永の孤独の果てに
龍の王が、泣いている。
蒼には、それが感じ取れた。
今は父となった十六夜の、その気を震わせるほどの憐憫の情も、母の深い慈愛の情も、蒼の新たな命は敏感に感じ取っていた。
張維が、何を維心に伝えたのかはわからない。だが、実際に会った張維からは、息子に対する恨みなど、これっぽっちも感じなかった。
しばらく後、維心の気が落ち着いた頃、十六夜だけが、蒼の所へ来た。蒼が振り返ると、十六夜は、その瞳に暗い色を残したまま、立っていた。蒼は問いかけた。
「…維心様、落ち着いた?」
十六夜は頷いた。
「ああ。」
十六夜はそれ以上何も言わない。蒼は、近くの椅子を示した。
「母さんはどうしたんだ?」
十六夜は、椅子に腰掛けて目を伏せた。
「…蒼、お前には知っておいてもらいてぇ。オレ達は一年ほど、離れて暮らす。」
蒼は仰天した。
「また何かケンカしたの?!」
十六夜は落ち着いたまま目を上げた。
「違う。話し合って決めたことだ。…オレは、不死だ。オレと維月には、おそらく無限に時間がある。一年など、僅かな時間だ。それに、お前という子も成した。」十六夜は、また目を伏せた。「維月には、維心の子を生んでもらわなきゃならねぇ。」
蒼は絶句した。
到底十六夜が承諾するはずのないことだと思っていたのに。片時でも、母さんを離したくないはずなのに…。
蒼の様子を見た十六夜は、自分に言って聞かせるかのように、続けた。
「アイツには妃はいない。なぜならアイツの気は強過ぎて、それを受け止めるだけの強い心を持つ女が居なかったからだ。気の圧力で、命までは取らなくても、心が死んでしまうことが、今までにあった。命を落としかけた者も居た。それでも臣下は、父の張維が自分の妃を殺してまでも維心を成した事を引き合いに出し、相手を殺してでも跡継ぎを作るよう迫っていた。維心は決して承諾しなかったがな。だが、維月は違う。」十六夜は、また瞳を曇らせた。「アイツは月だ。そして、アイツの気は維心を受け止めるんだ。後はオレが…たった一年、我慢すれば済むことだ。」
蒼は、十六夜の決断に、どう反応すればいいのかわからなかった。
「十六夜…十六夜に、それが、耐えられるの?」
十六夜は頷いた。
「今更何を言ってやがる。今でこそお前はオレの子だが、お前達は全部維月が生んだ人の子なんだぞ。天上で見ているしか出来なかったオレが、苦しまなかったと思うのか?」
蒼はハッとした。母さんと出来るはずのない結婚の約束をした十六夜…時が来て、子を生む決心をし、人と結婚した母さんを、ただ見ていた十六夜…。きっと命尽きるまでこのままなのだと諦め、お互いに見つめているだけだった頃。
きっと十六夜は、その反動で母さんを片時も離さなかった。でも、今は違うのだ。
「維心は、オレの初めての友人だ。ヤツとは同じ空気を感じたが、やっぱり同じ、いやそれ以上の孤独を生きて来たんだ。大きなものを背負ってな。オレは一人きりで気ままにしていたが、維心はひたすら一族を守るために生きて来た。一年きりなら、譲ってやるさ。オレと維月には、それしかしてやれねぇからな。」
十六夜は立ち上がった。
「オレは月に帰る。お前が里に居れば戻らなくても大丈夫だろう。他の奴らにはお前から話せ。用がある時は呼べばいい。」そして、光になった。《じゃあな、息子よ。》
蒼は、光になって帰って行く十六夜を見送った。
自分も、里へ帰ろう…。
蒼は、瑤姫を呼んだ。
維心は、目を覚ました。
目を開けると、そこはいつもの自分の部屋の寝台の上だった。何やら頭がぼんやりとしている…そうか、昨日、十六夜と維月と共に、父の記憶を見、自分の誕生と、父の死の真実を見たのだ。
そして、最後の時に、父が自分に向けて、何を思っていたのかも…。
維心は、自分の中に湧き上がって来る後悔の念に、また抑えきれない感情の波が押し寄せて来るのを感じた。
