第三話 禁忌と呼ばれる所以
辺りは白一色。
吐き出される息は白く、肌が凍てつくような寒さが森を包む。
猛吹雪。
それに大差無い程の驚異が後ろから近づいている。
「ああああああああ!!!」
俺は絶叫しながら背後に迫る風と氷の嵐から逃げている。
木々の間を縫うようにして走る。身体に痛みがあろうがなかろうが関係ない。止まれば死ぬ。
だから、走り続けた。
ふと、横を見れば、後ろの嵐の発生源を見て恐怖したゴブリンが2匹硬直していた。
ああ、あれは死んだな。
俺はゴブリンの最期を確認することなく、ただ、ひたすら走った。
俺と同じように逃げ惑う魔物たち。
中には二つの嵐に無謀にも突っ込もうとしている魔物もいた。
恐ろしい。こんなにも夜の森が恐ろしいなんて思わなかった。家に帰りたい。
俺は走りながら泣いた。
どうしてこんな状況になったかと言うと、俺がグリフォンを見付けた時に戻る。
―――
俺は木の枝の上でグリフォンを見付けたとき、そのグリフォンの顔が向いている方へ意識が向かなかったんだ。
それに気付いたのは、グリフォンとそれの雄叫びが鳴り響いた時だった。
俺はその雄叫びに威圧され、さらに身体を硬くさせた。
そうして、見ていたそこには。
グリフォンと同じぐらいの大きさで、白い毛皮と青い模様が描かれた皮膚に覆われており、発達した二本の牙を持つ虎の魔物がグリフォンと睨みあっていた。
ブリザードタイガーも五ツ星の魔物。特徴的なのは強力な氷魔法の存在だろう。
そして、俺はその存在に気付いた時には、既に上空に投げ出されていた。
「…!??」
一瞬何が起きたのか理解出来なかった。
下を見れば、暴風と吹雪のぶつけ合いが繰り広げられていた。
その戦いの周りを見れば、木々は凍りつき、吹き飛ばされていて、そこだけ更地のような状態になっていた。
俺は落下しながら、ようやく気付く。
あの戦いの風圧で吹き飛ばされたのだと。
だが、気付いた頃には俺は木々の枝に衝突し、バキバキと枝が音をたてて折れる。
俺は、その空を覆う程の枝をクッションに出来たことで、打撲程度の怪我で済んだのだ。
もし、強度のある枝がここまで生えていなかったら、俺は上空から地面にそのまま叩き付けられて、絶命していただろう。
内臓が浮きがる感覚と、心臓がばくばくと音を立てている感覚が、放心状態の俺から徐々にお前はまだ生きているぞと良い聞かせられるように意識を覚ます。
俺は荒い息をしていた。
身体も痛い。
けれど、直ぐに立ち上がって逃げた。
あの嵐の発生源は勢いを増して、遠くにいる俺の所まで余波が迫ってきていたからだ。
そうして、俺はこの非現実的な惨状を否定するかのように、悲鳴を上げた。
そうして、冒頭に戻る。
―――
俺は本気で死んだかと思った。
途中で見掛けた嵐の発生源に挑もうとする魔物を走りすぎてから、少し経って、意外にも嵐が少し弱まった。
俺はその隙に全速力で、いや、ずっと全速力だったな。ともかく、走りを止めなかった結果、こうして生き残れた。
「…はぁ、はぁ、ミスリルソードある。…ネックレスある。…あ、荷物ねぇ…はぁ」
荒く息を吐きながらも、持ち物の確認をしたところ、両親の形見は寝る時も常に身に付けていたお陰で今もあるが、枕代わりにしていた簡易物入れが無くなっていた。
「…まぁ、あの暴風じゃあ仕方ないよな…。形見と命があっただけマシか」
俺は気持ちを切り替えた。
打撲程度で済んだが、あんな上空から落ちたことに今思い出しても背筋が凍る。
…とても運が良かったと思う。
