月の社
車は来た道を戻り、ある程度降りた所で案内板に従って右へ折れた。
滝までの道は広く明るい感じだったが、その道に入ったとたん、細くガードレールもなく対向も一車線ずつで、あまり人は行かない場所であるらしかった。
それでもそこはまだ龍神の結界の内で、禍々しさは微塵も感じられなかった。
その道をほぼ真っ直ぐに30分ほど走ると、小さな神社が姿を現した。その鳥居を見たとたん、十六夜は眉を寄せた。険しい顔をしているが、維月は構わず車を停めた。
車を降りると、カップルが二組くらい歩いているのが見えた。
「ここ縁結びとか書いてるよ。」
裕馬が先に行って書かれてある説明を読んで言う。
「ここで昔、月の姫様とどっかの貴族が出逢ったんだってさ。」
蒼は十六夜を見た。いや、月は男なんだよ。オレも小さい頃から絵本で読んで、月には女神が居ると思ってたけど。
「でも、そんなことが起こっててもおかしくない場所だと思わない?」
有がそう言って景色を眺めた。ここからは海が見えて、見晴らしもいい。はるか対岸には人の住む家々が見えた。
「あの辺にオレ達の旅館があるよ。」
恒が指差す。確かにそれらしき大きな敷地が見えた。一向はしばらく景色を楽しんだ後、鳥居をくぐって階段を降り、本殿へと向かった。
ふと、蒼は十六夜に話し掛けた。
「十六夜って男だよね?」
十六夜は怪訝そうに答える。
「なんだって?オレに性別はねえよ。」
意外な答えに蒼はえっと詰まった。
「女だって可能性あるの?」
十六夜は溜息をついた。
「あのなー何度も言うが、これはお前のオリジナルなオレの解釈なんだよ。いや待て」蒼が口を開いたのを制止し、「ここで誰かと会ったとかいう過去はねぇ。これも何度も言うが、オレは地上へ降りたことは一度もねぇんだよ。こんなことをする奴はお前が初めてだって言っただろうが。いい加減学習しやがれ。」
そう言い放つと、さっさと階段を先に降りた。なんだか機嫌が悪い。勝手に頼まれ事を引き受けたのが悪かったのか・・・と蒼が思っていると、本殿が見えて来た。社務所はこじんまりとしていて、龍神のところと比べると狭い印象だった。
お参りを済ませ、何か起こるかと待っていたが、一向に何も起こらない。どうしたものか途方に暮れていると、恒が奥を指差した。
「蒼、奥が光ってるよ。あっちじゃない?」
蒼が奥を覗き込むと、確かに向こうの社が光っている。恒にも見えるということは、もしかして、本当に月に縁の力の持ち主なんじゃ・・・。皆はそちらに向かった。
そこは、本殿からは見えづらい場所に開けた、落ち着いた場所だった。小さな社からは、海がより近くに見える。開けた木の隙間からは、対岸がよく見えた。風がそよそよと吹く。社の光は小さな玉になって、人型として目の前に現れた。
その神と呼ばれるものは、小さくて長い黒髪の、十代くらいに見える女の子だった。美しい着物を何枚も重ね、裾を引き摺っている。
蒼は小声で十六夜に訊ねた。「呼んでた子?」
「そうだ。」
十六夜は無表情だった。相手はその風貌とは似ても似つかない話し方で語りかけてきた。
《ああ光の君。お会いしとうございました。この時を、我は千年もお待ち申した。》
どう見ても十六夜に言っている。十六夜は答えた。
「オレはお前など知らねぇな。」
相手は口元を袖口で押さえた。クスっと笑ったようだ。
《知らぬは道理でございまする。我と光の君は背を合わせて、お互いの姿を見ることは叶いませぬゆえ。ゆえにこのように、地上で会いまみえぬことには、永久にお互いの姿を知ることも出来ませぬ。》
十六夜は眉を寄せた。
「何の話だ。」
その神は近付いて来た。
《我は主様の影にございまする。地上に顔を向けている光が主様、背を向けている影が我でございまする。》
維月が言った。
「つまり、月の裏側ってこと…?」
その神は維月を見た。
《そなたが前当主か?そうじゃ、我は主達からは見えぬ所の月じゃ。しかし、当主よ。》と蒼を見、《よくぞ光の君を地上へ降ろし、我の元へ連れて参ったものよ。礼を申す。》
だが、とても礼を言っているようには見えない。十六夜はイライラとしてきびすを返した。
「用は済んだ。帰るぞ。」
「十六夜!」
蒼が慌てて止めようとすると、それより先に、月の影と自称する彼女が十六夜の腕を掴んだ。
《お待ちくださいませ!》彼女は必死だった。《主様はお信じ下さらぬのですか?我は主様にお会いするため、千年前にこの体に降りたのじゃ。全ては主様のため…》
