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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
一角獣の旗
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第3章  つかの間の休息(1)

 夜になるとアレスは父や母を思い出していた。そして城での生活を思い出した。自分の広い、天板がついたベッドで眠っていたとき。周りのものが自分を大事にしてくれていた。


 父や母のことを思い出すと泣きたくなる。ルツアも泣きたいのを抑えているのだから、自分だけが泣くわけにはいかない…とアレスは思っていた。それでも忍んで泣いて、翌日に目を腫らしてしまうことはあったけれども。


 父や母を思い出す代わりに、できるだけ思い出しても泣きたくならない人を思い出す。


 アレスの教育係だったバルドル・ブレイザレク卿。自分と二人きりのときは、まるで自分の友達のようにアレスを大人扱いしてくれていて、それがアレスにはうれしかった。


 ほかの人がおっかなびっくり自分のご機嫌を伺っていることにアレスは気づいていた。またはまるっきり子供扱いだった。


 バルドルとルツアだけが、彼に普通に接してくれる存在だった。今まで自分の身の回りにいた人の中で、一番好きだったバルドル。年だからと後を若い教育係に譲って、去っていってしまった。


 目の前に父と母の首や大臣の首が思い出される。あまりにも鮮やかなその印象に、一瞬ベッドの中でびくっとする。いけない。一緒のベッドにいるハウトを起こしてしまう。


 きっとバルドルが自分から去ってしまったことは、良かったことだったと思う。そうでなければ、多分、あの首の中に一緒にいただろう。


 バルドルの顔が思い出された。白髪でしわの刻まれた顔。灰色の瞳がいつもキラキラと光っていた。そして白いあごひげ。物語で読んだ精霊の長のようだった。曲がりくねった木の杖でも持っていたら、本当にそのままだ。祖父ネレウスの片腕だった人だと聞いた。





 ハウトはアレスがびくりと動くのを感じて目が覚めた。


 きっとまた悪夢を見ているのだろうと思い、目を閉じたままで寝たふりをしておく。アレスが気づいているかどうかは分からないが、よく夜中に眠りながら泣いていることもあった。また、なにか叫んで目を覚ますこともある。まだあの惨劇からたいして経っていないのだから、当たり前といえば当たり前だった。


 闇の中で、すでに二ヶ月程度になっている期限と自分たちがどうするべきかを考えてみる。


 このあまりに小さなアレスを自分は見捨てられるだろうか? 背中に感じる暖かさ。アレスがハウトにくっついている。あまりにも無防備に。アレスを見捨てると決めて動けば、ラオが運命の糸を断ち切ってくれるだろう。そしてそれは残る人の死につながることも分かっていた。


 しかし見捨てたとして…それを、もしもフェリシアが知ったら? あの心優しい遠見が知ったら? 俺のことを嫌うだろうか。


「ふっ」


 闇の中でハウトは自嘲の嗤いをもらした。すでに俺は人を殺して生きている…。今更のことだ。自分への嫌悪感から、震えが来た。らしくもない。死体を切り刻んだ手。闇の中で手を広げた。じっと手の平がある位置を見つめる。戦場で戦うということは、自分を守るために人を殺すこと。自分はあまりにも人の命を奪い過ぎている、と思いながら。血塗られた手。生きるためにという言葉で、すべてが許されるものか。


 アレスを起こさないように気をつけて、ゆっくりとベッドから起き上がった。ベッドの反対側の長椅子ではラオが寝ている。音を立てないようにドアをあけて、ハウトは居間に出た。居間のソファではエフライムが眠っていた。そっと通り過ぎて外に出る。ドアの外は月明かりで明るかった。






 沢の方へ降りていくと先客がいたようだ。何かを振り回す音がする。ハウトが目を凝らしてみると、それは男物の服装をして髪を結わえたルツアだった。向こうもこちらに気づいたようだ。


「ハウト様」


「よっ」


 片手をあげてハウトは挨拶した。ルツアの手には剣が握られている。


「ハウトでいいさ。ルツア」


 ハウトの言葉に、ルツアは微笑をしてから答えた。


「では、ハウト」


「ああ。眠れないのか」


「ええ。あなたも?」


 ハウトは頷いた。


「では、お相手を願えるかしら?」


 ルツアが瞳をきらりと光らせる。だれか相手が欲しかったのだろう。ハウトはその様子に笑って答えた。夜中の練習というのも、たまには悪くはない。


「じゃあ、剣を持ってこないとな。もう一振り取ってこよう」


 その言葉にルツアがクスリと笑う。


「腰にあるのは、なにかしら?」


 自分でも無意識に剣を下げていたらしい。まったくこれだから、戦うしか能のないやつは困る…と自分でもあきれながら、ハウトは剣を抜いた。くるりと手首のところで一回りさせてから、構える。


