蒼と瑤姫
蒼と瑤姫の婚礼の日取りを正式に決めたいと、維心より打診があったのは、それから三ヶ月後のことだった。
龍の中には、蒼が人であることで瑤姫がすぐに未亡人になると、反対する者も居たが、今や月の子となり、それもなく、日取りを決めることに障害が無くなった為だ。
いつもの通り維心の居間へ行くと、維心はまだ母に手伝われて上に着る着物に袖を通しているところだった。
母はここでは常に着物であったが、袴の腰ひもが胸の下で結ばれ、腹が大きくせりだしているのがわかる。先日聞くと、それは男であるようで、炎嘉にもそれは伝えられたとのことだった。
「おお」維心は言った。「蒼。臣下の者は会合の間に集まっておる。我もそろそろ向かうかと思うておったところよ。」
蒼は頷いた。
「瑤姫は、どこですか?」
維心は眉を上げた。
「あれは出ぬ。会合の場に女が出ることはないゆえ。人の世では違うのか?」
維心は不思議そうに維月を見た。
「はい。結婚は双方の気持ちを聞いて決めるものですわ。私も人の世では、ほとんど自分で決めましたもの。」
「うむ。」維心は考えるような顔をした。「では、瑤姫も呼ぶ方が良いか?しかしあれは何も言わぬと思うがな。結婚自体、意義はないようであるからの。」
蒼は首を振った。
「こちらの良いようでよろしいです。日取りだけなのですから。」
維心は頷いて維月を振り返った。
「行って参る。そう時間は取らぬゆえ。」
維月は微笑んだ。
「行っていらっしゃいませ。お戻りをお待ち申上げております。」
蒼は関心した。同じ宮の中でちょっと居間を離れるだけなのに、わざわざ挨拶するんだ。覚えておこう。
維月の言葉に満足したように頷くと、維心はこちらへ歩いて来た。
「では、参ろうぞ。我も退屈な会合ばかりで最近は特に出なんだりしていたのだが、主の婚儀の日取りとなれば話は別よ。」
蒼は頷いて維心に並んだ。歩いて居間を出る前に、維心がまたチラリと維月を振り返ったのが蒼にはわかった。蒼も見ると、母は笑って小さく手を振っていた。まさか維心は手を振らないだろうと見ると、さすがに手は振り返さなかったが、フッと笑って軽く会釈をした。こんなので三ヶ月後、本当に維心様は里へ母さんを帰すんだろうか?と蒼は少し不安になった。まるで十六夜みたいにベッタリじゃないか…。
蒼の不安をよそに、維心は満足げに会合の間へと歩いて行った。
式は、世継ぎの子の誕生を待ち、その一ヶ月後と定められた。子の誕生祝いもあるので、共にするのが良いだろうとのことだった。何しろ近隣の神々も呼ぶので、そうそう何度も宮を開放するのが大変なのだ。
それはおそらく、母がここを出る日も近い日になるであろう。そこで一年のリミットがやって来る。蒼はなんだか複雑だった。
思った通り、会合が終わるとすぐに維心は部屋へ帰ると言い残して座を外し、蒼は臣下の中に残された。仕方なく一人で酒を進められつつ臣下と話していたが、自分も瑤姫の所へ行こうと腰を上げた。
「…王は近頃少しも宴会の場に長く留まられぬなあ。」
「仕方のないことよ。妃が居られるのもあとわずかであるのだからの…」
歩き出す蒼の耳に、そんな声が聞こえて来た。
龍の宮には、蒼の部屋もある。
そこへ帰ると、瑤姫が待っていた。蒼に気付くと、頭を下げて出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、蒼様。お水が何かお持ちいたしますか?」
蒼が酒の匂いをさせているのを感じて、瑤姫は聞いた。本当に瑤姫はこういうところに気が利く上に、自分のすることに大きく出しゃばる風もなく、ただこちらの決定には素直に従ってくれて、一緒に居て楽な上に心地よかった。人と違って、神はあくまでも古風で、こんな所であの母さんが維心様の妃として一年近くもやって行けてるなんて、驚きだった。
「ありがとう。もらうよ。」
瑤姫はまた頭を下げ、傍の召使いに会釈した。召使いは頭を下げて出て行った。
しかし、結婚して後は、蒼の家で暮らすのであって、このように王が君臨するような大きな家ではないし、連れて来る召使いも家の大きさから考えてせいぜい10人程度になるだろう。必然的に瑤姫が自らしなければならないこともたくさん増えて来るかと思うのに、瑤姫は嫌ではないのだろうか。
