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記憶 1

穀物が実る頃、張維は再びその家を訪れた。

よく見ると、あの女が一人稲を刈っていた。他に人の影はない。張維はこちらに気付かぬ女に声をかけた。

「無事に実ったようだな。」

女はびっくりして飛び上がった。そして、それがいつぞやの男だと知ると、ホッとしたように言った。

「はい。明日には雨になりそうなので、今日中に済ませてしまわなければと。」

もう日は傾きつつあるのに、まだ半分も終わっていない。張維は驚いて訊ねた。

「他に人はおらぬのか?主一人では、これは終わらぬであろう。」

女は首を振った。

「私一人です。出来る所までやります。」

そしてまた、稲を刈り始めた。張維は困った。ここで力を使う訳にもいかぬ。かといって、我が稲を刈るなど…。

女は黙って刈っている。しばらくそれを見ていたが、その効率の悪さに思わず張維はその鎌を取り上げ、刈って見せた。

「ほれ、このようにするのよ。主のやり方では、日が暮れてしまうわ。」

女は見よう見まねで刈ってみた。ダメだ、これではとても…。

気がつくと、張維は一人で残りを刈り終わっていた。こんな風に体を使ったのは初めてで、しかし、終わってみるとなかなか清々しかった。

女は張維の刈った後の稲を棒に引っ掻けて吊るし、嬉しそうに笑った。

縁側に腰掛けて湯を飲みながら、張維は女に言った。

「主、こんなことはし慣れてないのであろう?なぜにこのような所で一人、隠れるように住んでおるのだ。」

よく見ると、手は荒れて切れている。女は淋しげに笑った。

「私は巫女でございました。神々の声を聞くのが仕事でありましたが、ある日それが全く聞こえなくなり申し、村人に追われ、それを不憫に思ってくれた人にこの家を密かに与えてもらい、住んでいるのでございます。」

張維は、何か覚えがあった。先の小さな戦で討ち果たした神は、確かこの辺りに住んでおったよな。

「…おそらく、それは主のせいではない。神が、居なくなったから声が聞こえなくなったのだ。」

その女はとても驚いた顔をした。

「神も、死ぬのでございますか。」

張維は頷いた。

「命あるものは、皆死ぬ可能性はある。神とて同じだ。」

張維は考えた。これからは、神を討つ時にはよく考えなければならぬな。人に影響があるとは思わなかった。

張維はハッとした。そういえば、名を聞いていなかった。

「我は張維と申す。主、名はなんという?」

女は座り直して頭を下げた。

「私は神の心の声を聞くというので、心女(しんめ)と呼ばれておりました。ですが今は聞こえませんので、名はありません。」

そう言われても、他に思いもつかない。張維はその名で呼ぶことにした。

「心女でよい。」

心女は、日が暮れた空を見ながら、思いきったように言った。

「こちらには今、食べるものもございません。何かお出し出来れば良いのですが…。」

張維は、驚いた。そうか、人は食すのだった。

「いや、その必要はない。我は…その…あまりものを食さぬゆえにな。来る前に済ませて来ておる。」

心女は不思議そうな顔をした。それでも立ち上がり、中へ促した。

「では、せめてこちらでお休みくださいませ。どちらかに宿をとらねばならないのでしょう?外よりはましでございますので。」

張維はまた驚いた。我が人の家に?しかし、帰らなければおそらく、他の龍が慌てふためくであろうな。それも面白い。

張維は立ち上がった。

「では、ここで今日は世話になろう。」

張維は心女について家の中へ入った。


その夜、何かの気配を庭先に感じ、張維は起き上がった。心女が眠れないのかと思いきや、それは何人かの男であった。昼間刈り取った稲を、肩に担いで運び出している。そして、何人かの者は、家の戸へ手を掛け、中へ入って来た。

