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第四章  魔王となりし者 3-2<後編>


 ところが、完全に後ろを振り返る途中で、遥か先に腕を組んで立っているエミリオの姿が確認できた。

 ダグの頭は、混乱した。自分を刺したのは、エミリオ将軍でもジェラルド公爵でもないのである。

 残る人間は、ひとりしかいない。しかし、それは、ありえない。その人物は、自分とは、十五年以上の付き合いである。キャサリンを除けば、ダグにとっては、最も大事な人間のはずである。その人間は、自分を助けることはあっても傷つけるはずがない。

 そして、ダグは意を決して、恐る恐る振り返ると、そこに立っていたのは、無二の親友マイケルであった。

「ど、どういうことだ。マイケル・・・」

 ダグは、左肩の痛みのことなど、忘れていた。そんなことよりも、何故、この親友が自分の左肩を刺したのか、その理由を知りたかった。

「何故、お前が、俺を刺すんだ・・・、お前は、俺の親友だろうーっ」

 最後の方は、もう、言葉と言うよりは、叫び声になっていた。

 ダグの疑問に答えたのは、親友であるマイケルではなく、(にく)(かたき)であるクライス・ド・ソール六世、その人である。

「どうだ、ダグとやら。お前は先ほど、『俺たち』と言っていたが、余を憎んでいるのは、お前だけのようだな。マイケルとか言った、その男は、余を助けてくれたぞ。どうだ、マイケル、これからも余に仕えてくれるか」

 そう言われ、マイケルが答える前に、ダグが否定した。

「馬鹿を言うな。マイケルが、お前に仕えることなどありえない。俺の思いを最も理解しているのがマイケルだ。村の皆が、俺の話を無視した。そう、タイトさんも、アスリーンさんもだ。皆でキャサリンたちのことを忘れようとした。だが、マイケルだけは、共に、復讐を誓ってくれた。そんな、マイケルが、お前のことを国王と認めるはずがない。そうだろう、マイケル」

 (ようや)く自分の番か、と大きく深呼吸をして、ゆっくりと息を吐き出すと、マイケルの口元は、ニヤリと(みに)(ゆが)んでいた。

「ダグ、お前は、本当に物事を真剣に考え過ぎる。もっと気楽に考えろ。陛下を斬ったところで、キャサリンは帰ってはこない。そして、国王亡き後、このシャインソールは、どうなるんだ。周りの国が、黙っているはずないだろう」

「何を今更、お前は、全てを受け入れて俺についてきてくれたんじゃないのか。ここに来るまでの間、王制を廃止し、国民の手に国を取り戻すと共に(ちか)い合ったじゃないか」

 ダグの瞳からは、大粒の涙が取り()めなく流れていた。決して、傷の痛みの所為(せい)ではない。そんなものは我慢できる。我慢できないのは、友の心が変わってしまったことだ。

「国民の手に取り戻す、本気で、そんなことができると思っているのか。このシャインソールの歴史は、お前も知っているだろう。お前だけでなく、誰でも知っている。建国王シャインソールが、その剣の力で、この国を統一する前は、どうだった。力が、支配する無秩序な時代だったんだぞ。お前は、また、そんな時代に、この国を戻す気か」

「馬鹿な、昔とは違う。今は、皆、平和の大切さを知っている。力が全てでないことを知っている。必ず、より良い国になるはずだ」

 マイケルは、憐れむような視線をダグに浴びせた。ダグには、その視線が痛かった。

「お前は、本当に純粋で、周りが見えないんだな。力が全てではないならば、キャサリンは、何故、殺された。何故、今なお、多くの国民が陛下に(ひざまず)いているのだ。今日だって見ただろう。幽霊騒動で浮き足立っているとはいえ、城には多くの兵士がいたではないか」

 確かに、そうなのだ。ダグとマイケルが最初に城に忍び込もうとしたとき、城の警護は厳しく、諦めかけていたのだ。

 ところが、突然、城の中から悲鳴が聞こえたかと思うと、大勢の兵士が、城を後にして逃げ出していく姿が確認できたのである。

 それで城に入り、この玉座の間で簡単に来れたのだ。ここまで来れたのは、自分たちの力ではない。あの騒ぎがあるまでは、確かに六世の力が兵士たちを、この城に縛りつけていたのだ。

「どうなんだ、ダグ。それでも国民は変わっていると言えるのか」

 ダグが、肩を落とし、その場で崩れ落ちるように四つん這いの体制になった。ダグの中で何かが音を立てて崩れ去ったのだ。

「ようやく、理解できたようだな。それで良いんだよ。陛下に忠誠を誓え、そして、俺と共に貴族階級の一員になろうじゃないか。それこそが力を得ることになるんだ」

「マイケル、あなたは、陛下と貴族階級にしていただくと言う密約を交わしたのね。」

 アスリーンが、マイケルを問い質した。

「それが、どうしました、アスリーンさん。貴族になれるのですよ。力が手に入るのですよ。それを目の前にぶら下げられて手にしない人間などいない」

「そんなことないわ。私は、貴族社会を知っている。貴族たちの持っているのは、見栄であり、力ではないわ。よく考えてみて」

 マイケルは、突然、鬼のような形相に変わり、アスリーンに食らいついた。

「アスリーンさん。あんたは、貴族だから、そんなことが言えるんだ。あんたは、本当の庶民の暮らしを知らない。やりたいこともできず、好きな人とも添い遂げられず、唯、泣き寝入りの毎日。見栄を張れる日々を送ってみたいと思って、何が悪い。あんたに俺たちの何が分かる?」

