第四章 魔王となりし者 4
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六世は、ゆっくりと玉座に腰かけると、ダグを見下ろした。
「どうだ、分かったか。余の力は、絶対なのだ。誰も逆らうことはできん。親友だった、その男も、余の力の前に、お前を売ったのだぞ」
そう言って、六世は、マイケルの死骸を睨みつけた。
ダグは、親友の血で真っ赤に染まっていた。そして、六世の言葉を受け、ゆっくりと立ち上がり、六世を睨みつけた。
「確かに、そうかもしれん。だが、何故、お前のために、俺を刺したマイケルを殺した」
「お前は、見ていなかったのか。確かに暗かったとはいえ、もう暗闇に目も慣れた頃だったであろう。その男は、血を流す幽霊に恐怖して、余に殺意を持って向かって来たではないか。自己防衛行動だ」
「否、お前の剣の腕前は、もう、分かっている。お前の腕なら、殺さなくても防げたはずだ。それなのに、何故、それも、あんな酷い殺し方を」
「先ほども言ったが、命を掛けた実践においては、相手を殺すことが全てだ。万が一、止めを刺せず、反撃をくらったらどうする。余の命を危険に晒すことは、王国の存亡に係わるわ」
ダグは、怒りで身体が震えてくるのが分かった。六世の言い分は、終始、一貫性を崩していない。これでは、マイケルの死を受け入れなければならない。
ダグは、六世の論理を崩せない自分自身に怒りを覚えた。
「ならば、何故、キャサリンを斬りつけた。お前は、二度もキャサリンを殺す気か。それで何とも思わないのか」
そう言われると、六世は、再び、能面のように表情を消し去り、冷たい目でダグを見つめ返した。
「まぁ、死んだ人間が生き返るか如何かは、余には分からん。それよりも、お前たちが、幽霊なるものを怖がることが理解できん。余は、そのようなものを恐れたりせん。だから、先ほども言ったように、余の命を危険に晒すものあらば、排除するのみだ。例え、それが、余が一度殺した人間でもだ」
またしても、言いくるめられてしまった。六世の論理は、全てが、自分の命を守るという信念に基づいている。どうしても、そこを打ち破ることが、ダグにはできないのだ。
「陛下、貴方は、恐ろしくないのですか。貴方が手にかけた人が、恨みのあまり蘇って来たのですよ。そんな恐怖の対象に、貴方は、先ほど、再び剣を振るった。本当に何にも感じなかったのですか」
アスリーンが、納得いかないように、六世に問い質した。
「アスリーンよ。何故、余が、恐怖せねばならんのだ。いちいち、斬った相手のことを考えていては、戦はできんぞ。余は、斬り殺した相手のことなど覚えておらん。覚えておらん人物が蘇ってきたところで、余にとっては初対面の人物と変わらん」
周りの者の思考が歪んでくる。六世の話を聞いていると、聞いている者は、正気ではいられないのかもしれない。
「蘇ってきた者が、余を恨んでいるのは、相手の勝手だ。余には関係がない。余にとって問題なのは、余に敵意があるかないかだけだ。余に逆らうことは、例え誰でも許されることではないからな」
分かりやすい理屈である。だが、心のどこかで、それでは駄目だと、警告が発せられる。しかし、自分たちの力では、如何することもできない。
このままでは、六世の感性に呑み込まれていくようである。そして、深遠なる闇の奥底深くで、永遠にもがき苦しむことになるのだ。
「悪魔・・・」
またしても、アスリーンは、口にしていた。但し、今度は、ダグも、ジェラルドもである。皆の口から、同様の言葉が発せられる。そして、自分たちも狂ってしまったのだ。自分たちも、六世同様、悪魔になり果てるのだ。
そして、その頂点に立つのが、魔王であるクライス・ド・ソール六世なのである。もう、疲れてしまった。誰も反論する気もない。このまま、時間よ、止まってくれ。そう、誰もが願っていた。
そこへ、また、玉座の間に続く石畳の廊下を、靴音を鳴らして近づく者がいた。
「今日は、来客が絶えぬ日だな。今度は何奴だ」
煙たそうに、六世は、来るな、来るな、と手を振った。その者の姿を最初に確認したのは、やはり、アスリーンである。
「あ、貴方なの」
そう言って、アスリーンは、居ても立ってもいられず、駈け出していた。それに気がついた相手も走り出した。しかし、その者は、走っている様だが、歩いている速度と余り変わらなかった。