大きな音がして回りの物が倒れる音がする。心女の悲鳴に、張維は狭い家の中を抜け、音のする部屋へ飛び込んだ。

「なんだお前は?!」

男達は振り返って凍り付いた。心女は押さえ付けられ、着物が乱れている。張維は、刀を抜かず、少しの気を放った。

男達は、張維に触れられることもなく吹っ飛んだ。さらに近付く張維に、腰の刀をみやって男達は後ずさっている。

「ふん、人め。主らなどに、刀を抜く必要などないわ。」

張維は手首をスッと返し、触れもせず皆裏山の方へ放り投げた。おそらく50メートルの高さはあるであろう位置より、皆地面へ叩きつけられた。悲鳴と、鈍い音が響き渡る。

「穀物を取り返さねばな。」

張維はそう呟くと、家を出て行った。

しばらく飛ぶと、肩に稲を担いだ数人が走って行くのが目にとまった。張維はその行く手を遮るように舞い降りた。

「ひっ!」

一人が悲鳴を上げ、稲を肩から落とした。

「返してもらおうと思うてな。」

張維はニヤリと笑うと、触れもせずその男の首を折った。他の男達はそれを見て、稲を放り投げ、一目散に走り出す。張維は左手で稲を集め、右手でひらりと賊達を放り投げ、地面へ叩きつけた。

後には、なんの音もない。

「愚かなものよ。」

張維は稲を手に、心女の家へ戻った。

心女は、頭を下げてぶるぶると震えていた。張維は心女に近付いた。

「賊は討った。穀物は取り返した。我の役目は果たしたの。」

心女は床に額を擦り付けて頭を下げている。

「張維様…私は、私は知らぬとはいえ、なんとご無礼を…。」

張維はイライラした。何を言っている?

「神であられるのですね。私は神に稲刈りなど…。」

張維は笑った。そうか、稲刈りか。確かにな。

「いかにも、我は龍神よ。あのような人が嫌いてあるゆえ、探しては討っておるのよ。暇であるゆえな。確かに稲刈りは初めてであったわ。」そして、夜空へ浮き上がった。「良い座興であった。去らばだ、心女。」

心女は顔を上げた。

張維は宮へと帰った。


宮へ帰り着くと、臣下の龍がわらわらと迎えに出て来た。

「王!」

古参の龍が、黙って奥へと急ぐ張維にまとわりついている。

「どこへいらしておられたのですか。このような時間まで…」

「うるさいわ、(ほん)。我の勝手であろうが。」

張維は上着を脱ぎ捨てて奥の居間で座った。洪は食い下がった。

「妃の皆様のこともお考えくださいませ。今日は明花(めいか)様の所でお泊まりのはず。」

張維は鬱陶しげに手を振った。

「では、明日参る。」

「明日は廉花(れんか)様の所でございます!ご予定が崩れて、宮が乱れてしまいまする。」

張維はため息をついた。

「主達がぽこぽこと何人も妃を決めるから、このようなことになっておるのだろうが。我は顔も定かに覚えておらぬわ。いくら美しゅうても、顔も知らぬ女と過ごすなど落ち着かぬ。」

「王!」洪は回りを伺った。「そのようなこと、申されてはいけませぬ!早く跡継ぎの皇子をお生みにならねば、臣下は落ち着きませぬゆえに。」

張維は立ち上がった。

「もう良い、休む。下がれ!」

「王!どちらへ…」

「我の部屋だ!」

「王!せめて…」

張維は戸を閉めた。息が詰まるわ。


しばらくのち、張維はまたぶらぶらと人里を歩いた。心女のことを思いだし、家に行ってみると、もぬけの殻だ。

どこかへ出掛けているのかと、村の方へ行くと、何やら不穏な気を感じた。張維は、回りの村人の話を聴覚を鋭くして離れた場所から聞いた。

「あの女は、やっと今日殺すらしい。」

「化け物だったなんてねえ、怖い怖い。」

「大の男を何人も一人で殺すなんてね…」

「でも、なんで逃げ出さないんだい?」

「それは新しい巫女の力だろうよ…」

何やら、嫌な予感がした。化け物とはなんだ。新しい巫女とは?