 すると、突然、玉座の間に風が吹き込んできた。壁面に敷き詰められていた数多くの蝋燭の灯が、全て消えた。辺りが闇と静寂に包まれた。

「ど、どうなっているんだ」

 マイケルが半狂乱になって叫んだ。徐々に目が暗闇(くらやみ)に慣れてくると、廊下の方から、何かが玉座の間に向かってきていることが確認できた。

「な、何だあれは」

 ジェラルドが、恐ろしいものでも見たかのように、その表情が凍りついた。

「フフフ・・・」

 そのものは、笑いながら、この玉座に向かってきている。徐々に、大きくなり、やがて、その形があらわになってきた。どうやら、女性の様である。

 ドレスのようなものを身にまとっているようだ。ただし、顔は、まだ確認できない。

「フフフ・・・、何故、私は死ななければならなかったの・・・」

 その声も、ハッキリと聞こえる距離にまで、近づいていた。

「お、お前は、キャサリンなのか」

 マイケルは、恐ろしさのあまり、上手く(しゃべ)れないが、問い(ただ)さずにはいられなかった。それを聞いたダグは、我に返り、その者を愛しい者を見つめるような目で見た。

「キャサリン、来たんだね。こいつに、復讐するために、そう、こいつが、お前を殺した奴だ」

 ダグは、右腕を上げて六世を指差した。そこで、悲鳴が上がった。

「キャーッ」

 アスリーンである。アスリーンは、闇夜に慣れた目で、キャサリンと呼ばれるものの頭部を見たのだ。

 その頭部は、鼻より上の部分が無かった。ほぼ、口のみが頭部を形成していると言って良いような状態であった。その口から、笑い声が漏れているのである。

 その状態を見たアスリーンは、不気味過ぎて、思わず、叫び声をあげてしまったのだ。

「ウワーッ、さっき言ったことは、全部、こいつを騙すための嘘だ。俺は、お前の仇を討つために、ダグとここまで来たんだぜ。見ていろ、今、こいつを刺すぜ」

 マイケルは、そう言って、六世の方を振り返り、懐から短剣を取り出し、身体全体を押し付けるように突進した。

 ところが、刺されたのは、マイケルの方であった。マイケルの腹部には、六世が手にしていた宝剣が深々と刺さっていた。

 六世は、いつの間にか、捨てた宝剣を手にしていた。六世は冷静であった。蝋燭の灯が消えて、皆が怨霊に恐怖しているとき、自分の身を守るための手段を確保したのだ。

 当然、短剣と宝剣では長さが段違いである。暗闇と恐怖心とが、マイケルの目と思考力を奪ったのだ。

「えっ、な、何だ。俺の腹に・・・ガハッ」

 そう言って、マイケルは吐血した。六世は、宝剣をマイケルから引き抜くと、両手で握り直し、頭上に大きく振り被った。

 マイケルは、自分の両手で腹部を抑え、その場で膝を折り、頭を垂れて自分の傷口を確かめていた。その姿を一瞥(いちべつ)すると、六世は、宝剣を垂直に振り下ろした。

 六世は、何事もなかったかのように、宝剣を鞘に収めた。マイケルは、腹部を抑えたまま、動かなくなった。

(くず)が。騙したのは、余ではなく、親友のダグの方であろう。お前は、今朝方(けさがた)、城に来て余に親友を売ったのだ。自分の私利私欲のためにな。そして、見返りとして貴族の地位を要求してきた。余が貴族にしてやるのはよいが、現状の国の財政では、新たな貴族に支払う税金の確保が難しいとお前に言ったはずだ。そうしたら、この男、何と言ったと思う」

 そう言って、六世は、答えを求めるように周りを一瞥し、皆の様子を(うかが)った。しかし、誰からも返事は得られなかった。

「貴様らには、分からぬだろうな。こいつは、『それならば、庶民の家族を間引けば良いのです。そうすれば、養う家族が減り、余裕ができて、税収を上げることができますよ』と余に言いよった。大したものだ。余でも気づかなかったぞ。ワハハハ・・・」

「そ、そんなの嘘だ。マイケルが、村のみんなを、その家族の命を・・・、そんなこと言うはずがない。な、嘘だよな」

 そう言って、ダグは、マイケルの肩に手を掛けた。すると、マイケルの身体は、突然、頭頂部から左右に別れて倒れた。

 一瞬、何が起こったのか分からなかった。マイケルは、先ほどの六世の剣で身体を真っ二つに斬られていたのだ。

 再び、アスリーンの悲鳴が、辺りに響いた。そして、ダグは、マイケルの死骸にすがりつくように泣き(わめ)いた。

「マ、マイケル。ウオー、マイケル、死ぬな、お前までいなくなったら、俺は、俺は、如何(どう)すればいいんだ」

 やがて、ダグは、泣くのを止めて、キャサリンに話しかけた。

「キャサリン、こいつは、血も涙もない魔王だ。頼む、お前の力で、こいつを(ほうむ)ってくれ」

 ダグが、そう言い終わるか、終わらないうちに六世は、キャサリンの霊に向かって突進していた。何故か、怨霊であるはずのキャサリンは震えている。

 六世は、手にした剣を横一線に振り払った。怨霊にも(かかわ)らず、キャサリンは、後ろに跳び、その剣先をかわした。そして、そのまま、再び、入ってきた廊下を駆け去り、玉座の間を後にしたのだ。

 やがて、ジェラルドが、蝋燭に灯を()けると、廊下に向かって血の跡が点々としているのが確認できた。

「フン、幽霊でも血を流すのか」

 そう言って、おもしろくなさそうに六世は、自分の玉座に戻っていった。その後ろ姿を見るエミリオの目つきは険しかった。

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