第三章 魔界に迷いし者たち 5
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ダグは、真相を知った翌日の夕方、フォレスティン村の集会場にいた。村人を集め、キャサリンたちに起こった出来事を、ダグの知る限り話した。
当然、ダグは、皆が怒りのもと、立ち上がって共に、ソルビアス城に向かうものだと思っていた。ところが、事実は異なった。誰ひとり、立ち上がる者はいなかった。表情は、皆複雑なものであったが、ダグから現実を聞いても、尚、信じられなかった、否、信じたくなかったのだ。
「ダグ、お前の言っていることは、俄かに信じがたいものだ。だいたい、お前は、それを誰から聞いたんだ」
そう言われると、ダグは、答えることはできなかった。現状を鑑みるに、今、貴族の口を割らして聞きだしたことを言えば、城に訴える者が出てくるに違いない。誰も、怒りを持っていないのである。自分の娘や、恋人が、訳もなく殺されたのだ。それなのに、怒りを露わにするどころか、寧ろ、隠そうと必死になっている。そんな人間に実際に洞窟にある遺体を見せたところで、殺したのは、誰だか分からないと言って、怒りの矛先を収めるに決まっている。否、逆に、遺体の場所を知っているダグが殺したと、その怒りの矛先を向けてくるに違いない。
「何を言っているんだ。現実を見ろ。あの夜、城に向かった女性は、誰ひとり帰って来なかったんだぞ。この事実は、如何なるんだ。皆、城に行ったんだ。城の人間が無関係なはずはないだろう」
そう、現実を確認させることが、精一杯であった。当然、そんなことでは、誰も納得しなかった。それどころか、国王たちから目を逸らそうとするのだ。
「昔から、神隠しの言い伝えもある。きっと、今回も、それに違いない」
ダグは、腹が立ってきた。この後におよんで、神隠しの所為にして、無理に納得しようとする打算的な考えに。
「何を言っているんだ。十二人だぞ、そんなまとめて消える神隠しなんて聞いたことがない。精々、一人ずつだったろう。その点を考えても、今回は、異常だと思わないのか」
そう力任せに怒鳴り散らしたが、その場の全員が、何処吹く風であった。
「仮にだ、お前の言うように、国王陛下が娘たちを手に掛けたとしよう。で、俺たちが、城に乗り込んで、それを国王陛下に直訴できると思うのか。城門の前で、兵士たちに捉って、その場で手討ちになって終わりだ」
「それでも良いじゃないか。皆は悔しくないのか。娘が、恋人が、怖い思いをしながら、死んでいったんだぞ。その事実を城の連中に少しでも分からせてやりたいじゃないか。それが、生きている者の務めだ。死んでいった者への供養だ。このまま、何もしなければ、誰も浮かばれないぞ」
「ダグ、落ち着いて、そんな喧嘩腰では、反発を買うばかりで、賛同を得ることはできないわ」
そう、ダグを落ち着かせようとしているのは、アスリーンであった。アスリーンも帰って来ない十二人の女性のことが心配で、居ても立ってもいられなかったのである。それで、ダグの招集に応じて、この広場に来たのだ。
「ダグよ、生きた者の務めと言うが、俺たちが、娘たちの後を追って死ぬことが務めなのか。申し訳ないが、仮に、娘たちが死んでいるにしても、俺には、まだ、守らなくてはならない家族が、後、四人もいるんだ。それなのに、俺が死ぬことが、死んでいった娘に対して供養になると言うのか。俺の稼ぎが無くなって、明日から食うこともできずに、ひもじい思いをしながら、死んでいくことは、生きている者の務めだと言い張るのか、お前は」
普通の状態ならば、ダグも、今の言葉を素直に受け入れられたに違いない。しかし、ダグは、知っているのである。城の連中が、犠牲になった娘の身内たちに金貨をばら撒いていることを。その現場を、この目で目撃しているのだ。
そんなダグに、そのような正論をぶつけられても、今更信じることはできなかった。
「皆、そんなに、金貨が大事か、いったい幾らもらった。自分の娘の命を金で売ったのか。奇麗ごとの正論を言ったところで、そんな血で汚れた金貨を受け取っていては、信じることなどできるか」