確かに里に母が居る間、毎日通って来て人の暮らしになじんでいたが、それがずっととなると、大変なのではないかと、今更ながらに気になった。
蒼は、傍の椅子に瑤姫を座らせて、今日の様子を話した。
「なので、支度を急がないといけないと思う。大丈夫だろうか?」
瑤姫は頷いた。
「4年前より召使いや臣下達が話し合って、準備をし続けて参りましたので。あとはこの宮を出る準備をするだけにございます。明日から荷物をあちらの家に運ばせ始めまする。よろしいでしょうか?」
蒼は頷いた。
「いいよ。向こうも増築分も仕上がったし、これで少しは余裕も出来た。召使いの数は、本当に10人でいいんだね?」
瑤姫は頷いて言った。
「よろしゅうございます。皆私の世話係達でございますので。私にはお兄様ほどたくさんの世話係はおりませんし、それに私も人の生活は学びましたもの。」
蒼は好奇心で聞いた。
「維心様には何人世話係がいるんだ?」
瑤姫は素直に答えた。
「お兄様の世話だけをしている者でございますか?さようでございますね、今は30人ほどです。お母様がいらして、また少し増やしたので。前は20名ほどでしたから。」
家の裏側にはとても広い敷地があったが、蒼はそこまでの人数を収容出来る家は建てる気になれなかっただろう。とりあえずは、ほっとした。
「こちらの家の建設は、龍達にとても世話になったのだけど、瑤姫が来るとなると、また内装に関して、オレにはわからないことがあるし、来てもらわなきゃならないな。」
瑤姫は微笑んだ。
「それはご心配には及びません。明日から施工用の者達が参るよう手配いたしましょう。」
蒼は庭を何気なく見た。向こうの方に、維心と維月が並んで歩いているのが見える。二人で散歩に出ているようだ。蒼の視線の先を見た瑤姫が、言った。
「まあお兄様ったら」瑤姫はぷうと頬を膨らませた。「いつなり庭へなど出たこともないのに。本当にお母様を独り占めなさるのですわ。私もお話したいことがたくさんございますのに、お兄様がああやって片時もお傍を離れないので、私はお茶を飲みにも行けなくて。蒼様のお話、もっとお聞きしたいのに。」
確かに本来なら先に歩いて行くはずの王が、維月の後からゆっくり歩いてついて行く。維月は気ままに歩いているような感じだ。
「でも、神様ってあんな感じなのではないのか?オレはよく知らないが、妃には皆、気を使うというか…。維心様は特に、お優しそうだし。」
瑤姫はとんでもないという風に首を振った。
「まあ蒼様、違うと思いまする。私の見て参りました神は、皆横柄で少しも女のことなど気に留めてもくれないのですわ。特に王ともなると、妃をたくさん娶り、それを当然のような…私には無理でございまする。それゆえ、もう一生結婚などしないと思うておりましたの。」
蒼は目を丸くした。
「確かに炎嘉様はたくさん妃が居るけど、維心様は違うだろ?」
「それが」瑤姫は声をひそめた。「蒼様には申し上げまするが、お兄様は大変に女には冷たいかたでございまする。妹の私にはよろしいのですが、ほかの女には本当に。臣下に言われてお兄様に近づいたり寝所に居たりした者達の中には、気で部屋から放り出された者も何人もおりまする。ですのでお母様のことをお聞きし、ああやって片時も離されないのを見た時には、皆が一様に驚きましてございます。」
蒼はもう一度庭を見た。ちょうど維心が高いところにある花を、維月に手折って渡しているところだった。維月がうれしそうに笑うと、維心もまたうれしそうだった。あれのどこが冷たいのだろうか。
蒼は瑤姫を見た。
「…瑤姫、もしもオレが冷たいと思ったら、我慢せずにその時言ってくれないか。オレには人の女であっても、気持ちがよくわからない時がある。神だったら尚更なんだ。」
瑤姫は恥ずかしそうに下を向いた。
「…蒼様は、違います。初めてお会いした時から、とてもお優しくて、臣下の者でもお見捨てになられず、控えめでいらして。この世にこのようなかたもいらっしゃるのだと思いました。人であられたからなのかもしれませんけれど。」
蒼は瑤姫の手を取った。
