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人の世の思い出

次の日、維心が蒼を呼んだ。

昨日の今日なので、さすがに気恥ずかしかったが、蒼は維心の部屋へ訪ねて行った。部屋に着くと、維月が出て来たところだった。蒼はとっさに目を逸らした。

「なあに?感じ悪いわね。」

維月はそう言っていぶかしげに蒼を見たが、蒼は維月と目を合わせられなかった。

「維心様に呼ばれたんだ。居る?」

維月は頷いた。

「中にいらっしゃるわ。」

蒼は声を掛けた。

「維心様、蒼です。」

「入るがよい。」

維心のいつもと変わらぬ落ち着いた声が答える。蒼は維月の視線から逃れるように中へ入った。

侍女が、お茶を維心の前に置いているところだった。維心は侍女に外すように言い、侍女は下がって行った。

「蒼、座られよ。」

蒼は頷いて椅子に座った。どうもまともに目が見れない。困っていると、維心が言った。

「瑤姫は、どう申した?」

蒼は唐突な質問にどぎまぎした。維心様は、恥ずかしいとかの感覚ってないのかな。

「…あの…お兄様は間違ったことはしない、と。だからお受けします!と宣言されました。」

維心は普通に頷いた。

「さもあろう。あやつは我を、完全無欠だと思うておるのよ。間違いのない兄の言うことを聞いておれば自分も間違いはない、とな。ほんに困ったものだが、今回は役に立ったの。」

涼しい顔で言う維心に、蒼は思わず聞いた。

「神様って恥ずかしくないのですか?あんなところをオレ達に見られたりして…。」

維心はきょとんとした顔をした。

「そんなもの、召使い達はしょっちゅう我を見ておるのに。もちろんあんな時も、呼ばれたらすぐに行かねばと、どこかで待機しておるのだからな。居間であろうと寝室であろうと、我らが着物を放って置いても、朝にはきれいに片付けられておるゆえに。慣れねばやってられぬわ。」

蒼が絶句していると、維心は続けた。その言葉に、蒼は腰を抜かしそうになった。

「…主らも、侍女がおるであろうが。あやつらは次の間に控えて、中を伺って、いつでも行けるように構えておるはずぞ。」

当然のように言う維心に、今度は蒼が、瑤姫と寝室で何もしたくない気持ちになったのだった…。


そんなこんなで一か月近くが経過し、瑤姫の腹も維月の腹も、少しだけ出て来た。

そろそろ龍の宮へ維月も帰るので、維心も帰り支度を始めていた。結局臣下の半分は宮の守りに帰り、半分はあまりに人の世が肌に合ったらしく、残っていた。それなので、帰り支度はとても残念そうにおこなっていた。

「主らも現金なものよ」維心は笑った。「人の世はおもしろかったであろうが。」

中には、テレビやパソコンにハマった神もおり、宮に帰っても訪れていいだろうかと、密かに蒼は聞かれていた。蒼は苦笑して頷いた。

それで、蒼から皆にプレゼントとして、宮へ帰る前に、あの若月の仕掛けた爆発から復興した、前に泊ったあの旅館へ一泊することを提案した。そこから龍の宮は目と鼻の先なので、次の日にささっと帰ることが出来る。

神達は大喜びで、維心に断ってくれるなという視線を送っていた。懇願するような感じだ。

「…まあ、たまにはそんなことも良いであろう。」

維心が頷いたので、皆で温泉旅館に泊まることとなった。


飛べばすぐだが人の世のこと、蒼はマイクロバスをチャーターして、皆を乗せて出発した。侍女達はさすがに多すぎるので、先に宮へ輿や飛んで帰ってもらった。

後ろを見ると、最後部座席に、真ん中に維月を挟んで人の格好をした十六夜と維心が座っている。いざこざがあってはいけないので、部屋は男と女と、臣下で分けて取った。しかし車に初めて乗った、臣下達のはしゃぎようはなかった。車に乗ってあれほど喜ぶ、傍目にはおじさん達を乗せて、蒼はとにかく早く着こうと思った。

通りすがり、観光地へ寄った。そこは山の中にある、富士山麓で言うと白糸の滝のような細い滝が何本もある所で、ツアーのように皆を引き連れて、山道を歩いて行った。

開けた場所に、それはあった。とても清々しい感じがする。

蒼の家族達は元より人なので、臣下達が珍しがるのを世話して回っていた。その時も、皆はあちらの茶屋でソフトクリームを買ってもらっていた。中年のおじさんがソフトクリームに異様に感動している姿を横目に、蒼は滝の方を見た。

