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佐野さんと親子丼を食べてから一ヶ月と少したち10月の初めになった。
学校帰りに久しぶりに書店に寄ると、平台に佐野さんが表紙の雑誌が目に止まった。
いつか気合いを入れてノリノリで撮影した、と佐野さんが言って写真かと思い買うつもりで立ち読みを始めた。
その雑誌の佐野さんは、大きく胸元を開いたシャツとジャケットに折り目がピシッと気持ちいいズボンを綺麗に着こなしている。
ページをめくると表紙と同じ格好で、ジャケットを脱いだり、胸元のボタンを外しながら流し目を送る写真もあった。
他にもにも何枚かある。
この人、誰…。
それは、私が知っている佐野悠斗でも佐野さんとも違う人に見えた。
対談もあったので目についた所を読んでみた。
編集)今日の佐野さんは何だかすごくセクシーですね。撮影見てドキドキしました。
佐野)ありがとうございます。そう言って貰えて嬉しいな。撮影の方がおだて上手で、気分が乗っちゃって良い撮影してもらえました。
いや…気合いを入れて行ってノリノリになっただけだろう。
撮影を止められなければ、シャツのボタンを全部外してしまうくらいの勢いはあったはずだ。
編集)佐野さんは恋愛にはどうゆう考えをお持ちですか。
佐野)そうですね…。
知らない間に恋してたり、突然に恋に落ちる一目惚れだったり色々ありますよね。その恋の先に恋愛があると思う。
僕もいつか恋愛出来るといいな。
お互いに私が誰か分からなかった時のインタビューなのに、前回会った時を思い出してしまう。
私は惹かれはしてるけど、まだ恋じゃないと思うし恋愛なんて…。読んでそんな風に照れる自分が恥ずかしくなり、そこの活字から目を逸らせた。
編集)今度は、あのドラマの2が始まるそうですが。
佐野)はい。前回から一緒のベテランの皆さんに囲まれての撮影なので胸を借りて、演技を勉強させて貰いながら頑張ります。見てくださいね。
渋い弁護士さんが楽しみだ。色々とふっ切れたらしいし佐野さんも、いつもより頑張れるだろう。
自分の中で感想を言って、新たに始まるドラマに胸を踊らせながら雑誌を戻して買わずに帰る事にした。
あんな雑誌が部屋にあったら、佐野さんのページを隅々まで読んでしまいそうな気がしたからだ。そこまで、佐野悠斗にはまりたくなかった。
「ドラマの渋い弁護士さんと佐野さんが大好きなんです。」
そう親子丼の店でそう言ったけれど、記憶のない生身の私が佐野悠斗本人を目の前に、渋い弁護士さんだけが大好きとは言えなかっただけで、実は渋い弁護士さん程に佐野悠斗を好きでは無かった。
記憶の戻った今は、佐野悠斗にはまってしまうと、本当に佐野さんを佐野悠斗としてしか見られなくなってしまいそうで、それが良いのか悪いのかも分からなかった。
佐野さんは意外とマメな男のようだ。
メールは、よく色々な時間に他愛のない内容の物が来て、たまに顔か赤くなるような好き好きメールが入っていた。
時間が合えばメールで会話をするし、電話もたまにかかって来ていた。
けれど、それだけで会う事はなく、会いたいと思ってもそれは言えずにいた私だった。
家のマンションの近くまで帰ると道の端に四輪駆動の車が止まっている。佐野さんと同じ色だと思いながら通り過ぎようとした時に、窓が開いた。
「智恵。おかえり。」
佐野さんだった。
「どうしてここに?」
「とりあえず乗ってくれない?」
とりあえずと言われても…。
佐野さんの言葉に戸惑ってしまう。
「良いから早く乗って。他の車の邪魔になる。」
急かすように言われて慌てて車に乗り込んで、周りを見ても車は来ない。
「邪魔してないじゃないですか。」
「あのまま立ち話してたら邪魔になるだろ。ベルトしてね。」
不満気な私に佐野さんはクスクス笑って答えた。
今日も薄いサングラスにラフな格好の佐野さんだった。さっきの雑誌の様な雰囲気もなく、気楽になれた。
それから走る車の中、今日の予定や遅くなって良いか聞かれ、大丈夫だったので母に遅くなるとメールをする。
「今日来るってメールで何も言ってなかったですよね。」
「メールも電話も知恵からしてこないのに、言ってたら来てた?」
そう聞かれて困ってしまう。
架空の用事か仮病を使うような気がする。
