月の宮
「龍なんてどうやって治療するのよ」
涼が呟いた。有が横で鋭く言う。
「考えるより、手を動かす!」
涼はぶつぶつと言いながら、とにかく人と同じように手当をして行く。
美月の里の家は、突如として龍でいっぱいになっていた。
家だけでは収まり切れないので、蒼が建てていてほとんど出来ていた裏の家も急遽解放し、月の神社の方も開け、幕舎も張り、とにかく皆をなんとか屋根の下へ収めることには成功していた。
龍には序列があるらしく、下の者は幕舎へ、一番上の者は神社の方へ、義心が振り分けて誘導していた。
蒼の家の一部は、傷ついた龍達の手当をする救護所になっていた。
勝手を知っている瑤姫は、維月や有や涼と共に救護所の方で立ち働いていた。
「維月!お前はじっとしてろ!」
維心を連れて戻った十六夜は、動き回る維月を見つけて引っ張って行く。
「やることが山ほどあるのに、じっとなんてしてられないわ。ちょっと十六夜ってば!」
抗議する維月の言葉など聞いていないかのように、十六夜は維月を引きずって神社の方へ歩く。外へ出た所で、維心に会った。義心が話をしている。
「王、月の宮の方へお入りください。こちらは我々が。」
「わかった。主も休め。」
義心が頭を下げた。維心はこちらを見た。
「十六夜、すまなかった。世話を掛けるな。」
十六夜は頷いた。
「気にすることはねぇ。お前には維月もだいぶ世話になってるんでな。とにかく中へ入って休め。」
十六夜はじたばたしている維月を連れ、維心を伴って月の神社の方へ歩いた。
月の宮の最奥の広い座敷に維心を案内すると、お付きの龍達がバタバタと維心の身の回りを整えた。
皆でそこに座ると、維心は険しい顔でため息を付いた。
「…奇襲だったんだな。」
十六夜の言葉に、維心は首を振った。
「予想出来たことなのだ。だが、これほど迅速に動くとは思いもせなんだ。だからこそ、炎嘉は今日攻め入ったのであろうがな。」
「お前はアイツを討てたじゃないか。なぜ討たなかった?」
十六夜は怪訝そうに言う。
「討つつもりなどなかった。そもそも我にはアヤツに敵意などない。一族の力では勝てないかもしれんが、個の力では我の方が上よ。討とうと思えば、いつなり討てたわ。同じ王として、統治するのは難しいことは知っておるし、それにな、我は王などに元々興味もないのよ。神を総べて何になる?そのような重いもの、元より背負いとうもないわ。」
「王よ」義心の声が襖の向こうからする。「子毅が逝きました。」
維心が息を飲んだ。
「…道は開いておるか。」
義心が力なく答える。
「はい。」
「立花に、大義であったと伝えよ。」
「御意。」
義心の気配が去った。維心は視線を落とした。
「まだ、ほんの子供であったのに。我が軍に入って、一年も経ってはおらなんだ。」
維心は押し黙った。十六夜も黙って維心を見ている。維月もこれには言葉を失い、ずっとそわそわしていたのに、気遣わしげに維心を見た。
「維心様…。」
その声に、ハッと我に返った様に顔を上げた維心は、維月を見た。そして、息を一つ吐くと、言った。
「十六夜が居るのは重々承知して、我は主に申す」維心は膝をついて維月に向かっている。「その子を生んだ後、我の子を生んでくれぬか。」
維月は息を飲んだ。十六夜が、維心の目から維月を遠ざけようと維月の前に出た。
「何を言ってやがる。お前正気か?」
「我と終生添い遂げよと申しているのではない。ただ我の子を生んで欲しいだけよ。それでなければ、龍の宮は我が滅ぶと共に滅んでしまう。我にはこれ以上、皆を支えて行くのは荷がかちすぎるのよ!」
一歩維月の方へ進んだ維心を妨げるように、十六夜は割り込んだ。
「いくらお前に恩があるとはいえ、オレがそれを承知すると思ってるのか?維月は誰にも触らせねぇ。例えお前でもだ、維心。」
「十六夜…」維月が声を掛けた。「維心様は、今臣下の若い龍を失われて、とても傷ついていらっしゃるのよ。だから衝動的に、そんな風に思っただけだわ。落ち着いてちょうだい。」
十六夜は維月を振り返った。
「なんであろうとお前を望むこと自体が、オレには気にくわねえんだ。」
「わかっているのでしょう?十六夜にも。たくさんの臣下を守るのは大変なことよ。まして維心様は、誰にも頼ることなくここまで龍達を守って来られたのだもの。今のような状況で、突発的にこんな風に考えられてもおかしくはないわ。」
十六夜は歯軋りして維心の方を振り返った。
「なんで維月なんだ。他に龍はたくさん居るだろうが。オレは他の者なら両手を上げて祝福してやる。だが維月だけはダメだ!」
維月は十六夜を押さえた。
「とにかく落ち着いて!もし維心様がその気になれば、十六夜が月に帰って降りて来なかった時、わざわざ呼び戻すなんてことはしなかったはずよ。そのまま私を龍の宮へ連れ去ることも可能だったはずだわ。それをしなかったのに、なぜあなたは信じられないの?神の中でたった一人の友人でしょう?話だけでも聞くべきよ。」
十六夜は立ち上がった。
「うるせぇ!行くぞ維月!」
十六夜は維月の腕を引っ張って奥座敷を出ようとする。維月は手を振り払った。