誰かに、傍に居てほしい。だが、自分には誰も居ない。昨日傍にいた維月も、おそらく十六夜と共に帰り、また自分はここで一人なのだ。誰にも、自分は受け止められないのだから。
維心は、せめて昨日の温かさの残像でも残っていないかと、目を閉じて維月が居た方へ寝返りをうった。
何か温かいものが手に触れ、維心はびっくりして目を開けた。
維月が、そこで眠っていた。
慌てて起き上がった維心は、回りに十六夜の姿を探した。気配を探るも、十六夜は部屋の中どころか、宮の中にも居なかった。
「…維月?」
維心は呼び掛けた。維月は、ハッとしたように目を開けた。
「ああ!私、眠ってしまったのね!」維月は起き上がった。「維心様が、とてもよくお休みだったから、起こしてはいけないと思って…。」
維心は、ためらった。
「十六夜は、どこだ?」
維月は首を振った。
「月に帰りました。一年後に戻ると言って。」
維心は眉を寄せた。
「また諍いか?」
維月はまた首を振った。
「いいえ。」
そのままじっと維心を見ている。維心は、維月を見つめた。
「まさか」戸惑っている。「主は…しかし我には…十六夜は…。」
しばらく沈黙。
維心は、混乱していた。十六夜は、あれほど維月を手元から離さずにいたではないか。それなのに、承諾したというのか?我のために…。我の生きて来た道を、見たために…。
維心は、維月の手を取った。
「我は、月が後で気が変わったと申しても、責任は持たぬぞ。」
維月は苦笑した。
「月は、嘘付きではありませんわ。自分も耐えて来たので、同じ生き方には、理解があるんです。ただ、きっちり一年で迎えに来ると言っておけ、と言っておりましたけど。」
維心は笑った。
「十六夜らしいよの。」と、維心は維月の肩を押して倒れ込んだ。「では、急がねばなるまい。」
維心は維月に口付けた。維月は黙って、それを受けた。
それから六ヶ月あまりが過ぎた頃、龍と鳥が話し合う日がようやくやって来た。約束通り鳥の宮で、十六夜も共に行うこととなった。蒼も立ち合うように言われ、正装をして維心と共に鳥の宮に到着した。
同じく正装した十六夜がそこに降り立つと、維心は側に寄って話し掛けた。蒼が顔を見るのも久しぶりであったので、維心はおそらくあの日龍の宮で別れてから会ってはいないだろうと思った。
「十六夜…我は…」
維心は他の神と同様に、いきなり本題に入ろうとした。十六夜はチラリとそちらを見ると、遮った。
「維月のことなら聞かねぇぞ。」それを聞いた維心が押し黙ると、十六夜はため息をついた。「オレは今、人で言うところの単身赴任か遠洋漁業にでも出てるつもりでいるんでぇ。お前の所に居るなんざ、考えるのも嫌なんでな。気にするな。」
維心は眉を寄せた。
「遠洋漁業は分かるが、単身赴任とはなんだ?」
十六夜は笑った。
「お前はもっと、人のことを学びな。」
遠く炎嘉が宮を出てこちらへ向かって来るのが見える。三人は背を伸ばして体勢を整えた。回りには、膝をついた龍達が、頭を下げている。
臣下達を引き連れた炎嘉がそこへ到着すると、臣下達は一様に膝をついて頭を垂れた。炎嘉は手を差し出して宮へと促した。
「よく来た、維心よ。それに月、月の当主よ。」炎嘉は順に皆を見た。「我の宮へ。奥に準備させておるゆえな。」
維心と炎嘉は並んで歩き出す。蒼と十六夜はその後をついて歩いた。
鳥の宮は、明るく、高いドーム型の天井の、どちらかと言うと西洋っぽい作りであった。やはり鳥達は飛ぶことの方が多いのであろう、天井からは止まり木のようなものが、空中ブランコのようにぶら下がっているのが見えた。ある程度歩くと、前は行き止まりであるのが見えた。どうするのかと思っていると、維心と炎嘉は同時に飛び上がり、当然のように、上にある回廊の方へ向かって行く。十六夜も軽く飛び上がったので、蒼は慌てて後に続いた。
