蒼の決断
蒼は言葉を失ったままだった。
維心は、そんな蒼を見て、フッと笑った。
「我は父が嫌いであったのよ。なので、我が、そうよの、人で言うと主ぐらいの時であったな。父を喰い殺した。」
蒼はなんとか理解しようとした。そう言えば昔話の神同士ってよく殺しあってたよな。親兄弟とも殺しあってたしな。その感じだろうか。
「…あの…それはどれぐらい前のことでしょう?」
維心は少し宙を見た。
「そうよな、確か千五百年以上前のことよな。よく覚えておらぬ。」そしてどうでもいいかのように手を振った。「しかし、我は別にこの地位が欲しかった訳ではない。父は力のある跡取りが欲しかった為に、人の血を混ぜることを考えて、産めば死するのを知っていながら、我が母に我を生ませたのよ。我は生まれ出でる時に母の気を全て喰らい尽くして殺した。それを後になって知ったのだ。それを知った時、我は自分の力が満るのを待ち、父を殺した。それだけのことよ。」
蒼はあまりのことに絶句した。神って大変だ…。そんなことも、なんでも無いことのように話してるし。
蒼が戸惑っているので、維心は話題を変えた。
「すまぬな、我は人と話すことに慣れておらぬのよ。それで、主は、今己れの身の振り方に迷うておるのであろう?」
蒼は頷いた。そうだった。あまりに壮絶な話を先に聞いてしまったので、すっかり飛んでしまった。でも、維心様に比べたら、自分の悩みなんて大したことじゃないんだろうか。蒼はおずおずと話し始めた。
「維心様、今オレは沙依という巫女の娘と共におります。でも、それは生涯共にいようとか、そのような決意をしてという訳ではなかったのです。普通の人の男として、居心地の良い場所を求めていた気が致します。」
維心は頷いた。
「大抵の人の男はそうよの。最初から生涯共になどとは思うものではないよの。」
蒼はホッとして続けた。
「白蛇様の談判を受けて、考えました。オレは今まで当主だとかそう言ったことは深く考えたこともなかった。そんな教育の仕方もされていないし、第一神様の世界のことも、つい最近やっと知り始めたばかりなのです。それで、里に来てからよく考えて…本当に心の底から想える人が出来た時に、決めようと思っています。つまり、その時まで、一人でいようと思っているのです。」
維心はちょっと眉を上げた。
「それは、主はその巫女とはもう別れるということか?」
蒼は頷いた。このままでは、沙依も自分も、自分の意思がどこにあるかもわからないまま、変なことに巻き込まれてしまう。
自分が甘かったのだ。心を定めて行かないと、これから先の自分の決断は、神達の間のことにまで関わって来るのだ。こと、こうなってしまった以上、心を決めて行かなければと、蒼は自覚した。
十六夜のように、ずっと心の底から想えるひとが見つかるまで、自分は、待とう。
結局はそれが、誰をも不幸にしないでおける方法なのだと、蒼は思った。
「ふうむ」維心は座り直した。「では、我が話せることは何もないな。主は己れで己れの道を見つけておるではないか。その上、我に何を聞こうと思うのか?」
蒼は口ごもった。
「それはその…見つからなかった時のことです」蒼は言った。「オレは短い寿命です。その間に見つけられなくても、オレの兄弟姉妹達が子孫を残せば、それでいいと思われますか?」
維心は迷っているようだったが、首を振った。
「我はな、自分の事もあるゆえ、それで良いと言ってやりたかったのだがな」とため息を付き、「それでは、おそらくダメであろうな。」
蒼は少しショックだった。
「なぜ?同じ血なのに。」
「同じではないのだ。我もそうであるが、主も一族の中で歴代随一の力の持ち主であろうが。そんな能力はな、そうそう出るものではない。仮に次の子がその力の半分でも受け継げば、次の世も安泰であるのよ。しかし別の兄弟姉妹では、その確率は低いゆえな。当主というものはな、その一族全てに責任を持たねばならぬ。これから先も月の力を充分に使える者を残して逝くことこそ、当主には必要であるのだ。まあ、これは我にも頭の痛い話ではあるがな。」
