使命
それから、一か月が過ぎた。
維月の意識は戻らず、未だ人形のようであった。意識はなくても、体は目覚めていて動き、眠り、覚醒し、食し、また眠るといった、日常はあった。龍の宮にはたくさんの召使いがおり、何人かが付きっ切りで維月の世話をしていた。
「ああ維月様、こちらのものも召し上がりましょうね。」
召使いが優しく誘導し、皿を前に置き直している。それをまるで機械のように口に運ぶ、維月の目はやはり何も見ていなかった。
それを見ながら、十六夜は維心に言った。
「…オレは後悔している。今まで、何にも関わらずにおこうとしていた結果がこのざまだ。」
維心は十六夜を見た。
「…関わらなければ、こんなことにはならなかった。主の選択は正しかったのよ。我の責だ。」
十六夜は首を振った。
「いずれは、こうなった。」十六夜は維心を見た。「何も知らずに過ごしていれば、その力の大きさに、間違いなくいつかは何かが起こったはずだ。まだお前が居た分、一緒に考えて解決してくれるから、オレは運がよかったと思ってるんだ。」
維心は驚いた顔をした。
「主は、我を恨んでおらぬのか。」
十六夜はフッと笑った。
「恨む?オレは自分が決めたことにとやかく言うことはねぇ。維月がお前の傍に居れば、お前に惹かれることも想定していたさ。何しろお前とオレはよく似てるからな。お前が維月を選んだのだって、オレに似てるんだから仕方ないとは思っていた。オレはお前に自分を重ねている所がある。他の誰かに持って行かれることを思えば、まだ腹もたたねぇぐらいだからな。」
維心は、下を向いた。
「我は、主の気持ちがわかるのよ。維月の記憶の中の主は、いつも維月のことばかり考えて話しているようだった。望むことは全て叶わず、ただ、維月のためだけに耐えているのは、見ていてわかったゆえな。我には出来ぬ…あのように、全て見ているだけ、他の人の男に嫁ぐのも、ただ見ているだけしか出来なくて、ただ、守り抜くなんてことは…。地獄のようだ。しかも己れは死ぬことも出来ぬ。」
十六夜は微笑した。
「もう済んだことだ。蒼がオレを地上へ降ろし、そこからオレの運命は変わった。」十六夜は月を見た。「維心、オレ達は、他の何か大きな意思の下に生まれたのではないかと、オレは思っている。同じ時期に同時に出現し、この地に君臨して来た。お前は責務を果たし続け、オレは関わることを拒んで、何もして来なかった。」
そして維月に視線を移した。
「おそらく、こんなにいろいろ起こり始めて神の世界へ関わり始めたのも、維月が月になったのも、皆、その何かの意思であるような気がするんだ。オレは、人の一つの家系という小さな枠しか見てこなかった。この世に対して何かしてきたかと言われれば、何もして来なかったんだ。おそらくあのままだったら、この先も変わらなかったろう。維月がこうなって、初めてオレは、知らなければならないと思った。オレは、何かをしなければならない。これからおそらく、そのことが分かって来るんじゃねぇかと思っている。」
維心は黙って聞いていた。その目は無意識に維月を追っている。十六夜はそれに気づいて、また微笑した。
「本当にオレ達はそっくりだ、維心。」と自分も維月の方を見た。「維月が目を覚ましたら、オレはここに維月を任せようと思っている。」
維心は驚愕してこちらを向いた。
「十六夜?!それは…」
十六夜は眉を上げた。
「言っておくがオレも今までみたいな訳にはいかねぇ。会いにも来るし、連れ出しもする。余計な我慢はしたくねぇからな。ただ、お前に維月を任せておけば、オレはその間、この世の神のことを知ることが出来る。お前があいつを守っている限り、オレがあいつから意識を逸らしていても安心だ。」そして、維心に笑い掛けた。「オレが無駄にした1500年を取り返す間、お前に世話を押し付けるような形になる訳だがな。」
維心は首を振った。
「本当にいいのか?我は維月を愛しておる。ただ世話をして終わりな訳ではないぞ。」
十六夜は不機嫌そうな表情になった。
「あのなぁ、人の間じゃそれは口にしないのがお約束なんでぇ。わかってるよ。今だってお前は子が出来た後でもあいつに手を出してたんだろうが。しらねぇとでも思ってたのか。」
維心はグッと詰まった。
「…それは…そうだが」
十六夜はフンと鼻を鳴らした。
「これからはお前にも我慢してもらうぞ。この一年、オレは全く維月に手を出しちゃいねえが、これからは頻繁に会いに来るつもりでいるからな。覚悟しな。」そして維月を見た。「…なんにしても、あいつが目を覚ますのが先だ。今夜は外せ、維心。オレが一度全身の力であの封印を破ってみる。」
維心はその意味を知ってためらった。が、頷いた。
「わかった。維月の部屋では我の部屋の背向かいになるゆえ、蒼の部屋を使うといい。」
