第3章 つかの間の休息(2)
そのまま庵の脇にある畑に行くと、今日は珍しくラオがいる。普段は森の中にいってしまったり、部屋の中にこもっていたり、ここのところ食事時以外で、ラオの姿を見ることはなかった。畑にある植物の一つ一つにしゃがみこみ、葉を裏返し、また隣に座り込み、間にある草を抜いて…と細やかに動いている。ニヤリと笑うとハウトはラオに声をかけた。
「よう。ラオ」
「なんだ」
一枚の葉の裏を見て根元の土を触りながら、振り返りもせずにラオが答えた。
「おまえさ、髪を染めるようなもの、もっていないか?」
「髪を染める? 誰の?」
「俺の」
ちらりとハウトの髪を見ると、そのまま野菜に視線を戻して、ぼそりとラオは答えた。
「無理だな」
「な、無理ってなんだよ」
聞こえなかったように、ハウトをおいて隣の畝に移動する。ハウトはその後ろをついて歩いた。
「なんかあるだろう。髪の色を変えるものぐらい」
「変えてどうする」
こちらを見もせずに、ラオの声だけが返ってくる。ラオは、しゃがみこんで畝の間の草を抜き始めた。
「いや、ほら、ちょっとエフライムを手伝おうかと…」
歯切れの悪い言葉に、ラオがちらりとハウトを見る。
「何を手伝う?」
「いや、その、資金調達とか…」
ラオは抜いた草を片手に束ねると、それをもったまま畑から出た。後にハウトも続く。
「あいつ一人だと大変かな…と思って」
ラオは、畑の脇に掘ってあった穴に草を投げ入れた。そして、そのまま畑に戻っていく。ハウトは、そのまま後に続いた。
「一緒に街まで行ってだな…」
ラオは先ほどしゃがみこんでいた隣の畝に移ると、また草を引き抜きはじめる。ハウトも一緒にしゃがみこんだ。
「なあ、ちょっとだけ、いいだろう?」
「何がだ」
ラオは両手いっぱいに草を引き抜くと、またそれを持って畑から出て行く。そのままハウトはまたついていった。
「いや、ちょっとだけ息抜きに行きたいなぁと」
先ほどの穴に草を投げ入れると、ラオは、そばに突き刺してあったシャベルをつかんで、穴を埋め始めた。
「手伝いじゃなかったのか?」
穴が半分ほど埋まったところで、またシャベルを地面に突き刺すと、ラオは畑に戻っていく。そしてその後ろにハウトはついていった。
「いや、手伝いだけど、それとだな」
ラオはまた畑にしゃがみこんだ。ハウトもその横にしゃがみこむ。
「聞いてくれよ。ラオ」
「聞いている」
「だから、ここは酒もない」
「あるぞ」
「いや、だから、雑穀酒じゃなくて、なんというか、もっと洗練された…だな」
「それもある」
「いや…」
と否定しかけて、ハウトはラオの言った言葉に気づいて、ラオを見た。
「あるのか!」
「ある。おまえには飲ません。一気に飲むからな」
雑草を引き抜きならラオは無碍もなく言う。
「おまえぇ……」
ハウトが恨めしげな目でラオを見たが、ラオは気にした風もなく、せっせと野菜の間の草を引き抜いている。
「いや、だがな、酒だけじゃなくてな。他にもだな…」
「おまえ」
ラオがハウトの目を見た。気持ちを見透かされた気がしてドキリとする。ラオが静かにハウトの足元を指差した。
「野菜を踏むな」
慌ててハウトはつぶれてしまった植物から足をどけた。
「わ、わるい」
ハウトにしてみれば、どれが野菜だか、どれが雑草だか、全然わからなかったが、ラオには区別がついているらしい。
「さっきから、あちこち踏んでいる。畑に入るな」
ラオが静かに言った。相変わらず視線は下を向いたままだ。ハウトは肩をすくめると畑から出た。
「だからだな。ラオ」
ちょっと距離があるので、呼びかけるように言ってみる。
「なんだ」
ラオからそっけない声が返ってきた。
「髪を染めるようなものを…」
