急襲
維心は、難しい顔をして考え込んでいた。
この間の会合で、やはり維心と同じく力を持つ鳥の王と、激しくやりあったからだ。力だけ見れば維心の方が上ではあるが、臣下の数では、あちらの方が多い。ゆえに、他の神々も、どちらに着くか伺っているような状況で、わずかに命を司る分、維心の方が有利といった感じだった。それでとりあえずは安定していて、双方争いは避けて来た。
が、そんな時に、維心が月と縁戚になった。しかも月は維心としか話さず、他の神には見向きもしない。
月は不死なだけに抑えることは出来ず、また月の意識しない所でその力で命をつないでいるものも多数ある。月は知らぬ間に、この地のバランスを取っている絶大な力を持つものであったが、今までこちらにあまりにも無関心であったゆえに、誰もそれに触れようとはしなかった。
しかし、この度のことで、力の均衡は大きく崩れ、月に逆らえないとわかっている神達は、こぞって維心の側へ寝返った。
鳥の王の炎嘉がそれに危機感を覚えてもおかしくはない。
維心には、瑤姫の他に縁者は居ない。長い間独り身で来たため、子もなかった。今維心が倒れれば、この宮は途端に制圧されるだろう。維心の他にも優秀な臣下は居るが、維心以上の力を持つ者は、この千五百年、一体も出なかった。早く子をという臣下の気持ちは、痛いほどわかったが、維心はそんな気になれずにここまで来てしまった。これからもわからないので、思いがけず気の合った月とつながっておこうと考えたが、それがかえって良くない方向へ行こうとしている。
あの時の炎嘉の怒りようは並みではなかった。そちらには子もたくさん居ようと言ったが聞く耳は持たず、お前は地を制圧し、我の宮をも滅ぼすつもりであろうと言い放ち、慌ただしく部屋を後にした。あの時の他の神々の困惑した表情が忘れられない。もし今、全面戦争になれば、双方共に多大な犠牲が出るだろう。心ならず、炎嘉を討たねばならない。それは避けたいと、維心は思っていた。
考え込む維心の部屋へ、瑤姫が入って来た。
「お兄様?お呼びでございますか?」
月の宮から戻った瑤姫が、維心に呼びかけた。維心は顔を上げた。
「瑤姫」と側を示し、「座るがよい。」
瑤姫は黙って腰掛けた。兄のただならぬ雰囲気に、不安そうにしている。
「先日、我が会合に参ったのは知っておるな。」
瑤姫は頷いた。
「はい。お母様がこちらへお兄様に会いに来られました日のことですね。」
維心は視線を落とした。
「我としては心ならずも、月と縁戚になることに、炎嘉が激怒しておる。」
瑤姫はハッとした顔をした。維心は続けた。
「炎嘉は我がヤツを滅ぼすと思うておるのよ。そのための縁戚関係だと、聞く耳持たなんだ。」
瑤姫は見る見る涙目になった。
「蒼様に、嫁ぐなとおっしゃいまするのか。」
維心は視線を上げた。
「このままでは、炎嘉はこちらへ攻め入って来よう。今のところ変わった動きはないが、そうなると双方被害は甚大になる。激しい気のぶつかり合いは人の世にも影響する。地に災害起これば、人の被害は神のそれとは比べ物にならぬ。どうしてもそれは避けねばならぬのよ。わかるであろう?」
瑤姫の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。彼女は立ち上がった。
「わかりませぬ!我は…私は、蒼様と離れとうございませぬ!」
維心は悲しげに瑤姫を見返した。
「…蒼はそうは言うまい。愛情のあるなしではない。多数を救うため、当主はそう考えねばならぬのだ。」
瑤姫は黙って維心を睨むと、ワッと泣き伏した。維心が、そのままじっと佇んでいると、義心が取り乱して飛び込んで来た。
「王!王よ、すぐにお出ましを!炎嘉様の軍勢が、もうそこまで迫っております!」
召し使い達が慌てて甲冑を手に駆け込んで来る。維心に、たくさんの闘気をまとった軍勢が、向かって来るのが感じ取れた。
なんと、遅かったか!