人としても相当に目立つ十六夜と維心が、べったりと両脇にくっついた状態で維月が立っているのが見えた。何かと話しているようにも見える。蒼は近づいて見た。

そこには、頭を下げる若い神の姿があった。

『まさかこのような所までお運びいただけまするとは、龍の王よ、月よ。』

維心が答えている。

「ああよい。我は人の道楽について参っただけよ。ここは相変わらず良き統治をしておるの、廉耀(れんよう)殿。」

若い神は頭をもう一度下げた。

『ありがたきお言葉でございまする。なれど龍の王よ、思いも掛けずお目通り叶いまして、お話したい儀がございまする。』

維心は言った。

「申せ。」

その神はホッとしたような顔をして、続けた。

『実は、ここより北からいつも侵入しようと企てる輩がおりまして、うっとうしい限りでございまする。』

維心は眉を寄せた。

「…信黎(しんれい)か。」

その神は頷いた。維心は手を振った。

「次の会合で我が申しておくゆえに。主はここをこのまま守るがよい。」

廉耀というその神は、満面の笑みを浮かべて再び頭を下げた。

『ありがとうございまする!』

維心はそこに背を向けた。

「では、下がるがよい。」

維心に下がれと言われたにも関わらず、彼はずっと頭を下げていた。

かなり離れて蒼の所まで来てから、維心はため息をついた。

「…蒼よ、このような所では我は仕事に来ているようなものよ。我の願いを言えば、早く人しかおらぬ所へ参りたい。」

十六夜は笑って言った。

「さっきからこいつはあっちこっちの若い神に話しかけられて、大変なんでぇ。車の中でも、維心が自分の所の結界に入ったとわかったやつらがわざわざ挨拶に来て、ついでに陳情して、帰って行く、を繰り返してたんだぜ。」

蒼は驚いた。

「そこを通ってるだけで来るの?!」

十六夜は頷いた。

「何しろこいつが宮から出るのも珍しいし、しかもこんな下っ端の神は宮へ訪ねて来る事もできねぇ。直接話すなんてなかなかないんだよ。でも、自分の所に来てくれたなら、話は別だ。車でゆっくり通ってるんだから、わんさか来らぁな。飛んでる訳じゃねぇからな。」

それは悪いことをしたな、と蒼は思った。車の中で言ってくれたらよかったのに。

「ソフトクリームも食べたみたいだし、じゃあもう直接旅館へ行こうか。でも、旅館もどっかの神の管轄だったりして…」

蒼がどうしようと思っていると、維心はさらっと言った。

「ああ、あそこは炎嘉…いや炎翔殿の管轄よ。あやつは来ぬ。」

十六夜と維心が維月の手を取って石段を上がっているのを見た蒼は、自分も慌てて瑤姫を探した。転んじゃいけない。

それにしても母さん、両手掴まれてその方が危なそうだけど…。


夕飯は小宴会場を準備してくれたとのことだった。人数は十六夜、維心、蒼、恒、裕馬の五人、維月、有、涼、遙、瑤姫の五人、洪、公李、兆加を含む五人、総勢十五人の大所帯であるからだ。

部屋にまず入った蒼は、臣下軍団にいろいろと心得を述べ、いわく人には人と言わぬよう、話し掛けられたら自分達は外国人であるのだと言うよう指示した。変な宗教集団だと思われたくないのだ。

一通り話終えると、風呂へ案内することになり、神妙にしていた臣下達はまた子供のようにはしゃいで、慣れた手付きで浴衣を着て、喜んでいた。

今度は十六夜もぐずることなく、すんなり大浴場へ勝手知ったる様子で向かった。

脱衣室でも臣下達ははしゃいでいた。体重計はそこらの子供より珍しがって乗り降りしていた。ふと見ると、十六夜と維心が並んで話していた。

「タオルは腰に巻くんだってよ。」

十六夜が言う。維心は手のタオルを見た。

「風呂に入るのになぜこんなものを巻くのだ。」

「知らねぇよ。蒼が浴槽に入るまでは巻けと言うからそうしてるんだ。」

十六夜は器用に横で端を結んだ。維心はそれに倣って巻いた。

「…ほんに人とはわからぬ。同じ姿形であるのに、なぜに隠そうとするのか。それに、これでは隠しているうちに入らぬではないか。」

十六夜はうっとうしそうに手を振った。

「知らねぇよ。とにかく蒼の言う通りにするしかねぇだろうが。」

蒼はそれを聞いて苦笑した。確かに二人の体格は人より際立って良い。腰回りだけ隠そうとも、それは目立って仕方ないのは変わらなかった。浴衣もフロントに言って、一番大きなものを持って来てもらわなければならなかったのだから。

