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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
精霊の剣
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第5章  赦し(1)

 アレス暗殺が未遂に終わったのと同じころ、ラオはマリアを伴ってキュテラの平原を抜け、国境の町アイテルの南側、グィード村とアイテルの間に広がる森の中にいた。


 足がある程度動くようになってから三日三晩を馬で駆け続け、ここまで来たのだ。


「お城のほうは上手くやっているかしらね」


 ラオと同様の黒尽くめの服装に身を包み、馬上からマリアは城がある方向を振り返った。


「エフライムとバルドルがいる。あの二人なら上手くやるだろう」


「そうね」


「それよりも」


 ラオが暗い森の中からかすかに見える空を仰ぐ。星明かりは木々に邪魔されて届かず、細い月明かりの恩恵もほとんどない。


「敵陣はどのあたりにいるか調べてくれ」


「ええ」


 マリアは頷くと「ベガ」と、自分の竜の名前を呼んだ。するりとマリアの身体の中から半透明の竜が現れ、空へと昇っていく。普通は目に見えない竜だ。


「何度見ても不思議だ。今まで聞いたことがなかったが、あれは何だ?」


 ラオの問いに、マリアは軽く首をかしげて、なんと答えたものか考える。


「あれは…私の家系に伝わる…精霊みたいなものらしいわ」


「精霊?」


「ええ。たぶん。私もよくわからないの。代々伝えられているのよ。直系の女性だけが使役できる竜よ」


 くるりと空で喜びを表すように一回転すると、泳ぐようにして国境へと移動していく。


「移動しても大丈夫か?」


 ラオの問いにマリアは頷いた。


「ええ。私のいる場所に戻ってくるから問題ないわ」


 その答えにラオはかすかに頷くと、さらに国境のほうへ向けて歩き出した。


「どこへ向かうつもり?」


「国境にある見張り台だ。この先にあると聞いているが、木が邪魔をしていて見えないな」


 道無き道を注意しながらゆっくりと馬を進めていくと、木々の向こう側に木造の建物が見えてくる。気持ちばかりの屋根と床が天辺にはついているが、ほとんどが枠だけで存在し、梯子で登っていくようになっている。


「あれだ」


 ちらりと東の空を見れば、やや明るくなっている。そろそろ日の出だろう。


「急ぐぞ」


 ラオは見張り台に向かって馬を走らせた。マリアもその後に続く。


 途中でベガが戻ってきた。ふんわりとマリアの身体にまとわりつく竜から、竜が見てきたものが感じ取れた。


「あの見張り台の北側に布陣しているようよ。見張り台の前に敵の左翼がある状態ね」


「なるほど。最上ではないが、それでも運がいい。狙い通り、あの見張り台が使えそうだ」


「登るつもり?」


「ああ」


 傍によってみれば、かなり古い見張り台のようだった。しかしそれなりに修理をされていたり補強されていたりするのを見ると、使われてはいるらしい。


 ラオは馬から下りると手近なところにあった枯れ枝を物色した。いくつかを掴んでは放り投げているうちに、気に入ったものが見つかったらしい。杖と呼んでよいぐらいの太さと長さの枯れ枝だ。


「何をしているの?」


 その言葉にラオが杖を振り上げながら両手をあげて、ポーズをとってみせる。


「マギに見えるか?」


「そのものね」


「よし」


 マリアの返事に満足そうに頷くと、見張り台の枠を登り始めた。


「私はどうしたらいいの?」


 ラオ一人が登るだけでもギシギシと音を立てて、今にも壊れそうな梯子を見上げながらマリアが不安そうな声を出す。


「お前はそこにいろ。話したとおり、俺の合図で竜巻を起こせ」


 思わず周りを見回した。梯子を登るのも怖いが、暗い中に一人で取り残されるのも怖い。周りに人がいないとわかれば、普段の強気の仮面もどこへやら、突如として弱気が襲ってくる。


