対峙
臣下から次々ともたらされる月の事は、ことごとく不穏なものであった。
月は、神に関心を示さぬ。
月は、その力で簡単に神を封じ、また消し去る。
月は、全てをあまねくバランスを取り、その力なくば地に変調をきたす…。
そして月は、維心のみと話し、他の神の声は聞こうともしない。
しかし、維心は月の宮にも訪問し、封じられる風もなく親しく過ごしている…。
維心には未だ子はなく、瑤姫と月の当主との間に子が出来れば、その子は月の守りの中に入る。そして、さらにその子が男であれば、それは維心の後継者になる。
龍の宮は、月の守りの中に入るのだ!
「維心…主はこの機を待ち、今までおとなしくしておったのか。誰も手を出せぬ鉄壁の鎧を身に着けて、我を討つために!」
炎嘉は激怒して立ち上がった。臣下は皆怯えて膝をつき、頭を下げている。
炎嘉は側の炎翔を見た。自分の子の中で、一番強い気を持ち、次は王となるはずの者。しかし、炎翔では月には、いや維心にすら歯が立たないであろう。父の顔が目に浮かんだ。我は一族を守らねばならぬ!
「軍神を集めよ!気取られぬよう準備をせよ!我が戻るまでに、全て整えて待機するのだ!」
炎嘉は会合へ赴いた。維心め、主の面、とくと目に焼き付けて、討ち果たしてくれるわ!
炎嘉は、崩れて乱れた龍の宮の中に立っていた。なんの備えもなかったのであろう、そこには龍達の日常の後が残されたままになっていた。
やはり、自分の力をもってしても、維心にはかなわなかった。他の龍達は制圧出来ても、維心だけはどうしても討ち果たす事が出来ない。炎嘉は、無力感に苛まれていた。
ヤツは、我を討たなかった。月も臣下を討とうとはしなかった。聞いた通り、ただ見ているだけで、他の龍達をどこかへ連れ去った他は、何一つ手を出さなかった。
炎嘉は、初めて月の声を聞いた。深く力強く、天上から聞こえるそれは、全てを見透かされているようで、畏怖の念をわき上がらせた。それはどこか維心に通じ、また炎嘉はイライラした。
「王、やはり一体も龍は残っておりませぬ。」
臣下が膝をついて報告する。炎嘉は頷いた。
「さもあろう。月が連れ去ったのであるからな。」
炎嘉は月を見上げた。おそらく全てが見えているのであろう。元より、かなう相手などとは思っておらぬ。しかし我は、一族の王として、最後まで戦わねばならぬ。さすれば維心も、我一族を踏みつけには出来ぬであろう。
炎嘉は命じた。
「隊を整えよ!負傷したものは我宮へ。残った者は、月の宮へ向かう!」
立ち上がった十六夜を見て、維月も立ち上がった。
「維心様?」維月はその気配が消えたのを感じた。「十六夜、維心様が!」
十六夜は月を睨み、その行方を見た。どこへ瞬間に飛ぼうとも、月からその気を探せばすぐに見つける事が出来る。やはり維心は、炎嘉の元へ向かったのだ。
「…ヤツが望んだことだ。オレにはどうしようもねぇよ。」
十六夜は視線を落とした。維月は言った。
「そんな!維心様を止めないと!このままでは命を落としてしまうわ!」
「ヤツはオレにそんなことは望んでねぇ。龍達を匿えと言った。それがヤツの望みだ。」
維月は歯軋りした。
「もういいわ!蒼!蒼!」
維月は蒼を呼んで走り出した。十六夜は慌てて後を追う。
「維月!何をするつもりだ!」
「呼んだ?母さん。」
義心と話していた蒼が、こちらへ不思議そうな顔をして歩いて来る。蒼は龍達の当面の生活について考え、義心と話し合っていたのだ。
「ああ蒼!ここに居たのね」蒼は維月と十六夜のただならぬ様子に驚いている。それを無視して維月は続けた。「あなた、ここを守りなさい。まず有に結界を張らせて、恒と遙に強化させて、あなたは、もしここに炎嘉の軍がやって来たら、月の力でここを守りきるのよ。」
蒼は頷きながら、戸惑っている。
「母さん?炎嘉が来るのか?!」
「ええ。あなたは月の力をほぼ使える。なんでも出来るのだと頭に置いておくのよ。闇を封じるのと同じだから。」
「その必要はねぇ。オレがここを守るんだからな。こら維月!」
維月は走った。戸口から外へ出る。飛んでも、きっと間に合わない。それに十六夜に止められてしまう。維心様はなんと言っていたかしら…。
…維月、そこへ行きたいと望むなら、そこに居る相手の気を探るのだ。そして、その気を頼りに一気に飛べば、その気持ちが強いほど早くそこへ着くのだ。主にも十六夜にも、出来るはずよ…。
維月は、維心の気を探った。今、行くわ!死んではいけない!
