それぞれの恋路 1
里から戻って、蒼は学校での勉強にせいを出していた。
前まで学校というと面倒なばかりで、あまり勉強しようという気持ちはわいて来なかったのだが、家族の命に関わる時に使わなければならないと思うと、一言一句逃さず聞こうとするその気迫はすごかった。
特に十六夜の記憶の中の有が、血まみれで必死に蘇生術を施す姿は蒼の心の中に鮮明に残っていて、蒼の気持ちを焦らせていた。思えばあの有は、今の蒼と同い年の有なのだ。自分にあれが出来るだろうかと、蒼は当主としての責任の重さと共に感じていた。
「あ~終わった終わった。蒼、なんか食って帰る?」
裕馬が伸びをしながら言った。
「あ、今日はダメなんだよ。沙依と約束あって…。」
蒼は言ってからちょっと後悔した。裕馬の愚痴が始まらなきゃいいが…。
「あ、そっか。今日山中の誕生日とか言ってたっけ。ごめんごめん、でもお前も大変だな。12月に誕生日なんて、クリスマスもあるしさ~。」
蒼はなんか少し拍子抜けした。あれ?
「いや、アイツんち神社だからクリスマスはしないんだって言ってたよ。」
「ふーん。じゃ、オレ電車で帰るよ。」
軽く手を振って離れて行こうとする裕馬に、蒼は慌てて言った。
「いや、どうせ家近いんだから、乗ってけよ!」
裕馬は笑った。
「いや、それならオレも友達誘って飯食ってくよ。じゃあな!」
今まで沙依絡みの話が出るといつもいつまでも愚痴愚痴言っていた裕馬なのに、笑顔で手を振って去って行く姿に、蒼はホッとすると共になんだか不安を覚えたのだった。
沙依には、この間一緒に買い物に行ったときに欲しいと見ていたワンピースをプレゼントした。沙依はとても喜んで、ありがとうを連発するのでこちらの方が恥ずかしかった。
一緒に食事をしている時に、蒼は今日の裕馬の様子を沙依に話して聞かせた。
沙依はちょっとびっくりしたような表情をしたが、すぐにウンウンと頷いた。
「何がウンウンなんだ?」
蒼が困惑して言う。
「それね、多分山下くんに彼女が出来たんじゃないかな?」
「ええ!?」
蒼は思わず大きな声で言ってしまった。沙依はシーっと口に指を立てて制した。蒼は慌てて声をひそめた。
「…だってさ、そんなことがあったら、アイツのことだから絶対オレに真っ先に自慢するかと思うんだけど。」
沙依は難しい顔をして、うーんと唸った。
「そうよね。だからわからないんだけど、でも、いきなり物わかり良くなるなんておかしくない?今まで散々私達に愚痴っていたのに…。」
確かにそうなのだ。この前の美月おばあちゃんの家に行った時も、二人で少し話していたら、後ろから愚痴愚痴言われたので、結局夜、裕馬が寝たのを見計らって、家の前に出てやっと二人で話せたのだった。涼や有が気を使って裕馬を連れ出したりしてくれたが、戻って来たら、また恨めしげに見ているのが参った…。
「まあ、でも、今日は私のお誕生日だから気を使ってくれたのかも。」
沙依はフフっと笑って食事を続けたが、蒼には気掛かりなことだった。
気掛かりなことと言えば、もう一つあった。
実は十六夜と蒼は、今は本当に微々たるものだが、エネルギー供給でつながっている。十六夜のあの体は、蒼の能力で作り出しているもので、その能力の源は十六夜で…という風に、ループ状に繋がっているのだ。日中、月が出ていない時は、十六夜は物を食べて自家発電しているが、夜は十六夜からの力の供給を蒼が受けて、蒼の能力であの体を作り、エネルギーを送っているので、十六夜の心境とかが、伝わって来る時もたまにあった。特に激しい感情は時に遮断するのも難しい時があった。
今まで困ったことなど何もなかったのだが、美月の家に行って十六夜がのぼせたあの日、困った出来事は起きた。
十六夜はのぼせが早く収まるようにと、一度月へ帰っていた。母さんには、一時間ほどで戻ると言いおいていったらしい。母さんは、みんな居るし今日は無理して戻らなくていいわよーと送り出したと言っていた。
あの日蒼は、日中ほとんど話せなかった沙依と、さすがにこれは良くないだろうとメールで約束して、夜が更けてから沙依と家の前で待ち合わせて話していた。
