炎嘉(えんか)
炎嘉の父は、たくさんの妻を持っていた。
自分は正妃から生まれたがその三番目で、王位などには興味もなく、他の兄弟達と遊び回ってばかりいた。
そんなある日、父から行ってはならぬと言いつけられている、東の山の結界の境まで、すぐ下の弟と二人で出掛けた。そこはなんのことは無い山で、なぜ父がそんなに行くなと言うのかわからなかった。
炎嘉は弟の炎楊と共に、その山の頂上に降り立った。
「フン、父上は腰抜けであるな。龍など一匹もおらぬではないか。なぜに我たちにここへ来るなと申すのか。」
炎嘉はぶらぶらとその辺りを歩いて、山向こうの景色を見た。こちら側には海があり、それが青々として遥か彼方まで続いているのが見える。
「…もう帰らぬか、炎嘉。」
炎楊が少しビクビクして言うのに、炎嘉はイラっとした。
「帰りたいのなら、先に帰ればよい。我はあの海をもっと見てみたい。」
炎嘉が上に飛び上がろうとしたとき、大きな力がそれを押し返し、地面へ叩き付けられた。
何が起こったのかわからずに炎嘉が起き上がろうと頭を上げると、たちまちその頭は地面に押し付けられた。頭を誰かに踏みつけられているのが、ようやくわかった。
「ここへ来れば、いかように扱われようと異議はないとの取り決めであったな!」
うっすらと見えるのは、甲冑をまとった龍の兵士だった。視線の先には、炎楊が同じように地面に押さえつけられている。
「命、惜しくないとはな!」
炎楊が怯えているのが見て取れた。炎嘉は自分を踏みつけている龍を気を激しく当てて横へ倒し、空へ浮き上がった。
「おのれ、童であるからと加減をすれば!」
龍が三体浮き上がって構えている。炎嘉は、生まれて初めて自分に向けられる殺意を見た。このままでは、我どころか炎楊まで消されてしまう。
炎嘉は、自分の体の奥から湧き上がって来る、闘気を感じた。今まで、父の前の御前試合であろうと、こんな気は出た事がない。自分と炎楊を守るため、自分はこやつらを消さねばならぬ。
ただならぬ気の変化に、龍達は一瞬恐れた。しかし、すぐに気を取り直して構えた。しかし、その構えから余裕は消えていた。
いよいよ飛びかかろうとした時、鋭い声が飛んだ。
「やめい!」
若い龍が、こちらへやって来る。腰に刀は差しているが、甲冑は身に付けていない。他の龍は慌ててその場で宙に浮いたまま膝をつく形になった。炎嘉は、その龍を睨みつけた。
「主は何だ?我を消しにやって来たのか!」
膨れ上がった闘気を、炎嘉はその若い龍目掛けて放出した。その龍は一瞬眉を寄せたが、こともなげにそれを片手で作った気で弾き飛ばした。
「…ほう、主、ただの鳥ではないの。何をしに来た。」
深く青い瞳は、底知れぬ力を感じさせ、一瞬炎嘉はたじろいた。だが、すぐに気を取り直して、言った。
「海を見に来たのよ。我の方に海はなく、ここにはある。何が悪い?」
その龍は、ちらりと海を見やった。
「あのようなもの、見てもおもしろうないわ。なんとまだ見た目の通り、小童であったのな。」
その若い龍は高らかに笑った。しかし、炎嘉は自分とさして歳の変わらないような龍に、馬鹿にされたのが腹が立った。再び闘気が湧き上がって来る。
それを見た龍は、険しい表情で言った。
「やめておけ。主に勝ち目はない。我に主を討つ気は毛頭ないゆえな。」
「なんだと…?!」
更に気を膨らませていると、後ろから声が飛んだ。
「炎嘉!」
父が、臣下を連れて慌てて飛んで来たのが見える。見つかった…。
「維心殿、我が息子が失礼を致した。」父が珍しく頭を下げている。炎嘉も頭を押さえられた。「主もお詫び申さぬか!龍の宮の王、維心殿だ!」
炎嘉は頭を押さえ付けられながら、維心と呼ばれるその龍を見た。どう見ても自分とさして変わらぬ歳であるようにしか見えない。そんなヤツが、龍族の王だって?