…よかった、もう人でなくて。人だったら、十六夜に抱えて行ってもらわないといけないところだった…。
蒼がそんなことを思っていると、一同は回廊に着地し、また歩き出した。つくづく、ここは神の宮なのだと蒼は思った。
「蒼、うまく飛べたじゃねぇか。」
十六夜がコソッと蒼をつついて来る。蒼は頷いた。
「大変だったんだよ、練習するの。瑤姫に教えてもらって、里の上空をあっちこっちさ。」
十六夜はククッと笑った。
「見ていたさ。声を掛けて落ちちゃいけねぇと思って、黙ってたけどな。」
そんなことをこそこそと話しているうちに、一つの大きな扉の前に到着した。炎嘉が言う。
「戸を、開けよ!」
開かれた扉の向こうには、頭を下げる大勢の炎嘉の臣下達が居た。そこは大きな広間になっていて、奥にはテーブルと一人が座るには大きい椅子がいくつも並べてあった。臣下達が居並ぶ中を、維心と炎嘉について歩いて行くと、その椅子の内の一つに座るよう促された。
思った通り、一人で座るととても大きく、体が沈み込むほどのクッションがあった。蒼は今身長178センチあるが、十六夜、維心、炎嘉の中では一番小さいので、甲冑を付けていなければ、恐らくもっと貧弱なことになってしまっていただろうと思った。神は、皆、大柄なのだろうか。
横を見ると、隣りの十六夜が遠い。なんだか心細かった。
維心と炎嘉は、蒼から見ると右、左に、向かい合わせで座っていた。十六夜と自分は立会人なので、こんな座り位置になったのだろう。
たくさん居るのにシンと静まり返った部屋に、蒼はますます緊張してしまった。
対する、十六夜はどこ吹く風といった感じだ。維心も炎嘉もこんなことには慣れている。やっぱり自分は場違いな気がしてきたその時、炎嘉が口を開いた。
「皆、外せ。」
ざわざわと皆がざわめく。炎嘉はもう一度命じた。
「聞こえなかったのか?外せと申しておる。」
王の命令は絶対だ。力社会な神の世界では、頂点に立つ王に逆らうことは、命に関わって来る。蒼はそれをこの数ヶ月で学んでいた。
思った通り、皆一斉に頭を下げ、次々に部屋を後にした。ただ一人、若い武将が炎嘉の傍で控えて、去ろうとはしない。
「炎翔、主もだ。」
武将は膝をついて言った。
「父上、我はここに居る権利があると思います。」
一見、我儘な息子のようだが、蒼には月と龍の居る所に、父を一人置いて行けないという気持ちを感じ取れた。炎嘉はじっと息子の目を見ていたが、フンっと目を逸らした。
「好きにせい。」
炎翔はホッとしたような顔をして、立ち上がって前を見た。
炎嘉は、維心に向かって言った。
「維心よ。主、あの時なぜに我に斬られようと思ったのだ。」
蒼は思った。さすが神だ。なんでもストレートで無駄がない。神同士は前置きというものが無いし、それに建前もほとんどない。わかりやすいが、人社会で慣れた蒼にはハラハラすることが多かった。
「あの時申したではないか。我はもう、生きていく事に疲れていたからよ。主も知っての通り、我は長く王位についておるゆえな。月に我が民を託せるなら、そうして逃げてしまいたかったのだ。お前に斬られるのなら、我が一族の恥にはならん。」
炎嘉は眉を寄せて言った。
「主、王というものに興味がないようなことを言うが、ではなぜ父を殺してまでその座に付いたのよ。」
少しぐらい遠慮したらいいのに、と蒼は思った。オレならキレてるかも。しかし維心は答えた。
「我は父を恨んでおった。我の母は人だ。知っていて人に我を生ませた父を殺してやりたかったのよ。結果、王位についてしもうたがな。」
テーブルに肘をついていた炎嘉は背もたれに背をもたせ掛けた。
「ふーん、ゆえに主は妃を取らぬのか。我から見たら、殺してでも生ませるようなヤツだと思うておったに、この千五百年、一人もおらなんだのでな。」
維心は微笑した。
「主のようにぽこぽこと生ませる甲斐性もないのでな。あんなに妃が居ては、顔もわからぬのではないのか。」