アスリーンは、待ちきれず、相手に飛びついた。相手は、優しく受け止め、そして強く抱きしめた。
「アスリーン、駄目だよ。無茶しちゃ。フラニーが心配していたぞ」
「貴方、貴方。よかった。会いたかったわ。あなた・・・」
やって来たのは、アスリーンの夫で、シャインソール兵団の駄目兵士であるタイト、その人であった。
アスリーンは、緊張の糸が切れたのか、タイトの胸に顔を埋め、ひたすら泣いていた。
「タイト。何しに来た。命令を無視して、城の警備にもつかず」
そう、タイトを叱り飛ばしたのは、総指揮官であるエミリオ将軍である。タイトは、申し訳なさそうに、エミリオに頭を下げた。
「申し訳ございません。調べものがあり、フォレスティン村で聞き込みをしていたもので、遅刻してしまいました」
その言葉を聞いて、ジェラルド公が、タイトに向かって怒鳴り声をあげた。
「貴様が、確りしていないから、娘が危険な目に会うのだ。もう、許せん。貴様は、娘と離婚しろ。こうなることが、分かっていたから、儂は、最初から反対だったんだ」
「父上、申し訳ございませんが、アスリーンを手放すことはできません」
「なっ、何だと、まだ、そのようなことを申すか。この状況を、見て、どう思っているんだ」
そう言われて、タイトは辺りを見回した。深手を負ったダグ、遺体が二つ、それも見るも無残なものである。そして、大量に流れた血、それにともなう、辺り一面に漂う死臭、そのどれもが、この玉座の間で起きた出来事の凄まじさを物語っていた。
「ここまでとは、本当に遅れて、申し訳なかったね、アスリーン」
「いえ、私こそ、勝手に動いて心配をかけました。本当に御免なさい」
そう言って、二人は、周りの者のことを気にせず、もう一度強く抱き合った。
「いいかげんにせんか。陛下の御前である。無礼であろう」
そう言いながらも、ジェラルドの口元は綻んでいた。ジェラルドにすれば、娘を取られた憎い相手であり、罵詈雑言を浴びせる相手でしかないタイトである。しかし、この会話は、至って普通の日常なのだ。
現実離れした先ほどまでの世界と違い、ジェラルドにとっては、理解の範囲内の出来事なのである。そんな平凡な日常が、どれだけ大切なものなのかを、ジェラルドは初めて知った。
改めて、ジェラルドは、タイトの顔を見た。今まで、何故、あんなにタイトのことを憎んでいたのか、ジェラルドには分からなくなってきた。今は、タイトを見ていると心が和んでくるのだ。
「こやつも、もう、アスリーンの夫であり、儂の息子としてもなくてはならない存在となってしまったようだな」
そう、独り言を呟いてしまったのが、ジェラルドの運の尽きである。それを何気なく聞いてしまったアスリーンは、ジェラルドに飛びついた。
「お父様、ありがとう。タイトのことを認めてくれるのね」
しまった、と思ったときは既に遅かった。
「父上、ありがとうございます」
タイトからも礼を言われ、もう、観念するしかないな、とジェラルドは、二人に微笑んだ。そして、父親として二人を祝福した。
「幸せになれよ。娘を、頼むぞ、タイト君」
そう言うと、ジェラルドは声を上げて笑った。それにつられるように、タイトとアスリーンも笑い出した。漸く、家族としてひとつになれた。その幸せを三人は分かち合っているのだ。 誰も邪魔できるはずがなかった。
タイトは、その容姿も手伝ってか、余り、他人に不快感を与えない。小太りで、いつも笑っているようなイメージがあるようだ。
タイトからすれば、それは、アスリーンとフラニーのお蔭であり、自分の力だとは思っていなかった。二人には、本当に感謝の気持ちで一杯なのだ。
「よかったではないか、アスリーン。先ほどまで、だいぶ顔色が悪かったが、すっかりと直ったようだな」
その原因である六世自身が、アスリーンに向かって言うのである。アスリーンは、本当に六世のことが、理解できず、恐怖の対象として意識づけられていくのだ。自然とタイトに縋りつく腕に力が入った。
それを察知して、タイトは、六世に話しかけた。
「陛下、どうか一度、皆を休ませてやってください。ダグの怪我も手当てをしなくてはなりません。そして、お部屋を変えて、どうか、私の話をお聞きください」
先ほどまでとは打って変わって、タイトの表情は厳しくなっていた。六世も、その表情を受け、初めて、表情が険しくなった。
「よかろう。皆の者、一旦、下がれ。二時間後に、余の私室にくるがよい」
そう宣言すると、六世は、玉座を立ち、振り返ることなく、立ち去って行った。