「しかし父上!アヤツ…」
炎嘉が更に何か言おうと口を開いたが、炎嘉を見る父の形相は凄まじかった。さすがの炎嘉も黙った。
維心と呼ばれる、その龍は言った。
「炎真殿、子の管理はしっかりなされよ。こたびのこと、我は大きくするつもりはないゆえに。二人とも、疾く連れ帰るがよろしかろう。」
そう言って、維心は炎楊を押さえている龍を見た。龍は頷いて炎楊を放す。炎楊は必死で飛び上がり、父の後ろへ隠れた。
「では、失礼致す。」
維心は他の龍達を連れ、その場から消えた。頭を下げていた父が、ふるふると肩を震わせている。
「父上…」
「帰るぞ!」
炎真はくるりと踵を返すとすぐに飛び去った。炎嘉と炎楊は、臣下にせっつかれながら、宮殿へ帰る道すがら、どれ程の罰が待ち受けているのだろうと恐怖した。
宮殿では、驚くほどの人数の者が空を見上げて待ち受けていた。地上に降り立ち、宮の中へ歩き抜けて行く間、自分はいったいどんな事をしたのだろうと、炎嘉は驚いた。
ようやく父の前に辿り着くと、武装も解かぬままの父が、そこに座っていた。
炎嘉と炎楊は膝まづいて頭を下げた。
「フン、馬鹿息子めが」しかし、口調はそう怒ってはいない。「炎楊は下がれ。炎嘉に話がある。」
炎楊は少し心配そうな目で炎嘉を見たが、父の命令は絶対で、出て行った。
父は立ち上がった。
「こちらへ来い、炎嘉よ。」
炎嘉はもう少し父に近付いて膝まづいた。
「主の力、見せてもらった。お前は他の誰よりも気が強く、それは恐らく我をも凌ぐ力に成長しよう。しかし、まだ不十分じゃ。」
炎嘉は、父が一瞬なんの話をしているのかわからなかった。
「気、でございますか?」
「そうじゃ、気よ。」そして炎嘉に近付き、立つよう促した。「来るが良い。」
父が先に立って歩いて行く。炎嘉は従ってついて行き、奥の間へ入った。
父の部屋から続くその部屋は、滅多な者は入れない場所であった。奥の間の更に奥に階段があり、父がそこを降りて行くので、炎嘉もそのまま、ためらいながら降りて行った。
そこは、広くドーム状に広がる天井のある、石作りのホールであった。しかし、天井には明り取りの窓がついており、飛べばそこから外へも行けそうだ。
「ここは歴代の王しか入れぬ場所だ。炎嘉よ、主、ここに立って、己れに出来るめいっぱいの力で気を広げて見せてみよ。」
炎嘉は父に言われるまま、ホールの真ん中にある石の台に立ち、大きく息を吸い込んだ。そして次の瞬間、上に向かって叫び声を上げ、出来うる限りの気を放出させた。
緋色に輝く気は大きく広がりどんどんと広がった。炎嘉はさらに力をこめた。まだ、いける!