そのハウトの声に答えるかのように、ラオが立ち上がってハウトのほうに向かってきた。また両手には束ねた草を持っている。そしてハウトの前で立ち止まると、まっすぐにハウトの目を見て言い放った。
「おまえ、その『用事』をフェリシアに言えるか?」
「うっ」
ハウトが詰まる。畳み掛けるようにラオは続けた。
「フェリシアに言えないことの片棒を、俺は担げん」
硬直したままのハウトの横を通り過ぎると、ラオは草を穴に入れ、土をかけてから庵に戻って行った。後にはハウトだけが残される。ハウトはへなへなと座り込むと、頭を抱えた。
「フェリシアの名前を出されると…弱いんだよな…」
数日後たっぷりと日が落ちてからエフライムは戻ってきた。ハウトはからかおうと思っていたのだが、何があったのか、心なしか沈んで見えるので声をかけられなかった。皆で夕食を取っているときも、気にして見ているといつもより口数が少なく、からかえるような雰囲気ではない。そのエフライムが口を開いたのは、夕食後の片付けが終わって、暖炉の前で皆が集まっているときだった。
「実は今日、あるものを見てきました」
その暗い口調に、皆がはっとした表情になる。フェリシアがハウトを見る。ハウトはその意図を悟って頷いた。フェリシアがアレスの肩に手をかける。
「アレス、寝ましょう」
子供扱いされたと思って、アレスは顔をゆがませた。
「僕にも聞かせて。何を見てきたか」
その声に、皆が悲痛な表情を見せる。
「僕を子供扱いしないで!」
フェリシアが、アレスの前にしゃがみこんだ。
「アレス、私もこういう話は苦手なの」
アレスの目が大きく見開く。
「子供とか、大人とかの問題じゃないわ。私は今からされる話は聞きたくない。でも皆が怖い話をしていると分かっているときに、一人でベッドにいくのは嫌だから、一緒に行ってくれないかしら」
その声は、アレスのために詭弁を言っているというよりは、本当に嫌だと思っているようだった。アレスはフェリシアの瞳をじーっと見た。
「本当に?」
紫色の瞳が微笑む。
「本当に。本当に嫌なの。怖い話や辛い話は聞きたくないの。だから、あなたが一緒にいてくれると嬉しいわ。もしかしたら、ハウトがちょっと、やきもちを焼くかもしれないけれど…」
くすりと笑って、ハウトのほうに視線をやる。アレスもハウトを見た。思わず二人に見つめられて、ハウトは照れ隠しに視線をそらせて、頭を掻いてみせる。アレスはにっこりと笑った。
「一緒に寝ようね!」
「なっ!」
アレスの言葉に、ソファに座っていたハウトが思わず立ち上がる。そんなことに気づかないような様子で、フェリシアはアレスの方を見て、にっこりと微笑むと立ち上がった。そして、アレスの手を握る。
「そうね」
フェリシアの返事に、さらにハウトは愕然とした表情になった。
「おいっ」
しかし、フェリシアはハウトには答えず、ちらりと笑みを返すと、そのままアレスと一緒に台所に続くドアの方へ歩きはじめる。ルツアとフェリシアは、台所の奥の小部屋を寝室として使っているのだ。アレスがちらりとハウトを見る。さっきまでの表情はどこへやら、アレスは満面の笑顔だった。
ドアのところで二人が振り返る。
「じゃあ、お休みなさい」
フェリシアが優しい声で言う。
「おやすみなさい!」
アレスも続けて元気よく言うと、頭を下げた。そしてハウトを見る。勝ち誇ったような笑顔をハウトに残すと、そのままフェリシアと共に行ってしまった。
後に残されたハウトは憮然とした表情のまま、どさりとソファに座りなおした。
「くそ…」
相手は子供だとわかっているけれど、面白くない。そんなハウトを見て、ラオの唇に笑みがもれる。
「フェリシアのことになるとムキになるな。おまえは」
「相手は子供ですよ。ハウト」
