第五章 魔王の真実 6
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誰もが、エミリオの口から話される真実に耳を傾けずには、いられなかった。剣聖と呼ばれた男の心の闇を聞かずには、誰も納得できないのだ。
エミリオは、タイトから、真実を語る権利を受け取り、ついに、自らの心の内を話し始めた。まるで、自分自身で確認するかのようである。
「我がプラーム家とジェラルド公爵のカスバーン家は、昔から、王家に仕える貴族として親交があった。
当然のように、ジェラルド公爵の娘のアスリーンとは幼き時代より共に過ごしてきた。そして、成長するにつれ、その美しさに魅かれ、自然と女性として愛するようになった。
やがて年頃になったアスリーンとの結婚をジェラルド公爵の方から、我がプラーム家に持ちかけてきたのだ。
私は、嬉しさのあまり、その場で了承した。しかし、まさか、その話が、アスリーンとタイトとの結婚話を壊すために、ジェラルド公爵が仕組んだことだったとは、心底、自分の愚かさを呪ったよ。
それも、アスリーンを私から奪った男が、タイト、お前だったことが、私の怒りに火を点けた。
その醜い容姿、そして、女性を守る力もなく、何の取り柄もないお前にアスリーンを取られたのだ。そのときの私の怒りは、気が狂うほどだった。
結果、アスリーンは、タイト、お前と結婚し、フラニーが生まれ、幸せに暮らしている。
私は、そんなアスリーンの姿を見ても、彼女を自分のものにしたい気持ちを変えることはできなかった。
だが、昔から知っているアスリーンの気性から考えれば、無理やりタイトから奪い取ったとしても、その心を私のものにすることができないことは、火を見るより明らかだった」
エミリオは、優しい目でアスリーンを見つめた。しかし、アスリーンは、その視線を一瞬受け止めると、直ぐに、タイトに、視線を向けてしまった。
エミリオは、また、思い知らされた。アスリーンの目には、エミリオが映ることはない。その目に映るのは、たったひとりの男だけなのである。
「そこで、もうひとつ、私が愛してやまない剣の道を究めることを自分自身に誓った。アスリーンを忘れるため、ひたすら、剣の道に邁進していった。
そして、いつの間にか、剣聖シャインソールの生まれ変わりとまで言われるようになっていた。だが、その程度では、私の中のアスリーンを消し去ることはできなかった。
それでも、アスリーンを忘れようとした私は、自分でも気づかないうちに、世界最強と言う名を求めていたのだ。
今でも、何故、世界最強を目指しているのか、自分でも、よく分からん。だが、世界最強が如何いうものかは、分かっていた。つまり、タイトが先ほどから述べている通りのものだ。
私は、一世陛下のように志半ばで倒れることを望んではいない。だから、世界最強の称号を確実に得るために、国単位で戦争を起こし、人の数、そのものを大量に減らすことを考えていた。ところが、どうだ、今のシャインソールは、平和で堕落しきった国民たちしかおらん。
王国の兵士も、平和な世が続いていくと高を括っており、自ら剣の稽古をする者などいない。そんな兵士たちが、いったい誰を守れるというのだ。
兵士が堕落しきっているのは、上に立つ国王陛下の所為ではないのか。だから、私は、王族の血縁を断ち切ることにした。そして自ら、一世陛下と同じように、建国王として、戦乱の世に打って出ることを心に誓ったのだ。
ちょうど、そのとき、あの幽霊騒動が起こった。これに乗じぬ手はないと思い、自らフランク王子を手に掛けた。その方法は、タイトの言ったとおりだ。
フランク王子の護衛の兵士は、私を見ても何の疑問を覚えず、私に斬られた。フランク王子も、自ら私を私室に招き入れてくれたよ。頭をかち割られるとも知らずにな。
だが、殺した順番は、逆だ。先ず、フランク王子を斬り、その後、兵士たちを切り殺した。ま、そんなことは些細な違いだ。
そして、私は、三日前にも、あのダグたちの騒動と幽霊騒動に乗じて、最後の王族である六世陛下の命も頂戴する気でいたが、タイト、お前に邪魔された。