月がキレイで、高台なので景色も見渡せるので、家の前はとても場所が良かったのだ。
楽しく、しかし小声で話している最中、蒼は自分の力が使われるのを感じた。十六夜が人型になって降りて来たのだと思った。いつもより間近に居るせいで、十六夜の心境が途切れ途切れで伝わって来る。
蒼は沙依を見た。…ヤバい。
「沙依、ちょっとここ離れようか。」
沙依は不思議そうに蒼を見た。
「え、なんで?」
蒼は手を引っ張ってそこから神社の方へ移動しようとした。
「なんかさ、十六夜が戻って来たみたいなんだ。」
「そっか。お母さん達にこんな時間に外で話してるの知られたら叱られるかもだしね。」
沙依は素直にそう言ったが、蒼は母が、自分たちがここで話してるのなんか見えていることは分かっていた。問題はそこではないのだ。
でも、わかっていない沙依は、にっこりして照れている。
「蒼くんから手をつないでくれたの、初めてだねー。」
そうだったっけ。そう言えばオレ、自分から沙依に触ったことってなかったな。
「あ、ごめん。」
離そうとすると、沙依は悲しげな顔をして手を握った。
「なんで?いいじゃん、だって彼女でしょう?」
なんだか雲行きが怪しくなって来たが、蒼には十六夜の気持ちが、主に激しい感情だけだが、念で届いていた。
そっちが気になって、沙依の事どころでないのが今正直なところだった。くそっ、やっぱり離れてもこれぐらいの距離じゃ念は届いてしまうな。
ここは、きっと部屋へ帰った方がいい。
「…沙依、もう戻ろうか。」
沙依は傷ついた顔をした。なんで?と蒼が思っていると、沙依はしくしく泣き出した。ああ、きっとオレは何かを聞き逃したんだ。どうしよう。
「…蒼くん、ほんとに私のこと、好きで彼女になってって言ってくれたの…?」
蒼は十六夜に、今日風呂で話したことを思い出していた。どうしてオレは今日話してしまったんだろう?別の日でもよかったのに…。この激しい感情の波は、十六夜のことだから、月に帰って考えるか何かしてきて、きっと今日…。
「はあ〜…。」
蒼は頭を抱えた。沙依はドキッとして更に泣いた。
蒼の頭には、十六夜の感情の波がドッと押し寄せて来ていた。これって今きっとキスしてるよね…これ以上になったら…きっとオレは、のまれて正気でいられなくなる!
蒼はガバっと顔を上げた。沙依がびっくりして一瞬泣きやんだ。早く帰って意識を集中してこれを遮断しなければ!
「沙依!」
蒼は沙依の両肩をガバッと掴んだ。沙依は呆然としている。「は、はいっ!!」
「オレ…っ、」
蒼は一瞬意識がフッと飛んだ。十六夜が布団か畳の上で、びっくりしている母さんに、激しくキスしているのが脳裏をよぎって…。
…意識が戻ると、自分も沙依に口付けていた。といっても、触れる程度だったが。
慌てて離れたが、それはまぎれもなく自分が沙依にしたことだった。蒼は、呆然としてつぶやくように言った。
「…か、帰ろうか…。」
「うん…。」
沙依もボーッとしているが、自分のファーストキスが意識のないところでしかも意思とは関係なく終わった事に、蒼はしばらく立ち直れなかった。
だが、幸い沙依の機嫌はそれで直った。
そんなこともあって、蒼は十六夜に、一ヶ月も前から今日のことを口を酸っぱくして言っておいた。家に居る時とか、一人の時なら簡単に意識を遮断してしまえるが、沙依と会っている時とか、状況が似ているとどうしても簡単に遮断出来ず、困ってしまう。どうせなら何をするのも自分の意思で行いたい。蒼はそう考えていた。
「だからその日だけは、何もしないでいて欲しいんだよ。」
蒼は言った。
《そんなこと言ってもよ、維月がそれで機嫌悪くなったらどうするんだよ?》
十六夜はやや不機嫌そうに言った。
「母さんはそんなこと気にしないさ。心配ならその事母さんに話せばいいじゃないか。」
《ちょっと待て》
十六夜は黙った。きっと母に話してるのだろう。しばらくして、もっと不機嫌そうに言った。
《へいへい、言われた通り、その日は何もしねぇよ。》
蒼は慎重に言った。
「母さんなんて言ってたの?」
《維月は大笑いしてやがる》十六夜は面白くないようだ。《その日は実体化しなきゃいいとさ。降りて来たら、オレがガマン出来ないからだと。》