「維月!」
十六夜は、伸ばした手が空を切るのを感じた。瞬時に飛んだのだ。
「…クソッ変なこと覚えやがって!」
十六夜は月を見上げた。
「オレは行く!蒼、ここを守れ!」
蒼が頷くのを待たず、十六夜は月に向かって光になって戻って行った。
炎嘉は、軍を整え、先頭に立って月の宮へ飛んでいた。ふと、前に気配を感じる。
「王!あれは…!」
目を凝らすと、それは維心の気であった。しかし、他に龍は見当たらない。維心はたった一人でそこに浮いていた。
炎嘉の軍は、立ちどころに維心を中心に回りを囲んだ。炎嘉は、前に進み出た。
「…主、こんなところで何をしておる。まさか我が軍を倒すには、主一人で充分だとでも言いたいのか。」
維心は微笑した。
「そうかもしれぬな。我はまだ、全力で戦ったことがないゆえに。」
しかし、維心からはなんの闘気も感じられない。炎嘉は訝しんだ。
「…月が主を守っておるのか?でなければ主といえどもこのような所に一人でおるわけはなかろう。」
維心は首を振った。
「ヤツはそんなことには興味はない。しかし、我の龍達は守ってくれるよう頼んでは来たがな。ゆえに、あの宮は落ちぬぞ。月が無関心でも、当主がおるのでな。月はあの宮は絶対に主には渡すまいよ。」
炎嘉はますますイライラした。こやつは何ゆえここに居るのだ!
「フン、なんとでも言えば良いわ。ここで決着をつけるのも良い。主の首を持って、月の宮へ赴こうぞ!」
炎嘉は刀を振り上げた。しかし、それを降り下ろそうとしても、維心は全く刀に手を掛けようともしない。刀を下ろした炎嘉に、維心は問うた。
「…なんだ、斬らぬのか。」
「…主、何を考えている?まるで…」
まるで、我に斬られたいかのように。そうだ。こやつから流れて来る気は、穏やかで何の闘気も無い。まるで、何かから解放されたいかのように…。
「そうか、このように無抵抗のヤツは斬れぬか」維心は刀を抜いた。「来るがよい、炎嘉。」
炎嘉も刀を構えた。維心、主はまさか…。
「手出し無用ぞ!」
炎嘉は臣下に申し渡した。思った通り、維心からは刀を交わしていても、何の闘気も感じない。間違いない。こやつは、死ぬために来たのだ。
「考えながら向かっていては、我は斬れぬぞ。炎嘉よ!」
強い一撃が刀に伝わって来る。炎嘉は大きく刀を振り下ろした。
「何を言う!腰抜けが!」
刹那、炎嘉の攻撃を受けた維心の刀がその手から離れて飛んだ。
「斬れ、炎嘉。それで終わりだ。」
「…さらば、維心よ!」
炎嘉が刀を振り上げる。維心が目を伏せたその時、ふわっと覚えのある気が自分に覆いかぶさるのを感じた。死する時、このような感覚がまとい付くのか?維心がその正体を見ようを目を開けると、自分をかばうように抱きついている維月が目の前に見えた。
維心は驚いて維月を抱いて炎嘉の刀を余けた。
「何をしているのだ維月!主は月の宮におれ!月はどこだ!」
維心は月を見上げた。
《そいつはオレの言うことは聞かねぇ。元は人だ。考え方が人なんだよ。》
「何をしておるのだ維心!」炎嘉は苛立たしげに刀を振り上げた。「女も共に斬るぞ!」
「ダメだ炎嘉!これは月だ!」維心は維月を離そうと力を入れた。「離れていよ、維月!主の人の体は万能ではない!神に切られれば一溜りもないぞ!」
炎嘉が刃を突き立てようとしている。維心は維月をかばおうと背を向けて構えた。すると、炎嘉は何かの力に押し返され、宙に浮いたまま後ろへつんのめった。
「…十六夜か?」
維心が言うと、十六夜は不機嫌に答えた。
《…維月がお前にへばりついている限り、オレはお前を斬らせる訳にはいかないんだよ。死にてぇんなら、早く維月を自分から引き剥がせ。》
維心の回りを光の枠が囲み、誰が破ろうとして切りかかっても跳ね返されてしまう。維心はそれを見て、維月に言った。
「維月、人の主にはわからぬかもしれんが、我はもう、楽になりたいのよ。我が龍達は、月がおるゆえもう安泰だ。そろそろ、休ませてはくれぬか。」