「雑誌の写真みましたよ。あの時にノリノリって言ってただけあって違う人みたいでした。服も似合ってました。」
素直に答えにくい答えが出たので、話しを変えようとした、私。
「ふ~ん。どんな服。」
私が服を説明すると
「今月のか…。まぁ、あれから随分撮影もノリノリでできるようになったから、評判も良くなったけれどね。」
不満そうに微妙な答えを貰った。
そうしているうちに、佐野さんのマンションに着いた。お互いのマンション同士の距離は思ったより遠くない。
部屋に入ると靴も脱いでないのに、背後から軽く抱き締められた。
「会いたかった…。もう智恵が冬服になったのに、これで会うの二回目だなんて…。」
切なそうに言われてしまった。
実際、私も会えて嬉しい気持ちもあったけれど生憎素直ではない。
「早くソファーに会いたいです。」
「俺よりソファーかよ。はいはい。カフェオレも入れますよ。」
拗ねたように言われ佐野さんの腕から解放された。
抱きしめられドキドキしているのがバレてしまわないように、足速にリビングに向かった。
ソファーに座るとローテーブルに雑誌が一冊あった。表紙にセクシー佐野悠斗と活字が目に入る。
ページをめくると、セクシーと言うだけにさっきの雑誌より露出が多い佐野さんの写真が何枚かある。
黒い背景に濡れた髪でジーンズだけ履き、カメラに視線を送るだろう写真は、いつか見たお風呂上がりとは全く違っていた。
「どう?それが智恵がいた時に撮った写真。気合い入れてノリノリで撮れたんだ。見せるって言ってただろ。どうせ買ってないんでしょ。」
そう言って自然に佐野さんは隣に座った。買ってない事が分かっていた事に驚いた。
けれど、佐野さんと写真の違いに更に驚き見比べてしまう。
「普段の佐野さんも格好いいと思うけど、ドラマともこの写真は全然違う…。本当に佐野さんが佐野悠斗なんですね。」
「当たり前じゃない。お仕事で他のみんなで一緒に作る所が沢山ありますから。」
呆れたように言われた。
「そうかぁ…。」
大変な人に気に入られたと実感した。
ただの高校生の私との違いに、風船の空気が抜けて行くように気持ちもしぼんでいく。
「なんだか、俺と佐野悠斗を無理に分けようとしてない?
俺は俺だけしかいない。今も智恵が好きなのも佐野悠斗も俺だ。
全然違って見えるのは、スタッフや俺がそうしようとしてるんだから、そう見えないと困るだろ。仕事だから普段の俺ばかりでいたら。」
佐野さんが、暖かいカフェオレを啜りながら言った。
当たっていた部分もある。佐野さんと佐野悠斗と分けて、みんなが知らない佐野悠斗を私は、知っていると思っていた部分が私の中にあった。
だから余計に有名人と意識して素直になれなかった。
普通の人なら良かっのに…。
ますます気持ちがしぼんで足の上の雑誌のページをめくり読む振りをして俯いた。
「智恵は、今まで佐野悠斗の俺に興味がなくて見てなかったろ?今も。だから余計に違うように見えるんだよ。」
それは大当りで今も興味があるとは言えない。
頷きながら気持ちは、もうしぼみきっていた。
「けど、佐野悠斗もただの人だ。メディアに出る仕事だから違うように思うだろうけど、飯も食うし悩みも疲れもする。普段の俺は好きなんだろ?」
素直に頷いた。
「智恵。」
突然、佐野さんに抱き締められ、私の耳元で嬉しそうに囁かれた。
「良かった。頷いた。」
せっかく気持ちを抑えていたのに失敗してしまった事に気が付いた。何も考えずに頷いてしまった。
「違う。」
「何が違う。」
慌てて否定しても、身体を少しだけ離した近い距離で佐野さんに強く目を見られ問われる。
言葉とは逆に、問われて違わないと自分の気持ちを改めて自覚してしまった。
「だから…だからね…。」
なおも、往生際悪く言い訳しようとしても、好きとゆう気持ちを自覚した今は言葉が上手く出てこない。
「智恵の言う、佐野は佐野悠斗だ。だからって、それだけの理由で逃げないでくれ。」
私の言葉を待つ事なく、切なげな眼差しと言葉で言い訳さえさせてくれない。
「すぐにとは言わない。いつか俺と恋愛しよう。俺の仕事が仕事だから、あまり会えないかもしれない。俺と佐野悠斗を分けたいなら分けたらいい。
けど、ずっと俺を好きでいて欲しい。ファンとしてじゃなくて。」
「でも…。」
「智智の素直な知恵の気持ち教えて。難しく考えなくていい。