「瑤姫、とても聞きたかったのだけど、本当にオレでいいのか?瑤姫は王の妹で、望めばどちらかの王とも縁組出来る立場なのに、オレは大したこともしてやれない。人の世で言えばとても良い地位と言えないんだよ。今はもう、神の世で生きるしかないのだろうけど。」
瑤姫は真っ赤になった。
「蒼様、そのように申されては、困ってしまいます。私は蒼様であるから、共に居たいと思いました。そして蒼様が私を娶ってくださるとご承諾くだされた。どれほどに幸福であったかお分かりになりますか?これから私は、月の当主の正妃として嫁ぐのですわ。」
蒼は頷いた。
「瑤姫、本当はオレは、最初は瑤姫とうまくやって行けるのか不安だったんだ。でも、瑤姫は、とても人を理解しようと努力してくれたし、この四年間、あの、人の家でも人のように一緒に居てくれた。瑤姫と一緒にいるうちに、瑤姫の性格もわかって、ああこの人と結婚するんだなあと、幸せに思えるようになったんだ。瑤姫は正妃と言ったけど、オレはほかに迎えるつもりはない。唯一の妻として、これから共にいてくれるか?」
瑤姫は黙って頷いて、涙を浮かべた。
「…蒼様。私は、蒼様に出逢えて、幸福でございます。お兄様に感謝しなければなりませんわ。」
目に涙を溜めたまま見上げる瑤姫を、蒼は抱きしめた。こんなことをするのは初めてだったので、瑤姫は驚いたようだったが、じっとして目を閉じた。
「瑤姫、婚儀が待ち遠しいな…。」
瑤姫は頷いた。
「はい、蒼様。」
二人はしばらく、そのまま窓辺にただずんでいた。
「あら?」
維月はふと見上げた窓辺に、蒼と瑤姫を見つけた。二人で抱き合ってじっと佇んでいる。なんだかほほえましくて、思わず微笑した。
それを見た維心も、上を見上げた。
「おお」とフッと笑った。「あやつらも、良い夫婦になりそうだ。」
「本当に。」
そう言う維月を見た維心は、自分も維月を抱き寄せた。
「まあ維心様、このような所で…皆が見ておりますわ。」
たくさんの窓が庭を向いているのだ。維月は恥ずかしくて下を向いた。
「よい。誰も気にはせぬ。今、主は我の妃であるのだからな。」
それでも維月は恥ずかしかった。何しろ臣下達はこちらを見て何か話しているのだ。きっと広間の宴会がまだ続いていて、酒が入って余計にいい噂話になっていることだろう。
「…では、部屋へ帰ろうぞ、維月。」
維心は手を取って言った。
「はい、維心様。」
維月はほっとして従った。
夜半より、維月は俄かに産気づいた。
まだ産み月にはひと月ほど足りない。臣下達が慌てふためいて大騒ぎする中、維心は維月の横で手を握りしめた。この場面は見たことがある。そうだ、父が我の生まれる時、母を見ていたあの時と同じなのだ。
不安が大きく維心の心に押し寄せる中、それを感じた維月がにっこり笑って言った。
「維心様…大丈夫でございます。私はもう、子は何人も生んでおりますので。」
それでも、龍を生むのは初めてではないか。維心はそう思ったが、黙って頷いた。
侍女達が必死で準備を整え、産所は整った。侍女の一人が維心に頭を下げた。
「これより出産のお手伝いを致します。男のかたは次の間で…」
維心はそれを遮って鋭く言った。
「我はここにおる。主達は己の職務に集中すればよい。」
維心の断定的は物言いに、侍女は慌てて頭を下げた。王の言葉は絶対なのだ。
維心は維月を見た。一定の間隔で襲って来る痛みに顔をゆがめている。その度に、維心は維月の腰の辺りをさすってみた。これで少しでも楽になるのなら…。
案じていた気は、少しも失われていなかった。やはり、維月は大丈夫なのだ。維心は少しホッとしつつも、気を抜かずに状態を見続けた。痛みがおさまった時に、維心は聞いた。
「維月、水は要らぬか?我に出来ることはないか。」
維月は、汗にまみれた顔で、それでもにっこり笑った。
「はい。手を握っていてくださいませ。私は大丈夫ですわ。」
そんな事で良いのか。維心はひたすら手を握った。痛みが来るたびに握る手に力が入り、維心も緊張してその手を握り返した。
侍女が叫んだ。
「あと半刻ほどでございます!」
それは次の間にも響き渡り、皆の緊張が高まった。ついに、お生まれになる!