 思わず自分で自分の手を握り締めた。梯子を登っているラオを見つめ、自分だけに聞こえる声で呟く。


「大丈夫。彼はあそこにいるんだもの。何かあったら降りてきてくれるわ。それにベガもいるもの。怖くなんかないわ」


 なおも登っていくラオを見ていると、途中でラオの動きが止まった。


「ラオ?」


 何故かラオが再び梯子を降りてくる。マリアの前まで戻ってきて、正面に立った。


「何か忘れ物?」


「ここら辺は幽霊が出るらしい」


「え?」


「ほら、そこにいる」


 マリアの後ろに向かって、伸ばされるラオの手。


「いやっ!」


 その瞬間にマリアは何も考えずにラオの腕の中に飛び込んでいた。


「ほ、本当に? 本当にいるの?」


 ラオの腕の中で震えながらマリアが顔をあげると、ラオが思案するような表情をしている。


「なるほど。こうなるのか」


「ラオ?」


 ラオの反応が解せなくて、じっと表情を伺っていたマリアの顔に影が落ちたと思った瞬間に唇を暖かいものが覆う。


「行ってくる…というのを忘れた。幽霊はいない」


 あまりのことに反応が遅れたマリアに背を向けると、ラオがするすると梯子を登っていく。彼の姿が塔の中ほどまで来たところで、マリアは漸く我に返った。


「今の…なに? 不意打ち?」


 思わず頬が熱くなる。頭の中で反芻されるラオの台詞に、またどこかの近衛隊長の姿が思い浮かぶ。


「はぁ…」


 喜んでいいのやら、悲しんでいいのやら。思わず大きなため息をついたところで、上からラオの声が降ってきた。


「始めるぞ」


 下から睨みつけても、この距離だと見えないとは思うが、それでも精一杯睨みつける。けれど拗ねたままではいられない。


「どうぞ」


 そうマリアが返したとたんに、晴れ渡っていた明け方の空が俄かに曇りだし、国境の向こう側だけで雨が降り始める。


「ベガ」


 呼びかけられた竜は、心得たようにするりと天へ向かって登っていく。ベガとマリアは、マリアの体内にある珠で繋がっている。だから名前さえ呼べば意図は伝わるのだ。


 雨空の中、竜が舞い始めると、国境の向こう側のあちらこちらで竜巻が起こり始めた。距離があるので微かではあるが、雨音を超える音量で人々の悲鳴が聞こえてくる。


 やがて見張り台の上のラオを見つけたのだろう。声に「マギ」という言葉が混じるようになった。


 大雨と竜巻を起こすマギがいる。それだけで相手の戦意は喪失していることだろう。


 人々の悲鳴や指揮官と思われるものの怒鳴り声。それが散り散りになり国境付近から離れていくのが聞こえる。


 どのぐらいの時間をそうしていただろうか。ラオが腕を下ろした。それを見て、マリアもベガを呼び戻す。


 うまくいったのだ。そう思ってラオを見上げれば、ゆっくりと梯子とを降りてくるところだった。


「文句の一つでも言ってやらなくちゃ」


 そう思って待っていたが、見張り台の途中の階段でラオが動かなくなった。


「ラオ?」


 どうしたのだろうと思って見ていると、ラオの身体が大きく揺れた。


「ラオ!」


 あっと思った次の瞬間、ラオの身体はマリアの目の前で地面へと叩きつけられていた。


 ラオが意識を取り戻したときに最初に目に入ったのは、長い黒髪だった。少し癖のある豊かな黒髪がヴェールのように自分の顔を覆っている。視線をずらしていくと泣きはらしたマリアの顔が目に入る。明るくなった空を背景にして、赤くなった瞳がラオを見つめていた。


「あ…俺は…」


 胸を打ったのか、うまく声が出ない。しかし開いた目を見、微かな声を聞きつけて、マリアがラオに抱きついた。


「ラオ、ラオ。死んだかと思ったわ。驚かせないで」


「ここは…」


「まだ森の中よ。見張り台の真下。あなたは台から落ちたのよ」


 ゆっくりと身体を動かしてみる。足首をひねったようだが、折れてはいないようだ。両腕も動く。身体を起こすと背中が痛んだが、大きな問題は無いようだった。降りている途中だったことと、下が柔らかい土だったことが幸いしたようだ。


「ピクリとも動かないんですもの。どうしていいか分からなくて」


 まだ少し声を震わせながらながらマリアが、自分の頬の涙を拭った。その手を追うようにしてマリアの頬に手を伸ばす。


「泣くな。俺は大丈夫だ。お前が落ちなくて良かった」


 その言葉にマリアの動きがピタリと止まる。


「どういうこと?」


「あの台にお前も上っていたら、一緒に落ちていた」


「ラオ…やめて」


「なぜだ。お前が落ちなくて良かったと俺は安堵している」


「そうじゃないわ。そうじゃないの。だったら自分も落ちないようにして」


 ラオの肩を掴むようにして、マリアは首を振った。まるで私を助けるために落ちたように言わないで欲しい。自分を大事にして欲しい。その気持ちを伝えたいのに、うまく伝える言葉が出なくて、マリアはじっとラオの瞳を見た。


 透き通った水の中を覗き込むような薄い水色の瞳。顔の周りを銀色の髪が縁取っている。運命を先取りする悲しい人。


 じっと見ているうちに辛い気持ちになってきて、また涙がこぼれてくる。


「あなたはそうやって…周りの人の運命を見てきたのね」


 マリアがぽつりと呟くと、ラオの瞳が痛みを堪えるかのようにわずかに細められた。


「そして…周りの人の運命を背負ってきたのね」


 自分の頬に流れる涙はそのままにして、ラオの頬にそっと手を添える。


 それ以上、何も言えなくなってしまった。他人の運命を見るなとも言えない。見てしまったら、なんとかしたいと思ってしまうだろう。見なかったことにできるような器用さは持ち合わせていない人なのだから。


 座り込んで自分を見ているラオの頭を、マリアは膝立ちをして抱きしめた。そっと背中に腕を回す。このまま包み込めたらいいのに。そう願いながら、細い腕では身体を抱きしめるのがやっとで。それでも彼をすべてのものから守りたくて、マリアはラオを抱きしめる。


「私は…あなたの傍にいるわ。いつでも傍にいる。だから一人で辛い気持ちを抱えないで。一人で背負い込まないで。私がいるわ。忘れないで」


 そっと腕を緩めると、ラオが困ったような顔をして自分を見上げてくる。その彼の薄い唇に、マリアは自分から唇を重ねた。


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