十六夜はその意味を知って、苦笑した。
「おい、大丈夫か?これからこんなこと、しょっちゅうになるぞ。まあオレほどお前にゃこんなことに耐性はないかと思うが、我慢を覚えな、維心。」
維心は少しムッとした顔になったが、何も言わずに頷いた。
召使いに手を取られた維月が、寝間着の着物を着てこちらへいざなわれて来た。やはり表情は無く、目は何も見ていない。十六夜は真剣な表情でそれを見て手を取った。
「維月…早く出て来るんだぞ。」
十六夜は答えのない維月を抱き寄せた。そして、そのまま蒼の部屋へと向かって行った。
維心はその後ろ姿から思わず目を逸らした。十六夜のような境地にまで行き着くのは、我には無理かもしれぬ…と維心は思った。
その夜維心は、自分の気をそちらへ向けないようにして眠った。
次の日の朝早く、維心は結界に何かが触れるのを感じて目を覚ました。思った通り、召使いが声をかけて来る。
「…王よ、お休みでございますか。」
「良い、起きておる。何かの使者が着いたようだな。」
維心の言葉に、召使いは頷いた。
「鳥の宮よりのご使者でございまする。」
「謁見の間へ通せ。」
維心は召使い達に手伝われて着物を着替えながら、いよいよかと思った。それでも、炎真が死斑が現れて一週間だったことを思えば、炎嘉はまだ堪えている。なるべく急いで使者の待つ謁見の間へと歩いていると、十六夜が維月を伴って歩いているのが目にとまった。
「十六夜」維心は歩み寄った。「…どうであった。」
維月の目は、まだ何も見てはいなかった。十六夜は首を振った。
「ダメだ。オレが拒絶されているような気がしてならねぇ。思えばオレやお前が原因なんだから、オレ達に対して特に結界は強いのかもしれねぇな。」
維心は頷いた。
「我は鳥の宮に行かねばならぬようになるかもしれぬ。」
十六夜はハッとした。
「炎嘉か?」
「これから使者と会って来る」維心は再び歩き出した。「維月を頼んだぞ。」
謁見の間に入ると、鳥の使者が頭を下げて待っていた。
「はるばるご苦労である。して何用ぞ。」
維心が訪ねると、使者は憔悴し切った顔を上げた。
「このように朝早くからお目通りを願い、誠に恐縮致しておりまする。龍の王よ、我が王、炎嘉様が、昨夜遅くよりご危篤状態に陥りましてございます。」
維心はゆっくりと頷いた。
「炎嘉は、まだ意識があるのか。」
使者は頷いた。
「今朝、急に意識が戻られ、維心様にお目通りしたいと、かように申されまして…失礼なこととは存じますが、なにとぞ我と共に我が王の元に、急ぎ来られたくお願い申し上げまする。」
使者は額を床に付けて頭を下げた。本来なら、炎嘉が会いたいと言っているのに、維心からわざわざ出向くなどありえないことなのだ。しかも、急に来い、などとは、格下の神でなければ許されることではなかった。それでも維心は、頷いた。
「しばし待て。すぐに準備をさせる。主は輿で待っておるがよい。」
「あ、ありがとうございまする!」
使者はそう言って立ち上がる。維心も踵を返して奥へと急ぎながら叫んだ。
「準備を急げ!今すぐ我は鳥の宮へ行く!」
途端にシンとしていた早朝の龍の宮が一気に起き出して騒然となった。慌てて甲冑を見に付けた軍神達が走り抜けていく。維心は甲冑ではなく着物を着換え、冠に剣を持ち龍の宮の出立口まで走った。
そこには、必死で準備を整えたであろう軍神達と召使いが、揃って頭を下げていた。肩で息をしているものも居る。維心は言った。
「輿は要らぬ。我は己で飛ぶ。付いてまいれ!」
維心は龍身を取り、飛び立った。皆が慌てて王に倣い、次々に龍身を取って後に続く。その速さは並ではなく、家臣達は置いて行かれないよう、必死であとを追った。維心は思った。
…炎嘉よ、まだ逝くでないぞ。
炎嘉は自分の部屋の寝台から空を眺めていた。その姿はもはや人で言うなら90歳ぐらいであるか。その炎嘉が、その空に何かを見つけて言った。
「おお…」目を眩しそうに細めている。「なんとその姿は何百年ぶりか。維心よ。」
大きな龍が鳥の宮へ現れた。その気は凄まじく、回りのものは押されて飛ばされそうになっている。宮は大騒ぎになった。
しかし見る間にそれは人型へと変化し、そこには維心が立っていた。他の龍達も必死で追いついて来て人型を取ってあとに続く。しかし後へと続くその者達はふらふらであった。
「かように急がずとも、まだ逝きはせぬわ」炎嘉はフフンと笑って布団を除けた。「目通りに参る。」
臣下達が驚いて炎嘉を止めた。
「王!そのような…ご無理でございます!」
炎嘉はうるさそうに手を振った。
「ああ、ただの老化よ。病でこのようになっておるのではないわ。」炎翔が炎嘉に手を貸した。炎嘉は微笑んだ。「さ、せめて我の居間までは出ようほどに。」
