援交カウンセリング
駄目だ駄目だと思いながらも、ついついまた援助交際に手を出してしまった。これで三回目になるか。もしもこれが明るみになったなら、私の社会的信用は失墜する。仕事だって辞めなくてならない可能性が大きいし、下手すれば家庭崩壊だって覚悟しなくてはならないだろう。いや、それ以前にこんな事は倫理上許される行為ではない。妻子ある身の私が、娘ほどの年頃の若い女性と性行為をするなど。
性欲が強い方だという自覚はなかった。今だってそれはそうだ。援助交際などに手を出してしまったのは、単に魔が差してしまっただけだ。そう思いたかったが、三回目ともなるとそんな言い訳もかなり苦しくなってくる。一体、どうして私は援助交際などをしているのだろう?
一度目の女性は非常に慣れていて、客である私を気分良くさせる為に懸命になっているのがよく分かった。二度目はぎこちない感じではあったが、客である私を上位に置いている点は変わらず、それでなのかその二回とも私は束の間の優越感に浸っている事ができた。しかし三度目の彼女は違った。明確に言葉にはしなくても態度や表情から分かった。この娘は私を馬鹿にしている。
恐らくはだからだろう。
「君はこんな事をして良いと思っているのかね? 将来の為を思うのなら、直ぐに辞めなさい」
行為が終わった後、私は気付くと上から目線でそう彼女に説教をしていたのだ。自分で彼女を買っておきながら。だが、滑稽にもそれが理不尽な台詞である事に気が付いたのは、そう言い終えた後だった。
それを聞くと彼女は驚いたような表情を見せ、二度か三度瞬きをすると、その後で面白そうに笑った。
「アハ なにそれ? 何かのギャグ?」
私は自分の心を見透かされたような気がして、慌てて言い訳をするようにこう言った。
「いや、違う。私は君の事を心配して」
それを聞くと彼女はまた笑う。恐らく、私の心は完全に見抜かれている。私がプライドを守る為にそんな説教をし始めた事を、彼女は分かっているのだ。怒って誤魔化そうかとも一瞬思ったが、却って惨めになるだけだと私は思い止まった。
「ふーん」と彼女はそう言う。
「本当にあたしを心配してくれているのなら言っておくけど、大丈夫だよ。ちゃんとあたしは考えて“売り”をやってるから」
「ちゃんと考えて?」
「うん。いつまでもこんな事をやってられないって分かっているし、見つかるリスクとか、性病をもらっちゃうリスクとか、そーいうのを考えた上でメリットの方が大きいって判断したからやってるの……
簡単に言っちゃえばね、今のあたしの状況から抜け出す為、一時的にお金を稼ぐ手段としてやっているの。だから、ちゃんと社会で普通に生きて行く為に必要なスキルだって身に付けているよ。これから世の中がどうなるのか理解できるように勉強もしているし、それに対応できるようにもしている。準備が整ったら辞めるつもり。
まぁ、それなりに楽に稼げる手段だから、これに依存しちゃうとやばいけど、それも自己コントロールしているから多分平気だと思う。あたし、この仕事、好きじゃないんだ。お金の亡者でもないしね。
あ、あたしにどんな事情があるかは訊かないでね。プライベートな話だから」
それを聞いて私は何も言えなくなった。彼女の事情も知らず、くだらないプライドで彼女に説教をした自分が恥ずかしくなってしまったのだ。その私の様子を察したのか、彼女はそれからこう言って来た。
「ま、おじさんがどうしてあたしに説教してきたのかはなんとなく分かるよ。あたし、する時に相手を憐れむようにしているから。おじさんはそれに気付いて、悔しくなっちゃたんでしょう?」
続けて、彼女はそう言って来た。私はそれに表情を歪める。「それは……」と、そう言いかけて何も言葉が出てこない。
「そこは謝るよ。でも、相手を憐れむと少しはこのサービスをする事が嫌じゃなくなるんだ、あたし。だから仕方ないの。
言ったでしょう? この仕事が好きじゃないって。まぁ、それがそのままあたしがこの仕事を辞めたいと思っているって証拠になるのかな?一応……」
それから彼女は私を上目遣いで見つめて来た。しかも、行為の時は見せなかったような可愛げのある表情で。その所為か、傷つけられた私のプライドが少しばかり癒された気がした。なんとも単純だ。
「あたしの事よりさ、おじさんの方がやばいんじゃないの? あたしはさっきも言った通り、ちゃんと考えて自己コントロールできているけど、おじさんはできているの?
