第4章 希望の光(6)
エフライムと共にイーゴリの執務室へ行ったアレスは、そこでいくつかの報告を聞くことになった。まずはアレスが来る途中に見た誰もいない村についてだ。
エフライムはいつものように椅子に座ったアレスの後ろで、背を守るようにして立っている。アレスの正面にはイーゴリとベルフェが座っていた。
「あの村の住人は、周りの村へ避難していました」
ベルフェがきゅっとメガネの位置を直すと、手元にある報告書をめくる。
「あの村ではジャガイモが全滅したそうです。そして小麦の苗では悪魔の爪も発生したために、畑を焼いたとか」
「畑を焼く?」
信じられずにアレスが問い返せば、ベルフェが頷いて肯定する。
「どうやら悪魔の爪の話を知っていた者がいたようです。このあたりも含めて昔に蔓延したようですから」
獅子の爪…育つ前に見つけて抜いて燃やせれば良かったのに。
「それから、すでにいくつかの村で獅子の爪が出始めました。うちの領内では抜いて燃やすように指示していますから大丈夫でしょう。問題は他のところですな」
ヴィーザル王国ではフレミア公が納める場所が一番の農業地帯ではあるが、他に農地がないわけではない。小麦を栽培しているところもいくつかはある。
「陛下。やはり早馬を出しましょう。バルドル殿に知らせて、そこから国中に知らせを出すべきです」
エフライムがアレスに囁いた。アレスとしてもそれが一番いいことは分かっている。
「でも…あの狼のところをどうやって…」
その呟きをベルフェが聞き取った。
「陛下が途中で出会われた狼の群れですが、実は少しばかり縄張りが変ったらしく、それで道のほうへ来ていたのではないかと猟師が報告してきました」
「縄張りが変った?」
「ええ。あの森の向こうにはフタール川があるのですが、どうやらその辺には狼の縄張りがあったようなのですが、それが移動したらしく…」
「それで今は? 道は安全なの?」
ベルフェがゆるゆると首を振った。
「残念ながらなんとも。ただ方法はございます。猟師が持っている笛があるのです。狼を寄せ付けないようにする特別な笛です。それがあれば早馬を走らせることも可能かと」
アレスはエフライムと顔を見合わせた。それで大丈夫なのだろうか。不安は残る。その不安を払拭するように、イーゴリが続けた。
「あの辺りまで猟師を数人とうちからも護衛を出しましょう。抜けてしまえば、後は安全かと」
その言葉にアレスはようやく笑みを浮かべた。来る途中にすでに一人失っているのだ。これ以上の損失は物理的にも精神的にも避けたかった。
「それから備蓄庫ですが、既にあるものとワイン倉、城の地下牢を利用することにしました」
「地下牢?」
アレスが驚くと、イーゴリはにやりと笑った。
「もう何年も使っていないものです。領内の犯罪者は基本的に労働力として河川工事に狩り出すことにしていましてね。何しろうちの領内にはフタール川がありますから。治水は農業において重要なものですよ」
「なるほど…」
アレスが地下牢と聞いて思い出すのは、ヴィーザル城の地下牢だ。天然の洞窟を利用した牢屋で、アレスがエフライムやラオと初めて出会った場所でもあった。思わずあのときの過酷な状況を思い出して身体がぶるりと震える。
「陛下?」
自分で自分の身体を守るようにしたアレスを見て、イーゴリが怪訝な顔をする。エフライムが察して、安心させるようにイーゴリたちから見えない位置で、アレスの背をぽんぽんと優しく叩いた。
大きく深呼吸意をする。あれは過去のことだ。そう自分に言い聞かせた。振り返ればいつも通りの優しい瞳で、エフライムがアレスを見返してくる。礼を兼ねて軽く頷けば、エフライムの手がアレスの背から離れていった。
「続けてください」
アレスが促せば、ベルフェがイーゴリに視線で伺いを立てる。イーゴリはアレスを見て続けても良いと判断し、ベルフェに対して軽く指で合図した。
「で、では。備蓄の徴収についてですが、一部反発がありましたが、あまり混乱は発生していません。このところ日光があまり出ていないですし、一部の老人たちは思うところがあるようで、村によっては積極的に協力してくれています」
農業で成り立っているからだろうか。イーゴリと領民との絆を見た気がした。ヴィーザル国内の他の場所でもうまくいくだろうか。そして、それらを治める公爵たちは協力をしてくれるだろうか。
アレスはこの後に続くことを考えて不安を感じた。だが今はそれを言ってもしょうがないことは分かっている。まずはこのイーゴリが治めるフレミア州で見本を作っていくしかないのだから。
翌朝アレスからバルドルへの手紙を持って、近衛の一人が出発した。狼に襲われた場所の少し先までは、猟師が数人とケレスの武官たちが一緒に行くことになっている。
騎乗しての旅だから、少しは早く着くはずだ。アレスたちも遅れることあと2日でこの場所を立つことになっていた。
「陛下、すみませんがこれをご覧いただけますか」
出立した近衛を見送った後、エフライムがアレスを呼び止めた。イーゴリやベルフェがいるので、敬称で呼んできたのだろう。見せてきたのは、何枚かの紙を纏めたものだ。それぞれには植物の絵が緻密に描かれている。
「これは?」
「クライブが描いたものだそうです。森に行って見た食べられる植物です」
「凄いね」
インクの一色で描かれたとは思えないほど、まるでそこにあるような絵にアレスは正直に感嘆した。イーゴリとベルフェも横から覗き込んで「これは凄い」と驚きを口にする。
本人はエフライムの後ろでくすぐったそうな顔をして立っていた。筋肉質に焼けた肌の大柄な身体が、身の置き所がないようにしているのはなんともいえない。来るときにはチャリオットにも乗っていたという馬車の扱いを披露し、その上絵がうまい。近衛には芸達者なものが集まっているのかもしれない。
「イリジアに戻ったら、画家を何人か集めてこれを元に複製したらどうでしょう」
エフライムの提案にアレスの瞳が輝く。
「それ、いいね!」
エフライムは満足そうに頷いた。
「獅子の爪やジャガイモの枯れた葉も描いておいて貰えば、見比べて対応ができます」
確かにその通りだ。アレスはできる限り記録してもらうように、クライブに頼んだ。少しばかり嬉しそうにしながら、彼はすぐに快諾してくれた。




