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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
一角獣の旗
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第1章  反乱(1)

 赤い血が流れる。大量に。床が深紅に染まっていく。


 あたりに錆びた鉄のような匂いが立ち込めていた。暗闇の中でどろりと流れていく血。そして悲鳴とうめき声。その音に重なるように刀が振られる音がする。その甲高い金属音に、どさりと重いものが床に倒れる音が重なっていく。


 逃げようとして何かを踏んだ気がして足元に目をやると、床上からの視線と眼があった。こちらを見ている眼。


 思わず後ずさると、床上数センチのところから自分を見ている眼が複数ある。皆、じっとこちらを見ている。それらの眼の首から下がなく、暗闇なのに、なぜか頭だけであることが分かる。目を見開いたまま、断末魔の表情を向けている。あちらにもこちらにも首がある。皆、こちらを見ている…。


 闇の中で、フェリシアは自分の悲鳴で目が覚めた。


 身体が震えている。夢…それにしてはあまりにも生々しい。自分の感覚がどこかで悲鳴をあげている。おかしい。ただの夢とは違う…実感がありすぎる。そして感じる違和感。


 自分の遠見としての勘が危険を告げていた。その直感に従うべく、慌ててベッドから起き上がる。長い寝巻き代わりのローブの上から、暗闇の中、手探りで探して華奢な体にガウンを巻きつける。


 服を着替えている時間が惜しい。ちょっと考えてから鮮やかな金色の長い髪を隠すように、紺色のショールを頭から被った。そして重い木の扉を押して廊下に出る。


 王家付きの遠見であるフェリシアに、王が与えた部屋は城の西の端にあった。階段は城の両翼と中央にある。外に出るには、まずはその階段に行き着く必要があった。


 暗い廊下を西の端の階段がある方に向かおうとしたところで、脳裏に剣で串刺しにされた自分のイメージが広がる。びくりと身体が震えて足が止まった。


 鮮やかなビジョン。こんなものを感じたのは初めてだ。思わず自分で自分の肩を抱きしめる。そして身体を翻して反対側へ向かった。


 しばらく走って廊下を曲がったところで、また足が止まる。切りつけられる自分の身体が脳裏に浮かぶ。駄目だ…この道も駄目。


 戻る。扉を開けて、見知らぬ人の部屋に隠れる。そして道を探す。切りつけられる。刻まれる。串刺しになる。そんな自分の姿が次から次へと脳裏に浮かんだ。


 こんなビジョンを見たことがない。だが思い違いだと言って無視するには、あまりにも鮮明すぎた。説明できない直感そのままに、ビジョンが浮かぶのを信じて、その度に、道を変えていく。


 部屋から部屋へ抜けて、バルコニーを伝う。追われる野生の動物になったような気分だ。早く逃げなければ、自分は助からない…。ああ、どこか逃げられる場所を…。


 壁に手をつく。手のひらに全神経を集中する。道を探る。そして見える、一本の糸のような道筋が。おそらくは王族しか知らない、城の隠し通路。それを遠見の遠見たる力で見つける。


 その道をたどりながら、同じく城内にいるはずの恋人のことを思い出す。この状況を伝える術がない。ハウト…。お願い生きていて。お願い。


 フェリシアは、迷路のような道筋をたどりながら、必死で祈っていた。






 大きな音がして、まだ幼い王子アレスは目を覚ました。何の音だったのだろうと思いつつ目を凝らせば、ベッドの天板から流れるカーテン越しに見える部屋は真っ暗で、ほんのりと蝋燭の明かりがこぼれて見える。


 普通であれば蝋燭も貴重品だから消してしまうのだが、アレスが暗闇を怖がるので、眠るまでの間だけつけてもらっている蝋燭だ。その細い光だけが、闇を照らす光だった。ということは、まだ眠りについてからそんなに時間が経っていないに違いない。


 こんな時間に物音がすることは珍しい。今まで、こんな音で目覚めたことはないんじゃないかなぁ…と、ぼんやりとした頭で考えつつ、窓があると思われる場所をベッドの周りのカーテン越しに見た。再び大きな音がしたと思うと、人が走ってくる足音がして、ドアが開いた。