しかし、今はまだ夜。
休憩を挟む間もなく、寝床を作る場所を探す。
「にしても、上空から少し周りの景色を見たけど、見事に全部森だったなぁ…」
意識的に見た訳では無いが、上空に打ち上げられた時に見た光景を思い返せば、遠くに山が見える以外、そういえば森しかなかったなと。
「…しかし、疲れた」
サバイバル一日目から壮絶な戦いだった。
身体より、精神的疲労の方が強い。
「…はぁ」
つい、溜め息を溢してしまう。
仕方のないことだろう。
天涯孤独どころの話ではなく、周りは全て敵。仲間が居ない孤独中の孤独。
俺がまだ村にいた頃は天涯孤独だと可哀想な目で見られていたが、今なら言える。
今の俺の方がずっと可哀想ですと。
途端に俺の気配感知が何かを捉えた。
普段は微塵も働かない感知さんがここに来てようやく働きだしたのだ。
多分、いや絶対に気配感知のランクが上がった。この状況下なら当然かもしれないが。
目視では見えないが、恐らく近くの草むらに隠れているのが数体程居る。
俺は歩みを止めて、剣をゆっくり抜く。
僅に差す月明かりに俺のミスリルソードが光る。
するとその瞬間、ヒュッと風切り音が右方面から聞こえた。
俺は嫌な予感がしたので、全力で《壁魔法》の“バリア”と言い、魔力で出来たガラスの膜のような障壁を張った。
障壁を張ったと同時に、カンッと何処か軽い音が鳴った。
地面にポトッと落ちたそれを見れば、相手の正体は絞れてきた。
細い枝の先端に尖った石をくくりつけた小さい棒。そう、矢が俺に弾かれて地面に落ちていた。
「―ゴブリンか!?」
俺はこの不格好な矢を見て、そう思った。
ゴブリンとは、繁殖力が凄まじく、少し森を歩けば出会える程の数がいる人形の魔物。
大人の半分ほどの身長に、緑色の身体。醜悪な顔付きをしており、頭髪は殆ど無い。
このゴブリンは他種族の雌を拐ってゴブリンの子を孕ませるという種族で、常に討伐対象になっているという。
しかも、人間のように武器を作り、襲いかかるという。
しかし、ゴブリンの力は弱く、下位のゴブリンは一ツ星ランクの魔物だ。上位になると三ツ星とかの強者が居るが。
はたして、俺の予想は当たっていた。
俺を取り囲むようにして草むらと木から姿を現すゴブリン。
ぱっと見で、数は十を超している。
普段なら驚異に感じないが、この森の魔物だ。警戒を強める。
そして、もう一つ警戒を強める要素があった。
それは、ゴブリンが不意討ちをしてきたことだ。普通のゴブリンなら、射手のゴブリンでも身体を出してから弓を射ってくるのだ。
このことから、ここのゴブリンは人のように知恵が回るように感じた。
「…面倒だ。お前らの相手なんかしたくないんだよ!」
夜になってから怒濤に来る魔物に、苛立ちを隠せなかった。
俺の声に言葉を返す代わりに矢が一斉に放たれた。
「“バリア”!」
先程と同じ結果だ。
全力じゃないバリアでも余裕で弾く事が出来た。
俺は、わざとらしく安堵して、バリアを解いたフリをした。
すると、それを待っていたと言わんばかりに次の矢が放たれた。
これもカンッと音を立てて弾かれる。
やはりと俺は思った。
こうくるだろうと予想をたててバリアを張り続けた結果、俺は身を守れた。
けれど正直、冷や汗が止まらない。
俺は今のを予想出来ていたから良いが、人族と同等の知能を有しているとなると、戦うのに面倒極まりない。
あのダイアウルフより危険だ。
バリアだって張り続けるのに魔力がいる。
睡眠や食事を満足に取れていないので、魔力回復が遅い。
