いつの日か(1)
「いつか王子様が来るのよ」
それがリーザの隣の家の娘、フォルカの口癖だった。王子様は大金持ちになったり、本当の親(それも金持ちの)だったりした。つまりはここにいる自分は本当の自分ではなくて、いつか誰かが迎えに来てくれるというのが、彼女の言い分だった。
リーザは5つほど年上の彼女の話を聞きながら、そんなものだろうかと思っていた。彼女の理屈はよく分からなかったが、フォルカの話は面白かった。村の中を流れる川べりで、仲良く洗濯物をしながらフォルカの話を聞いていた。
布を水につけてから、岩の上で足で踏んで汚れを押し出す。ぐちゃぐちゃと洗濯物の上で、足ふみをしているときにフォルカは自分が考えた話をしてくれた。どの話もほぼ一緒だ。可哀相な女の子がいて、苦労の末に大金持ちに引き取られていく。
フォルカよりもさらに年上のメリーが鼻で笑う。
「そんなのくだらない夢だわ」
メリーの家は家畜がいる数少ない家庭の娘だった。ほとんどの家は実りが少ない痩せた土地の畑を持つばかりの家だ。目立つそばかすが唯一の欠点だと思っているメリーは、肌が綺麗だが夢見がちなフォルカのことを、いつも馬鹿にするのだ。
「夢でもいいじゃない。想像すると楽しくなるもの。それにきっといつかそうなるわ」
フォルカは「ね?」と同意を求めるようにリーザへと話を振ってくる。当時まだ8歳の幼いリーザは、それが本当だとも嘘だとも判断がつかなかった。しかしフォルカの言うように、いつかお金持ちの誰かが、迎えに来てくれたらどんなにいいだろうと思った。
リーザの家庭はこの辺りのほとんどの家と同様に貧しかった。壁を成す板と板の間には隙間があり、光を呼び入れて朝を知らせると共に、冬は吹きすさぶ風を招きいれていた。入ってすぐのところには居間があり、奥には木枠に藁を入れて布をかけただけのベッドが4つ付けておいてある。
毎日の食事は薄く切ったパンと具もなく味もほとんどしない水のようなスープ。野菜の切れ端でも入っていれば、その日は幸せな気分になれた。それがリーザの家だった。
両親はほそぼそと人の畑の手伝いをしながら子供たちを育てていた。長男、長女、次男。次がリーザ。そして弟が一人いた。7人家族のはずだが、長女についてリーザは覚えていない。気づいたらいなかったのだ。ぽつりぽつりとすぐ上の兄がリーザに話すのを聴いて、そんな人がいたのだと知っただけだった。しかし長女の話をしてくれたすぐ上の兄がいなくなった日は覚えている。
すぐ上の兄がいなくなった年の冬、作物のできが悪いと両親が嘆いている声を、リーザはちっとも温まらないベッドの中で聞いた。薄いパンやスープですら食べることができない日もあったぐらいだ。毎日お腹が空いていて、まだ赤ん坊だった弟はいつも泣いていたのを覚えている。
両親と兄たちが畑や森に行っている間、弟の面倒を見るのはリーザの役割だったが、泣いてばかりいた弟に手を焼いた。泣いていると父から怒られるのはリーザだった。怒鳴りつけられないように、一生懸命あやしたが駄目だった。あやしても何をしても泣きやまず、静かなのは眠っている間だけだった。そんな弟の名はアレスと言った。
その日は雪が降る寒い日で、どこか横柄な態度を持つ男にすぐ上の兄は連れられていった。兄が唇を噛み締めて振り返っていたのを思い出す。兄は泣かなかった。父は片手にいくばくかの貨幣が入った袋を握り締めて兄から目を向け、母は痩せた身体で戸口に立って兄を見送っていた。
そのときに気づいてしまった。兄は売られたのだ。そしていなくなった姉もきっと売られたのだ。その年、兄を売ったお金で家族は生き延びた。
同じ冬、フォルカもリーザの兄と同様に売られていった。彼女を迎えに来たのは王子様でもなく、大金持ちの商人でもなく、ただの人買だった。都会へ出たと聞いたけれど、彼女が本当はどうなったのか、どこへ行ったのか、リーザの姉や兄同様、行方は知れなかった。
翌年、それはリーザが十歳になる数日前だった。干ばつが酷い年で、秋の気配が漂うころになっても作物が実る気配は無かった。日々の食料事情が悪化していく中で、リーザは父親に真夜中に起こされた。働き手である長男と母親、少しばかり育った弟が寝静まる家の中で、父親はリーザを居間へと連れ出した。椅子へと座らせて、自分は目の前にしゃがみ込み、視線を合わせて、じっとリーザを見つめてくる。
「とうさん?」
「リーザ。働き手を捜している場所があるんだ。行ってくれるか?」
その言葉にリーザは理解した。とうとう自分の番が来たのだ。姉が売られ、兄が売られ。今、自分が売られていく。リーザは思わずよろめきそうになって、自分が据わる椅子のふちを握り締めて支えにした。足が震えていたけれど座っていたのは幸いだった。立っていられなかったに違いない。そんな彼女に父親が引きつったような笑みを見せた。窓から差し込む月明かりで見えた目の前の男は、本当に自分の父親だろうか。まるで知らない人のような表情に、リーザの身体の震えが酷くなる。
「大丈夫だ。ちょっと働いて…稼いだら戻ってくればいい」
戻ってくる? 姉も兄も戻ってこないのに…。何年も経っているけれど、二人とも戻ってこない。父親の言葉は本心とは思えなかった。
「明日、迎えが来る。今晩は起こして悪かったな。もう寝ろ」
それだけ言うと、父親はリーザを起こしたときと同様に無理やりベッドへと寝かしつけた。怖い。売られていく自分はどうなってしまうのか。想像ができないままに恐怖感だけが募り、リーザは眠れないまま朝を迎え、そのまま人買の男へと渡されることとなったのだった。




