第四章 魔王となりし者 3-1<前編>
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その姿を確認して、最初に声を発したのは、アスリーンである。
「ダグ、それにマイケル」
「アスリーンさん。何故、このような場所に貴女がいるのですか」
そう声を掛けてきたのは、ダグである。
「そうですよ、早く、ここから離れてください」
マイケルに、そう言われても、はい、そうですか、と引き下がる訳にはいかなかった。
「貴方たちこそ、早く、ここから離れなさい」
「それは、いくらタイトさんの奥さんである、アスリーンさんの命令でも聞くわけにはいきません、なぁ、ダグ」
「そうです、その玉座にいる奴は、俺のキャサリンを、村の女たちを無残にも斬り殺した悪魔なんですよ。」
アスリーンは、その言葉を聞くと胸が張り裂ける思いである。自分も、もし、タイトやフラニーを六世に殺されたら、どうなるのだろうか。
否、もし、ではない。この六世は、先ほど、目の前で、実際に、長年王家に使えてきた貴族の中でも最大の権力者であるアルフレッド最長老を斬り殺しているのである。それも、躊躇いなく、いとも簡単に頭を割ったである。
六世に掛かれば、誰の命も、全く保障されないのである。つまり、明日にでも、否、今日、次の瞬間にタイトが、フラニーが殺されてもおかしくないのだ。
そこまで、考えると、居た堪れなくなり、思考を切り替えざるをえなかった。
「ダグ、貴方の気持ちは、良く分かります・・・」
ダグは、最後まで喋らせなかった。
「いや、貴女には分からない。分かるはずがない。実際に愛する人を殺されたのは、この俺なんだ。貴女には、タイトさんがいる。フラニーがいる。そんな愛する人に囲まれて暮らしている幸せな貴女に、俺の気持ちが分かるものか」
そうダグに言われると、また愛するタイトやフラニーのことを考えてしまう。アスリーンの気持ちは、どうしてもダグ同様に、愛するタイトやフラニーを失うことを受け入れることができないでいる。ダグの気持ちが痛いほど分かるのだ。
それに比べ、玉座にいる男のことは、全く理解できない。否、それ以前に嫌悪感しか湧いてこないのである。アスリーンにとって、六世は完全に魔王としか表現できない存在と化している。
「良いではないか、アスリーン」
六世は、アスリーンを手で制し、ダグたちの前に立った。
「さぁ、余が、クライス・ド・ソール六世である。平時ならば、絶対にありえないことだが、まぁ、今は、幽霊騒動で城が騒がしく、また、先ほど、余の相談役であったアルフレッドも亡くなったゆえ、直接、余が、お前たちの言い分を聞いてやろう」
アスリーンは、恐怖せずにはいられなかった。六世は、先ほど、自分で手に掛けたアルフレッドのことを、まるで病気での自然死であるかのように扱っている。正気の沙汰ではない。まさに、この世にあらざるもの、魔王そのものである。
「言い分だと、貴様は、いつまで国王気分でいるつもりだ。俺たちは、もう、貴様のことを国王とは思っていない。貴様は、滅殺すべき魔王なのだ」
ダグは、六世への怒りを爆発させていた。愛するキャサリンを奪った男が、目の前にいるのである。直ぐにでも直接鉄槌を下したい思いで一杯であった。しかし、そんなダグの思いを六世は平然と受け流す。まるで、他人事のようである。
押しても手ごたえのない相手に、ダグはどうしても納得がいかなかった。もしかしたら、この男は、本当はキャサリンたちに手を下していないのではないかとさえ思えた。それほど、六世の態度は平静そのものであった。
しかし、ダグは、一人の貴族から、この男の罪を聞いていた。そして、その貴族はダグの手に掛って、あの世に行っている。死ぬ間際に命乞いをしてくるような男が、嘘を言うはずがない。
そして何よりも、ダグに、そのことを教えてくれたのは、キャサリン本人なのである。そう、キャサリンは、神となって、あの世から戻ってきたのだ。
だから、六世が、キャサリンたちを手に掛けたことは疑いようのない事実なのだ。それでも、この男の落ち着き払った態度は、ダグを不安にする。
ダグは、ついに直接問い質した。
「貴様が、何の罪のないフォレスティン村の女たちを、その毒牙に掛けて殺したんだな。どうなんだ」
直接、質問をぶつけても、やはり、六世には全く動揺の色が見えない。しかし、その口から発せられる言葉は、知っている事実の肯定でしかなかった。