炎翔は炎嘉を車椅子にいざなった。炎嘉は気を出してそれを動かし、居間へと出た。
そこには、維心が立っていた。回りの臣下はぜいぜいと息を切らせて膝まづいて頭を下げている。炎嘉は苦笑した。
「…維心よ、主、少しは加減してやらぬことには。臣下達がふらふらになっておるではないか。」
維心は回りを見た。
「気付かなかった。これでも、加減はしていたつもりでいたのだが。」
炎嘉はクックッと笑いながら、維心を促した。
「外へ出ようぞ。主たちはここにおれ。」
炎翔が気遣わしげに見る中、炎嘉は居間から続く、外のバルコニーのような広い石作りの庭へ出た。
「あの姿を見たのは何百年ぶりか。あれは北の戦の折り、相手の全てを蹴散らそうと龍身を取って以来ではないのか。ま、あの時はその姿と気を見ただけで、全てが平伏してしもうて終わってしもうたがの。我は何も出来んでつまらんと思うておった。」
維心は呆れたように言った。
「あれはあそこで終わらせんことには、人の世に被害が出ておったであろうが。人型では出来ることが限られておるゆえの。」
炎嘉は微笑した。
「今朝は我のためか。我はそうそう死なんぞ。知っておるだろうが。」
維心は苦笑した。
「確かに、炎真殿に比べればがんばっておるわ。」
炎嘉はフンとあちらを向いた。
「父は一週間であった。我はそれに負けてたまるかと思ったのだ。」そして、空を見上げた。「しかし、もう終わりよ。」
維心は炎嘉を見た。
「炎嘉…。」
「昨夜は父に会った。」びっくりする維心に、炎嘉は言った。「いやいや、夢に出て来たのよ。我の役目は終わったそうだ。だからそう気強く頑張らずに、もうこちらへ来いと言うのよ。では、我は友と話してから逝くと申した。だから、主に会わぬうちには死ぬはずもなかったのだ。」
維心は頷いた。そうするより、他に何も思い浮かばなかった。
「維心よ、主の妃のこと、聞き申したぞ。」維心はハッと顔を上げた。「本来なら真っ先に我が行って封印を解いてやるに。我は女の説得には長けておるゆえなあ。」
維心は苦笑した。確かに炎嘉なら解いてしまいそうだ。
「今の主には、そのようなこと出来まいが。もうさすがに女に興味のないであろうが。」
炎嘉はとんでもないというそぶりをした。
「いやいや、やはり女は良い。」維心が困ったように眉を寄せるのを見て、続けた。「我がこのようなことになろうとも、妃達は我に良くしてくれる。決して一人にしないよう、あれだけいがみ合った仲であるのに、連携して順番を組み、我のそばに昼も夜も誰かついてくれておる。我はの、恵まれておるのよ。我は主に力では敵わなかったが、孤独ではなかった。いつも誰かが傍に居て、我は満たされておった。ゆえにの、我は心配でならぬのじゃ。」
炎嘉は維心の目を覗き込んだ。
「主、あの妃とおる時は、穏やかな気を出しておった。妃も主を想うておるようだった。ゆえに我は、あの妃に主を託そうと思うたのよ。だのにこのようなことになっておって、我も困惑しておる。これが一番の心残りであるのだ。」
維心は下を向いた。
「我は、あやつを想うておる。あやつも我を想うてくれるようになった。だが、それがあやつを苦しめ、こんなことになってしまったのだ。我の責よ。我が強力にあやつを求めたばかりに、こうなってしもうたのよ。」
炎嘉はため息をついた。
「ほんに不器用であるよの。欲しいものを欲しいと言って何が悪い?我らは王ぞ。王は大きな責務を負わされて一族を背負っておる。まして主は人のことまで考えておる。そこまでしておるのに、なぜにただ一つのものを欲しいと言うことが許されないなどあると思うか。」
炎嘉は、苦しそうに息をし出した。維心は炎嘉に駆け寄って抱えた。
「炎嘉!」
炎嘉は弱弱しく笑った。向こうから異変に気付いた炎翔と家臣が走って来る。
「…維心よ、我は逝く。」息は絶え絶えになっている。「しかし主に道を開いてもらう必要はない。我は自分の道は自分で見つける。寄り道もしたいしの。」
維心は、なぜか込み上げて来る感情で胸がいっぱいになって言葉が出なかった。
こちらを見た炎嘉が言った。
「こら維心。主は最強の王ぞ。こんなことで、皆の前で泣いてはならぬ。」
維心は、自分の頬に涙が伝うのを感じた。炎嘉が逝く。たった一人の戦友だった。ただ一人、永の時間を共にした、友…。
「…フン、もしこれが主なら、同じように泣いたであろうが。」
炎嘉は微笑した。
「我なら号泣しておったわ。主はなんでも控えめが過ぎる。」そして、息を一つ吐くと、目を閉じた。「父が来た。ではな、維心。また、あちらで会おうぞ。」
維心は炎嘉から気が抜け去っていくのを感じた。
「炎嘉!」
「父上!」
「王!」
皆が叫ぶ中、炎嘉は旅立って逝った。