もしばれたら社会的信用とか家庭とか失っちゃうのでしょう? あたしの方が罪は軽いと思うよ。しかも、高いお金払っても女を抱けるだけなんて。正直、リスクとお金に見合うだけのサービスをおじさんが受けているとは思えないんだけどな。しかも、おじさん、これ、一度目じゃないでしょう?」
彼女はそれから私にそう説教をして来た。これでは先と立場が逆だ。だが、不思議と悔しさは感じなかった。それは彼女が本心から私を心配しているように、少なくとも私には思えたからかもしれない。
私が黙っていると、彼女は深いため息をついてから話を続けた。
「一生懸命働いて家族の為にお金を稼いでいるのに、家に戻ったら嫌われてて邪魔者扱い。それでも威張っていられたのは、たくさんお金を稼いでいたからだけど、長い不況の所為とかもあって、給料は減っている。家族の自分を見下す視線がきつい。家に帰るのが恐い。嫌われている上に威厳も維持できない……
で、一時の癒しを求めるあまり、こうして売春に手を出しちゃった。そんなところかな?」
それを聞いて、私は思わず目を見開いて驚いてしまった。
「何故、それを……」
そう。そうなのだ。彼女に言われるまで自覚していなかったが、私は仕事でも家庭でも癒しを得られず、救いを求めるように売春に手を出してしまったのだ。
「やだな、おじさん。違うって、よくそういうお客さんがやって来るから、おじさんもそうかな?って思って言ってみただけ。大したことじゃないよ」
情けない話だが、彼女からそう聞いて、私は少なからず安心をしてしまった。他にも似たような境遇の男がいるのかと。
「そうだ。妻も娘も私を毛嫌いしている。私は家族の為に外で辛い仕事に耐えているというのに……」
「いやぁ ごめん、おじさん。同意してあげたいところだけど、それはわたしには何にも言えないな。だって、奥さんとかの言い分もあるんだろうし。それは飽くまで、おじさんの一方的な意見でしょう?
それに、人間関係ってキャッチボールだよ? 奥さん達がそういう態度なのは、おじさんがそれなりの態度で奥さん達に接して来たからじゃないの? 例えば、家に帰って威張ったりとかさ」
私は反射的にそれにこう反論をしていた。
「確かに、多少は偉そうにしていたかもしれないが、私は家族の為に外で辛い思いをして金を稼いでいるのだぞ? それくらいっ」
「うん。それは確かに一理はあると思う。でも、それは飽くまで理屈でしょう? 気持ちは違うのじゃないの? いくら生活の為のお金を稼いできてくれるからって、威張って来る嫌な奴を好きにはなれないよ。それが普通の人間だと思うよ?
なら、“生活の為には必要だから表面上は従っている振りをして、内心では金さえ稼いで来てくれたら別にいらない嫌な奴”って、そんな認識になっちゃっても、奥さん達を責められないって思わない?」
それを聞いて、妻達の立場になって考えた事など一度もない自分に私は気が付いた。ただ、それでも納得はいかない。彼女の言う事は分かるが、ならば男は一体どうすれば良いというのだ?
「では、男は外で苦労して、女は家の中で安穏と暮らし、その女に対しても男は家で気を遣わなくてはならないのか? それではいくら何でも理不尽だ!」
すると、それに彼女はこう反論して来た。
「そうかな? あたしはそうは思わない。もしかしたら、これはあたしが女だから言うのかもしれないけど、理不尽って言ったら女の立場だってかなり理不尽だよ。
そもそも、今でも女は労働条件で差別を受けているのよ? もし、もっと女も外で働くのが当たり前になって、労働条件も良くなったら女も外で稼ぐようになるでしょう? 男が外で稼いで来るって、それは女を差別するそういう社会を築いている男の所為じゃないの? 大体、家事労働って男が思っているよりもずっと大変だよ? なのに、家庭で威張られたら堪らない。女だって本当は外で働きたいかもしれないのに。夫が家にいるようになると、病気になっちゃう妻もいるっていうよ。
知ってる?