張維は人に見えない姿で、牢へと赴いた。

牢の中には誰も居らず、探してみると、引き出されて神殿へ連れて行かれたらしい。張維は飛び上がって神殿と呼ばれる場所へ降り立った。

中は他の人の住まいよりしっかり出来ている。奥に行くと、そこには縄で縛られ痛め付けられた心女と、白い着物を着た女、それに回りにはたくさんの人が取り囲んでいた。

張維が近付いて行くと、心女は腫れた顔を上げた。

「張維様!」

張維は感心した。

「ほう、主、今の我が見えるのか。真に巫女であったのだな。」そして、目の前の女を見て「こちらは偽者であるな。我が見えておらん。」

回りの人は、心女が何かを見ているのでキョロキョロとしている。

「惑わされるな!化け物の虚言よ。」

白い着物の女は、言い放った。張維はムッとした。偉そうな女よ。

「…ふん、我も見えなんだ主などが、虚言などと言うとは片腹痛いわ。」

張維はわざと姿を現した。その場に居たもの全てが慌てふためき、腰を抜かしているものもいる。

女は、ガタガタ震えながら、何やら唱えている。張維は笑った。

「なんの神に仕えておる?ここにはとうに神などおらぬわ。我が討ってしもうたのでな。」

張維は祭壇を、手を上げてバラバラに崩した。

人々は逃げ惑い、転がるように走り出して行く。

「ふん、逃げられはせぬわ。」

張維が手を上げようとすると、縛られたままの心女が叫んだ。

「張維様!お待ちくださいませ、これ以上は、お許しくださいませ!」

張維は驚いて振り返った。

「何を申す心女よ。主はこのような目に合わされたのではないか。」

「私は、もうよろしゅうございます。どうかお怒りを静めてくださいませ。」

張維は手を下げた。心女の縄を切ってやり、手を差し出した。

「心女よ、ここに居ってはならぬ。我と来い。」

なぜ、そう言ったのかわからなかった。ただ、もう放っておけないと思った。

心女はためらっていたが、張維の手を取った。

張維は心女を抱き上げ、空へ舞い上がった。


張維は、龍の宮の北、山の中腹にある、昔神が住んだ社へ心女を連れて来た。そこは山深く人はめったに立ち入らず、また、神も気にとめない静かな場所だった。

「ここで暮らすがよい。必要なものは皆届けよう。ここなら、主も誰にも痛め付けられず過ごせるであろう。」

心女は、ためらった。神の社は古いとはいえ人には広すぎるのかもしれない。張維は何か食すものをと思い、宮へ戻ろうとした。

「張維様…。」

心女は目に涙をためて、張維の袖を掴む。その目に、張維は不安と孤独を感じ取った。

「心女…わかった。我はここに居よう。」

張維は、心女を抱き寄せた。


それから毎日のように、暇を見付けては、張維はそこへ通った。そこに居る間は、張維もうるさい臣下やいろいろな責務を忘れてくつろぐ事が出来た。痩せていた心女も健康そうになり、顔色も良くなり、笑うことも多くなった。

張維は生まれて初めて、安らぎや幸せというものを感じる事が出来た。

ある日、心女は恥ずかしそうに言った。

「張維様…私、子が出来ましたようです。」

張維は愕然として、手にしていた茶碗を落とした。そうだ、その可能性があったのに。我はなんと迂闊であったのか!

「ダメだ、その子は生めぬ!心女よ、諦めるのだ。」

心女は驚いて首を振った。

「何を申されます!私の子です。必ず生みます。ご迷惑はおかけ致しません。」

張維は取り乱していた。

「違うのだ、心女よ。人に神の子は生めぬ。その子は主の気を食らい尽くして生まれるのだぞ!主は子の誕生と共に死ぬ!」

心女はショックを受けたようだった。しばらく黙ったのち、静かに言った。

「張維様、私は人です。放って置いても、神から見れば一瞬で死する身。ですが私の生きた証のこの子は、我より遥かに長生きして行ってくれます。人が生むというのに!母として、これほど幸せなことはあるでしょうか。」

張維は首を振った。

「ダメだ!今ならまだ間に合う、我にその子を消させてくれ。」

何も考えられなかった。心女が居なくなるなど考えたくもなかった。初めて自ら選んだ、妃であるというのに。

心女は首を横に振った。

「私達の子を消すなどと言わないで。この子を消すなら、私も共に死にます。」

張維は顔を上げた。心女…。

「…我を、置いて逝くのか、心女よ。」

心女は張維を抱き締めた。張維はそのままずっと、心女の側から離れなかった。

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