《維月、維心は千五百年もこうやって来たんだ。やっと楽になれるってぇのに、お前はなんでそんなに維心を引き留めたがるんだ?》
十六夜も言う。維月は、顔を上げて言った。
「そんな…そんなの、わからないわ!何が楽なの?維心様は、何一つ幸せだと感じることなく、他の神のことばかり考えて生きて来たじゃない!お母様の気を取ってしまったのは維心様のせいじゃないのに。お父様を恨んで殺したのも、そのせいで着いてしまった王の座の責任を果たそうとそればかり考えていたのも、強過ぎる気のために誰も近寄らせず独り身で来たのも、全て、維心様が望んだことじゃないわ!ただ一つ望んだのが、死ぬことだなんて、そんな生き方でしかなく終わるなんて、私には放っておけないわ!もっと平穏な気持ちで終えて欲しいのよ!」
維心は言った。
「良いのだ維月。我は次に生まれるなら、もう力を持たずに生まれたいと望むのよ。このまま同じようにこの力ゆえに争いに巻き込まれ、平穏に暮らすことも出来ぬなら、生きていても、尚苦しみが増すだけよ。ここで一度終わらせるのが良い。いつも皆に脅えられて過ごすなど、我は望んではおらぬのだ。」
維心は隙を見て、維月を引き剥がして押した。光の守りは、維月を囲んだまま彼女と共に維心から離れた。
刀を構えていた炎嘉が、それを目で追っている。
「待たせたな、炎嘉。」
「…これが主の望みであるのだな。」
維心は頷いた。維月が叫んだ。
「やめて!子供でもなんでも生んであげるわよ!だから死なないで!」
維心と炎嘉が驚いてこちらを見た。
《何を言ってやがる維月!》
「あなたは黙ってなさいよ十六夜!私の気持ちなんて、これっぽっちも分かってくれようとしないんだから!」
《それとこれとは訳が違うだろうが!》
維月はそれを無視した。
「そうよ、それで一人でなくなるじゃないの!生きる望みがそれで出来るなら、私は子供ぐらい生むわ!それで五人も生んだのだから、今更何人、生もうと同じよ!」
《お前な、同じじゃねぇ!》
炎嘉が刀を下ろした。クックッと笑っている。
「炎嘉?」
維心が怪訝そうに問う。
「なんとおもしろい女よ。これが月の片割れか!」そして刀を鞘へ戻した。「闘志が失せたわ。我は去ぬ。」
黙り込む維心を見て、炎嘉は言った。
「…維心よ。休戦して話そうぞ。主と腹を割って話さぬことには、分からぬような気がしてきた。月にも、同席してもらってな。月は本当に、主の生死には無関心らしい。」と維月を見て、「こっちの月は違うようだがな。」
維心は月を見た。
「十六夜は、同席してくれるのか?」
《…フン、これ以上放っておいたら、維月が何をしでかすかわかったもんじゃねぇ。早いとこ仲直りしてくれ。》
「…では、主の宮で。」
維心が言うと、炎嘉はびっくりしたような顔をしたが、頷いた。
「では、来る前に先触れを寄越せ。待っている。」
炎嘉は全軍へ命じた。「退け!我が宮へ!」
鳥達の軍は一斉に退いて行った。
維月は張り詰めた気が抜けてふらふらと宙を舞いながら月の宮へと戻ろうとしている。維心はその姿を見て苦笑しながら、抱えた。
「ほんに主は…身重であるのに。月が苦労するはずよの。」
《維心!お前瞬時に飛ぶ方法知ってやがるだろうが。それで帰れ!》
十六夜の声が怒っている。
「私だって苦労しているのよ、維心様。お互い様だわ。」
維心は笑った。
「では今しばらく怒らせておくか。主には子も生んでもらわねばならぬしの。」
維月は思い出して今更ながらに恥ずかしくなった。炎嘉様も呆れていたっけ…。ああ、やっぱり人の世では私はおばちゃんなのだわ。勢いであんな大声で叫ぶなんて。他の鳥達もいたのに。
《維月!お前も早く飛んで帰れ!オレがそこへ行くぞ!》
維心はため息をついて、月の宮へと瞬時に移動すべく念をこめた。
二人はその場から消え、月の宮へと戻った。