妻に充分な稼ぎがある方が、夫は妻に対して平等に接する傾向が強いんだって。これは想像だけど、多分、そういう夫婦の方が仲は良いのじゃないのかな? つまり、仕合せ。それにそうなれば夫の方も一人で家族を支えているってプレッシャーから解放される訳だし。男が家で威張りたがるのって、そういうプレッシャーの所為でもあるのでしょう?」
私はそう言われて口ごもる。
「いや、それは、しかし……」
その通りであるようにも違うようにも思えたからだ。その私の様子に彼女はまた大きくため息をついた。
「もしも会社で酷い扱いをされても、おじさん一人で稼いでいて、家族を支えていたらそれに耐えるしかないよね? 家族を守る為に。でも、奥さんにも充分な稼ぎがあったらどう? 別に辞めてもいいかってならない?
会社から身を守るっていったら、労働組合とかって思うかもしれないけど、実は奥さんに充分な収入があるって方がより効果的なのかもってあたしは思うよ。
こう考えると、男女平等社会の方が男にとっても良い事がありそうだよね? 実際ね、実は男女平等社会の方が男の平均寿命が長くなる傾向があるって話もあるんだよ。どこまで本当かは知らないけど」
私はそう彼女から言われ、少し考えるとこう言った。
「つまり、悪いのは男性中心社会なんてものをつくっている男の方だって言うのか?」
別に落ち込んでいるつもりはなかったのだが、それを聞くと彼女はこう言って来た。
「いやいや。別におじさん一人を責めている訳じゃないよ。と言うか、おじさんもおじさんの奥さんも社会の犠牲者って感じがする。おじさんが家庭で上手くいかなくなっちゃったのは馬鹿な慣習のあるこの世の中の所為だね」
その口調は多少慌てているようにも思えた。どうも私を必死にフォローしているつもりのようだ。そこで私は、初めて彼女が年相応の若い女性だと認識できた。
「しかし、この世の中の所為だとしても、その悪い世の中で生きて行くしかないのが私達だな」
「そうだね。だから、取り敢えずは、家で威張るのを止めてみるところから始めてみたらどうかな? 少しくらいは家事を手伝ってみるとか。
まぁ、人間関係って一朝一夕でなんとかなるもんじゃないから、時間はかかるかもしれないし上手くいくかどうかも分からないけど、そうしたらおじさんも売春なんかに頼る必要もなくなるかもよ?」
私はそれを聞くと笑った。
「そうしたら、君らは客を一人失う事になるぞ? 良いのか?」
彼女は肩を竦める。
「別に良いわよ。さっきも言ったけど、あたし、こんな仕事好きじゃないし。
ま、あたしがこんな仕事をしなくちゃいけないのだって、この男性中心社会の所為でもあるんだからさ、おじさんは精々、女性の社会進出を応援してよ」
そこに至って私は初めて疑問を感じた。冷静になれば、もっと早くから疑問を覚えておくべきだったような気もするのだが。
「君は本当にまだ十代なのか?」
「アハハハ。ばれちゃった? 実は二十歳超えていまーす! こんなもん自己申告だからいくらでも誤魔化せるのよ。あたし、若く見えるしさ。世の中なんて、そんなもんだよ。いい勉強になった?」
私はそれを聞くと少し止まった。そして一呼吸の間の後にこう言った。
「ああ、ありがとう。本当に良い勉強になったよ」
それから彼女に「カウンセリング料だ」と言って少し多めに金を渡すと、私はまた「ありがとう」とお礼を言って、その部屋から出て行った。
もうこれで、援助交際などに頼る必要もなくなるかもしれないと、そう思いながら。
参考文献:「居場所」のない男、「時間」がない女 著者 水無田気流 日本経済新聞出版社
「売春問題を解決する為に、取り締まりを強化」って対応を執る場合が社会は多いですが、その原因の一つになっている「女性の貧困問題」は野放しのケースが多いのですよね