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龍の宮

維心の調整が終わり、維月は頭を下げた。

「維心様、本当にありがとうございました。ここまで大変お世話をお掛けしてしまいましたわ。」

維心は微笑んだ。

『維月よ、礼など無用ぞ。我も主よりいろいろな話を聞けて、楽しめたのでな。』と背伸びをし、『我の宮も退屈ぞ。誰も彼も我が見えぬのでな。人ばかりが多く、うっとおしいばかりよな。』

維月は笑った。

「またいらしてくださいませ。私もそちらへ皆を連れてお伺い致しますので。」

『主一人でもよいぞ』維心はそう言って振り返った。『主なら我も歓迎し申すがな。』

維月は困ったような顔をした。維心はそれを見て笑った。

『わかっておるよ。主とは心をつないだのだぞ。知らぬはずはあるまいて。』と戸口を振り返り、『何を窺っておるのだ。入って参れ、十六夜よ。』

黙って見ていた蒼はびっくりして振り返った。まさか、オレの力、使われてないのに?

「お前なあ、維月には手を出さねぇのじゃなかったのか。」

戸が開いて入って来たのは、黒髪に金茶の瞳の人型だった。形は以前と変わったようには見えなかったが、髪の色だけが変わっている、確かに、十六夜だった。

「オレが何度頑張っても変えられなかったのに、あの色!」

十六夜は蒼を見てフンと笑った。

「別にお前の作った体に文句はねぇが、あれじゃあ人の間で目立って仕方ねぇと思ってたんでな。」

維心が頷いた。

『我が教えたのよ。月に出来ることなど無限にある。我より多彩な能力を持っておるに、宝の持ち腐れであるゆえな。それにしても瞳は、どうあっても色が変わらず困ったものよ。』

十六夜は機嫌悪げに維心を見た。

「こら維心、質問に答えてねぇぞ。」

維心はフフンと笑ってあちらを向いた。

『そのような約束はした覚えはないぞ。隙があれば、我もわからぬわ。主はノロマが過ぎるのよ。』

シラッと言う龍神を見て、蒼は呆然とした。でも、そうか維心様は、十六夜と話してくれていたんだ。イライラとする十六夜に、維心は言った。

『さて、我も宮へ帰る。後は頼んだぞ。』そして蒼を見た。『当主、我と共に参られよ。主には話しておかねばならぬことがあるゆえな。主も聞きたいことはあるのであろうが。自らの身も、少しは構わんとな。』

蒼はハッとした。きっと龍神様は、オレの悩みのことを言っているんだ。

「オレのことまで…ご迷惑をお掛けしては…」

蒼は有難かったが、これ以上手間ばかり掛けさせるのに気兼ねした。維心様にはなんの特もないのに。

『良い。』と維月を振り返り、『当主を少しばかりお借りする。明日にはお返しするゆえにな。』

維月は頷いた。「よろしくお願い致します。」

『さあ、来られよ』維心はグイと蒼の手を掴んだ。そして十六夜を見、『それでは、我は失礼する。また我の宮にも来られよ、十六夜。』

十六夜は頷いた。

「世話になった、維心。また訪ねて行く。」

蒼はびっくりした。十六夜が神のところに訪ねて行くって?維心はクックっと笑った。

『何を驚いている。参るぞ!』

龍神は蒼を掴んで空へ舞い上がった。

残された維月は十六夜を見た。

「維心様も十六夜と呼んでおられたわ。」

十六夜は維月に近づいた。

「そうだ。あれはもうオレの名だよ。蒼から貰ったんだからな。」

「ああ月、いいえ十六夜」維月はボロボロと涙を流した。「私、もう会えないかと思って…ごめんなさい、私はあなたを苦しめたりしたくないのに、そんなことばかり…。」

十六夜は黙って維月を抱き締めた。

「もういい」そして維月の目を覗き込んだ。「お前の心がわかっただけで、オレはいいんだよ。」

維月は自分から飛びついて、十六夜に口付けた。

十六夜はそれを受けながら、しっかりと維月を抱きしめて離さなかった。


蒼は維心と共に空を飛び、滝のある龍の宮へ来ていた。

その宮は滝の裏側にあり、暗いのかと思いきや全くそんなことはなく、明るい場所だった。そこはどう見ても人の世のものではないようだ。

「当主よ、ここは神域の一部よ。人には入れぬし、見えもせぬ。」

維心はそう言うと先に立って歩き出した。心無しか、維心の声もはっきりと聞こえるようだ。何人かの人が寄ってくる。人に見えるが、きっと人ではないのだろう。

「王よ、お帰りなさいませ。お召し替えはどうなさいますか。」

「よい、我に構うな。」

維心は回りに目もくれず歩き抜けて行く。

「何をしている。当主、我について参れ。」

蒼は慌てて維心に従った。回りの者たちが、蒼にも頭を下げている。蒼も頭を下げ返しながら、必死で維心の後を追った。

やっと一番奥の部屋にたどり着いたらしく、突き当たりにはとても広い開放的な空間が広がっていて、維心は刀を外して傍の者に渡した。そこはなんだか空間自体に歓迎されているような、そんな雰囲気で蒼はくつろぐ気持ちになった。