「いい加減にしなさい!どうしてあなたはそうなの?思ってもみなかったとはいえ、こうして龍達と関わって、助けてもらって来たじゃないの!いつまでも、私達家族の小さな枠の中には居られないのよ!面倒でも、ちゃんと向き合って行かなきゃダメ!」
「…勝手にしろ!」
十六夜は一人でそこを飛び出した。
「十六夜!」
維月は叫ぶ。そのまま十六夜はこちらを振り向かずに見えなくなった。
「…維月。」
維心が呼んだ。維月はビクッとした。
「維心様…申し訳ありませんわ。十六夜は、付き合いと言うものに慣れておりませんの。」
「フン、アヤツにもわかっておるのよ。」維心は苦笑した。「その証拠に、主を一人ここへ置いて出て行ったではないか。我を心底疑っておるなら、このような時に残しては行かん。」
維月はハッとした。そうだ、私を残してここを出たなんて、本当なら有り得ないこと…。
「そんなヤツであるから、我も主を渡したのだ。だがな、維月よ。我も世継ぎを生むのは誰でもいいと言うのではないのよ。主のように、芯の強い者でなければ、無理なのだ。我自身の力が強すぎるゆえな…。我は己れの子の為に、その母を死なせるようなことはしとうない。我自身がそうであったゆえな。」そして、維月の顎に手を掛けた。しかし、その手はそこで止まった。「…十六夜め、このような状況で、我が手を出せぬと知っておるから主を残して行きおったな。」
そう呟くと、維心はくるりと後ろを向いた。
「戻るが良い。我もそうそう我慢はならぬと十六夜へ伝えておけ。」
そう言いながら、十六夜が月を通して見ているのは、維心も維月もわかっていた。
維月は頭を下げ、その奥座敷を後にした。
相変わらず龍達でごった返している家の回りを抜け、維月は家のへ戻った。自分の部屋へ入ると、そこに十六夜が座っていた。じっと月を見ている。維月はため息を付いた。
「…十六夜。どうして素直に維心様の話を聞いてあげないの?あの方が私を望むのは、別に私だからというのではないのよ。私なら、死なずにあの方の子供を生めるからなのよ。」
十六夜は不機嫌な様子で振り返った。
「なんでお前にそれがわかるんだよ。」
「心をつないだでしょ?」維月は呆れて言った。「心が見えたのは何も維心様からだけではないのよ。私にもあちらの心が見えた。維心様はね、生まれた時にお母様の気を知らずに食らい尽くしてしまった。そしてお母様は亡くなったの。それをずっと思い悩んでいらして、子供の頃は、知っていながら母に自分を生ませたお父様をとても憎んでいて…ある日、殺してしまった。そして王になり、皮肉にも、強い跡取りを望んだお父様の気持ちを、今理解して苦しんでらっしゃる。でも維心様の気が強すぎて、龍ですら無事にお子を産み落とせるかわからない。母の様に、その子を生んだことで死なせることは、維心様には出来ないのよ。」
十六夜は視線を落とした。
「…だからヤツはなんとしても貴子に子を生ませなかったのか。」
維月は頷いた。
「維心様は私と心をつないだ時に試された。私には維心様の気に耐えうる気があることを知ったの。それで、張り詰めていた糸が切れた時に、突発的にあんなことをおっしゃったのだと思うわ。一族の命運を、たった一人で背負って来られたんだもの…望んでもいなかった、強い力を持って生まれたばかりに。」
その言葉に、十六夜は蒼を思い出した。まるでアイツのようじゃないか。でも、人の蒼に比べて、維心はいつ尽きるかも分からない寿命の間、ずっとそれを背負って来て、またこれからの背負わなければならないのだ。
不死の自分が、守って来た者の死に淡々と耐えて来た事と、どちらが重いのか考えると、より多くの命を守り続ける維心の方が、より多くの事に耐えて来たように思えた。
「維心のことは嫌いじゃねぇんだ。ヤツは他の神と違って、自分自分といった押し付けがましさがねぇ。媚びへつらう感じもねぇ。オレはいつも天上から、奴らの動向を見ていて、うざったるしくて仕方なかった。奴らの考え方が嫌いだった。だから何を頼まれても何を言われても、答えもしなかったんだ。なのにお前に頼まれて話してみりゃ、あの例の神はお前を他の奴らと引き換えに殺そうとしやがった。それから、もう絶対に神とは関わらねぇと決めたのよ。」
十六夜はまた月を見た。
「だが、維心とは関わって行かなきゃならんだろうな。炎嘉の奴は、諦める様子はねぇ。おそらくまた、維心を狙ってくるだろう。今度は放っておくわけにも行くまいな。ここを目指して来やがるだろうからな。」
十六夜には見えていた。炎嘉が軍を立て直し、策を練っているだろう様子が。おそらく奴は、死に場所を求めているのだろう。それに維心も。今、月の宮の座敷で月を見上げるヤツも死にたいと願っている。しかし、龍達を放って死ぬわけにもいかないと今まで必死だったようなのに、その感じが薄れている。まさか…。
「オレは龍達の面倒まで見ないぞ、維心!」十六夜は立ち上がって言った。「お前はまだ、死ぬ訳には行かん!」
月を通して、その念を聞いた維心は、ハッとしたように顔を上げ、呟いた。
「…十六夜よ、我を楽にしてくれ。これは我が最後の願いだ。」
彼は立ち上がった。
そして、腰に刀を差し、その場から消えた。




