記憶
蒼は、気を失ったまま夢を見ているようだった。
だが、しばらくして、それは十六夜の記憶が断片的に流れ込んで来ていて、それを見ているのだと気付いた。
見ている視点はいつも上からだった。時に近く、時に遠くから広域に渡る視野で、本当に自在に見えるのだと思った。
ああ、あれは小さい母さんだ。
こちらを見上げて手を振っている。十六夜が微笑ましい気持ちになっているのがわかる。
あ、おばあちゃんが手を引っ張って連れて行った。
『おふとんのなかから、月におはなしするからね』
思念が飛んで来る。母さんはこんな小さい頃から思念で話せたんだ。
《待ってるよ、維月。》
十六夜は答えた。
場面が入れ替わる…。
次に見えたのは、土手に腰掛ける、制服姿の母さんだった。あれはいつかアルバムで見て知っている。高校生の頃だ。
「じゃあね、約束して。もし私が月になるか、月が地上に降りるかすることがあれば、結婚しよう?」
十六夜が、あるはずがないことだと思っているのがわかる。それは母さんもそうのようだ。
《約束しよう、維月。もしそんなことがあれば、オレはお前と結婚しよう。》
母さんは満足したように立ち上がった。
場面は、母さんの部屋だった。
若い母さんがベッドに突っ伏して泣いている。十六夜はなんとかしようと話しかけるが、全く月を見上げようともしない。
それでも十六夜は、母さんを慰めたいと思っているのを感じた。そして、全く思ってもいなかったのに、エネルギーの光の玉になって、母さんの隣へ行ってしまったのを感じた。そんなことが出来ると思っていなかったので、十六夜自身びっくりしていたが、もっとびっくりしたのは母さんだった。
「月…?来てくれたの?」
母さんは涙も拭かずにその光に話し掛けた。
《お前があまりに泣いているのでな。》
母さんはその光に触れようとした。でも、光なので手は光の中に突き抜けてしまう。それでも、母さんはふふふっと笑った。
「今日はここに居てくれる?」
《こんな姿で良ければ。》
十六夜はその夜、光の中に母を抱いて過ごした。母は泣き止んですぐにスヤスヤ眠っていたのだが、約束通り、朝までそこに居た。
場面が暗転する。
「何よ!どうでもいいってことなの?!」
とても若い母さんが怒っているようだ。十六夜は答えた。
《違う、お前がいいように決めればいいと言っているんだ。》
「もう、いい!月のバカ!」
母さんはくるっと向こうを向くと、家に入ってドアを勢いよく閉めた。
《…オレに何が出来るというのだ…。》
聞こえないように呟く十六夜は、とても悲しくつらい気持ちでいるのがわかった。
次の場面では、母さんがどこかの屋上で赤ん坊を抱いて立っている。話しているのを聞いていると、それは自分なのだとわかった。
「…あなたは父親として、この子を守って…。」
母さんが言っている。十六夜の決意が伝わって来た。
「約束しよう」
次の場面は、とても暗い所だった。夜の森のようだ。十六夜の緊張が伝わって来る。地響きと共に大きな音がした。
《維月!維月!》
十六夜は叫んだ。血まみれでピクリとも動かない母さんが見えた。有が自分も血まみれになりながら、必死で心臓マッサージと人工呼吸を繰り返し、恒に泣きながら叫んだ。
「恒!早くして!母さんが、母さんが死んでしまう!」
恒は震える手で携帯を握りしめ救急車を呼んだ。遙が母さんの横で泣き叫んでいる。母さんの生気は、全く感じられなかった。きっと有が心臓マッサージと人工呼吸を止めたら、死んでいるような状態だろう。
その瞬間、十六夜の視界が真っ白になった。
途切れ途切れに見える…山肌と岩…何か、人外らしき姿…許しを乞う、エネルギー体のようなもの…。
それは突然に、大きな光で押さえ付けられ、消えた。
視界が戻って来る。十六夜が激しい怒りに我を忘れていたようだった。気付いた彼は維月の運ばれた病院を見た。有がうなだれている。十六夜は聞いた。
《有、維月は…。》
十六夜は怖がっているようだった。
「わからないの」有は涙を流したままだった。「わからないのよ、月。助かるどうか。」
傍らのカーテンを、有は開けてくれた。十六夜からも母さんが見える。治療のため長い髪は肩の所でバッサリ切られ、包帯でぐるぐる巻きにされ、酸素マスクをつけられ、管につながれた母は、生きているのが不思議なぐらい、生気はなかった。
十六夜は、毎日呼んだ。
《維月…維月、逝かないでくれ。オレはまだ、お前を失う心の準備が出来ていない…。》
十六夜が守って来た人が、先に死んで行くのはいつものことだった。それは月の自分と人の違いなのだから、わかっていた。しかし、本当に、十六夜には母さんが死んでしまうことへの覚悟が出来ていなかった。気付くまでの毎日、ずっと、十六夜は母さんを呼び続けた。
『月…?』
母さんの念の声が、十六夜の心に響いた。十六夜の歓喜の感情を、蒼は強く感じ取った。
場面が変わった。闇夜だ。母さん…離れて、恒と有がいる。あれは、遙?若月…これは、今の情景だ!