 乳母としては年若いルツアだった。アレスが物心ついたときから母というよりは姉のように側にいる。彼女の足音には特徴があるので、アレスにはいつでも聞き分けられるのだった。きりっとした軍人のような規則正しい足音。でも彼女の足音は男性のそれと違って体重を感じさせない。


「アレス様! お目覚めください!」


 部屋に入ってくるなり、ルツアが叫んだ。ブロンズ色の髪を結い上げたその姿は、いつもよりも動きがすばやく、薄暗い中でもはっきりわかるほど、顔が青ざめている。茶色の瞳が血走ってみえる。


「どうしたの?」


 まだ眠気の残る口調でアレスが尋ねる。普段はやさしいルツアの顔が嘘のように怖い。自分は何かしただろうか? そんなことを考えていると、手を引っ張られてベッドから連れ出された。


 無理やり寝巻きから比較的地味な普段着に着替えさせられて、頭から目深に帽子をかぶせられる。そのままドアから手をひかれて飛び出すと、訳もわからぬまま廊下を走らされた。


 ルツアは長いスカートの裾を見事にさばきながら、アレスの手をひいて走っていた。こんなに早く走るルツアは見たことがない。その向こうから、そして自分が走る後ろから、うめき声や悲鳴が聞こえてきたのに気づいて、ようやく尋常ではないことがわかってきた。石の壁や柱に反響するように、剣の音と悲鳴が追いかけてくる。


 何か怖いことが起こっている。さすがのアレスも気づいて、ルツアの手をしっかりと握りなおす。大広間の前の廊下には、赤毛の大きな男が立っていた。


 ルツアの夫だと紹介してもらったことがある。この城で近衛隊長をしているギルニデムだった。


「こっちだ。ルツア!」


「ギルニデム!」


 同じく青ざめた顔をしてギルニデムは、アレスに手を差し伸べると、その腕に小柄なアレスの身体を軽々と抱き上げた。そしてすぐに中庭の方向へと走り出す。


 後ろ向きで抱かれているアレスには、必死でついてくるルツアの顔がよく見えた。廊下にはアレスの父親が自慢していた甲冑や彫刻がおいてあったが、遠くから聞こえる悲鳴やうめき声によってその一つ一つがうめき声をあげているようにも見える。まるで今にも動き出しそうだ。


 視線を上げると高い天井に張り付いている天使の顔や女性の顔を模した見事な細工一つ一つが、自分をじーっと見つめているのが見えた。逃げられるのか? と問われているような視線。


 逃げる。何から? アレスはわからないままに不安を感じて、ぎゅっとギルニデムの肩をつかむ手に力をこめた。そのギルニデムの足がぴたりと止まる。肩越しに振り返ると、中庭の手前まできたところで、見たことのない男が二人、剣を持って行く手を阻んでいるのが見えた。


 一人は片手に剣を持ち、もう一方の手には盾がある。もう一人の男はかなり大柄で、しかもその手の剣はすでに血が滴っている状態だった。大男の方が口の端を上げてにやりと嗤った。


「近衛隊長 ギルニデム。この期に及んで王子を守るとは、見上げた忠誠心だ」


 ひどい濁声だった。ギルニデムの顔がゆがむ。そしてその喉から低い声が出た。


「そこをどけ」


 相手の男たちが顔を崩した。いやらしい笑い声が漏れてくる。アレスがギルニデムに抱かれたまま見回すと、中庭の木陰から出てきた男たちが、ギルニデムとルツアの周りに集まりつつあった。


アレスは、自分を抱いている男の手がじっとりと濡れてくるのを服の上から感じた。月は細くあまり明るさはなかったが、それでも集まってきた男たちの顔に好意の色が少しもないことは見える。


「王はすでに処刑された。おまえが王子を守る義理はないぞ」


 相手の男が濁声で言う。ギルニデムの顔が見る見るうちに青ざめ、そして赤くなっていった。ゆっくりとアレスが地面に降ろされる。アレスはギルニデムのただならぬ様子を感じ取って、ルツアに走りよった。ルツアは石像のように、硬直して立ち尽くしている。


