でもつるんでは、村の女性たちにちょっかいを出して、引っ叩かれている。当然、キャサリンが心配しているのは、その件のことである。
もちろん、本気で女性を口説こうとしている訳ではない。そんなことは、キャサリンも心得ている。しかし、心得ていても感情的には、非常に面白くはない。その点が、実は、キャサリンがミランダに対して嫉妬を抱く原因なのである。
自分にも、ミランダほどの美しさがあれば、ダグが他の女の人にちょっかいを掛けることもなくなる、そう思わずにはいられなかった。逆に言えば、ミランダには、その力があるのである。その思いがミランダに対する嫉妬に拍車を掛ける。
「ばっ、馬鹿言うなよ。そんなことするはずないだろう」
「何が、馬鹿なことよ。私が、今、どんな思いでいるかも分からないくせに」
そう言って、キャサリンは、突然泣き出し、自分でも抑えられない気持ちをぶつけるようにダグの胸を叩いていた。大人のように見えても、やはりまだ、十六なのだ。
突然の出来事に、ダグは戸惑ったが、やがて、自分の言動がキャサリンに不安を与えていたことを反省して、力強くキャサリンを抱きしめた。
「御免、君に不安な思いばかりさせて」
そういうと、キャサリンが落ち着きを取り戻したことを確認して、ゆっくりとした口調で、しかし、はっきりと言った。
「キャサリン、結婚しよう」
それだけで十分だった。キャサリンは、先ほどまでの取り乱しようとは、うって変わって、安心してダグの胸にもたれ掛った。そして、ダグ同様に、確りとした口調で返事をした。
「はい」
ダグも、その言葉を聞いて安心したのか、その場で暫くの間、優しくキャサリンを抱きしめていた。二人の時間だけが、まるで止まっているかのように、周りを気にすることなく、その愛を噛みしめていた。