お前は、私の思いを看破しており、あのとき、私に釘を刺したという訳だ。これが、真実だ」
エミリオは、タイトを睨みつけた。これが、お前も知っている真実だ。全く寸分違わずに、お前の頭の中にある真実と同じなんだろう、と心の中で叫んでいた。
しかし、タイトは、そんなエミリオの心を知ってか知らずか、エミリオに対して頭を下げたのだ。
「ありがとうございます、そして、申し訳ありません、エミリオ将軍。アスリーンのことでは、例え、相手が六世陛下でも、自分から身を引くことはできません。私が、アスリーンと離れるときは、アスリーン自身から離れることを望まれたときだけです」
そう言って、タイトも強い視線をエミリオに向けた。エミリオにとって、永遠に感じられる時間だったように思われた。
そして、耐えきれずに視線を逸らしたのは、エミリオであった。今や、剣聖と言われ、この世界に敵となる者などいない世界最強の王国シャインソールの総司令官エミリオ将軍が、自ら負けを認めたのだ。
「タイト、先ほど、私が言った言葉を覚えているか。お前は、私から、アスリーンを奪い、そして、今、また俺の夢を奪ったと、そう言ったことを。そう、俺は、お前に負けたんだ。だから、世界最強の夢は、お前に移ったということだ」
エミリオの、その言葉に反論したのは、タイト本人ではなく、アスリーンであった。
「エミリオ将軍、何を言っているんです。タイトは、将軍と違い、剣を持つことすら嫌がっているのですよ。そんなタイトが、世界最強を目指すことなんかありえないわ。まして、剣であなたを凌駕することなんて・・・」
「アスリーン、君は、余りにもタイトの近くにいるので、気づいていないようだな。タイトは、確かに優しいだろうね。でも、君やフラニー、そして、ここにいる皆に優しくするためには、自分自身に対して、どれだけ強くなくてはならないか、考えたことがあるかい。
私は、世界最強を目指してきたから分かるが、途中で何度も挫折しそうになったよ。そのたびに、どれだけ自分自身に対して厳しくしてきたか。況してや、タイトのように、自分自身にではなく、他人に対して優しさを掛けるためには、どれだけ自分自身を制しなければならないか。
それは、私の比ではないだろう。だから、私は、タイトには絶対勝てない。確かに、アスリーンが言うように、単純な剣の腕を争うだけならば、私は絶対にタイトには負けない。
しかし、命のやり取りとなると話は別だ。陛下も言っていたとおり、普通に剣技を磨いても決して命のやり取りに強くなることはない。
実際に、人を斬るということは、恐怖に打ち勝つ強い精神を養わなくてはならない。何故なら、人を斬るということは、罪悪感や恨みを買うというような恐怖を伴うからなんだ。
それを吹っ切るためには、ただひたすらに、私や陛下のように実際に人を斬ることによって、その恐怖に慣れるしかない。
ところが、タイトは、違う。恐怖に慣れるのではなく、自ら恐怖を受け入れているんだ。それでも、ひるむことなく、自分自身を貫いている。そんな、真の強さを持っているんだ。
剣は、人の肉体を斬ることはできるが、人の心を斬ることはできない。人の心を斬ることができるのは、人の強い思いだけなんだ。だから、今、このシャインソールにタイトより、強い者など存在しない。つまり、タイトが、世界最強の男に最も近いということだ。俺なんか足元にも及ばない」
エミリオから、その言葉を聞いてアスリーンは、嬉しさよりも悔しさが勝った。タイトのことを一番理解しているのは、自分だと思っていた。否、タイトのことに関しては、絶対に他人に譲ることができないのだ。
タイトのことで、初めて、知らない事実をエミリオから知らされた。それも、タイトの根幹に関する事実である。「そんなことは、分かっている」、そう言えない自分がもどかしかった。そして、憎らしくもあった。
自分は、タイトの妻である。その喜びに慣れ過ぎたために、タイトのことをちゃんと見れなくなっていたのだ。自分自身を甘やかしていた弱い人間は、実は、自分だったのだ。