「ルツア! 行け! アレス様を連れて逃げろ!」


 ギルニデムの声に、ルツアがはっと我に気づき、アレスを抱えた。ギルニデムが腰の剣に手を伸ばし、さっと構える。


「はやく行け!」


 ルツアは、ギルニデムの背中を睨むように見ると、そのまま歯をかみ締めてアレスの手をひき、今来た道を引き返す。後ろから、ギルニデムが剣を振るう音が聞こえて来た。


 廊下を抜けて、途中でいくつかのドアも抜けてルツアはアレスと共に走っていく。後ろから追いかける足音と声が聞こえてくる。


「あっちだ!」


「いたぞ!」


 そしてとうとう追い詰められた。ルツアが周りに寄ってきた男達を睨む。


「ルツア様、素手ではどうしようもありますまい」


 中の一人が言った。その後ろから、さっきの濁声の大男が出てくる。返り血を浴びた状態だった。


「連れて行け!」


 硬直したままのルツアとアレスを周りの男たちが抱えるようにして、今きた道を戻っていく。アレスはぎゅっとルツアを握る手に力をこめた。


二人を連れている男は、ちらりとアレスを見たが、何も言わずにルツアをさっさと歩くようにと、押しただけだった。ルツアは硬直したまま、しっかりと目を見開き、白い手はアレスの手を握りしめている。


 中庭から大広間に抜ける廊下は、さっきまでのうめき声や喧騒が嘘のように静まり返っている。その代わり、生臭いような鉄のようなにおいがしていた。辺り一面から漂ってくる。


来るときに見た甲冑は、すでに壊れていてばらばらになって転がっていた。彫刻も思い思いの形で転がっている。そして壁のあちらこちらには、どす黒いしみがつき、甲冑だと思っていたのは人の身体であることにアレスは気が付いた。


 ほとんど闇に近い中では、あまり見えないけれど、それでも目を合わせないように、ルツアの顔と、前だけを見る。道は、血と刻まれた肉で彩られていた。






 大広間につくと、父と母がいた。いや。父と母だった物体があった。すでに首がない。


「ひっ」


 アレスの喉から変な音が出たが、それ以上は声にはならなかった。横目で盗み見ると、ルツアの顔も引きつっている。


首は並べて父が好んだ銀の盆の上に乗せてあった。そして周りには財務大臣ベイセルや、父に付き従っていた者たちの首が落ちていた。 最後まで抵抗していたのだろうか、身体のほうも血だらけだった。


アレスは絨毯のしみを見ながら、母が見たら怒るかもしれないと、現実とは違う世界にいるように考えていた。


 大広間の向こう側の王座には、アレスのいとこのレグラスが座っていた。父の兄の子供だから、いとこと言っても年が離れているし、アレスにとって広い城内では会うこともなかった。むしろ城内にかかっていた肖像画で見知っていたといっても良いぐらいだ。


この男ののっぺりとした印象の外見は子供心にも忘れがたかった。意地悪そうな印象を肖像画から受けて、どうしても好きになれなかったのだ。


 今、その薄い唇にはかすかな笑みが浮かんでいる。レグラスの後ろには、白髪の男が立っていた。長年、父を補佐してきたはずの大臣の1人、トゥールだった。


アレスはあの軽薄そうな笑いと伺うような視線が大嫌いだった。たしか母も嫌っていたはずだ。しかし優秀だからと父は頓着しなかった。長い杖を持っている。


まるでどこかが壊れたように、感情も何も持たずに、なんだか冷静に観察している自分がおかしかった。父も母も首だけなのに、まるで人形のようで、現実とは思えなかったのだ。