本当に俺に好きじゃないなら、俺も智智が幸せになれるように…忘れるように頑張るから…。」
私が気持ちを抑えようとするタイミングを次々に壊されていかれる。佐野さんの強い眼差しと言葉に絡まり逃げられなくなる。
そう言った佐野さんは、目線を外し優しく私の前髪を上げる。傷は随分良くなったのでテープは面倒で外していた。
「前より良くなってる。」
早く治れと、おまじないの様に傷口に佐野さんの唇が触れた。
「傷を見たら申し訳なくなる。けど、この傷の元の事故で会えたかと思うと愛おしくなる。」
智恵と木村には悪いけどね…。
唇が触れそうな位置で囁かれ優しく口づけられ、すぐに佐野さんの唇が離れていく。
すぐに離れた唇が寂しいと思って見た佐野さんと目線が絡み合い、次に奪うような口づけが降ってきた。
薄く開いた私の唇から、佐野さんの舌が入り込み口内を撫でられ私の舌を絡めとられても抵抗はできなかった。佐野さんの胸を弱く押し返しながら、気持ちを自覚した私の舌は、たどたどしく応えまでしてしまう。
「智恵…駄目だよ…。」
少し離れて駄目と言った佐野さんの唇が、さっきより激しく襲ってきて口づけが角度を変えながら深まっていく。
私の戸惑いも気持ちの抑えも何もかもを飲みこむ様な口づけに、一度素直になった気持ちが徐々に大きくなり、自分の気持ちに自分でも逆らう事も出来なくなってしまう。
「どうしよう…。好きでたまらない。…」
そんな口づけをくれた唇が離れると、佐野さんは気持ちと一緒に吐き出す様に言った。抱きしめる佐野さんの背中に、私も怖ず怖ずと手を回すと更に腕に力を込められた。
「私も好き…。」
私から零れ落ちた気持ちの言葉に、一瞬息を飲んだ佐野さんは、抱きしめる腕の力をそのままに動きを止めた。そして、しばらくして耳元で優しく囁かれた。
「智恵。ごめん。部屋変えたい…。いい…?」
少しして頷いた私。いいと聞かれて本当にいいと思ってしまった。けれど、そのままの動かなかった佐野さんが口を開いた。
「もし嫌なら…無理してるなら今、ちゃんと言って。だからって、俺が智恵を嫌になる事はないから。今なら間に合うから。
良いなら俺がシャワーか風呂に行く。どっちが良いか答えて。」
無理したようにゆっくりと問われたその後、私が先にお風呂を選びシャワーを済ませた佐野さんと結ばれた。
いいと答えておきながら自問自答しながら緊張していた。お風呂上がりに佐野さんの部屋着を借りてリビングのお気に入りのソファーにいるはずなのに、私は落ちつなかい。
そこに、シャワーを済ませた佐野さんが来て、私の手を強く引き立たせた。
「行こう。」
鋭く光らせた初めて見る目をした佐野さんは、啄むような口づけをあちこちに落としながら、ゆっくりと私を寝室のベッド誘った。
「これから、ずっと大事にする。一緒にいよう。」
何も隠す物が何もない私に佐野さんが触れる手も、囁きも全て大事にされている気がした。初めてだったけれど怖いとは思う間もなく、とても幸せも感じる時間だった。
その後も、ほとんど寝室で過ごしながら佐野さんとの距離までもが縮まった感じがした。
「智恵。いつか泊まりに来れない?なかなか会えない変わりに、会えた時にはもっと一緒にいたいんだ。」
「仕事も学校もあるし難しいでしょう?」
帰る前にシャワーをかりて制服を着てカフェオレタイムを過ごす事にしたリビングで、佐野さんにねだるように言われても現実は厳しい。
「お願い。」
聞こえなかった振りをして、さっきの雑誌を手にして開いた。
「また、その雑誌見るの?
ここに実物いるのに。さっきも見たでしょう。」
雑誌を佐野さんに閉じられ、優しく深く口づけられた。
きっと今だけこんなに私に甘いんだろう。
ずっとな訳無い。
周りには素敵な女優さんやアイドルがいる。
そんな事が頭を過ぎりながら、もう十分な幸せを貰って満ち足りていた私だった。
それからもメールも電話も回数は前のまま。ただ、佐野さんの気持ちが篭ったメールや言葉が増えた。
二、三日後から、佐野さんがドラマ撮影と他が重なり最近忙しくなるといい内容はそのままメールが減り、電話は一度あった。
そんな中、お天気のいい日曜日の朝に佐野さんの熱愛デートスクープがテレビで流れるのを見てしまった。何回か二人で夜に食事していたらしい。
そして私の生理は遅れていた。