維心は、父のことばかり思い出した。自分が生まれる時、父はこんな気持ちだったのだ。しかも父は、母が死するとわかっていてその時を待ったのだ。維月は命は落とさない。そう、会いたいと思えば会うことが出来るのだ。維心はこの後離れても、それを頼りに生きていけるのだと思い込もうとした。
生まれて来る子の気を、強く感じた。その時だった。
「お生まれになります!」
侍女の声と共に、維月の体から何かが取り上げられた。侍女たちが世話しなく処置をし、子は勢いよく泣き声を上げた。
握っていた維月の手から、力が抜けた。驚いた維心がそちらを見ると、痛みから解放された維月が微笑んでいた。
「維心様…やはり男皇子でございますか?」
維心は頷いた。
「ああ…男皇子であった。大儀であったぞ、維月。」
維心は、胸の奥から湧き上ってくる感情で涙があふれそうになる。維月の手に頬を摺り寄せた。
「維心様…。」
「我と主の子ぞ」と維月の目を見つめ、「名は、二人で決めたものにするゆえな。」
維月は頷いた。
「月満ちておりませんのに、元気で生まれてよかったこと。」
産湯をつかわされ、白い布で巻かれたその子は、維心の手に恭しく渡された。維心は維月に見せた。
「我に似ておるようだが、目元は主であるな。」
維月はフフッと笑った。
「蒼も目元は私ですの。では、叔父と甥で似ておりますのね。それとも兄弟かしら。ややこしいこと…。」
維心はその子と抱いたまま、立ち上がって次の間へ歩いた。侍女達が頭を下げて維心を見送った。
襖が開かれ、次の間へ入ると、臣下達が額づいていた。維心は父と同じように叫んだ。
「世継ぎの子、名を、将維とする!」
「ははーっ!」
一斉に臣下達が頭を下げ直した。維心ほど莫大な気ではないが、充分に他の龍を凌駕する気を持つ子であることは、その場の誰もがわかった。皆が一様に胸を撫で下ろした瞬間であった。これで、王にもしものことがあっても、龍族は存続して行ける。
また産所に取って返した維心を、乳母の侍女が待っていた。
「皇子様をこれへ。維月様は只今から寝所へお移ししようとしていた所でございまする。」
維心は乳母に将維を渡し、維月の所へ急いだ。
「王、維月様のお部屋へお連れしようとしていた所でございます。」
侍女が言う。維心は傍へ寄り、維月を抱き上げた。
「我の部屋へ連れて参る。侍女は共に参るがよい。」
侍女はびっくりして言った。
「王よ、ですがこれより様子を見なければなりませんので、我らが頻繁に出入り致します。王がゆっくりお休みになれませぬ。」
維心はもう歩き出していた。
「構わぬ。ついて参れ。」
侍女は仕方なくその後について行った。
臣下達はまた酒盛りで大盛り上がりであった。