ルツアの腕が、アレスの肩を抱いた。思わずそのままルツアにしがみつく。ルツアはもう一方の腕もアレスの首から背に回して、守るように抱き寄せた。


ふと視界が広がる。目の前に立ちふさがり、自分の視界の半分をふさいでいた男が膝をついて、まるで王の御前であるかのようにレグラスに頭を下げていた。


「王子アレスを連れてきました。」


 ルツアが隣で息を呑む音が聞こえる。ぐっと胸をそらせてレグラスを睨みつけるかのように見つめると、かすかに震えているけれどよく通る声で、はっきりと言い放つ。


「この子は私の子です!」


 レグラスの細い目がさらに細くなって、アレスとルツアを見つめた。緑の瞳が光るようにアレスを見つめる。


「ほお。あなたに子供がいたかね」


 無駄と知りつつもルツアは繰り返す。


「ええ。私の子です。王子ではありませんわ」


 アレスはびっくりしたようにルツアを見つめた。ルツアが手に力をこめる。その手からは彼女の祈りが聞こえてくるようだった。


アレスは涙が出てきた。やがて王になるものは泣いてはいけないと、小さな頃からずっと言われ続けていたにも関わらず、涙が出てきてしまう。それでも声は出さないように唇に力を込めた。


思わず抱きついている手に力がこもってしまう。レグラスは面白そうにルツアとアレスを見つめている。


「なるほど。おまえの子か。では、いっしょに牢に入れよう」


 ルツアの顔色が変わった。


「この城の地下に代々王家に伝わる牢獄があってね。自然の城壁というか。どのぐらい正気を保っていられるだろうねぇ。おまえは生かしておいてもいいと思ったんだけれど、そういうならアレスと一緒に入れてあげるよ」


 そしてアレスを見る。


「アレス王子、いや、ルツアの子だったら、王子じゃないな。この国のことは心配しなくていいよ。今からは私が王だから。弟に王位を取られるような不甲斐のない父親は、今は首だけになって、どこかそのへんに転がっているだろう」


 言い切ってから、一呼吸おいて、おもしろそうにルツアの目を覗き込む。


「それとも、その子は王子だと言うかい? そうしたら王子は死刑だけれども、おまえは逃がしてやろう。どうする?」


 くくくっと忍び笑いを漏らすと、じっとルツアを見ている。アレスはルツアの身体にまわした手に力をこめた。はっとしたようにルツアがアレスを見て、無理に微笑んでみせた。そして表情を引き締めるとレグラスを睨みつけるようにして言い放った。


「この子は私の子です」


 今度は静かな声だった。かすかに震えていたけれど、やはりはっきりと答えた。


「では、親子そろって牢獄行きだな。大丈夫だよ。他のお仲間もいるから寂しくはないだろうさ」


 ルツアに手をひかれ、大きな男に左右を囲まれて、大広間から退出させられるアレスの耳に、レグラスの低い笑い声がいつまでも聞こえてきていた。






 地下まで連れて行かれると、ごつごつした岩の向こうに無骨な牢屋の入り口が見えた。大きな牢屋なのか、暗いからなのか、格子の向こう側が見えない。


扉のそばに立っていた男が重そうに扉を開けると、中に入るように身振りで示される。


ルツアは気丈にもしっかりと顔を上げて、アレスの手を握ったまま扉をくぐった。


暗いはずだ。まるで井戸の底にでも下っていくような天然の岩で作った螺旋階段がはるか下まで続いている。底の方には窓でもあるのか、明かりが見えていて、小さく人がいるのが見えた。落ちたら命はないだろう。


アレスを壁に伝わせて、ルツアは自分がそれを守るような体勢になった。そしてゆっくりと階段を下っていく。


壁は岩肌独特のしっとりとした感触をアレスの手に伝えていた。一歩一歩が非常に危うく、気をつけないとそのまま落ちてしまいそうだ。


ぐるぐると螺旋を回りながら、くじけそうになる気持ちを奮い立たせながら、岩肌とルツアの間で、ゆっくりと降りていく。もう足に疲れがきて、そろそろ休まないと駄目かと思ったころに、ようやく下までたどり着いた。