エフライムも呆れたような表情をしながら笑っている。ルツアも何も言わないが、くつくつと笑っていた。そんな皆をぐるりと見てからハウトは盛大にため息をつくと、すっと真顔になった。
「で、エフライム。何を見たって?」
居間の空気が一気に変わる。エフライムの表情が暗くなった。
「とうとう王と王妃の首がさらされました。塩漬けになっていたみたいですね」
ルツアの顔色が青ざめた。
「さらに、子供の首も。王子ということみたいです」
ろうそくの明かりではごまかせても、陽の光の中では大人の首と子供の首はごまかせない。子供の首が並べられたということは、ハウトが持っていかせた首が、大人の首だったことがバレ、しかもどこかの子供が犠牲になったということだ。
「俺達が…少なくともアレスが逃げ出したことがバレたっていうことだな」
「そういうことになりますね」
エフライムは淡々と続けた。
「さらに、レグラスは新たな遠見を雇ったみたいですね」
ハウトとラオが視線を交わす。
「名前はアレギウス。陰気な雰囲気の男らしいです。昨日雇い入れられたとか」
「そいつはマギだな。遠見ではない」
ラオの言葉に、視線が集まる。ラオは暖炉のそばで火かき棒を持ってしゃがみこんでいた。
「茶色の髪と目をもつ男だろう?」
「そうですね。そういう話です」
エフライムが頷いた。
「おまえ知っているのか? ラオ」
ハウトが問う。
「おまえも会ったことがあると思うぞ。ハウト。父から破門された男だ」
ハウトには覚えが無かった。首を振る。
「破門? 覚えがないな。どんな奴だ?」
「蛇のような目を持つやつだ。性格も蛇みたいだったが…」
「っていうか、親父に弟子なんかいたのか?」
「勝手に来て、勝手に思い込んで、勝手に破門された奴だ」
しばらく考え込むようにしていたが、やはり覚えがないのか、ハウトは首を振った。そしてラオに尋ねた。
「そいつの力量は?」
「よくわからん。だが俺達を追うなら、恨みもあるみたいだったから、人選としては一番良い選択だろうな」
ラオの言葉を聞いて、ハウトは苦笑した。
「敵を誉めなさんなって」
そしてエフライムに向き直る。
「で、他に情報は?」
「トゥールが王に代わってかなり仕切っているようですね。まあ、これは当たり前でしょう。それに新たにかなりの人数が城に召し上げられたようです。これも、あれだけ殺せば当たり前ですね。そして、その大半が女性です」
「ハーレムでも作るつもりか?」
ハウトが苦笑しながら言った。しかしエフライムはまじめに返す。
「そのつもりのようですね。近隣の未婚女性は有無を言わさず、城に仕えるようにというお達しが出たらしいです」
これにはハウトだけではなくルツアもラオも驚いたようだ。息を呑む。
「おいおい、まだ城の中も片付いていないだろうに、そういうことするか? めちゃくちゃだな」
「確かに」
エフライムも同意する。
「まあ、今のところはそこまでですね。ちなみにアレギウスには、何人か護衛官がつくという話です。まあ、それは多分表向きの話で」
「捜索隊か」
ハウトが口をはさむ。
「そうでしょうね。僕も聞いたときに、そう思いました。歴史上でも、残った王族を頭にして反乱を起こすということが、何回か起こっていますからね。不安の根っこは消すつもりでしょう。しかも今回、あの牢獄の中から見事に消えましたからね。アレスが」
淡々と言うエフライムの口調に、ハウトは苦笑した。
「まあ、傍から見たら、痕も残さずだろうなぁ」
「だから、内通者なりなんなりがいたと見るでしょうね。ちなみに噂ではルツア様は死亡、フェリシア様は行方知れずとなっています。とはいえ、アレスがいない、ルツア様がいないという状況は、もう見破られたと思いますから…」
