誕生と…
蒼は、龍の宮の復旧作業の手伝いに来ていた。
龍達は皆戻って来ていたが、これを機会に直しておきたい所もあると、いろいろ改装をした結果、時間が掛かってしまっていたのだ。
蒼がすることと言えば、資材の振り分けや進み具合の確認など、肉体労働ではなかった。何しろ、そういうことなら、龍達の方がよほど早くて力があるのだ。
あの日、蒼達は万全の備えをして待ち構えていたが、来たのは、戻って来た維心と維月、それに機嫌の悪い十六夜だった。
維心を心底心配していた龍達は、その顔を見て皆一様にホッとしていた。維心も、少し落ち着いた表情になっていたが、十六夜だけが終始不機嫌で、蒼にはその意味がわからなかった。
母のお腹は、次の日、急に大きくなった。
いったい何がどんな形で命になっているのか、それがわからないだけに、いつ生まれるのか全くわからないので、お腹が大きくなった時点で、里より外へ出ることを、十六夜にも維心にも止められ、仕方なく家で大人しくしている。
十六夜も今は滅多にこちらには来ず、里に詰めているので、蒼がこっちに来っぱなしな状態だった。
瑤姫が甲斐甲斐しく世話をしてくれるので、それでも蒼は何も不自由していなかった。
何かあってはいけないと、維心もほとんど里に居るので、何か事あるごとに皆は蒼に意見を求めて来る。
それが実に多岐に渡っていて、かなり面倒だったりするので、実は維心様は、これから逃れる為に里にいるのではないかと思うこともあった。
「蒼様、少しご休憩なさいませぬか?お茶を入れましてございます。」
瑤姫が、蒼に声を掛けて来た。蒼はなんだかホッとしてそちらへ歩いた。
「ありがとう瑤姫。」
瑤姫はテーブルの上に茶と茶菓子を並べた。
「もう落ち着いて参りましたね。こちらも明日には終わりそうですわ。」
蒼は、布地を天井より垂らす作業をしている龍達を見上げた。飛べるのは、本当に便利だ。足場なども必要ないので、指示するのにとても楽だった。
「本当に龍達は優秀だね。人もこれだけ統率がとれて、効率が良ければいいのに。」
龍達にはきちんとした序列があって、本当に皆自分の責務に真剣だ。これが神と人との違いなのだろうが、わかっていてやらないのはやはり人の弱さなのかもと思った。
「人の世とは、難しいものでございます。」
瑤姫は考え深げに言う。蒼は答えようと口を開いて、めまいが襲って来るのを感じた。
「神だって…大変…。」
そこまで言い掛けて、蒼は自分の身にただならぬ変化を感じた。胸が締め付けられるようで、息が苦しい。ダメだ、力が…。
「瑤…姫、十六夜…に…。」
蒼はその場に倒れた。瑤姫は慌てて叫んだ。
「蒼様?!蒼様!ああお兄様に!月の宮へ早く!」
瑤姫は蒼を抱き抱えて名を呼び続けた。蒼の意識はそこでなくなった。
「……。」
維月はかがみこんだ。なんだろう、生まれるような気がする。でも、他の子達とは違う、気が遠くなるような感覚。
「維月?具合が悪いのか?」
十六夜が慌てて駆け寄って来る。維月は頷いた。
「なんだか生まれる気がする…。でも他の子達とは違うの。気が遠くなるような…。」
十六夜は維月を抱き上げて部屋のベッドへ急いだ。どうしたらいい?
