6
目覚めたので、目を開こうとした。
重くてなかなか瞼があがらない…。
目を擦るのに手を動かそうとした。
指がやっと動くくらい…。
なんだこれ?どうしたんだ?
随分と眠って、夢を見ていた気がする。
諦めずにゆっくりと目を開いた。明るい…。
白い天井。
寝ているらしい私。
「智恵!」
声の方にゆっくり目線を向けると
「お母さん…。」
口は動くけど声が出ない。
すごく疲れた…。
すぐに眠りに吸い込まれてしまった。
今年の夏休みの思い出は入院だったなぁ。
夏休み前の事故で、私は夏休みのほとんどを屋内ですごした。
意識不明だった割に後遺症も残らず回復できていた。
額の傷の抜糸もおわり、くしゃみ一つでうずくまる様だった肋骨の痛みも随分良くなっている。
外に出る元気もなく、肋骨の痛みもあり課題ばかりして、たまに友達が遊びにきてくれて過ごしていた。
勉強に関してだけは充実した夏休みだった。
そんな夏休みも終わりが近い日の病院受診。
長い待ち時間の診察を受け会計を済ませると、お昼を大分すぎた頃になっていた。外の夏の暑さに汗が吹き出してくる。
「智恵さん。」
帰えりに何か買って帰ろうと、病院玄関を出て少し歩いた所で声をかけられた。
「木村さん。どうしたんですか?」
木村さんは、事故を起こした車の運転手だ。入院中によくお見舞いに来てくれた。
芸能関係者だったらしく、入院当初は所長さんまで頭を下げに来てくれたらしい。
「病院受診はタクシー使ってって言ったのに。たまたま家に電話したら歩いて行ったって聞いて…。」
「いや。痛みも随分良くなってるし大丈夫ですから。」
お母さんがゆうには、30歳くらいの木村さんには奥さんと娘さんがいて、こちらが申し訳なくなるくらい謝ってくれたらしい。
事故当時、殴りかかるくらい怒りまくっていたらしい両親も、私が元気になり誠意をみせてくれる木村さんの人柄を知るにつれ、険悪なものは少なくなった。
両親と木村さんは私が元気になっても、額の大きな傷を気にしてるらしい…。
傷は大きいけれど浅くて場所も生え際から額にかかる位だから、前髪でわからないのに本人より気にしてくれてる。
誰にも言わないけれど、木村さんは怖くない。けど、走る車が怖い。
だから、今日は無理言って自分の足で病院にきたのに…。
「帰りは車で送るから。私の運転じゃないからね。ご飯は食べた?」
「木村さん。過保護過ぎますよ。お昼は、ちゃんと何か買って食べますから。一人で大丈夫です。」
笑って答えた。
普通に話せるようにはなれた。けど、過保護なくらい良くしてくれてる木村さんを良い人とは思えなかった。
怪我はやっぱり痛かったし、夏休みの入院生活も楽しい事ばかりではなかった。
愛想だけの私だ。
それに、木村さんの車には乗りたくない。
けれど、言わないそれを分かってくれていて私の負担にならないように、心配してくれる気持ちは嬉しかった。
結局、木村さんにやや強引に駐車場に促され四輪駆動の車のドアを開けられた。
「家には連絡してあるから。遅くなっても良いって。少しスペシャルなお詫び。ご飯食べて楽しんでおいで。」
運転席には、短い茶色い髪のサングラスの若い男の人。
「え?木村さんは?」
その言い方だと、私とこの人と二人ですか?冗談でしょ?
「うちの事務所の者だから。智恵さんが嫌がったり、困るような事には絶対しないから。」
「一人で帰り…」
「じゃあ私はこれで失礼します。智恵さん。また連絡しますね。」
私の言葉を遮り逃走する木村さん。
おい、木村。言い逃げか。私の愛想を返せ。
連絡いらないから戻ってきて下さいよ…。
木村さんは振り返る事もなく姿を消してしまった。
ちらりと運転席に目を向けると色の薄いサングラスのまま、こちらを無言でみている人。
「あの…。私、一人で…」
「俺も関係した事故だったんだ。俺からもお詫びしたいから木村に頼んだの。乗ってくれない?」
木村さんの事務所の人は、人の話を聞かないのが基本なんだろうか…。
それとも、知らない人の車に乗ってはいけません。とゆう社会の常識は無視なんだろうか…。
「もう大丈夫なんで…」
「本当に俺と木村は、同じ事務所で一緒に仕事してるんだ。
智恵ちゃんは、親子丼が好きなんだってね。お詫びにはどうかと思ったけど今回は、超有名な親子丼で長い行列の出来る店に所長が無理言ってくれたんだけど、どうする?」
また言葉を遮られムッとしていたのに、一気に伝わる親子丼の情報に簡単に心が揺れてしまう。空腹って怖い…。
「旨いらしいよ。ふわふわとろとろなんだって。
俺の車に乗る事や運転が心配なら、タクシーにしよう。車は置いて行くから。」
行く事は、すでに決定らしい。
車を置いてタクシーまで用意される程の私ではない。
私が意識しすぎているのかもしれない。
同じ事務所の仕事仲間の木村さんの紹介だし、悪い人ではないだろう。
結局、木村&親子丼ペアが勝った。
「よろしくお願いします。」
何がよろしくなのか分からない挨拶をして、ゆっくり車に乗り込んだ私。
普通より安全運転で10分くらい走り、駐車場に車を止めて店に入る。小さな個室に通された。
「親子丼に俺は負けた気がする。」
ずっと無言で隣を歩いていた人が、小さな個室でやっとサングラスを外した。
「え?佐野悠斗さん?どうして?」
入院中たまたまテレビに出ているのを見てファンになった人が目の前にいる。
なんで?夢なのか?