「いや、ちょっと待て、アレスはともかく、ルツアも?」
エフライムが返事を躊躇した。しばらくの無言の後、思い切ったように口を開く。
「すべての遺体は、服をはがして検分されたそうです」
「な…そこまでやったか」
ハウトも声がなくなる。
「はい」
しばらく無言の時間が続く。気を取りなおしたように、エフライムがようやく話を続けた。
「多分、あちらはルツア様がアレスを連れていると…」
「ルツアでいいわ」
ルツアが苦笑しながら言う。
「もう、あなたも近衛ではないし、私も近衛隊長の妻ではないんですもの。それにアレス様が呼び捨てで、私に敬称がついているのは、ちょっとね」
エフライムが苦笑した。
「フェリシアもな。おまえさんより年下だし、あいつも、もう城のお抱えの遠見じゃない」
ハウトが横から言う。
「俺達は同士だ。お互い格式ばるのはやめようぜ」
「了解」
エフライムが苦笑した。
「とにかく、私が目印になっているっていうことね」
ルツアが暖炉の前に座り込んだ位置から言う。エフライムはちょうどソファの腕の部分に身体をもたらせていたので、下からの視線を受ける格好になった。
「だとしたら、みなさんにご迷惑をかけるわけにはいかないわ。アレス様を連れてここから離れます」
言い終わるが早いか、ルツアはさっと立ち上がった。この女性はせっかちというか、なんというか…と内心で苦笑しながら、ハウトが止めようとしたときだった。
「僕も一緒に行きますから」
エフライムもソファから離れて立ち上がる。
「あなたとアレスだけにするわけにはいかないでしょう?」
まるでなんでもないことのように、エフライムは微笑んで見せる。
「それにね、アレスと約束したんです。守るって。だから僕はあなたと一緒に行きますよ」
エフライムはルツアに頷いて見せた。
「では、用意は早いほうがいいですね」
と挨拶をして出て行こうとする二人に、ハウトは後ろから声をかける。
「ちょっと待て。おまえさんたち」
エフライムとルツアが立ち止まった。
「あのな、もうおまえさんたちだけで、どうこうっていう状況じゃないんだが…」
ルツアとエフライムが問うような視線でハウトを見る。ハウトは片手で頭を掻きながら、もう一方の手のひらの皺を見ていた。
「ハウト?」
エフライムがそのなんとも言いがたい風情のハウトの様子に疑問をもった。
「あなた、なにか隠していますね?」
その言葉に、ハウトは意を決したようにエフライムを見ると、言い放った。
「俺もアレスに約束しちまったからな。守るって」
一瞬、エフライムは驚いたような表情になったが、くっくっくっと笑いだした。
「あなたが子供に弱いとは思いませんでしたよ。フェリシアにあれだけ弱いのも驚きましたけれどね。『長腕のハウト』と恐れられたあなたがねぇ」
さもおかしそうに、笑いつづけるエフライムに、ルツアが尋ねた。
「長腕のハウト?」
エフライムは笑顔のまま答える。
「彼は、レティザルトの戦いの勇者ですよ。長い槍を使いこなすので、そういうあだ名がついたんですって。しかもそれが初陣だったとも聞いています。もっとも私はまだ戦場に立つほどの年齢ではなかったときのことですから、これは知り合いの受け売りですけどね」
「人をめちゃくちゃ年上のような言い方をするな」
ハウトは憮然として表情で言う。またその表情がおかしかったらしい。エフライムはまだ笑っていた。
「私よりは3つも年上でしょう?」
「3つ『しか』違わん」
横を向いて、ぼそりというと、まだ笑っているエフライムを放っておいて、ラオの方を向いた。
「すまんな。ラオ。そういうことだ。俺はもう決めたから。おまえさんたちだけでも逃げたほうがいいだろう。フェリシアを頼む」