アスリーンは、最早、エミリオの言葉を疑っていなかった。タイトは、世界最強の男なのだ。その世界最強の男に見合う女に自分はなりたい。アスリーンは、心底、そう思わずにはいられなかった。
アスリーンは、自分もタイトのことに関しては、世界で一番になると、他の誰にでもなく、自分自身に誓ったのだ。
なりたいではなく、なるのである。望みではなく、事実として、そうするという強い決意であった。
アスリーンは、自分の、そんな思いを伝えるかのように、胸に抱いたタイトの左腕に、更に力を加えた。
タイトは、優しい目をアスリーンに送り、そして、エミリオに向き直った。
「エミリオ将軍、素晴らしい意見をありがとうございます。エミリオ将軍が自ら考え、自ら発した言葉です。そこには、エミリオ将軍の自信が感じられます。
だから、誰も反論はできません。ただし、私のことに関しては、やはり、私の思いが真実です。
私は世界で最も弱い人間です。だから、世界最強という点だけは、否定させていただきます。私が、本当に、強い男ならば、誰の血も流させたりはしません。
私は、臆病で、矮小な人間なんです。見た目通りの。だから、このように、全ての事柄を終了間際にしか話せなかったのです」
「それは、お前が、皆を助けたくて、情報を集めたり、考えをまとめていたからだ。お前以外の誰が、こんなに早く解決ができた。否、解決そのものが、お前以外にできるはずがない」
エミリオの言葉は、真実である。だが、タイトは、そうは思っていなかった。
「いいえ、エミリオ将軍。そんなことは、言い訳にもなりません。私が、止めたいと、もっと強い信念を持っていれば、最初の段階で止められていたかもしれません。否、こんな事件、そのものだって起こらなかったかもしれません。これは、誰が何と言おうと、私の中では真実なのです。エミリオ将軍、貴方とは違う真実です」
そう言うと、初めてタイトの顔は、悲しみに曇ったのだ。
「し、しかし、タイト君、それは、いくら何でも君のエゴと言うものだぞ。それこそ、君が、この世の全てを取り仕切っている訳ではないのだよ」
ジェラルドは、父親として、子を諭すように、言ってくれた。しかし、タイトは、その言葉を受け入れはしなかった。
「お父さん、ありがとうございます。
しかし、私は、シャインソール王国のことを、況してや世界を救いたいなどという大それたことを言っているつもりはありません。
私は、私が友として、家族として付き合ってきた、キャサリン、ミランダ、マイケルの命を守れなかった。そして、六世陛下、ジェラルド公爵、エミリオ将軍、ダグの心に大きな傷を残してしまいました。
何より、自分よりも大事なアスリーンのことを守り切れなかった。君の心には、消し去ることのできない大きな闇を残してしまった。何が、愛しているだ、何が、絶対に守るだ。俺は、大ウソつきだーっ」
タイトは、初めて、取り乱していた。先ほどまで、理路整然と言葉を発していた男が、突然狂ったように叫びだした。それも自分を卑下する言葉をである。
その場にいた全員が動揺した。自分たちが頼りにしようとしていた男が、突然、動揺して、騒ぎ出したのである。誰が、自分より優れた男に慰めの言葉を掛けることができるのだろうか。
皆は、黙って見守るしかないと思っていた。否、全員ではなかった。アスリーンは、皆に背を向け、タイトの前に立つと、突然、自分の服の胸元を開き、その胸をタイトに対して露わにした。
タイトの動きは、一瞬にして止まり、その目は飛び出さんばかりに見開かれた。アスリーンは、そんなタイトに構わず、その胸に、無理やりタイトの顔を押し付けた。そして、力強く抱きしめたのである。
タイトの身体から、徐々に、力が抜け、落ち着きを取り戻していった。周りの者たちは、何が起きているか、正確には、把握できていなかった。当然、アスリーンの行為は、死角となっており、事実を確認はしていないのである。
しかし、その動作から、起きている現実を予想することは容易かった。そこで、真っ先に、アスリーンに声を掛けたのは、父親であるジェラルド公であった。