十六夜はチラリとそちらを見た。
「まず、お前の態度が気にいらねぇ。お前にとっちゃただの「人」かも知れねぇが、オレにとっちゃコイツらは大事に守って来た家系だ。使用人じゃねぇんだよ。」
相手は腕を離した。
《お気に触ったのなら詫びを申します。「人」と話すのなど、千年近くございませんでしたゆえ。》
十六夜は更に言った。
「それにオレは目覚めてこのかた、オレの他に同じようなエネルギー体を感じたことなどねぇ。お前の力は、オレの力の10分の1にも満たねぇじゃねぇか。それでどうやって、その話を信じろと言うんだよ。」
見ていて蒼は、なんだかかわいそうになった。千年も待ったって言ってるのに…。
「十六夜、話だけでも聞いてあげようよ。目覚めて千年以上なんだから、この子の言ってることは少なくても時間的には合う訳だし…ここじゃ他の人が来るかもだから、車にでも行って。」
《当主…。》
月の影は言った。
十六夜はフンッと歩き出した。皆もそれに続こうとする。蒼も歩き出そうとして、相手が全く動かないのに気付いた。
「あれ、来ないのか?」
彼女は首を振った。
《お気持ちは嬉しいことなれど、我は一部を楔にて封じられておりまするゆえ、ここより動くことが叶いませぬ。》
「楔?」
蒼はぐるっと回り込んで社の裏を見た。石がたくさん積んであり、塚のようになっている。よく見ると、何かの力がその塚を抱え込むように覆っていた。それがなんの力かは分からなかったが、蒼にはなんだか、黒く見えた。
「オレになんとか出来るかな?」と振り返り、「恒、遙!」
そこを出かかっていた二人は慌てて戻って来た。「なに?蒼。」
「ちょっと力補充してくれ。」
蒼は手を上げた。何をするんだろうと、二人は不振な顔をしたが、すぐに力を送り出した。
《無理ですわ。》月の影は言った。《人の念が封じたもの、そのように簡単には…。》
蒼から出た光は、何やら変な動きをした。力が迷っているように見える。後ろで恒と遙は顔を見合わせた。あんなの初めて見る。
そのうちに光は、何かを探りあてたかのように塚の上に平たく広がり、陰陽道でよく見るような星の形になったかと思うと、そのまま塚の上に覆い被さるように降りて包んだ。
モヤモヤと黒い煙が上がった。と、その煙はジュウ、と音を立てて消滅した。そして光は消えた。
「蒼、いつあの五芒星だか六芒星だかの使い方覚えたんだよ!」
恒がびっくりして言う。蒼は首を振った。
「封印解く~って念じてただけ。光が考えてたみたいだった。」
振り返ると、月の影は光輝いて浮いていた。
《当主》彼女は本当にうれしそうに笑った。《我は解放された。このようなこと、可能だとは思いもせなんだ。ああ、お礼を申し上げまする。》
彼女は地に正座して深々とお辞儀をした。蒼はそんな大したことをしたとは思えなくて、恥ずかしがりながら、彼女を促した。
「さあ、十六夜と話すんだろ?行こう。」
彼女は頷いて立ち上がり、恒や遙にも笑いかけた。そして蒼に言った。
《光の君は十六夜と申されまするか?我は若月と申しまする。》
「オレが勝手にそう呼んでるんだ。初めて話した日の月が、十六夜だったから。若月は、三日月のこと?」
若月は頷いた。
《奇異なこと。我の名も、最初に話した人が、その日の月だと言って我をそう呼んで…。》
若月は口をつぐんだ。
「もう亡くなったんだね。」
蒼は、自分が死んだ後の十六夜を思った。ま、でも十六夜なら、オレの子供とかの面倒見て、そんな悲しまないかな。
《…我の、この身がそうじゃ。》若月は下を向いたまま言った。《我が降りて、老いもせず、病もなく…。》
車の所に到着していた。十六夜がいい放った。
「体を奪ったのかよ。」
蒼は振り返った。え、奪う?でも、この体はエネルギー体だ。十六夜よりも不完全な。
《あの時はそのようにするより、他に策は…》
「ハッ」十六夜は車に乗り込んだ。「もう話すことはねぇ。行くぞ蒼。」
ああ、こうなったらもう無理だ。
「若月、また必ず十六夜を説得するから、待っていてくれ。オレ達今夜も対岸の旅館に泊まるから、困ったことあったら、話し掛けて。もうオレ達にも声は届くと思うよ。」
イライラした十六夜の声がまた呼ぶ。
「蒼!オレは腹が減ってんだ!」
「はいはい」
蒼はぽんっと若月の肩を軽く叩いて、助手席に乗り込んだ。
去って行く車を、若月は見送っていた。




