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記憶 2

洪が、臣下を引き連れて、北の社へやって来た。張維があまりに宮へ帰って来ないためだ。

「王よ、我々臣下一同、うち揃ってお願いに参りました。どうか宮にお戻りになり、つつがなくお務めを果たされまするよう。」

張維は洪を睨みつけた。

「務めとはなんだ。」

洪は頭を上げた。

「王のお務めは、我らの統率と、お世継ぎを残される事でございまする!こちらにおるのは人の妃であると聞いておりまする。そのような子も生めぬ者のところに毎日入り浸ってお戻りにならぬとは、宮の妃の方々にも示しがつきませぬゆえに!」

張維は心の底から怒りが湧き上がって来るのを感じた。臣下達は色めきだった。張維の体から、闘気が湧き上がって見えていたからだ。張維が闘気を出すのは、決まって戦の時のみだった。このような時に、これほど怒りをみせるのは、初めてのことであった。

さすがの洪も、驚いて後ろへ下がった。

「お、王…我は…。」

張維は立ち上がった。洪はヒッ!と声を上げて仰け反った。

「我のすることに有無は言わせぬ!より強き跡継ぎは、直に生まれようほどに。心女よ、ここへ!」

「…お呼びでございましょうか。」

臣下の前に現れた心女の腹は、大きくせり出していた。洪は驚きのあまり、口をぱくぱくさせている。人の女に、子を!

「これで文句はあるまい!主らの望んだ、最も強い跡継ぎの皇子よ!これが生まれるまで、我はここにおる!」

一同は頭を下げて平伏した。何も文句は言えないだろう。この子は、腹におる今ですら、強い気を発している。おそらく最強の龍であるはずだ。

臣下は、それから生まれるその日まで、誰一人として北の社へ訪ねては来なかった。


ついに、その日はやって来た。

夜半より、心女は産気づき、宮から侍女達が大挙してやって来て、臣下は次の間で待機し、張維の初めての、しかも世継ぎの皇子誕生とあって、皆緊張でそわそわと落ち着かなかった。

本来なら産所へ入ってはならぬと言われている男である張維は、ずっと心女に付き添った。誰も張維には逆らわなかった。今から生まれる皇子を、わかっていながら人の女に生ませる、非情な王だと思われているからだ。張維はそれでもよかった。最後まで、心女のそばに居てやりたかったのだ。

「あと半刻でございます!」

侍女が皆に告げた。いよいよ痛みは強く、その感覚も近くなり、心女は汗をかきながら、必死で痛みと戦っていた。

「心女…!」

心女は張維を見て、それでもにっこりと笑った。

「ああ…あとしばらくでございます、張維様。」

張維は心女の手を握り締めた。心女もその手を握り返し、また子を出そうと力を入れる。

いっそ、子が死んで生まれれば…張維はそう願う自分を恥じた。心女は命を掛けて生もうとしているのに。我は、心女のことばかり考えている。

心女の手にまた力が入った。侍女がまた叫ぶ。

「お生まれになります!」

何かが、心女の体から取り上げられたと思った瞬間、子は勢い良く泣き出した。心女は、薄れて行く意識の中、その子を見た。

「おお…吾子よ…。母は…そなたに、この命、託します…。」

心女の生気がみるみる内に無くなって行く。張維は叫んだ。

「心女!心女よ…我も、すぐに行くゆえに!待っておれ!」

心女は微笑んだ。

「張維様…私は、幸せ、でござい…ます…。」

心女の生気は尽きた。

張維は、綺麗に産湯で洗われ、白い布でくるまれた、その強大な気を放つ子を抱き、臣下の前に立った。

一同は、王の姿に額を床に付けて頭を下げていた。

「世継ぎの子、名を、維心とする!」

「ははー!!」

皆がひれ伏した。


それからの毎日は、張維にとって、まるで膜の外で起こっていることのような気がした。

何をしても、強い感情も沸き起こらず、心女のところへ行きたくても、戦であろうと内戦であろうと、張維に勝つ者など誰もおらず、ただ淡々と生き長らえているだけであった。

あるとき、ふと、息子を見た。他の龍など歯牙にも掛けないあの強い気。計り知れない闘気。あれは、間違いなく最強の龍だ。

我を倒せるのは、あれしか居ない。

張維は、わざと息子に、その誕生のことを知らせた。臣下に面白おかしく話す所を、維心に聞かせたのだ。あれはまだ幼い。しかし、我の血を分けた子なのだ。成長した後、必ず我を狙って来る。

維心は、思ったより早く成長した。人の血のせいか、何にも増して成長が早い。まだあどけない小龍でしかないと思っていた維心は、気が付けば、大きな闘気をまとう青龍に成長していた。

ある日、目の前で龍身を取った維心を目の当たりにした時、張維は思った。ああ、やっと心女に会える。

息子の牙は易々と張維の喉元を噛み切った。そのようなことが出来る龍は、鳥でも、居なかった。

維心が、誇らしかった。心女と、我の、ただ一人の子…。


父を許せ、維心よ。

我は主に、その強大な力と、大きな責と、そして孤独を残して去る。

父は、主の母に、ただ会いたかったのよ。

主は我の鐵を踏まぬよう、ただ、少しでも、幸福であれ…。



目を開けた時、隣りで維月が泣いていた。

十六夜は押し黙っている。維心は、自分の頬を流れるものを感じ、それが涙であることに気付いた。

何かを求めて視線を向けると、維月がこちらを向いて、維心をその胸に抱き締めた。

維心は一瞬戸惑ったが、すぐにそれを求めていたことを知り、維月を抱き締め、そのまま泣いた。

十六夜さえ、それを咎めることはなかった…。

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