「ア、アスリーン、お前って娘は、他人前で、何たる破廉恥な行為をしておるのだ」
しかし、アスリーンの耳には、届かなかった。今、アスリーンの心を支配しているのは、タイトのことだけであった。「タイトを守れるのは、私だけ、その私が、今、タイトの力にならなくて、いつなるの」、そういう思いしかなかったのである。
やがて、タイトが自ら、顔を上げようとしているのを察して、アスリーンは、タイトの頭を抱く力を弱めた。
タイトは、完全に落ち着きを取り戻し、喋り始めた。
「アスリーン、ありがとう。やっぱり、君がいないと、僕は、何もできないようだね。でも、夫として、人前で、君の、その、そういう姿を見られるのは、ちょっと許し難いんだが・・・」
そこまで言われると、アスリーンは、自分の現状を理解し始めて、両手で胸を押さえて、しゃがみ込んでしまった。
アスリーンは、タイトの気を引くために、通常ではありえない行動を取ることにしたのである。そのときに頭の中にあったのはタイトのことだけであった。当然、羞恥心など、寸分も感じなかった。しかし、タイトが正気を取り戻した今、アスリーンは状況を徐々に把握していったのである。
そして、あらん限りの力で叫んだ。
「キャーッ、こっちを見ないで、皆、あっちを向きなさい」
アスリーンも、もう四十を過ぎているが、まるで、少女のように叫んでいた。タイトは、慌てて皆とアスリーンの間に割って入り、自分の来ていた上着を掛けてあげた。
「全く、今更なんだ。父親の声も無視して、自分で始めたくせに。お前たちを見ていると、本当に、こっちが馬鹿らしくなってくるよ。いい加減にしなさい」
心底呆れて、父親であるジェラルドが叫んだ。
「いいえ、ジェラルド公、羨ましい限りです。本当に、アスリーンは素晴らしい女性です。あの人の横にいるのが、タイトで、本当に憎らしい限りですよ」
エミリオは、笑いながら、ジェラルドに言った。もちろん本気ではないのだ。もう既に、タイトの凄さも理解している。アスリーンにお似合いなのは、自分ではなく、タイトであることも完全に認めているのだ。
これで、全てが終わった、誰もが、そう思っていた。そして、この件の終わりを六世自ら宣言した。
「ご苦労であった、タイト。今日は、夫婦ともに疲れたであろう。帰ってゆっくり休むがよい」
「ありがとうございます、陛下。しかし、それはできません」
タイトは、先ほどまでの状態とは違い、毅然と答えた。
「何故だ、タイト。まだ、話していない真相があるのか」
六世は、不安になり、質問していた。それに対して、タイトは、首を振った。
「いいえ、最初に言ったように、私は、真相など話してはおりません。それよりも、陛下。陛下ご自身は、今後、どうなさるおつもりなのですか」
タイトの思いもしない質問に、六世は、驚きを隠しえなかった。
「いいえ、陛下だけではありません。エミリオ将軍、貴方も、いったい、どうなさるおつもりなのですか。そして、ダグ、君も、この後、どうするつもりだい」
三人には、質問の意図が理解できていた。しかし、答える気は、なかったのだ。
「それは、お前には、関係のないことだ」
そう、三人を代表するように、エミリオがタイトに対して答えた。タイトは、最初から、そうなることを承知していたように、三人に対して、語りかけた。
「そうですか。それならば、今しばらく、私の話にお付き合いください。お父さん、アスリーンには、申し訳ないが、もうしばらく、私の妄想に付き合ってください」
誰も、タイトの、その申し出を断ることはできなかった。
タイトは、最も重要な部分を漸く、話すことができるのである。今までの全ての会話は、この話のための予備知識でしかないのだ。
タイトは、これから話すことに全力を尽くす覚悟で臨んでいる。この話が、三人の心に伝わらなければ、自分が、この場にいることに意味がないのである。
それを理解しているタイトにとって、これが、本当の事件の幕引きとなるのだ。
そう心に誓い、タイトは、最後の話を静かに始めたのだ。