「今日は、これで、二度目か。同じ質問に答えるのは。罪なき女たちか、どこの村の女たちか知らぬが、私は、女たちを、この手で斬り殺した。これで満足か」
六世は、面倒臭そうに言った。それが、ダグの癇に障った。この男は、本当に悪いとは思っていないのだ。それどころか、当たり前だと思っている。自分の愛するキャサリンを殺したのは、間違いなく、この男だ。
もう、我慢する必要はない。これ以上、この男を生かしておく理由もない。俺が、この手で、あの世に送ってやる。そうすれば、きっと、キャサリンも喜ぶに決まっている。
そう思うと、居ても立ってもいられず、ダグは、腰から、鉈を引き抜いた。それを見て、六世も剣を手にした。お互い、腕を伸ばせば届く距離にある。しかし、ダグの気を散らすようにアスリーンが声を掛けてきた。
「駄目よ、ダグ。貴方では勝てないわ。六世は、何人も人を斬ってきているのよ。人を斬ることになれているの。人を愛することを知っている優しい貴方では、返り討ちにあってしまうわ」
アスリーンの言葉を受けて、ダグは、申し訳なさそうに答えた。
「アスリーンさん。優しいだなんて、俺を買いかぶり過ぎです。俺は、もう、人を愛することを捨てた男です」
「何を言っているの。そんな言葉を聞いたらキャサリンは悲しむわよ」
「いいんです。俺の、この手は、既に血の色に染まっているんですよ。人を殺したことがあるのは、奴だけじゃありません。この俺だって、もう既に殺人鬼なんです。だから、奴には負けません」
アスリーンは、自分の耳を疑った。今、ダグは、何て言ったのだろうか。自分は、殺人鬼である。そう告白したように聞こえた。
そんな馬鹿な、ダグが、人を殺すなんてありえない。あの、優しかったダグが、キャサリンとの愛を育んできたダグが、殺人鬼であるはずがない。
アスリーンは、またしても、思考が停止した。ダグのことが理解できない。六世のときとは、全く別の意味で理解できないのだ。
それが証拠に、六世には恐怖心が働いたが、ダグには全く働かない。アスリーンには、ダグが変わっているようには見えない。それなのに、ダグは、自分を殺人鬼だと言う。
本人が言うからには、間違いなく、ダグの手は血に染まっているのだろう。しかし、変わらない気持ちのまま、それも優しい気持ちのまま、何故、殺人に手を染められたのか、その理由が理解できないのだ。
「ほぉ、シルバス卿の頭をかち割って、その首を刎ねたのは、お前か。よかろう、掛かってこい」
そう六世に言われると、ダグは、まるで六世に操られたかのように、襲い掛かっていった。しかし、六世は、その攻撃を難なくかわし、手にした宝剣を下から上に斬り上げた。
その切っ先は、ダグの頬を切り裂き、ダグの鮮血が飛び散った。それを見てアスリーンは悲鳴を上げた。しかし、二人とも、そんなことは、お構いなしに鉈と剣を交差させた。
辺りに残響が響き、二人は、お互い、後ろに跳び、距離を取った。
「その程度で、恋人の敵討ちとは片腹痛いわ」
そういわれ、ダグは頭に血が上り、我を忘れ、叫んだ。
「貴様のような奴は、死ぬべきなんだ」
渾身の力を込め、六世の頭めがけて鉈を振るった。
六世は、手にした剣を捨て、両手を開いて直立不動の姿勢を取った。六世は生身で、ダグの渾身の一撃を受ける気でいるようだ。
ダグは、勝ったと思った。この状況では、最早、六世にダグの鉈を受ける術も避けることも不可能である。
しかし、六世の顔は笑っていた。次の瞬間、左肩に激痛が走り、鉈の刃先が六世の左肩をかすめて玉座の間の床に叩きつける形となった。
全身の力を込めて放った一撃である。その力に耐えられず、玉座の床に打ち付けられた鉈の刃先は、その途中から折れた。そして、ダグの右肩をかすめるように後ろに弾け飛び、玉座の間の壁に突き刺さった。
ダグは、激痛の原因を探るべく、左肩に右腕を回した。すると、生暖かい感触が伝わってきた。そして、その左肩には、背中側から短刀が突き刺さっていることが確認できた。
最初は、その短刀が、何処からか飛んできたものだと思った。しかし、ダグの渾身の一撃の軌道を変えるほどの衝撃である。
短刀は、飛んできたのではなく、直接手にして、力を込めてダグの左肩に突き刺したのだ。この玉座の間でダグに、そんなことができる人間は、エミリオ将軍とジェラルド公爵以外、考えられない。
顔を上げると、六世の左後方にアスリーンと肩を並べるように立っているジェラルドの姿が確認できた。これで確認するまでもなく、エミリオが自分を刺したに決まっている。そう思い、ダグは振り返った。