「では、いざ」


 ルツアが剣を突いてきた。なかなか鋭くハウトの胸元を狙うが、軽くハウトが振り払う。多分彼女にとっては、結構な衝撃だったと思うが、それでも次の一撃を繰り出すべく、ルツアは剣を振るった。ルツアの動きは軽い。右へ左へと移動しながら、ハウトを狙ってくる。それでも何度か打ち合ううちにルツアの剣は、手を離れて少し離れた地面に突き刺さった。


「恐れ入りました」


 にっこりと笑いながらルツアが言う。手が痛かったのだろう。左手で右手を少し押さえた。


「なかなか筋がいいな。なまじな男より腕が立つだろう。あの時にも思ったが。お強い」


 ハウトはルツアの剣を地面から抜くと、ルツアに手渡した。


「それでも、あの人を守れなかったわ。私達を逃がすためにギルニデムが残った後、どうなったかと思うと…」


 ふと目をそらして、ルツアが言った。ハウトは思わずルツアに泣かれるのではないかと思った。しかし次の瞬間、ルツアはハウトの目を見据えてしっかりとした声で言い放った。月明かりの中で、毅然とした笑みを浮かべなら。


「でも、もう振り返らない。後悔することは簡単なこと。涙に暮れることも簡単なこと。でも私にはその時間が惜しい」


 剣を鞘に戻すとルツアは、もう一度ハウトの目を見た。


「あなたは私をフレイムと呼んでくれました。戦いの女神フレイムと。だから私は本当にフレイムになるわ。今は、夫の代わりにアレス様を守ります。それこそがあの人がやろうとしていたことなのだから」


「だからと言って、無理しなさんな…」


 あまりにもはっきりと言ってのけるルツアに、ハウトは心配になる。しかし、そんなハウトをみてルツアはふっと笑った。


「無理はしてないわ。私が私でなくなったら、一番悲しむのはギルニデムでしょうね。彼を悲しませるようなことはしないわ。私が私であること。私らしい決断をすること。それを彼はもっとも望んでくれているから」


 言葉が途切れる。月明かりの中で、ハウトはルツアを見ていた。


「私は私よ。もともとこういう性格なのですもの。若いころよくギルニデムにも『おてんば娘』って言われていたし」


 ルツアは、ちょっとはにかむような表情を見せる。


「そんな私を彼も愛してくれているわ。だから、彼がいたならばするべきことをするだけよ。そのための力が欲しい…そういうことよ」


 ルツアは艶然と微笑んだ。その微笑からハウトは目が離せなくなった。あまりにも艶やかな微笑みだった。まさにここにいるのは戦いの女神だ。戦場においても美しく、戦士を勝利に導く女神。


「さあ、寝ましょう。明日もまた忙しい一日が待っているわ」


 すっと踵を返して、庵に向かっていく。その姿にハウトは気おされていた。庵に戻る道すがら、足を速めてルツアの横顔を覗き込む。そして、その力ある眼に驚かされた。未来を見据えた眼だ。


(自分らしい決断をすること…か)


 ハウトはルツアを見ながらフェリシアのことを思った。ハウトには、まだ未来を決断しきれていない…。







 アレスを起こさないように気をつけてベッドに忍び込む。とたんに後ろからくっついてくるものがあった。


「アレス?」


 泣いているようだ。


「どうした? 大丈夫か?」


 ハウトは後ろからつかんでいる小さな手を離して、身体を反対に向けると、アレスを包み込むように腕を回した。アレスのやわらかい茶色の髪を、くしゃくしゃにするようにして、頭をなでてやった。声を忍ばせるように泣いていたアレスだが、少し落ち着いたようだ。


「どうした?」


「置いていかれたと思った…」


 その言葉にハウトは愕然とする。


「ハウトが行っちゃったって思って…戻ってきてくれて…良かった…」


 涙声を途切らせながら、アレスが呟く。ハウトはアレスの頭に手を置いた。


「どこにも行ってないぞ」


「うん…でも剣を持って…だから…」


 自分の無意識の所作が、アレスに不安を与えたのだと改めて思って、ハウトはアレスの背中に回していた腕に力をこめた。


「大丈夫。どこにも行ってない。ここにいる」


「うん…」


 アレスは、本当はハウトに自分を守って欲しいと訴えたかった。耳の中には以前聞いたラオの言葉「俺達全員があいつにつくこと」が残っていた。思わず、その言葉を聞いた足で、ラオには思いのたけをぶつけてしまったけれど。でも自分についてきてもらうことは相手の命を危険にさらすこと。その葛藤の中で、アレスは幸せな恋人同士に見えるハウトとフェリシアには、言うに言えずにいた。自分を守って…と。


 それを察したか、察していないのか、ハウトの大きな手が、またアレスの頭をぽんぽんと叩いた。優しい手だった。思わず、また涙が出てきてしまう。頭の上と、自分が耳をつけている胸から、優しい声が響いてきた。