予想はしていたが、やっぱり重い話だった。蒼は、月の力を使うものとして、神の間では認識されているのだ。そしてこれからも、自分の子、その子、その子と…。いつかまた大きな闇が現れた時、そこに居たのが力の弱い自分の子孫だったら?十六夜はまた罪悪感を持ってその子に降り、その子の命と引き換えに、闇を封じるのだろうか…。
「真剣に考えないといけないのは、変わらないようですね。」蒼は苦笑した。「でも、いろいろ覚悟は出来ました。ありがとうございます。」
維心は手を上げた。一人の女の人が入って来る。
「お呼びでございましょうか。」
「客人の部屋へ案内を」そして蒼の方を見た。「当主・蒼よ。我の妹の、瑤姫だ。」
蒼は慌てて立ち上がった。
「蒼と申します。月の宮の当主を致しております。」
下げていた頭を上げたその女性を見て蒼は驚いた。まったく化粧の跡は見えないのに、びっくりするほど美しい。長い黒髪を結い上げ、長い着物の裾を引きずっていて、透き通るような肌に、大きな目、神というのはこれほどまでに美しいのかと、蒼は思わず見とれたほどだった。
「蒼様。瑤姫と申します。それでは、お部屋へご案内致しますわ。こちらへどうぞ。」
蒼は維心に頭を下げ、瑤姫について、その部屋を出た。
維心はその後ろ姿を、考え込んでいるような表情で見送っていた。
蒼は瑤姫と共に下へと岩場の中を降りていた。洞窟のような廊下で、さすが滝の裏といった感じだった。歩いている時に、何か話した方がいいのかと思いながら、神で、しかも女性の人とはどう接していいものやらわからなかった。
蒼が困っていると、それを見かねてか瑤姫の方から声を掛けて来た。
「蒼様は、お兄様と同じ、歴代最強のご当主と伺いました。最近では、闇を消されたとか。」
蒼はなんと答えたものかと思った。実際封じたのは十六夜なのに。確かにオレの体を使ってるけど。
「私は月の力が使えるだけで、私個人の力ではないのですよ。」蒼は答えた。「闇を消したのは、私の体に降りた月です。」
瑤姫は持っていた扇で口元を押さえた。
「月をその身に降ろされるのですか?あれは誰をも扱えぬと聞いておりまするのに。」
ああ、なんか変なこと言ったのだろうか。でも嘘は言っていないし。
「降ろすと申しても、そんな大変なことではないのですよ。体力があれば…」
蒼が言い訳のようなことを言っていると、下から悲鳴が聞こえて来た。確かに、急に下の方から暗い気の気配が這い上がって来る。これは…闇の気配だ!
蒼が下へ向かって降りて横へ曲がると、そこは広間のようになって居て、そこには、一見したら闇と見間違うほどの大きさの、大きな黒い霧の集合体が揺れながら形を変え、存在した。ここは龍の宮なのに…こんな結界の深くに、なぜこんなものが!
「早くお兄様に!」
瑤姫がそばの召使いに慌てて告げている。しかし、黒い霧の集合体は、回りの人達を飲み込こうと動き膨らんで来る。蒼は思った。維心様は間に合わない。
蒼は、瑤姫に言った。
「瑤姫様、皆をこちらへ急いで下がらせてください!私の前には絶対に出ないと約束してください。」
瑤姫は頷いて皆を下がらせた。黒い霧の集合体はこちらの方へ吸い寄せられるように近付いて来る。
蒼は手を上げて月からの力を呼んだ。ドッと力が蒼に向けて流れ込んだ。
「蒼?」
十六夜は、里で目を開けた。力が大量に引き出されていく。
「十六夜?」
維月が異変に気づいて、十六夜に呼び掛けた。十六夜は起き上がった。
「…蒼が力を使っている。しかも結構な量だ。」
蒼は龍神の宮に居るはずだ。あの場所でなぜこんなことになるのだ。
十六夜は蒼の目が見ているものを見た。大きな…確かに闇に見えるような黒い霧の集合体だ。どこかの広間に居るようだ。後ろに居るのは龍達か。
「…様子を見るか。オレが行くほどでもないようだがな。」
蒼は力をまとめて広範囲に広げ、一気に消しに掛かった。
これは闇に比べたらかなり軽いものだ。蒼が発した光に触れると、立ちどころに消え去って行く。
広く大きく広がった光は、大きくその黒い霧を包み込み、軽々とその霧は消滅し、浄化された。
なんだか呆気ないが、まあ霧なんてこんなもんだ。闇の手ごわさを経験していて良かった。それにしても、こんなものを維心様がこの宮の中に入れるはずがないのに…。
後ろから、維心の声がした。
