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龍と月

龍神は母と意識をつないでいたが、蒼はそれを見てびっくりした。まるで恋人同士が共に過ごしているような感じを受けたからだ。

赤面してその場を離れた蒼は、これを目の前にした十六夜の気持ちを思いやった。いくらそれが命に関わる事でも、十六夜にとってはきっと耐え難いことであっただろう。

意識をつなぐのと心をつなぐのは同じなのだろうか?蒼はそんなことを考えた。

沙依のことは好きだけれども、自分は十六夜のような激しい気持ちは持っていない。誰かにとられるとか、そんなことを考えて怖くなったり、苦しんだり、そんな気持ちも起こらない。

嫁取り合戦のただ中に立たされて、蒼はやっと考えることが出来た。他の普通の人ならいいが、自分は簡単に誰かと付き合うとか、そんなことを考えてはいけないのかもしれない。

龍神が家の中から出て来た。

『当主よ。維月が食事を用意したと言っておるぞ。』

蒼は立ち上がって礼をした。

「わざわざありがとうございます、龍神様。」

龍神は手を振ってそれを制した。

『そのように堅苦しくせずともよい。我は元々、そこまでうるさい神ではないのよ。我のことは、維心と呼ぶが良い。』

蒼は家の中へ入りながら、龍神に言った。

「維心様は、召し上がらないんですが?」

『我の糧はそなた達とは違うゆえな。命の気があればそれでよい。』

龍神は入れ替わりに外へ出た。村人が通り掛かったが、維心のことは見えていないようだ。母も月になる前は見えなかったのだから、おそらくやはり神は人には見えないものなのだろう。

それを別段気にする風もなく、維心は神社の方へ歩いて行った。

それを見送って、蒼は家の戸を閉めた。



維心は神社の境内で、空を見上げた。昼間であっても関係ない。神同士は門も何も関係ないからだ。維心は月に話し掛けた。

《月よ、聞いておるな?》

月からの応答はない。しかし聞いているのは波動でわかった。

《維月はもう、心配いらぬ。あと少しで気は安定し、おそらく若月と同じように過ごすことが出来るであろう。一度月に戻すことも考えたのだが、それはあの「人」の器が耐えられんようなのでな。しかし普通の「人」であったのなら、とうに根を上げておったであろうに。維月とは、まこと強い奴よの。》

月は黙っている。維心は苦笑した。

《主も頑固よの。もうここへは降りて来ぬのか?》

月がムッとしたように感じる。それでも声はない。維心はフンと鼻を鳴らした。

《それならそれでも良いわ。我がここへ通うゆえな。知っておるか?人の世では、何かを失った女であるほど情にほだされやすいと申すのだそうだ。主が我に機会を与えてくれるのであるから、そこでこの先見ておれば良いわ。》

維心が家の方へ足を向けると、やっと月の声がした。

《…お前なんかに何がわかる。》

維心は足を止めた。

《なんと言った?》

《お前なんぞに、オレの心などわかるかと言ったんだ。お前は維月を助けることが出来る。オレには何も出来ねぇ。お前がこの先アイツを守ってやれるんなら、オレに文句を言う資格はねぇ。》

維心は苦笑した。

《主は、真実維月を想っているのだな。そうでなければ、そのようなことは言えまい。》

月は何も答えない。維心はため息をついて、境内にあるベンチに腰掛けた。

《我の話をしよう、月よ。》維心は空を見つめた。《我も主と同じく、「人」の女に想いを持った時があった。思えば維月のように心の強い、大変に頑固な女であったな。我の宮に仕え、我が見え、小さき時より我と共にあった。名を貴子(きし)と申した。》

月がためらったような気がした。維心は続けた。

《しかし、「人」とは愚かなものよ。我と話すその血筋を残さんが為、貴子(きし)に縁付けようとしたのよ。それでも我は仕方がないと思っておった。我は「人」との間に子は成さぬ。貴子は前日の夜、我に会いに参った。我に、その命を身から切り離す事を頼みにな。》

月は黙って聞いている。その気が、今までのような張り詰めたものでなくなっているのを、維心は感じた。

《我は迷った。貴子は迫ったのだ。我が貴子を娶るか、それともその命切り離すか。》維心は下を向いた。《…人には我が子は産めぬ。なぜなら産み落とせばすぐその子に気を食われて命を落とすからだ。神と人は相容れないものであるのよ。》