「もう泣くな。大丈夫だ。守ってやるから。寝ろ」


 その言葉に身体が震える。思わず顔をあげてハウトを見ると、ハウトの優しい笑顔があった。


「俺がそばにいてやるから」


 分かっているのか、いないのか。その漆黒の瞳をアレスは覗き込む。すがるようなアレスの瞳に答えるように、ハウトの眼はまっすぐにアレスのことを見ていた。


「大丈夫だ」


 またハウトが言って、アレスの頭をぽんぽんと叩いた。


「うん…」


 何が大丈夫なのか、問いただしたい気持ちのまま、あいまいに返事をするとアレスは目を閉じた。今はこれ以上口を開いたら、すがってしまいそうだったから。不安な気持ちを押さえつけるように、頭をハウトの胸に押し付ける。心臓の音がした。トクトクトク。その音になぜか安心して、アレスは眠りに落ちた。





 翌朝、エフライムがいつも通り出かけようと馬を曳いて庵の前を通ると、同じく出かける服装でハウトが待っていた。


「ハウト? どうしたんです?」


「いや、俺もおまえさんについていこうと思って」


 ハウトがニヤリと笑う。えっと驚くような顔をエフライムがしたが、その肩をこづくようにしてハウトがエフライムの耳元にささやいた。


「どうせ、おまえさんカードだろう? 一石二鳥だよな。この場合。遊べて金も稼げる」


 ニヤニヤとハウトが笑いながら、エフライムに訳知り顔で頷いた。エフライムと一緒にカード遊びをしていたときには、カードと酒と、そしてもう一つお楽しみがついていた。


「いや、おまえの場合は一石三鳥か?」


 表情をうまく隠していたエフライムの瞳に、少しだけ狼狽の色が走る。そんなエフライムの肩に腕をまわして、ハウトは続けた。


「今日という今日は連れて行ってもらうぞ。いいか、何も言わずに連れていけよ」


 エフライムは覚悟したようにため息をついた。そして首を振る。


「仕方ないですね。でもねハウト、それは次回にしましょう。次までにあなたの髪の色を変えておいてください」


「何?」


 エフライムがまじめな顔になってハウトを見る。


「僕の髪は特殊なんですよ」


 訳がわからないというハウトの表情を読んで、エフライムが続ける。


「僕の髪の色、何色に見えます?」


 日差しの中で見るエフライムの髪の色は、銀髪のように見える。


「銀髪…? だったっけ?」


 ラオは銀髪だ。だがエフライムの髪の色は違ったような気がする。そんなハウトの表情を見ながらエフライムは木陰に移動した。


「じゃあ、ここでは?」


「薄い・・金」


 ハウトは驚いた。色が変わって見える。


「そうなんですよ。夜だともっと暗く見えて、茶色に見えます」


「そういうことか…」


「そうです。もしも僕が何かを起こしても、覚えているのは難しいと思いますよ。目の色は変わらないですけれど、緑の目なんて珍しくないですからね。しかも肖像画を頼んだ絵描きが、モデルとして僕が目の前にいるのに、僕の肖像画は書きにくいと言ったぐらいですから、顔の印象も難しいでしょうね」


「絵描きが?」


「ええ。整いすぎているんですって」


 まじめな顔で言った後で、エフライムはいたずらっぽい顔でニヤリと笑った。思わずつられてハウトも笑う。


「おまえ、それ、自分で言うか?」


「絵描きから言われた事実ですから」


 しれっとした顔で返されて、ハウトのほうが思わず赤面してしまった。


「まあ、よく恥ずかしげもなく…。こいつ、ちくしょうめ」


 エフライムの頭を抱えこんで、がしがしと手で髪の毛をぐちゃぐちゃにする。慌ててエフライムは頭をハウトの腕から抜いた。


「何するんですか」


 怒ったような表情を作りながらも、その目は笑っていた。慌てて乱された髪を整えている。


「色男って覚えられないように、ちょっと崩してやろうと思ってな」


 ハウトは笑って言った。


「ご心配なく。こうやっておきますから」


 エフライムはポケットからなにやら取り出すと、口元に大きく黒いものをつけた。ほくろのように見える。


「人間は覚えやすいものを覚えておくものですよ。帽子とか、ほくろとかね。何かあれば、このほくろは目印になるでしょうね」


 小憎らしい奴だと思いつつ、ハウトは感嘆していた。


「仕方ない。行ってこい」


 その言葉にエフライムはふっと笑顔になると、ひらりと馬に乗る。


「じゃあ、行ってきます」


 馬上から男でも惚れ惚れするような笑みを残して、エフライムは行ってしまった。庵に戻りながらハウトは自分の濃い黒髪に手をやる。


(髪ねぇ…)



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