もう体内魔力は半分を切っている。
魔力切れを起こせば、俺は酷い倦怠感に襲われて動けなくなるだろう。そうすれば、確実に殺される。
だから、魔法は極力使わないでこの場を乗り切るしかなかった。
「…くそ!やるしかねぇ!」
俺は右方向へ駆け出した。
すると、草むらから未だ隠れていた伏兵が飛び出してきた。
射手を守るための槍兵のようだった。
槍のゴブリンその数5体。
一斉に繰り出される手作りの槍。
俺はそれを真横に飛んでかわし、一番左端のゴブリンを切り捨てた。
そして間髪いれず、返す刃でもう1体を斬った。
槍ゴブリンは俺を射手の方へと向かわせないように、上手く動いている。
俺がそれはさせないと剣を振ろうとするが、前方から矢が放たれた音が聞こえたので、勘で転がって避けた。
それは上手くいき、俺の居た場所付近には矢が二本地面に刺さっていた。
体勢を整え、周りを見れば、俺が転がって避けている間に、周りに隠れていたゴブリンたちが俺を完全に包囲していた。
前から剣と槍、後ろで弓と杖を持つゴブリン。
まじか、魔法も使えるのかよ。
そして、その中で一際目立つ存在のゴブリンが居た。
周りのゴブリンとは一回りか二回りは大きい体格のゴブリン。《ゴブリンエース》が居た。
ランクは二ツ星。
間違いなく強敵だ。こいつがこのゴブリンたちのリーダーだろう。
俺は標的をゴブリンエースへと向ける。リーダーを失った群れは統率が取れなくなり、烏合の衆と化すと聞いていたので、それを狙う。
じりじりと間合いを詰めてくるゴブリンたち。
しかし、それは俺にとっては格好の餌食だ。
「“スパーク”!!」
ゴブリンが行動するより速く魔法を放つことに成功した。
突如として現れた時計回りに回転する雷の急襲に、前衛の剣と槍ゴブリンたちはなす統べなく倒れていく。
俺はその間に、ゴブリンエースへと駆け寄る。
下から振った切り上げの攻撃を、ゴブリンエースの側近の杖ゴブリンたちが壁魔法で防いだ。
「くっ…!」
俺は焦りすぎたと思った。
焦らず、側近の杖ゴブリンから殺していけば良かったと今更思った。
剣を弾かれた俺は、ゴブリンエースの帯刀していた鉄の剣で攻撃される。
恐らくは何処からか流れてきた人が作った剣だろう。
それをゴブリンが使うのは珍しくもない。たまに鎧すら着るゴブリンも居るほどだからだ。
俺は何とかゴブリンエースの剣をミスリルソードで受け止めた。
しかし、ゴブリンエースの膂力は強く、俺が押し飛ばされる形になった。
「がっ!?」
俺は鋭い痛みが背中に走った。
どうやら、吹き飛ばされた先の後方のゴブリンと接触、そして、ソイツが持っていた槍が、俺の背中に突き刺さっていた。
「…ぐっ…傷は浅いか」
俺は感覚的に傷の深さを決めつけた。今、確かめている時間はない。
なぜなら、ゴブリンエースが走って迫ってきていたからだ。
俺は、立つ時に、下敷きになっているゴブリンに剣を突き刺してから立つ。
急いで剣を引き抜き、構える。
ゴブリンエースの迫力は凄い。
ゴウッと空気が弾けるような力強い踏み込みをして、剣を振るってきた。
これは受け止めず、相手の肩の動きを見て冷静に避ける。
凄まじい速さで剣を振るってくるので、徐々に恐怖が沸き上がる。
しかし、背を向けてはならない。
背を向けた瞬間、恐らく死ぬ。
だから、前に進む。
俺はゴブリンエースが剣を振り切った直後に間合いを詰めた。
これにはゴブリンエースも予想外だったようで、俺の剣の横凪ぎを胴に受けた。