「蒼よ、見事であった。」まるで前からそこに居たようだ。「主の力、どのようなものか見たかったのよ。」
「…やっぱり、そうですね。この宮のあなたの守りの中に、こんなものが存在するはずがないのにって思っていました。」
蒼が言うと、維心はニッと笑った。
「そうだ。我はこのようなもの、山の結界の中にすら入れぬ。主を試してみたかった為、用意させたのよ。それにしても我が手下の龍達でも、これをここへ捕らえるのに三体が闇に飲まれ、我が封じるよりなかったというに、主は事も無げに消滅させてしまった。大したものよ。」
蒼は少し腹が立った。試されたことより、その封じられた龍達のことだ。こんなことの為に、封じてしまうなんて。
「…維心様。その封じた龍達は、今どちらに。」
蒼のただ事でない様子に、維心は立ち上がった。
「…こちらだ。ついて来ると良い。」
瑤姫も後をついて来る。維心は、更に深くの洞窟へ、下へ下へと降りて行った。
かなり降りた所で、二体の龍が人型で守る扉があった。維心が近付くと、二体共頭を下げた。
「戸を開けよ。」
すぐに戸は開け放たれ、中には龍身のまま凍りつくように固まる、三体の龍が居た。黒い霧が三体共巻き付くように絡まっていて、まるで逃れようと苦悩するかのような表情のままであった。瑤姫が後ろで目を逸らした。
蒼は手を前へ出した。こんな岩場の奥深くにまで力が来るのか心配だったが、力は苦もなく蒼へ降りて来た。とにかく、この龍達に苦しみを与えないように浄化を…。蒼は念じた。
蒼から出た光は、穏やかに流れ出て龍を包んだ。ゆっくりと引きはがすように霧を消滅させて行く。龍達は、一体、また一体と開放されて地へと落ちた。表情からは、苦悶の色が消えていた。
「維心様、浄化しました。龍達を戻してやってください。」
維心は頷いて、番をしていた二体の龍に言い、蒼達を伴って上へと戻った。
「蒼よ」維心は口を開いた。「主は人であるのな。我には理解出来ぬことも多々ある。しかし、我は主が嫌いではない。」
蒼は頷いた。
「神様達のことは、オレにもわかりません。きっとお互いにそうだと思う…でも、やはりオレは人なので、人の基準で行動します。オレには、とても龍達を見捨てるなんて出来なかった。先にあの龍達の浄化を、維心様に命じて頂きたかったです。」
維心は笑った。
「我は主に命じることは出来ぬ。主は我が民ではないゆえな。」そして傍らの瑤姫を見た。「どうだ瑤姫よ。主、この蒼の子を生む気はないか。」
なんだって!?蒼はそう叫びたいのを押さえた。維心様、オレは神様なんて嫁にもらうつもりは全く…。
瑤姫はびっくりして扇で顔を隠した。が、そっと頷いた。
「我は、蒼様ならようございまする。」
ええ〜!?と思ったが、神様の間で許されるかわからないので、蒼は必死で口を結んだ。そんな蒼の気持ちを知ってか知らずか、維心は言った。
「蒼よ。我が妹瑤姫なら、主も何も縛られることはないぞ。瑤姫は人ではないゆえに、人とのことなど気にも留めぬ。もし主が他に人の女が出来ようとも、何も言わぬ。それに他の神達も、我の妹の相手となれば、誰も口出しは出来ぬ。子は、龍の力と月の力を持って生まれるであろう。主の子孫にとっても、これほど良い事はあるまい?」
蒼はなんと答えればいいのか、今度こそわからなかった。本人とその兄の神の前で、どう言えば失礼でないのか、全く検討もつかなかったのだ。
「…維心様」蒼はやっと声を絞り出した。「急なお話に面食らっておりまして、夢の中に居るかのようです。とにかく、月と母に相談して、またお話致します。」
そう答えるのが、やっとであった。
里では、十六夜が目を手で押さえた。あーアイツ、何やってんだ。
「どうしたのよ、どうなったの?」
維月が気ぜわしげに聞く。
「霧なんか蒼にとっちゃ一瞬のことだったよ。浄化もあっさり終わっちまったし問題ねぇ。」
十六夜の言葉に、維月はホッとして横になった。
「ほんとに人騒がせよね、あの子。」
十六夜はチラッと維月を見た。
「そのせいで、維心の妹を嫁にもらうことになりそうだがな。」
維月はびっくりして叫んだ。
「ええ!?なんでそういうことになるのよ?」
十六夜は、明日蒼の顔を見るのが怖かった。