維心は奥の、ソファではないのだがそんな感じの、ふかふかの布が大きく敷かれている箇所に腰を降ろした。すぐに他の者が出て来て、頭を下げる。

「王、何かご所望でしょうか。」

「我は何も要らん。」とぶっきらぼうに言った後、ふと蒼を見た。「当主、何か食すか?」

蒼はそう言えばそろそろ夕飯の時間だったんだと思い当たった。それで、その人に言った。

「あの、少し食べる物をいただければ。何でもよろしいので。」

その人はちょっと驚いたが嬉しそうに笑うと、頭を下げて去って行った。

「では、そこの台の前の椅子に座ると良い」維心は手を振って指した。「人とは、不便であるのな。しかし食すことは必要ぞ。」

蒼は言われた椅子に腰掛けた。柔らかくて、とても楽な椅子だ。なんだかとても気に入った。

「この椅子、とても座り心地いいですね。こんなのが家にもあればいいのに。」

維心は驚いたように目を丸くしたが、言った。

「気に入ったのなら、持ち帰れば良い。主にやろう」と傍らの者に、「あれを当主の帰る時に共に。」

その人は頭を下げる。蒼は驚いて言った。

「そんな!そこまで維心様にして頂くのは心苦しいです…。」

「ああ良いのだ。ここのものは全て、回りの召使い達が準備して揃えておるだけのもの。我が希望して置いておるのではないのよ。」

維心は大きく伸びをした。神というのは、宮の中ではこんな風なのだろうか。まるで王のようで、外に居るときの維心とは違った雰囲気がする。なんだろう、しかしどこか不機嫌であるようだ。

蒼は素直な感想を述べた。

「こちらはとても明るくて、お部屋の小物や置いてるもの一つ一つも、維心様がくつろげるようにと考えられているような気がします。微かに良い香の香りもするし。オレはとても、なんだろう、ここを作る人達…神様達かもしれないけど…の、温かい気持ちが感じられて、居心地がいいんです。」

蒼の前に盆を持って何人かの召使い達が料理を運んで来てくれていた。皆それを並べると、にっこりと笑っておじぎをした。

「ありがとう。」

蒼が言うと、相手はびっくりしたような顔をしたが、微笑して離れて行った。

維心は蒼が食べるのを見ながら、頬杖をついて言った。

「ふーん主は変わった奴よの。召使いにも礼を言うのか。」

蒼は食べたこともないようなおいしい食事に夢中であったが、答えた。

「オレの召使いではありませんので。それに、やっぱりオレが人だからかな…母さんにも、挨拶はきちんとなさい、お礼は家族にでもきちんと言いなさいって、小さい時から教えられてたし。」

維心は呟いた。

「維月がか…。」そしてフンと横を向いた。「あのような女、初めて見た。月が執心なのも分かるがな。しかし我は月のことも嫌いでないのよ。十六夜め、うまくやりおって。」

神好きする母さんの、影響を見つつ蒼は、自分がよくぞ人として生まれたと、なんだかホッとした。神の世界はややこしそうで、どうも苦手なのだ。神の子なんてまっぴらだ。当主ってだけで変なことに巻き込まれているのに。思い出して、蒼はため息をついた。

維心はピクッとこちらを見た。

「なんだ?口に合わないものでもあったのか?」

蒼は慌てて言った。

「違います、これは今まで食べた何よりもおいしかったです。ただ、また、結婚のこととか、いろいろ問題を抱えていたのをふと、思い出してしまって。」

維心は頷いた。

「そのことぞ。主が知りたがっていたので、我も話してやらねばと思ってな。我のように寿命自体が分からぬものでも、跡継ぎは一応作った方が良いだの、妻を娶れだの、言われて鬱陶しい毎日であるのに、主のような限られた寿命の人が、それで済む訳はあるまいと思うてな。」

蒼は驚いた。寿命?

「龍神様は、死ぬということがあるのですか?」

維心は頷いた。

「命あるものは誰でも、死ぬことはある。」維心は肘をついたまま言った。「我の父は我が殺したのよ。」

蒼は絶句した。


維心は特に変わった風もなく、そこに座っていた。


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