これはさすがに皮肉なのではと思っていたら、大真面目だったようだ。炎嘉は予想に反してうーんと唸って頭を掻いた。
「実は、名を間違えてな。その日誰の所へ行くのか分からんようになることがある。と言って、今更減らす訳にも行かぬ。最近はもう、増やさぬようにしておるがな。しかしまあ、出掛けると目に付くものでなあ。」
おいおい。蒼は心の中でツッコミを入れた。オレは絶対瑤姫だけにしよう。
「我には出来ぬことよ。主が羨ましい限りよ。」
維心はクックっと笑った。炎嘉はふと思い出したように言った。
「ときに月よ、主の片割れはどうしている?我はあのように変わった女は初めて見た。興味のあることよ。」
十六夜は不機嫌そうに眉を寄せた。
「アイツは…」
「あれはダメだ、炎嘉。」維心が十六夜を遮って厳しく言った。「主の手に負えるものではないわ。主は気の強い女はダメであろうが。」
炎嘉は手を振った。
「気が強いと、通うのに気が重くなる。何しろ順番に通っておっても待たせるゆえ、そやつの番になるといつも説教よ。やってられぬわ。」
蒼はホッとした。単に女好きな神様なだけか。興味が逸れたようで、炎嘉は背筋を伸ばした。
「では、維心よ。我がこんな話をしたのにも訳がある。ここに広く和解したと知らしめるため、我らは血の絆にて結ばれるべきであると思うのだ。知っての通り、我にはこの炎翔を始め、たくさんの子がおる。歳の問題があるなら、いくらでも生ませてみせるゆえに」炎嘉はニヤッと笑った。「主の子か、また瑤姫殿の生む子、または蒼殿の兄弟でもよい。但し、人は子が生めぬゆえ姉妹はご遠慮頂きたいが。どちらかと、縁組をしようではないか。」
蒼は息をのんだ。が、維心も息を飲んでいる。
「…炎嘉、知っておるのか。」
炎嘉は頷いた。
「母のことは知らぬが、主にも子が生まれるのであろう。女であれば、この炎翔の妃に迎えても良い。」
本人の炎翔は後ろでびっくりした顔をしたが、すぐに平静を装った。
「龍は美しいからの。我が妃に迎えたいぐらいだ。だが、もう手一杯なのでな。」
蒼は思った。オレが親だったら、いくら王様でも絶対この人の妃にはさせたくないだろうな…。維心は、頷いた。
「血縁を結ぶことに異論はない。だが、我の子はその一人きりになるのでな。後を継がせねばならぬ。ゆえに、もしどうしても我の子をとのことなら、女であった場合、炎翔殿にはこちらの宮へ来てもらわねばならぬぞ。男であった場合、妃に迎える子を主が今から作ればいいだけよ。」
炎嘉は大真面目に頷いた。
「炎翔は跡継ぎの息子なのでな。それは出来ん。では、男であった場合、我の娘をそちらへ嫁がせよう。女であった場合は、そちらの誰か、良いように考えてくれ。」
維心は頷いた。蒼はついて行けなかった。生まれる前から…炎嘉様の娘に関してはまだお腹に入る前から…もう相手が決まっているなんて!
「ではまた、追って知らせることとしようぞ。」
維心は立ち上がった。炎嘉も立ち上がった。
「龍に負けない美女の妃に生ませるゆえな。忙しゅうなるわ。」
維心は炎嘉に並びながら眉を寄せた。
「おい、無理はするな。主ももう千七百年は生きておるのであろうが。」
「ふん、十年も年が違わぬのに何を言うか。主に子が出来るのに、我に出来ぬはずはないわ。」
維心は歩きだした。
「我は一人、主は二十一人ぞ。一緒にするでない。」
「何を?!」と蒼達を振り返り、「おお、広間に酒を用意したゆえにな。くつろいでくれい。」
二人は何やら言い合いながら、回廊を歩いて行く。案外仲がいいのかもしれない、と蒼は思った。十六夜が立ち上がった。
「…やれやれ。別にオレが居なくてもよかったんじゃねぇか?先に帰ると言っておいてくれ。」
「え、十六夜?」
十六夜は窓の淵に手を掛けると、そこから飛び立って行った。