臣下達は王がタオルを巻いているのを見て、慌ててそれに倣った。そして浴室の方へ皆で向かったのだった。


先に体を洗って浴槽に浸かっている十六夜と維心に、蒼はやっと合流した。臣下達の世話を裕馬と共にしていたからだ。

恒は相変わらずいろいろな浴槽にあっちこっち入って回っている。破壊された風呂は新しくなって、とても気持ちがよかった。

十六夜は月を見上げた。

「…あれから五年になるのか。」

蒼は頷いた。

「そうだね。あの時は十六夜も何も知らなくてさ。」

蒼が吹き出したのを見て、十六夜は眉を寄せた。

「仕方ねぇだろう、ずっと月だったんだから。水に触れたこともなかったんだからよ。」

裕馬も浴槽に来た。臣下達は恒と一緒に浴槽巡りをしている。

「そうそう、あのあと里で風呂に入った時も、オレ達すっごく困ったじゃないか。」

蒼は大笑いした。

「そうだったな。十六夜、母さんと結婚がどうのって話になってさ。今じゃ考えられないけど。」

維心が興味深げに割り込んだ。

「ほう?なんの話だったんだ。」

裕馬と蒼が顔を見合わせて言いにくそうにしていると、恒が浴槽へ入って来た。

「母さんと体をつなぐ話だよ。」

裕馬が恒の頭を浴槽へ突っ込もうとしたが遅かった。恒はなんでも直球だ。おそらく恒の方が神達との付き合いには向いていると蒼は思った。

維心は眉を寄せて不機嫌に言った。

「ほう。して、それは何か。」

恒はすらすらと答えた。

「母さんと暮らして三カ月以上経ってたのにしてなかったから、蒼と裕馬が十六夜にその必要性を話してたんだよ。だから今でも十六夜は母さんにべったりなんだよね。あの時話してなかったら、きっとずっとしてなかったんじゃない?」

十六夜は少し不機嫌になって言った。

「月なんだから仕方ねぇだろうが。もともとそんな必要性感じてなかったもんよ。なのにこいつらがあんなこと言いやがるから、つい手を出しちまって…だがな、それで蒼の命が出来たんだから、結果的にはいいじゃねぇか。」

維心は不機嫌オーラを膨らませて黙っていた。蒼はヤバいと思って弁解した。

「いや、人の常識っていうか、母さんも元は人だから、もしかしてそういうの無しで居たら、浮気とかあるんじゃないかってこと、十六夜も知ってた方がいいと思ったんで。」

臣下達が王の不機嫌を感じ取って、向こうの浴槽に固まって入っている。こちらは見ないようにしているようだが、ちらちらと見ているのが蒼にはわかった。

十六夜があっさり言った。

「そうなっちまったもんは仕方がねぇよ。その繋がりがあったから、オレだってお前に維月を許したんだからな。自分にもないような繋がりを、ほかの男に許すとでも思ってんのか。オレはそこまでお人好しじゃねぇぞ。」

維心はまだしばらく黙っていたが、ため息をついて頷いた。

「確かにな。我にも主に対して甘えがあったわ。」

そこに居た皆がホッとした。ああ、温泉旅行なんてやめたらよかったのかも。オレ、真面目に疲れたんだけど。蒼は思って、密かにため息をついた。


小宴会場での宴会は、臣下達のはしゃぐ姿が全てであった。

維心はやっぱり王らしく落ち着いて座って酒を飲んでいたし、十六夜もやっぱり会話に入るよりは月を眺めて座っていた。

維月が、十六夜に話し掛けた。

「…十六夜、明日からどうするの?どこの神様の所に行くのかしら。」

十六夜は微笑んだ。意識はしていないようだが、維月の姿を見ると自然に微笑むらしい。

「オレは、明日から少し(わん)の所へ行こうと思ってるんだ。」

維月は首を傾げた。

「なんの神様なの?」

十六夜は首を振りながら維月を引き寄せた。

「神じゃねぇんだ。元は人、仙人なんだ。」

「仙人?」維月は不思議そうに言った。「ほんとに居たの?私、見たことないわ。」

十六夜はまた微笑んだ。

「オレもたまたま見つけたのさ。話していると面白かったから、ちょっと通ってみようかと思ってる。今度お前も連れてってやろう。」

維月は頷いた。

「面白そうね。」

「彎は齢800年の仙人だ」維心が言った。「今まで誰にも興味を示さなかったのに、主とは話すと?」

振り返ると、背後に維心が立っていた。維心は維月をちょっと引っ張って十六夜から離し、自分もそこへ座った。

十六夜はちょっと不機嫌になった。

「…お前、徹底してるな。いいじゃないか、明日からはお前の宮に居るんだからよ。」

維心はそれを無視して言った。

「彎とどうして知り合ったのだ。」

十六夜はフンと横を向いた。

「たまたまヤツが外で座禅を組んでいたのを見つけただけだ。神でも人でもねぇから、話してみただけだ。いろいろ知ってやがるから、オレも少しは勉強になるかと思ってな。」

維心は、少し黙った。そして、口を開いた。

「…我が主に教えた方が良いのではないのか。我が一番長生きしておるのでな。おそらくヤツより知識は多い。」

十六夜は手を振った。

「確かにお前は物知りだが、神の世界に特化してるからな。ヤツは人でもあったし、ヤツの考え方ってやつも知りてぇのよ。まあまた、お前の所にも話に行くよ。」

維心は頷いたが、また黙った。何か気にかかることでもあるのだろうか。

「維心様…?」

維月が話し掛けると、維心はハッとしたようにこちらを向いた。

「…いや、なんでもない。」

向こうの宴会まっただ中より声が飛んだ。

「王!月よ、維月様よ」洪が酔っぱらったおじさんになっていた。「こちらへ来て、飲まれませい!」

三人は顔を見合わせて苦笑し、そちらへ歩いて行った。


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