「維心!維月が生まれると言ってるぞ!」
維心は飛んで来た。維月は真っ青な顔をして、息を荒くしている。その額に触れ、何かを探っているようだったが、維心は首を振った。
「…わからぬ。維月の意識がどんどん失われて、気が減って行く。何事が起こっているのかわからぬのよ。」
その時、龍が駆け込んで来た。
「王!こちらですか?」
「なんだ。」
維心は維月から目を離さず、めんどくさそうに言った。その龍は慌てている。
「宮にて蒼様がお倒れになった由!瑤姫様よりすぐにお戻りくださるようにとのこと。」
十六夜も振り返った。「蒼が?!」
「我は今ここを離れる訳にはいかぬ。維月が今命の力を急速に失っているのだ。もしかしたら、腹の子が維月の気を食うておるのかもしれぬのだ。ならば気を補充せねば、いくら月でも命を落とす!」
維心は珍しく取り乱していた。自らの誕生の時を見ている錯覚にとらわれているのだ。
「…オレが行く。」
十六夜が言った。維心はびっくりして十六夜を見た。こんな時に維月の側を離れるというのに、驚いたのだ。
「主が?」
「オレは蒼を守らなきゃならねぇ。」と維月を見た。「維月より蒼を優先すると、維月に約束した。蒼の気が感じられねぇ。アイツはなぜだか死にかけている。」
十六夜は戸口へ向かった。
「維月を頼む!死なせるんじゃねぇぞ、維心!」
十六夜は一気に飛んだ。維心は維月を見た。
「…維月、死んではならぬ。我が死なせはせぬ!」
「蒼!」
十六夜は部屋へ飛び込んだ。奥に寝かされている蒼は、龍達が囲んで気を必死で補充しているものの、顔色を失い、意識もなく、既に死んでいるかのようだった。
「十六夜様!」瑤姫が叫んだ。「ああ十六夜様、先程急に倒れられたのでございます。人の体の心の臓は止まり、呼吸もなくなり、我が一族の者が今、気の補充をして、やっとお命をつなぎ止めておりまする。しかし、補充を止めれば、もはや息はございませぬ!」
十六夜はとにかく、自分の力で蒼の体を満たして保護した。何が起こったのかわからない。人の体をよく知る有が、先日定期健診とやらをしたではないか。なんの問題もなかったのに、何が起こっている!
瑤姫は涙を流しながら蒼の手を握りしめて言った。
「ああ、里でめまいがするとおっしゃっていらしたものを。あの時なぜに我は人の医者に診てもらうよういわなんだのか!」
十六夜も月の気を補充しながら言った。
「人の体はおそらくなんの異常もねぇ。とにかく、維心が維月の子を無事に取り上げるまで、蒼をもたすしかねぇ!」
瑤姫は顔を上げた。
「お母様が子を生まれまするのか!それでお兄様は…。」
「あっちも死にかけてるんだよ。」十六夜は呟いた。「いったいどうなってやがる!蒼、しっかりしやがれ!」
蒼は、暗闇を歩いていた。よく見ると、薄ぼんやりと辺りが光っているようだ。だが、足を止めてはいけない気がして、ひたすら歩いていた。
しばらく行くと、前に光輝く入り口のようなものが見えた。蒼は、自分がそれを求めて歩いていたことに気付いた。
向こう側は光輝き、とても明るく幸福な感じがした。よく見ると、そこには何人かの人が笑いながら話しているのが見える。蒼がそこへ行って話を聞こうと戸に手をかけると、誰かが気付いてこちらへ歩いて来た。その顔は、どこか懐かしく、維月に似ている気がした。
『まあ』その女性は言った。『蒼ではないの。あなた、どうしてここに?』
蒼は驚いた。オレを知っているのか?
「なぜオレを知ってるんですか?」
女性は微笑んだ。
『ずっと昔から知っていてよ。でも、あなたにはまだまだ会えないものだと思っていたのに。』
蒼はいぶかしんだ。初めて会う人なのに…。
ふと、その女性は上を見た。
『あら、月が…あなたを呼んでいるわ。聞こえない?』
蒼は見上げた。ここには月も出ていない。でも、確かに十六夜の声が聞こえた気がした。
蒼は急に寒さを感じ、その入り口の中に入ろうと足を上げた。
すると、何かが自分を引き戻した。何もないのに、見えない何かが全身に絡みつき、蒼が前へ進むのを阻んで来る。蒼は助けを求めるように、女性を見た。
『ああ、やっぱり。』その女性は微笑んだ。『あなたはまだこちらへ来てはいけないのね。』
「どういうことですか?」
蒼はすがるように聞いた。寒さは一段と厳しくなる。
『…主には使命があるのよ。』
蒼は見上げた。そこには、維心に似た武将が浮いていた。声や、仕草までもが似ている。とっさに、これは龍だと思った。話していた女性が頭を下げている。
『張維様。』
張維と呼ばれたその龍は、軽く返礼をし、蒼の横へ降り立った。
『蒼、主には選ばせてやろうぞ。主の人の体は今、死のうとしている。なぜなら、主の使命のため、長の命を持たねばならなくなり、その身は人としてでなく人外として生き直す必要があるためじゃ。』
蒼は混乱した。人外だって?