「さあ、アスリーン、ダグの怪我の手当てを頼む」
「分かりました。さあ、ダグ、行きましょう」
タイトは、肩を貸して、ダグを引き起こした。ダグは、痛みに一瞬顔を歪ませたが、また、元のように無気力な顔つきに戻ってしまった。
「ダグ、色々と考えるところがあるだろうが、今は、忘れて、ゆっくりと休むんだ」
タイトは、優しく微笑み、歩き出そうとした。しかし、ダグは、それを拒み、タイトに食いついた。
「何を忘れるんですか。キャサリンが死んだことですか。マイケルが、親友である俺を裏切ったことですか。俺が、殺人者ってことですか・・・。どれも忘れる事なんかできるはずがない」
逆切れなのは、ダグも重々承知の上である。でも、自分の気持ちを抑えることはできなかった。この現実を受け入れたくなかったのだ。
「悪かった。かえって逆なでする形になってしまったようだね。私が忘れろと言ったのは、現実に起こった出来事のことじゃないんだよ。忘れなくてはならないのは、怒りの感情と憎しみの感情のことだよ」
「そんなこと無理に決まっているじゃないか。現実を受け入れたら、怒りも憎しみも、どんどん湧いてくる。それを忘れることなんて不可能だ」
ダグは、半狂乱で喚き散らした。それでも、タイトは、激昂することなく、落ち着いた口調で話している。
「それは、違う。現実を受け入れたから怒っている訳ではない。どうしたら良いか分からないから、怒っているんだ。忘れろと言ったのは、どういうことか考えて欲しい。人は、忘れることはできても、他人の思いを忘れさせることは出できない。分かるかい。忘れるということは自主的な行為なんだ。他人に頼ることなく、自分の意思で忘れるしか方法はない。例え、泣いても喚いても、忘れることなどできないよ」
そう言われると、ダグは、いくらか落ち着きを取り戻し、タイトに聞いてきた。
「ならば、どうすればいいんですか」
「答えは簡単なことさ。誰でも知っているはずだ。でも、それに対して目を瞑っているだけなんだ。それは、恐怖をともなうことだからね。自分自身の全てをさらけ出し、自分が悪いことを認めなくてはならない。
結果の原因を自分に求めるんだ。他人の所為にしてはいけない。忘れることはできても、忘れさせることはできない。これは、全ての行為に言えることなんだ。だから、他人の行為を訂正させる事はできないんだよ。
言い換えれば、他人を直そうとするから、思考が停止し、理解できずに、怒りの感情が込み上げてくるのさ。きつい言い方になるが、甘えては駄目だ、ダグ。キャサリンがいなくなったのも、マイケルが離れていったのも、ダグ、君に問題があるはずだ。
それを陛下の所為にするのは、責任転嫁でしかない。仮に、陛下が悪かったとして、君は、どうするつもりだ。陛下を殺したところで、キャサリンは、戻ってこない、マイケルも帰ってこない。それでも、本当に、君は怒りが収まるのか。
もし、収まったと思っているのなら、それは、怒りが収まったのではなく、虚しさに切り替わっただけなんだよ」
そこまで、タイトが喋ると、誰も話すことができなかった。ジェラルドも目を丸くし、口を開けて固まっている。エミリオは、下を向いて、悔しそうに唇を噛みしめていた。ダグは、何故か、力が抜け、疲れが、一度に出てきたように、倒れこんでしまった。
アスリーンだけが、優しく微笑んで、タイトを見つめていた。この人だけが、自分を幸せにしてくれる。否、タイトが言うように、タイトといると、自分自身が幸せになれる。そう思わずにはいられなかった。
タイトは、エミリオにも頼み込み、ダグを二人で抱えて、別室へ運んだ。そこで、アスリーンは、直ぐにダグの手当てを始めた。
アスリーンは、エミリオ将軍のところに嫁がせるつもりでいた父親ジェラルド公爵から花嫁修業として、戦で怪我をして帰ってきた夫を手当てするために、剣などによる傷の治療方法を習っていたのである。
しかし、ダグの怪我は、思ったよりも深く、陛下付きの宮廷医を呼んで診てもらった。結果、ダグは、至急手術が必要と判断され、病院に運ばれることとなった。
しかし、ダグは、それを拒み、城に残ることを主張した。
「何を言っているのだ。そんな、事をしていては、左腕は使い物にならなくなるぞ。出血も酷いので最悪、死ぬこともある」
医師から怪我の具合の説明を聞いてもダグは、引き下がらない。