何か、黒い大きな悪意を感じる。ふと、母さんが、月のあるだろう辺りを見上げた。そして、言った。
「月…もう、心の準備は出来たわね?」
十六夜の心は叫んだ。
やめてくれ!頼むからもうこれ以上オレを苦しめないでくれ!
「維月ーー!!」
蒼は、叫んでガバッと起き上がった。ゼイゼイと肩で息をする。涙が再現なく流れていた。十六夜は…今あの現場を見ている。そして、絶望的な気持ちで母を見ている。
十六夜の悪い予感は、これだったのだ。
涼が驚いて蒼を制した。
「大丈夫?蒼。母さん達は向かったのよ、あなたが示した場所に。」
蒼は涼を見た。ここは自分の部屋だ。
蒼はどうして十六夜があんなに維月維月と言うのかわかった。母さんと十六夜は、オレ達が生まれるずっと前から、母さんが小さな子供の頃から、本当に二人で話し、なんでも二人で助け合って来たのだ。そこには、本当に二人だけしか居なかった。母さんには他に、理解を示してくれる人が居なかった・・・だから母さんにとっての十六夜は、父であり兄であり、そして恋人でもあり夫でもあったのだ。頼れるのは、十六夜だけだった。十六夜も、それをわかっていて、なんとしても母さんを守り切りたいと思っている・・・。母さんがオレ達をたくさん生んだのも、そんな孤独を味わわせないためだったのだ。
蒼は最後に見た場面を思い出した。母さんは死ぬ気でいる。何かあったのだ。
「涼、行かなきゃならない!」
蒼は立ち上がった。すぐにふらふらと足元が崩れる。涼は蒼を支えた。
「ダメよ。あなた今動けるはずないでしょう?力が全然ないのよ!」
蒼は涼に支えられながら、夜空を見上げた。
「十六夜!」蒼は自分の意思ではない涙をぬぐった。「泣いてる場合じゃないだろう!オレの門はまだ開いている。オレの体を使って、早く母さんを助けてくれ!間に合わなくなるぞ!」
《今のお前は体力がない》十六夜の声が小さく聞こえた。《この前のようには行かない。お前を殺してしまう。維月に、お前の命を優先すると約束した・・・。》
それは知っている。母さんが赤ん坊のオレを抱いて、十六夜に約束させていたのを記憶の中に見た。
「だからって黙って見てるのかよ!母さんが死んでしまうんだぞ?!オレは知ってる・・・心の準備なんか、全然出来てないくせに!」
十六夜から、怒りとも悲しみともつかぬ感情が流れ込んで来た。《体を、借りる。》
十六夜から力と一緒に意識が流れ込んで、蒼の体を満たした。カッと閃光が走り、蒼の体は宙に浮いた。十六夜の入った蒼の体は、涼に手を差し出した。
「涼、一気に飛ぶぞ。」
涼は十六夜と同じ金茶に染まった蒼の瞳を見て頷き、その手につかまった。
十六夜は涼を腕に抱き、窓から夜空へ飛んだ。