月の気は、まるでその出来事を自分のことのように感じているのを伝えて来た。維心は肩を落とした。

《…我には、選べなかった。どちらにしても貴子の命を奪うことになることを、我に選ぶことなど出来ようか…他の男のことなど考えたくもなかったが、貴子が命を落とすぐらいなら、我はそれでもよかったのよ。貴子が泣きながら宮を出て行く姿は、今でも忘れることが出来ぬ。》

維心のつらい心は、月にも届いていた。

《月よ、その次の日の夜、夫となる男に触れられる前に、貴子は自ら命を絶った。我に出来たのは、自ら命を絶ったものの常である、道に迷うということがないよう、あの世への道を開いてやることだけだった。貴子は我だけを想っていたと言い残し、去った。》

維心がハッと気がつくと、目の前に光の玉が浮いていた。月なのだとすぐにわかった。

《オレは蒼の力でないと人型を作れねぇんだよ。だが、あいつにここに来ているのを知られたくねぇ。》月は穏やかな口調でそう言った。《龍神、お前とオレは似ているのかもしれねぇな。だが、オレはまだ恵まれている。お前に助けられて、維月を失わずに済んだ。》

龍神はフッと笑った。

《しかし主は勘違いしておるぞ。我はもう、今は貴子に執着しておらぬゆえな。「人」はもう愛さぬと決めたのだ。だがそれが、もし元「人」であっても、今は「月」となれば話は違うぞ。》

月のイラっとした気が伝わって来た。

《おい、維月はもうオレのものだ。》

維心は意地悪く笑った。

《我はそのようなこと気にはせぬ。ほとんどの神がそうであろうが。主はな、おっとりしすぎであるのよ。維月は神の仲間入りをしたようなもの。我でなくとも他の神がやって来る可能性は、いくらでもあるのだからな。今は我が居るから良いが、放って置くと、何が訪ねて来るかわかったもんではないぞ。悠長に天上で惚けている場合ではないわ。》

月は怒るかと思ったが、考え込むような気が発せられた。

《…オレは神のことなど今まで気に掛けていなかったからな。こんなに話したのは、お前が初めてだ、龍神。》

維心はその反応に驚いた。

《…月よ、我のことは維心と呼べ。》それから、光の玉を見た。《まず主はもう少し学ばねばな。人の世のことはよく知っておるが、我らのことや自らのことはてんで知らぬであろうが。主は人型を自ら取ることは可能じゃ。やり方を知らぬだけよ。》

月の光は明らかに驚いたようだ。

《なんだって?オレにも出来るのか?》

維心は腰に手を当てて溜息をついた。

《我が教えよう。これからは他の神とも話してみるとよい。》

月は不機嫌そうに否定した。

《それは有り得ねぇ。お前がなんでも教えりゃ済むことだろうが、維心。》

維心は呆れたが、人型指南をしようと立ち上がった。

《…それはそうと、主の名を聞いておらぬな。》

月はしばらく黙ったが、答えた。

《…十六夜と呼んでくれ。》



《…それでは、我は参る。》維心は言った。《十六夜よ、今少し我慢せよ。維月はすぐに返してやるゆえにな。》

人型になっている黒髪の十六夜は頷いた。

《仕方ねぇ。早いとこ済ませてくれ。》

家の方へと歩きだし掛けて、維心は立ち止まった。

《十六夜、主はもしかして維月の心、信じ切れてないのでないか?》

十六夜はためらうように横を向いた。維心はフフンと笑った。

《以前の主なら教えてやるつもりは無かったが、仕方ない、教えてやろう。我は維月と意識をつないでいる。要は心をつないで、直接調整の仕方を教えて誘導しておるのよ。維月の心の中は、なんでも読み取れるわ。》と少し十六夜に近付き、《アヤツの心の中には、主しか居らぬ。しかも小さき時からな。子をたくさん成したのも主のため。自分亡きあと少しでも主に淋しい想いをさせぬようにと、必死であったのよ。実に心の強い女じゃ。貴子に聞かせてやりたいものよな。ゆえに、誰の入り込む隙間もありはせぬわ。我もあれでは諦めるよりほか、ないであろうが。》

呆然としている十六夜を残し、維心は笑いながら立ち去って行った。

《…ありがとうよ、維心。》

十六夜は小さく呟いた。

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