「な、何だと、ダグ。お前に何が分かる。家族のいないお前に、俺達の気持ちが分かってたまるか。お前は、誰からも愛されたことがなく、これからも愛されない人間だから簡単に命を掛けるなんて馬鹿げたことを口走れるんだ。お前こそ、狂っているぞ、お前こそ、俺たちを生贄にしようとしている魔王ではないのか?」
もう、我慢の限界である。シドだけが、狂っていると思っていた。自分の娘の死を金で受け入れることができるのだと。しかし、現実は違った。この村の人間は全て、狂っている。誰も死んでいった女性たちのことを考えていないのだ。
ダグは、拳を握りしめ、殴りかかろうと膝に力を蓄えた。そのとき、集会場の扉が開いた。皆が、入口に視線を寄せた。
「あなた、遅いわよ」
そう言って、アスリーンが近寄った。
「御免。今、城でも大騒ぎで、やっと交代できたんだ」
タイトは、必死に走ってきたのか、汗だくであった。そして、ダグの前に立つと、ダグの握りしめられた拳に、そっと手をやり、首を左右に振った。
「タイトさん。俺は、もう、我慢の限界です。何故、国王の悪行を誰も正そうとしないのですか」
「ダグ、さっきちょっと聞こえてきたが、その人の言うことが正しいと思うよ」
「何故です、タイトさん。泣き寝入りすることが、正しいことなんですか。それで、理不尽に死んでいった者が浮かばれるんですか」
タイトは、悲しい瞳をダグに向け、諭すように話し始めた。
「良いかい、ダグ。生きている者の務めとは、君が先ほど、怒鳴っていたような死者の恨みを晴らすことではないよ。生きている者の務めは、生き続けることなんだ。分かるかい。生きていたくても生き続けられないのが死者だ。それなのに、生き続けることができる者が、自ら、その権利を放棄して、死者が浮かばれるのかい。自分たちと異なり、自ら命を絶った者を死者は受け入れてくれるのかな」
そう、タイトに言われると、返す言葉は見つからなかった。しかし、一時期得た心のゆとりが、キャサリンを失った今のダグには既になく、また、タイトの言葉を心情的に受け入れることはできなかった。
「しかし、ここにいる人たちは、皆、金貨を受け取っているんですよ。自分の娘の命を金と交換したんだ。そんなことをしなくては、生き続けられないならば、生きること自体に意味があるんですか」
「いいかい、ダグ。生きることに意味を見出そうとするから、人は、自ら命を絶てるんだ。人が生きることは理屈じゃないんだよ。そこに意味を見出すことは間違いだ。」
タイトは更に続けた。
「人には、それぞれ違った真実が存在する。君が得た真実は、娘の命を金で売ったという真実でしかない。しかし、金貨を受け取った人物にとっての真実は、これから先も生き続けなくはならないという真実が存在するんだ。人は、一人では絶対に生きていけない。そのことを理解していれば、自分の真実を手に入れることが重要なことではなく、他人の真実を共に受け入れることが重要であることが理解できるはずだ。その手に入れた真実を相互理解することができれば、信頼関係を構築することが可能になる。その信頼関係なしに、自分の想いだけを理解してもらって、他人の力を頼ることは絶対にできないんだよ」
タイトは、ダグの目から、自分の目を逸らすことなく話した。しかし、ダグは、自ら、タイトの視線を避け、俯き加減に喋り出した。
「タイトさん、今の自分に、タイトさんの言った言葉を理解することは無理です。以前、タイトさんが、キャサリに言ったように、今、俺の頭の中は、キャサリンのことで一杯で、他のことを考える余裕はありません。おそらく、タイトさんの言っていることは、正しいのでしょう。言葉としての正しさや理屈では、今の俺の感情を抑えることはできないんです。俺にとって、今のタイトさんの言葉は、詭弁でしかありません」
タイトは、ダグの、その言葉を受けても、顔色ひとつ変えず、微笑ながら応えた。
「いいんだよ、ダグ。私の言っていることが正しいと言えないことは、私自身が一番理解しているよ。
先ほど言ったように、今、発言した内容は、私にとっては真実であっても、君にとって真実であるとは限らない。ただ、相手の真実を自分の心で受け入れて、それを理解することが重要なんだ。
だから、私は、君の気持ちを理解するよう努力している。完全に理解しているなんてことは、私には言えない。でも、アスリーンやフラニーを失えば、その真実を手に入れるべく、私も全力をもって動くだろう。