 大人たちがあちこちで群れるようにして、立ったり座ったりしていた。みな一様に不安そうな顔をしている。そして女性はルツア一人だった。


「ルツア様!」


 薄い金色の髪を持つ上品な顔立ちをした二十歳ぐらいの若い男がルツアに声をかけた。服装からすると近衛隊のようだ。


「ああ。エフライム。無事で…。」


 ルツアはほっとしたように声をかけてきた若者の顔をみた。


「ギルニデム様は…」


 その問いに、ルツアは黙って首を振った。生きているのか、死んでいるのか、大丈夫だと信じたい。しかし…。思いが交錯して、ただ首を振って見せただけだった。


「やはり…」


 その若者エフライムがかすかに出した声に、ルツアが反応して彼を見つめた。その視線に気づいて、エフライムは一度首を振ってから答える。


「城内の王と親しかった諸侯は、みな殺されました」


 ルツアの目が見開く。大広間にいたものだけでは無かったのだ。


「寝間にも踏み込まれて…斬首です」

 かすかな、しかしはっきりとした声に、力が尽きたようにルツアが倒れかかった。


「おっと」


 低い穏やかな声をともに、ルツアを支えたのは漆黒の髪の男だった。エフライムよりはちょっと年上だろうか。


「大丈夫か。こっちで少しばかり休んだほうがいいだろう」


 倒れそうになりながらも、ルツアはアレスの手を離さなかった。訳知り顔にアレスの顔を見るエフライムとは対象的に、漆黒の髪の男はアレスのことを知ってか知らずか、視線もやらずにルツアを支えたまま階段より離れていく。


ここでようやくアレスは気づいた。下は明るいはずだ。牢屋の壁には大きな穴があいていて、夜明けの空が見えている。


なぜ、あそこから逃げないのだろう・・そう思いつつ、しっかりとルツアの手を握ったまま、男たちと一緒に、ゆっくりと歩いていく。その穴から一番遠いところに向かって、エフライムともう一人の男はルツアとアレスを連れて行った。


 エフライムとその男の言葉に促されるように、ルツアはぺたんと地面に座り込んでしまった。アレスもつられて隣に座り込んだが、手はつながれたままだった。


 アレスは不思議な思いで漆黒の髪の男を見ていた。どこかで会った顔だっただろうか。いや会っているかもしれないが、アレスには会っている人が多すぎて覚えていられないのだった。しかし、記憶のどこかにあるような気がする。この印象的な髪の色。ここまで黒い髪の色は珍しい。


 見とれていると、ルツアがアレスの肩に腕をまわして抱きしめてきた。不安そうにアレスを抱きしめるルツアを見ながら、エフライムが声をかけた。


「ルツア様。大丈夫です。ここでは私が守りますから」


 それを聞いて安心したのだろう。ふっと目を閉じて、握っていた手から力が抜ける。気を失ったのか動かなくなった。アレスは不思議な気持ちで、ルツアのことを見ていた。


「気を失ったか」


 漆黒の髪の男が言った。


「無理もないでしょう。ハウト。女性の身でよくもここまで気丈に振舞われて…。さすがは近衛隊長殿の奥方だ」


「だがここも安心するには、まだ早いけどな」


 漆黒の髪の男が言う。アレスはまたじーっとこの男の顔を見ていた。


 岩を背にして座り込んだルツアとアレスを守るように、エフライムとハウトは立ち上がってホールの方をみた。


「もうひと波乱くるでしょうね」


 エフライムがハウトに話しかける。


「ああ。いつくるか、それが問題だ」


 ふっとハウトは頬を緩めて笑うと、ごろりとエフライムの足元に身体を横たえ始めた。それをみてエフライムは慌てたようにハウトの横にしゃがみこむ。


「な、なにしてるんです?」


 にやりとハウトは笑って、片目をつぶった状態でエフライムを見た。


「寝るのさ。2人して起きていたってしょうがないだろう。とりあえず疲れたから寝る。おまえさんは起きていてくれ。何かあったら起こすようにな」


「ちょ、ちょっと。ハウト」


「なに、昼前までに何も起こらないようだったら、交代してやるさ。そのころに起こしてくれよ。じゃあな」


 言ったが最後、しばらくもたたないうちに寝息が聞こえてきた。呆れたようにエフライムはハウトを見ていたが、その視線をアレスに移した。


「しばらくお休みになっていてください。とりあえず私が見張りをしていますから」


 なんともいえない表情でそうつぶやくと、エフライムは腰から提げていた剣をはずして、ホールの方にたむろする人々を眺める形で座り込んだ。


 アレスは眠れといわれても眠れそうにない。妙に神経が高ぶっていて、それでいてどこか麻痺しているような感覚が残っている。すべてがガラス一枚向こう側で起こっているような感覚だった。



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