「軍をまとめよ!女子供は奥より裏側の外へ!」
維心は刀をひっつかみ、甲冑を身にまといながら表へと急いだ。
瑤姫が驚いてその場に動けずにいると、侍女達が飛び込んで来た。
「瑤姫様!お早く!お早くこちらへ!」
瑤姫はふらふらと立ち上がった。目はまだ涙に濡れている。
「鳥達が…ああ、もうそこまで!早く奥へ!」
瑤姫は引きずられるように侍女達に連れられ、訳もわからぬまま走った。その道すがら、他の龍達が慌てふためいて必死で奥へと駆けているのが見える。この宮が、これほどまでに乱れている様は、初めて見た。外への扉の前には、女子供が集まって来ていた。維心の命令で軍神達が皆を集めているのだ。
「こちらから外へ!出てまっすぐに走った所にある岩山へ行け!」
皆が命令に従って外へと走り出す。瑤姫は我に返った。お兄様…。
「お兄様!」
「お待ちください、どちらへ行かれます、瑤姫様!」
侍女の制止を振り切り、瑤姫は維心を探して走った。
維心は、表へ出た。軍の先鋒はもう入口の所で龍の軍と激突していた。激しい闘気と闘気のぶつかり合いで、回りは粉砕され、人の作った外の宮は崩れていた。幸い夜だったこともあり、人の気配はない。
維心は雨を呼び、激しい雨の中両軍は戦い続けていた。維心が出て来たのを見て、あちらの軍神は一瞬恐れて退いたが、すぐに剣を振り上げて向かって来た。
維心は苦もなく敵の軍神達をなぎ倒して行く。しかし、あちらの臣下とこちらの臣下では、力の差は歴然だった。義心の軍がとりあえずなんとか渡り合えているが、時間の問題なのは明らかだった。
「お兄様!」
瑤姫の声に、維心は我が目を疑った。
「瑤姫!何をしておる!主は早く奥へ!」
瑤姫は戻る様子はない。維心は目の前の敵をなぎ倒し、瑤姫の元へ飛んだ。
「主に出来ることなどない!早く逃げよ!」
「お兄様、私のためにこのような…炎嘉様に申し上げまする!私はもう、どこへも嫁ぎませぬゆえに!」
維心は首を振った。
「もう遅いのだ、瑤姫よ。炎嘉はお前の話になど聞く耳は持つまい。それより主は皆を連れて月の宮へ参れ!もうこれ以上我が軍は防げぬ。なんの備えもなかったゆえに、なすすべもない。早く参れ!」
維心は瑤姫を奥へ突き飛ばした。飛ばされて倒れ、顔を上げた瑤姫の目に、兄が敵の刃を受け止めているのが見える。
これ以上、私はここに居てはいけない。瑤姫は奥へと走った。
月の里では、十六夜がただならぬ気配に顔を上げた。険しい顔で月を睨んでいる。
「どうしたんだ、十六夜?」
蒼はお茶を飲みながら言った。
「…維心の闘気を感じる。それどころか、ものすごい数の闘気がぶつかり合っている。」
「なんだって?!」
十六夜には見えた。龍達の逃げ惑う姿、鳥達の攻め入る姿…。
「龍の宮に、何かが攻め入ったのか?!」
蒼が尋ねると、十六夜は頷いた。
「鳥達だな。ものすごい闘気だ。奴らは死ぬ気で維心に向かって行っている。」
十六夜は立ち上がった。
「維月、オレは出掛けて来る。蒼、後は頼んだぞ。」
蒼が頷くのを見ると、十六夜は光になって月へと戻って行った。
維心は、そこに炎嘉の姿をようやく捉えた。怒りのため、炎の様に闘気を沸き上がらせ、こちらへ向かって来ている。奴が来れば、臣下など一溜りもない。
「退け!炎嘉が来るぞ義心!」
維心の叫びに、義心はビクッと身を凍らせた。維心は炎嘉を待ち構えた。
《オレの力が必要か?維心よ。》
十六夜の声が聞こえる。維心は月を見上げた。
「十六夜か!我が臣下達全て月の宮へ匿ってくれ!もうここはもたぬ!」
《承知した》
光が月から大きく降りて来た。鳥達は目を覆って伏せた。封じられると思ったようだ。しかし光が降りたのは龍達のみで、その光が消えた後、全ての龍はその場から消えた。敵軍の兵達は驚いてキョロキョロと辺り探している。
《お前はどうする?奴を討つのか。》
「話がしたい。」維心は言った。「時をくれ。」
炎嘉は維心の目の前へ到達し、いきなり切り掛かって来た。維心はそれを苦もなく受けた。
「主、月を使いおったな」炎嘉は食いしばった歯の間から唸るように言った。「我のことも月に消させるのか!」
維心はその刃を押し返した。炎嘉は体勢を立て直し、再び向かってこようと構えている。
「ふん、お前など、我が己れで討ってしもうたら良いだけよ。月は元より我の為に神を消したりはせぬ。もしそうなら、今頃ここには主の軍は誰一人残ってはおらぬわ。」
「たわけ!」炎嘉はまた切りかかって来た。「主の腹は読めておる。我を討って、我が一族をも支配下に入れようとの魂胆であろうが。月に全て消させてしもうたら、何も残らぬゆえ、生かしておるのよ!我が月に抗わぬと思うておるのか?そのような腰抜けではないわ!」
維心には、炎嘉の気持ちがわかった。臣下にそのような思いを味わわせない為、死ぬ気で軍を挙げたのだ。維心の力に勝てないであろうことは、最初から分かっていた事、それよりこの先、臣下が奴隷のように扱われて子々孫々まで過ごして行くのを、放っては置けなかったのだろう。
「何度も言う。月は神には干渉しない」維心は炎嘉の刃を事も無げに打ち払いながら言った。「しかし、月の守る者に手出しすれば、その限りではないぞ!主、その意味がわかっておるのか!」
炎嘉にその言葉が届いているか疑問であった。闇雲に維心に切りかかり、息を切らしている。
「うるさい!主の言うことなど、信用出来ぬ!我は何をも恐れはせぬわ!」
維心は、炎嘉の剣を弾き飛ばした。回りの臣下達が、慌てて炎嘉をかばって囲む。維心は、剣を下ろした。
「主には、わかっておらぬのよ。月の本当の恐ろしさは、その力の底の無さよ。そして、我ら神に対しての無関心さ、非情さもな。月が我に力を貸すのは月が納得した時のみ。主が月に逆らうとは、我に月の力、主の一族を消し去るために貸せという、良き口実を作ることにほかならん。主は本当に、一族を根絶やしにされたいか?」
回わりに居る、炎嘉の家臣がどよめいた。維心はそれに背を向けた。
「時間をやろう、炎嘉よ。我は元より、主と争うつもりなどない。滅ぼすつもりもない。月も神に干渉はしない。それを覚えておれ。」
背を向けた維心に敵の臣下が切りかかろうとした時、月の声がした。
《…お前らのゴタゴタには、オレは興味ねぇよ。消してくれと泣いて頼まれてもごめんだ。だがな》月の声は今までになく大きく響いた。《オレの守る者に手を出しやがったらただじゃおかねぇがな。》
敵はそこに凍りついた。
維心は光に包まれて姿を消した。
後には、雨の中歯を食いしばっている炎嘉と、崩れた龍の宮が残された。