だから、君が、ソルビアス城に行って、その真実を手に入れることを止めたりはしない。でも、あくまでも真実を手に入れることが理解できるだけで、そのまま真実を手にすることなく、犬死することは、私も理解できない。それでは、誰も浮かばれることはない。
私は、キャサリンの気持ちを代弁することは、できない。況してや、本人に確認できない以上、なお、発言すべきでないと思っている。
それでも、ダグ、君は、ここに生きて存在している。だから、君に問いたい。
君は、真実を知りたいのか、それとも、間違った事実から復讐をして新たな惨劇を繰り返したいのか、どちらなんだ」
ダグは、その言葉を聞いて、初めて、自分の心に問い質してみた。自分は、キャサリンの死の真相を知りたいのだろうか、それとも六世たちに復讐したいのだろうか。
そもそも、真実は、キャサリンが死んだということで、それは、遺体を確認して嘘偽りのない事実なのである。そして、キャサリンに手を掛けたのは、間違いなく六世本人なのだ。これも、既に、その場にいた貴族から直接聞いている。
それでも、タイトは、間違った事実と言っている。ダグには、やはり、理解できなかった。タイトは、自分に、如何して欲しいのか。
ダグの悩んでいる姿を見て、タイトは落胆の色を隠せず、天を仰ぎ見た。そして、意を決して、ダグに話し始めた。
「ダグ、君が得たいと思っている真実は、真に起きた出来事としての事実のことなのか。真実とは、真に実りあることだと私は思っている。人の心を覗き見ることは、絶対にできない。その事実から目を逸らして得た事実が、真実であるはずがないんだよ。そんな真実から、君は、実りあることを得られるのかい。そこから得られるのは、実りではなく、滅びではないのかい。君は、キャサリンを失いたくなかったはずだ。死んで欲しいはずはない。ならば、君を愛したキャサリンも同じだとは、思えないかい。君に死んで欲しくはないと・・・」
ダグは、タイトの言葉で、何かが切れたのか、泣き叫びだした。
「そうだ。俺は、キャサリンを失いたくなかった。死んで欲しくはなかった。俺は、キャサリンを愛していたからだ。当然、キャサリンも俺を愛していてくれたと信じている。でも、自分の無念を晴らして欲しいと思っているのか、それとも、俺に生きてほしいと思っているのか、俺には分からない。何故なら、もう、それをキャサリン本人に確かめることができないからだ。俺には、もう、キャサリンと話すことも、この手で触れることもできないんだ。俺は、俺は・・・」
「そうだね。
もう、誰もキャサリンに聞くことはできない。だから、私は、言ったはずだ。
自分で得た自分の真実ではなく、愛したキャサリンの真実を手に入れることが重要なんだよと。
キャサリンが語った真実は、キャサリンの真実でしかない。
言葉遊びのように聞こえるかもしれないが、君が誠心誠意考え抜いて得たキャサリンの真実を得ることが、真の実りあることであり、真実なんだよ。
君がやるべきことは、真実を手に入れることなんだよ。
真実を知る手段を自ら放棄することじゃないんだ。
いいかい、真実を知るためには、それに係わった多くの人から、その人たちの真実を聞く必要がある。
その真実を自ら破壊することは、真実を知る手段を自ら放棄することになるんだよ。
多くの真実を自ら考えて、導き出された真実が、最も他人の意思を反映した真実になる。つまり、自分を含めた、より多くの人にとっての真実となるんだよ」
ダグは、疲れていた。それは、肉体的にではなく、精神的にである。もう、何も考えたくなかった。これ以上、自分の心を掻き乱して欲しくなかった。帰ろう、帰って休もう、そうしなければ、何もする気にはなれなかった。
「分かりました。今日一日、よく考えてみます、タイトさん」
嘘であった。何も考えたくはなかった。明日になったら行動を起こそうと思っていた。兎に角、今日は、もう、何もしたくなかったのである。
しかし、そんなダグの心の中を見透かすように、タイトはダグに優しく声を掛けてきた。
「ああ、そうしなさい。今日は、よく眠るんだよ。考えるのは、明日からでも遅くはない」
もう、驚く元気もなかった。ダグは、黙って頷いて、集会場を後にしたのだ。
アスリーンは、心配そうな顔をして、タイトに訊ねた。