「俺は、もう、死んでも構わない。でも、事の成り行きを見ないで死ぬのは、絶対に受け入れられない。だから、俺も二時間後の話し合いの場にいたいんだ。頼むよ、タイトさん」
アスリーンも、ダグの気持ちを思うと、頼まずにはいられなかった。
「タイト、話し合いは、延ばせないの」
そう言われると、タイトは、悩んだ。
「これ以上、延ばすことは、また、何人かの命が失われかねないんだが・・・」
タイトの発した言葉を、ジェラルドが聞き咎め、問い質した。
「まだ、これ以上、血が流れるというのかね、タイト君」
「えぇ、その人の考え方が変わらない限り、そうなる可能性が高いですね」
そう言うと、タイトは、入口付近に立っているエミリオを見つめた。その視線を受けてエミリオは、ほくそ笑んだ。
「あぁ、分かったよ、タイト。ダグの手術が終わって、休養期間も入れて、三日間、俺は、動きはしない」
「ありがとう、エミリオ将軍」
そう、お互いに挨拶を交わし、エミリオ将軍は、その部屋を後にした。それを見ていたジェラルドとアスリーンは、タイトに訊ねた。
「どういうことなの、タイト」
「エミリオ将軍に何か問題があるというのかね」
タイトは、微笑みながら、答えた。
「全ては、三日後ですよ。そのときに、お話します。今日は、色々あったから疲れたでしょう。父上は、屋敷に帰ってゆっくりとお休みください。三日後には、御迎えにあがりますので」
そう言って、タイトは、ジェラルドに対して頭を下げたのだった。ジェラルドは、煙に巻かれたような気がして、面白くなかったが、タイトが、そう言うのでは致し方なしと思い、言われたように黙って、その部屋を後にした。
そして、タイトは、十分に言い聞かせて、ダグを病院に送りだすと、二人きりになった部屋でアスリーンに話しかけた。
「アスリーン、もう、無茶はよしてくれ。フラニーが『私も行く』と言って、大変だったんだよ。いいかい、絶対に、命を掛けて物事を成し遂げようとしちゃ駄目だよ。そんなことができるのは、愛する人も、愛される人もいないからなんだよ。君には、両親やフラニー、そして僕がいる。そんな、皆をおいてひとりで逝ってはいけない。分かったね」
「はい。すいません。タイト、貴方も、絶対に私をおいて逝かないでね」
そう言って、アスリーンは、タイトの胸で泣きじゃくった。タイトは、アスリーンが泣き止むまで、そっと、その髪を撫で続けた。
アスリーンも今回の件で、人の死を目の当たりにしたのだ。人の死を実感し、タイトやフラニーの死をリアルに想像できるようになった。そんな悲しい思いをしたくも、させたくもなかった。
そして、アスリーンは、一番気になることをタイトに訊ねた。
「でも、愛する人を亡くした、ダグは、どうするの。ダグなら逝ってしまってもいいの」
そう言われると、タイトは、優しい瞳でアスリーンを見つめ、言いきかせた。
「いいかい、アスリーン。君は、何故、陛下のもとを訪れたんだい」
「そ、それは、キャサリンのことでは、ダグの気持ちがよく理解できるから、居ても立ってもいられず、気がついたらお城にいたわ」
「そう、君は、ダグに共感したんだ。それで、陛下が許せなくてお城に行ったんだよ。つまり、君は、変な意味ではなく、ダグのことを家族として愛しているんだよ」
そう言われると、アスリーンは、大きな目を更に大きくして、タイトを見つめた。
「そうよ、そうなんだわ。私は、ダグのことを家族だと思っているわ。だから、ダグは、独りじゃないのよ。勝手に逝くことは許されないわ。」
アスリーンは、一気に心の中の雲が晴れたような気がした。
「タイト、あなたは、本当に凄いわ。私より、私の気持ちを理解してくれているのね」
「そんなことはないよ。僕にとってもダグは、赤ん坊のころから知っているからね。君の気持ちに関係なく、僕にとっても家族の一員に他ならないんだ。そんな僕よりも、君の方が遙かに思いが強くて、改めて、君は本当に優しい人なんだなぁって認識させられたよ」
「ハァーッ」
アスリーンは、大きな溜息をついた。
「どうした、アスリーン」
アスリーンは、呆れたように答えた。
「人って、本当に自分のことは分からないものなのね」
そう言われて、タイトは、何のことか分かっていないようで、上を向いて考え込んでしまった。
アスリーンは、本当に優しいのは、貴方よ、タイト、そう心で思いながら、背伸びをして、タイトの頬にキスをした。
タイトは、何が起きたか、分からないようで、動揺して何かを叫んでいた。