父が見守る中、その気はホールを突き抜けで明り取りの窓から外へと漏れ、やがて光は収まった。炎嘉は石に膝まづいた。ああ、疲れた。父上の怒りをこれ以上かわないようにしようと、力を入れすぎたような気がする。
父は、呆然として立っていた。炎嘉は、まだ少なかったのかもしれぬと不安になった。しかし、父は言った。
「炎嘉よ、我はその様を初めて目の当たりにして感動しておる。我も、我の父も、ここに何度も立って試してみたが、出来なんだのに。ここの中央に立ち、このホール全体に気を広げられる王が現れた時、一族は大きな岐路に立たされ、そしてその王は、それを導く者となるだろうと言い伝えがある。我では、このホール全体に気は広げられなかった。歴代誰もが無理であった。なのに、主は軽々とそれをやってのけた。まだ余りあるほどじゃ。」父は、炎嘉の手を取った。「主なら、我が一族を率いて、この苦難乗り越えて行けるやもしれぬ。」
炎嘉は驚いた。苦難だと?父上は何をおっしゃっているのだ。炎嘉の表情を見た炎真は、息子に傍の椅子へ座るよう促した。
「…炎嘉よ、維心殿を見たであろう。」
炎嘉は頷いた。
「あれが龍の王とは、我も驚いた。」
炎真は険しい顔で炎嘉に言った。
「あの見た目に惑わされてはならぬ。奴は恐るべき力の持ち主だ。歴代随一の力、強い気ゆえ、生まれ出る時その母を殺し、そして、成長したのち父を殺して王座についた。」
炎嘉は目を見張った。両親共に殺した?あの若い龍が?
炎真は続けた。
「我の力など、遠く及ばぬ。今は龍に一切逆らうことは出来ぬ。幸い、維心殿はこちらにあまり興味を示さぬゆえ、今まで通りの勢力図は崩れておらぬが、この先、何が起こるかわからぬのよ。」そして、炎嘉を見た。「息子よ、我は主に王座を譲る。それが何年後になるかはわからぬが、主なら、あの化け物とも渡り合えるやもしれぬ。王になるまで、しっかりと精進し、一族を守ることを考えて治めるよう努めるのじゃぞ。」
その三日後、炎嘉は正式に炎真の後継者として布告され、そして百年の後、王座に着いたのだった。
初めて神の会合に出た時、炎嘉は維心を久しぶりに見た。相変わらずの深い青い目には、どこか不機嫌さを漂わせている。炎嘉は、誰もが頭を深く下げて挨拶をしているその中、頭を上げて維心に向かい合った。こちらに気付いた維心は、ちらっと炎嘉の顔を見た。
「鳥の王よ、主はどこかで見たことがあるような気がするが。」
炎嘉はムッとして言った。
「いつぞやは、世話になった。我は炎嘉、あの折り主は、我を小童と申したの、維心よ。」
維心は眉を上げた。
「おお、あの折りの童か。炎嘉と申すのだな、覚えておこう。」
そのまま去ろうとする維心に、炎嘉は言った。
「童と申すな!我と主はさして歳が違わないのではないか。主とてあの折りは我から見たら小童であったわ。」
維心は驚いていたが、やがて面白そうにフッと笑った。
「フン、そのようにむきになるところが童であると言うのよ。少しも成長しておらぬな、炎嘉。」
「なんだって?維心よ、主のほうが少しも変わらぬのよ。悟りすましておるのが良いとは限らんぞ。」
炎嘉がぷんぷん怒ってそう言うと、維心は笑った。
「主は正直過ぎるのだ。王には向かぬな。」
「なにぃ?何を帰ろうとしている維心!話はまだ終わっておらぬわ!」
それから、何度も会合で会う度に話したが、維心はいつも落ち着き払っていて、取り澄ましており、腹を割って話している印象はなかった。
だが、接する内に、父が言い残していたほど維心が恐ろしいとは思えなくなっていた。なぜなら、維心は勢力図など気にも止めていないようで、こちらがこういう取り決めでどうだろうと言うと、ろくに見ることもなく、それで良いと答える一方だったからだ。炎嘉はいつしか、勢力を二分するなど、考えないようになってきていた。
ある日の午後、臣下の張李が慌てふためいて駆け込んで来た。
「王!一大事にございます!」
「何事だ張李。」
炎嘉が広間へ出て行くと、張李が膝をついて早口に言った。
「龍の王の妹君・瑤姫様が、月の当主へと嫁がれる由!また月が龍の宮にて挙式されるとのこと、炎嘉様にもこのように招待の知らせが…。」
炎嘉はその書状をひったくった。なぜに我までこのような場に招待するのだ維心!我にも主にひれ伏せと申すか!
炎嘉は叫んだ。
「月のこと、詳しく調べよ!我に報告せよ!」
鳥は四方へ飛んだ。