「ダグは、大丈夫かしら。一人で、無茶しないかしら」
「ああ、たぶん、今日は大丈夫さ。
実際に、怒りに身を任せて、ずっと行動してきたのだろう。
ずっと緊張の連続だったはずだ。
怒りの感情は、ある意味、最も純粋な思いなんだ。だから、自分でも普段はできないようなことができるようになる。
でも、結果的に、自分の力以上のことをやるのだから、体への負担は、非常に大きなものになるんだ。
今のダグは、私の、ある意味屁理屈によって、怒りの矛先が、私へと分散したんだ。
怒りというのは、一点に集中しているから、純粋で非常に強いものなんだよ。
それが、分散すると、反動で一気に疲れが出るんだ。
そして、私と話した場合は、肉体的な疲労よりも、精神的な疲労が大きいだろうね。だから、今日は、もう動けないと思うよ」
アスリーンの顔は、やっと明るくなった。
「貴方が、そう言うのなら、とりあえずは安心ね。でも、ダグの言っていることは、本当なのかしら。国王陛下が、ソルビアス城において、キャサリンたち十二人を惨殺したのは。もし、本当なら、私も陛下を許すことはできないわ」
そのアスリーンの言葉を聞いて、タイトは、慌てて止めに掛った。
「おいおい、アスリーン、頼むから君まで、無茶をしないでくれよ。さっきもダグに言ったが、僕だって、君やフラニーに何かあったら、どうなるか、自分では、自信が持てないんだ」
「大丈夫よ。貴方もダグに言っていたじゃない。私は、今のうちに言っておくわね。絶対に、私が死んだからと言って命を粗末にしないで。私は、貴方が死ぬことなんか、絶対に望まないからね」
「おい、何言っているんだ。その原因になりうることを口走っている君に言われたくないよ。君も、僕やフラニーのことを愛しているなら、その人たちが不幸になるような行動は、絶対にしては駄目だ。もし、そういうことができるならば、僕らのことを愛していない証拠だよ」
タイトは、突き放すように言い放った。それを聞いて、アスリーンは、本当に悲しそうな顔つきになり、タイトに抱きついた。
「いや、私がタイトのことを愛していないなんて、絶対に思わないで。私は、タイト以外、愛することはできない。その真実を、私の真実を貴方に受け入れられないなんて、私の存在意義の全否定よ。私は、この世に存在する意味はないわ」
「だから、君も絶対に死ぬようなことは言わないでおくれ。
僕は、君のことを愛している。だから、絶対に死なない。
死んでたまるか。この幸せな生活を守ることは、誰のためでもない、自分自身のためなのだから。
君も、僕たちとの生活が幸せに満ち足りたものならば、誰のためでもない、自分のために生き続ける努力をしておくれ。
もし、それが、できないと言うならば、僕の幸せを君に分けてあげるから僕とフラニーと共に、生き続けて欲しい。この先もずっとだ」
アスリーンは、自分を恥じた。いつもそうだ。タイトの前では、自分は幼子でしかない。自分の心を素直に、子供のように抑えることなく言えるのは、この人だけなのである。
「おいおい、いつもながら、いい加減にして欲しいね。この馬鹿夫婦には。人目も考えてくれなくちゃ。こっちが、恥ずかしいや」
アスリーンは、舌を出して、両目を瞑って見せた。うるさい、放っておいてという意味である。周りの人間に、どう思われようと知ったことではない。私は、タイトの前では素直な自分でいたいのだ。
タイトに抱きつきたいから抱きついているし、愛しているから、愛していると言っているのである。そう、素直に言える自分が、本当に幸せなのだ。その自分を偽って、周りに合わせることなど、自分に対して嘘をついて生きていることになる。そんな生き方に悔いが残らないはずがない。
タイトと一緒にいられる幸せな人生を、自ら捨てることなどアスリーンにはできない。そして何より、自らを偽ることによって、不幸になった自分をタイトに見せることほど、失礼な仕打ちはない。だから、アスリーンは、自分の気持ちに正直に、幸せな姿をタイトに見せているのだ。それが、アスリーンのタイトに対する愛情表現なのだ。タイトは、アスリーンが落ち着いたのを見計らって、その場を後にすることにした。
「さあ、フラニーが待っている。家に帰ろう」
タイトとアスリーンは、愛する我が子の待つ家路についたのだ。