十六夜、いったいどれだけ人の男に近くなったんだよ。蒼は早く結婚しろとか言った自分を少し後悔した。十六夜は続けた。
《だが、その日の夕方からだろ?夕方までは降りて、夕方から上がるよ。》
あくまでも母さんの側に居たいらしい。なんだか母さんのあきれる顔が目に浮かんだ。
「…なあ、ほんとに母さんの側に居たいんだなぁ、十六夜って。」
十六夜は鼻を鳴らした。
《今さら何言ってやがる。お前らが早く結婚しろって言ったんだろうが。おかげで余計に離れられなくなっちまったんじゃねぇか。なのに今度は離れてろって、ほんとに勝手なヤツだぜ。》
十六夜はプリプリ怒っているようだ。が、急に声が柔らかくなった。
《維月が呼んでらぁ。じゃあな、蒼。》
十六夜の念が消え、蒼の力が微かに使われた。また実体化してあの里へ戻ったんだろう。
蒼はため息をついた。今日も念のため遮断しておこう、とその時思った。
そうまでして今日に備えたので、困ったことは全く起こっていなかった。沙依を家に送る前に、二人は近くの公園に立ち寄り、ベンチに腰掛けた。
本当は月が見えた方が情緒があるのだろうが、今日は自分から言って実体化させなかった十六夜が上に居る。
不便に思いながら、木の生い茂っているほうのベンチを選んだ。
それでも誰かに見られているような気がするのは、自分が自意識過剰なのか、それとも十六夜が言っていたように、見えないだけで人外が回りにうようよ居るのかはわからないが、蒼は気のせいだと思い込むことにした。
「今日はありがとう。私ね、彼氏って出来たことないんだー。だからこんな風にお誕生日お祝いしてもらうの、初めてなの。」
沙依が照れ気味に言った。
「オレも二人で祝うのは初めてかな。うちはだいたい家に集まってみんなでって感じだから、裕馬の誕生日もうちでみんなでやってるんだぜ。沙依もって言われたけど、今日は断っておいた。」
「それもおもしろそうだけど」沙依はフフッと笑った。「今日は二人でよかったかも。」
しばらく沈黙。なんだか構えてしまって、うまく話せない。別に何かしようなんて思ってないのに。
「私、不思議だったんだ。蒼くんはすっごくモテるのに、なんで私なんだろうって。」
蒼は慌てた。
「オレ、モテないよ。なんかの間違いだと思う。」蒼はため息をついた。「だいたい、家にあれだけ女が居ると、すごく冷めた目で見てたと思うんだ。母さんはあの外見でその辺の男より男らしいし。でもさ、それってオレ達を一人で守ろうとしてたからなんだよなあ。それを知って、なんだか回りを見る目が変わったんだよ。」
沙依は頷いた。
「蒼くんの所はみんなとても心が強いもんね。白蛇様もおっしゃってた。あれは月のなせる業ぞ、って。」
蒼は眉を寄せた。
「十六夜は、最近人みたいなんだけどさ。でも、今までひとりぼっちだったんだから、母さんと幸せになって欲しいって思ってるんだ。だからオレ、これから当主として頑張らなきゃならない。母さんはもう月だから、オレが何でも決めて、やって行こうと思ってるんだ。責任を果たして行かなきゃって。」
沙依はそんな蒼を眩しそうに見た。
「やっぱりキレイね、蒼くん。」
蒼は沙依を見た。
「夜は特によく見えるだろ?見える人には迷惑かな。」
蒼は光る青白いオーラに包まれている。沙依は蒼の頬に手を触れた。
「迷惑なんかじゃないよ。」沙依は顔を近付けて笑った。「とてもキレイだわ。」
蒼も微笑して、二人は口唇を重ねた。
《あーあ、なんだよ自分ばっかり》十六夜の声がする。《オレもう維月の所に行くからな。止めるなよ。》
やっぱり見てたのか…と蒼は思ったが、ほうっておいた。十六夜が里で実体化したのを遠くに感じたが、今はもう、どうでもよかった。
沙依を送って帰る道で、ふと駅の方を見ると、裕馬が誰かと駅に向かって歩いて行くところだった。一瞬目を疑ったが、あれは女の子だ。
「沙依…」
蒼が沙依に知らせようと横を見ると、沙依もそちらを見て、目を丸くしている。蒼が気持ちはわかると苦笑してもう一度そちらを見て、そして固まった。
「蒼くん、あれは…」
沙依も言いよどんだ。
一緒に居たのは、涼だった。