「オレは…人でなくなるのですか?」
張維は頷いた。
『そうだ。主の体には新たな命が宿り、主は人ではなくなる。しかし、主が望むなら、このままあちらへ逝ってもよい。新たな命はその必要に答え、意識を形作り、別の個として主の体で生きるであろう。本来ならば選べぬが、我は主を気に入っておるのでな。どちらなりと選ぶが良い。』
蒼はその意味を考えた。これから先、恐らく人の命では耐えられないような事が起こるのだろう。それゆえに、自分は今、人ではない命を与えられようとしている。しかし、今向こう側へ逝く事を選べば、その責務から解放され、自分は人としての一生を終える事が出来る。向こう側の世界は、思ったほど暗いものではなく、とても明るく過ごしやすそうな、心の安らぐ風景だ。このまま死ぬ…そして生まれながらに人外であった命が、少しずつ目覚めて蒼の責務を負って、あの体で生きて行く。それは、蒼から見て、至極当たり前のことのように思えた。
蒼は、その入口に手を掛けた。
《蒼、しっかりしやがれ!》
十六夜の念が頭に響いた。
「十六夜…。」
張維はフッと笑った。
『おお月か。月は不死なゆえな。もう話すこともあるまいて。』
蒼は念の出どころを探した。
「十六夜!オレ、行くよ!」
答えはない。張維は首を振った。
『こちらから念は届かぬ。主はもう、死のうとしているのだ。気は向こうに残ってはおらぬ。他の龍達や月が己れの気を分け与え、辛うじてつなぎとめておるだけよ。主が逝くと決めたのなら、我がそれをここで断ち切れば済むことであるがな。』
「十六夜…。」
蒼は思った。自分が去ることで、いったい何人の人が苦しむのか。母さんをその苦しみの中に引き戻したのは自分だ。あの温かい場所に居た母さんは、皆が泣くのを聞いて、龍神ですら驚くスピードで戻って来た。迷いもせず、そこにどんな悲しみが待っているか、苦しみが待っているか、そんな自分のことは考えもせず、ただ、家族のために、人外になって戻って来た…。
蒼は、自分のことしか考えていなかったことを恥じた。オレに何か責務があるなら、自分で果たさなければならない。途中で放り出して他の命に押し付けるなんて、きっと許されることではない。
「張維様、オレは、戻ります。」
見守っていた張維は、満足げに頷いた。
『さもあろう。主は中途で何もかも放り出せるはずはないと思うておったわ。』
ふと気配を感じて振り返ると、遠く母がこちらへ歩いて来るのが見えた。しかしこちらには気付いていないようで、足取りもかなり重い。歩いては止まり、歩いては座り込み、また戻り、といった風で、とてもこちらへ到達出来そうにない。蒼はそれを見て、助けようとそちらへ行きかけた。張維が言う。
『あれはここまで来れぬ。維心が必死で止めておるゆえ、とても前へは進めぬわ。おそらく、そろそろ、消えるであろう。』
その言葉通り、光が大きく母を抱きかかえるよう包むと、母はその場から消えた。
『では、そろそろ時じゃ。主は行かねばならぬぞ。』
蒼は頷いた。そして、入口の向こうでこちらを見ている女性に話し掛けた。
「オレは帰ります。」
女性は頷いた。
『今度はいつ会えるかわからないわね。でも、私達は見ているから。』
笑ったその顔は、本当に母に似ている。もしかして…。
「あなたは…」
蒼がそう問いかけた時、張維が大きく気を発し、蒼は上へ放り上げられた。戻って行く。
『蒼よ、我の頼みを聞いてくれぬか。』
蒼は上に向かって飛び上がりながら、張維の声を聞いた。
『我の記憶、維心に渡してくれ。我はアヤツに、謝らねばならぬゆえの。』
「張維様、それは…」
大きな光が蒼を包み込んだ。
蒼は、そこで、気を失った。