「木村は俺のマネージャーなんだ。俺の迎え途中でおきた事故だから、ずっと気になってたんだ。」
やわらく話す佐野さん。まだ目の前にいる事が信じられない。
「そうなんですかぁ。じゃあ、木村さんの話から出てた佐野って佐野悠斗さんだったんですね。」
びっくりしすぎて、突然すぎて、うまく話せてるかどうか分からなかった。
「そうだよ、佐野だ…。」
訝るような佐野悠斗さんの視線がくるけど、気がつかなかった。
「最近、佐野さんのファンになってDVDとかよく見たりしてるんです。少し前のドラマの渋い弁護士さんと佐野さんが大好きなんです。」
「…ありがとう。」
自分で失礼じゃないかと思ったけれど、佐野さんは柔らかく微笑んでくれた。
すぐに頼んでいた親子丼が来たら、そちらに気を取られ言葉少なく美味しく頂いた。
「もう身体は大丈夫?」
「随分よくなりました。佐野さんにまですみません。美味しいご飯、ありがとうございました。ごちそうさまでした。」
暖かい日本茶をすする。
「暖かいカフェオレとか好き?」
「好きです。冬より、夏にエアコンの効いた所で暖かい甘いカフェオレ飲むのが一番好きです。冬のこたつでアイスみたいな感じで。」
「じゃあ、智恵ちゃんがお気に入りになりそうなカフェオレ飲ませてくれる所があるから、この後に行ってみる?」
そう言って車に乗り連れて来られたのは、豪華じゃないけどセキュリティのしっかりしてるマンション。
嫌な予感に玄関ドアの前で帰ろうとする。とっさの言い訳をして。
「今日は、もう傷も痛むので帰ります。」
「ふざけんな。調子悪い奴が、あんなに美味そうにバクバク喰うか。」
口調が変わった佐野さんに肩を抱かれ、玄関に押し込められた。
驚いて佐野さんを振り返り見上げると不安そうな顔をしている。
いきなり態度や口調が変わっても怖くなかった。
不安そうな佐野さんの表情をみて、佐野悠斗としてじゃなく知っている人のような気がして目が離せなくなる。
「靴は脱いでね。」
ドアの前に立ち塞がる佐野さんに柔らかく言われ、肩の腕が下ろされ背中を軽く押される。
渋々、足を進めた。
見るからに平凡な日本人の私。嫌味か。
「わかっています。」
佐野悠斗はテレビの中の人だ。知っているはずがない…。
似ている人も周りにいないはずだ。
靴を脱ぎながら思っていると、そのまま仕種と口頭だけで私に触れずリビングに通されソファーに座らされた。
初めての来たはずなのに玄関に入った所から、案内されたリビングにも見覚えがあった。
気持ち良い大きなソファーの形も肌触りも柔らかさも好きだ。
キッチンで佐野さんがセットしたドリップコーヒーのいい香りに落ち着いてくる。
なんで…なんで知ってる感じ?
「どう?」
心配そうに、言われても意味が分からなかった。
「傷は痛みません。体調もいいです…。」
平静を装って適当に答えながら、長いレースのカーテンの向こうにあるだろうベランダに惹かれていた。
「ベランダ出ていいですか?」
「…ご自由に。」
一つある黒い男物のサンダルに足をいれ柵に手をかけた。
薄暗い風景の中を流れる車のライトが頭に浮かぶ。
そして、柵から少し身を乗りだした。
「智恵ちゃん!」
裸足で駆け寄ってくる佐野さん。
「大丈夫。どれくらい高いか覗いてみただけです。」
慌てた佐野さんに振り返って答えた。
「はぁ…。」
ため息と共に抱きしめられた。
「何度もびっくりさせるなよ。」
何度も?
離れようと動くとすぐに腕は解かれた。
私の顔をじっと見て、考え込む佐野さん。
「中に入ろう。すぐにカフェオレ出来るからソファーにかけてて。」
その言葉に従い素直にソファーに座る。
柔らかな肌触りと気持ちいい座り心地。背もたれに身体を預ける。
やっぱり、このソファー座った事がある…。
コトリと目の前のローテーブルにマグカップが置かれた。
身体を起こしてマグカップに手を伸ばす。
見覚えがあるマグカップと熱いくらいの温もり。
いつか見た夢みたいな出来事のあやふやな型が、しっかりしたものになってきた。
顔をあげると、立ったまま心配そうに私を見下ろす佐野さん。
「…女子高生?」
私は、無言で立ち上がりリビングを見回す。一つのドアを見つけ近寄り開く。
そこは、予想通り寝室で大きなベッドがあった。
「男の事情なんてまだ知りたくなかったのに…。」
「智恵ちゃん?」
「はぁ。夢かと思ってました。」
また全部、思い出してしまった。
短い人生の中で二回も、記憶をなくし思い出す経験をするなんて思っても無かった。
ドアを閉めて佐野さんを見上げた。
「俺が誰だかわかる?」
「私に佐野扱いされた佐野さんでしょ?
せっかく、ファンの一人でいられたのに…。」
佐野さんは安心したように微笑んだ。
「佐野さんも覚えてるんなら、あれは現実だったのか…。」