温泉宿にて
「お前なー」十六夜は言った。「オレはエネルギー体なんだ。風呂に入る意味はねぇんだよ。」
旅館の男部屋で、浴衣姿の十六夜は、椅子にそっくり返って足を組み、そう言い放った。
高瀬蒼は、この自分が作った月のエネルギー体に、何とかして人のように行動して人と同じ体験をしてもらおうと、躍起になっていた。
「でも、せっかく母さんが十六夜の分まで人として料金払って予約してくれたのにさ。」
蒼は食い下がった。弟の恒が浴衣を着てタオルを持って入り口付近で待っている。
「ねえまだー?先行くよ。」
「ああ行って来な。オレはここで待ってる。」
「十六夜~」蒼は言う。「何でも経験じゃないか。温泉なんて、なかなか来れないんだぜ。」
十六夜はため息をついた。
「オレは水に入ったこともないんだぞ。エネルギー体がどこまで人のふり出来るかなんて、よくわからねぇのによ。人様が見てる前で、全部水が突き抜けちまったらどうする?お前達がゆっくり出来ねぇんだぞ。」
蒼は胸を張った。
「オレは最近その体を作る腕を上げてるんだ。絶対大丈夫だと言えるね。」
十六夜は蒼からタオルをひったくって立ち上がった。
「まったく…どうなっても知らねぇからな。」そしてぶつぶつと、「この髪と目だけでも人の奴らはやたら見やがるのによ」
十六夜は自分の髪をワサワサと触る。確かに青銀の髪に金茶の目なので、悪目立ちしてしまうが、端整な顔立ちなので警戒されることはあまりない。見とれている人もいたぐらいなのに、と蒼は思いながら、十六夜と恒と共に大浴場へ向かった。
蒼は医療専門学校の一年生になっていた。兄弟姉妹達、皆が皆医療系を目指すのを、なぜなのだろうとずっと思っていたのだが、大きな闇との戦いでわかった。浄化という役目は、やたらと生傷絶えないのに、あまりに病院へ行く回数が多いと、変な目で見られてしまうこともある。それに早く処置しないと、ヤバい時もあるのに、他人に頼ってばかりもいられないからなのだ。
蒼は有や涼のように、早くから志を持っていた訳ではないので、医大は無理だとわかっていた。なので、その時点で可能な限り頑張れる進路を選んだ結果、今の進路になったのだ。
親友の山下裕馬も、必死で勉強してついてきて、今同じ学校へ通っていた。
今日は母に、進学祝いとして、夏休みになってから、やっと海辺の旅館に連れて来てもらったのだ。
「おーい」裕馬が手を振っている。「やっと来た。遅いよ。女組はもう入って行ったぜ。」
裕馬は大浴場入り口前で待っていた。
「お前の母さんが、7時にはご飯だから、遅れるなって言っとけって。」
裕馬は心持ち緊張した面持ちで言う。母のことだから、裕馬にもお構い無しにきつい感じで言ったのだろう。
「ごめんごめん」蒼は裕馬に駆け寄った。「とっとと入って来よう!」
露天風呂に浸かってホッとしていると、十六夜も同じように湯に浸かり、月を眺めているのがわかった。最初はおっかなびっくりで、初めて触れる水に「気持ち悪りぃ」と言っていた十六夜だったが、今はくつろいでいるようだ。
蒼は、今まで上から見ているだけで、いつも茅の外で、それでも千年以上過ごして来た十六夜に、皆と一緒の生活というのも経験してもらいたかった。もし、あの体を形作れるのが自分で最後だったとしても、共に過ごした記憶を持っておいて欲しかった。
ふと、裕馬がそわそわしているのが目に入る。十六夜もそれに気付いたようだ。
「なんでぇ裕馬、便所か?早く行って来な。ここでしたらお前を浄化しちまうぞ。」
蒼も言った。
「出てすぐ脱衣場の横にあったよ。」
裕馬はかぶりを振ってため息をついた。
「あれが聞こえねぇのかよ。」
蒼は耳を澄ました。隣りの女露天風呂から、涼と遙のキャッキャッとはしゃぐ声が聞こえる。母さんと有の笑い声も聞こえた。蒼は思った。まだ母さん達が入ってるってことは、もう少しゆっくりしてても大丈夫だな。
「あー」十六夜が頷いた。「いつの時代も人ってのはあれに興味があるんだな。なんであんなものが見たいんだ?」
「お前達がおかしいんだよ!」裕馬は言った。傷付いたような顔をしている。「オレが健全な反応だと思う!」
蒼と十六夜は顔を見合わせた。あっちこっちの風呂に浸かって楽しんでいた恒が、露天風呂に入って来た。
「だってオレ達、小さい時姉さん達と一緒にお風呂入ってたもん。」
恒は言う。蒼も頷いた。
「有が兄弟姉妹並ばせて、順番に頭洗ってたよな。はい次!はい次!って。」
「多分あれ有が中1なるぐらいまでやってたよね。」と恒。
「風呂槽が満員なるって言われて止めたんだよね。」
裕馬はガックリと頭を垂れた。顔がぶくぶくと湯に浸かっている。
「おい裕馬、大丈夫か?」
蒼は裕馬の肩をつついた。
「なんならオレが維月に見せてやれって頼んでやろうか?」
十六夜が大真面目に言う。
「いや十六夜、それ母さんに殺されるから。」と蒼。
やおら裕馬がガバッと湯から顔を上げた。
「なんかある!」
蒼は慌てた。
「何が?」
裕馬は湯の中を指した。
「この底だよ!見てくれ!」
裕馬に頭を押さえつけられて、蒼はぶくぶくと沈んだ。びっくりしながらも目を開けると、岩で出来た浴槽の端、岩と岩の隙間に、うっすらと光が見えた。蒼は顔を上げる。話そうとして慌てて湯にむせた。
「おいおい大丈夫かよ?」
十六夜が眉を寄せて言う。蒼はむせながら言った。
「なんかあるよ十六夜。水が漏れないんだから、物理的にはないと思うのに、隙間から光が漏れてる。」
十六夜は半信半疑で蒼が指す方を、湯の上から凝視した。その横で恒がぶくぶくと潜って見ている。
「…確かに、なんかの力が漏れてるな。まあこんな場所では古くから、そこが繁盛するようにとか、事故が起こらないようにとか、そんな意味で、そこに留めるために人が神を封じたり、人柱を立てたりしたもんだ。そのなごりじゃねぇか?悪い気は感じねぇな。」
「ふうん。」
蒼はなんだか複雑だった。話には聞いていたけど、昔はいろいろあったんだな…。でも神様にしろ人にしろ、きっと外へ出たいだろうなあ…。
「オレもう出る。」
恒が、立ち上がった。そういや母さん達の声も聞こえなくなってる。
「もう出よう!遅れたら怒られる。」
蒼は皆を急かして脱衣場へ向かった。




