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顔色は戻らず、手が震えているのに気がついた。自分が薄くなっていくのもわかる。
佐野さんが訝り聞いてきた。
「女子高生?どうした?」
「早く帰りたい…。」
場所は、ここじゃない。
けれどさっきのブレーキ音が耳から離れず、蘇った記憶のショックも大きく早くここから離れたかった。
「どこに?」
「佐野さんち。カフェオレ入れて欲しい…。」
あの、マグカップの温もりが無性に恋しかった。
私の家の状況を想像してしまい、帰るのに少し時間が欲しかった。
「顔色悪いけど大丈夫か?」
返事も出来ない私を佐野さんは横目で見て、少しスピードが上がる。
佐野さんの家には手を借りなくても一人で入れた。
行儀悪くソファーに倒れこみ、胎児のように丸くなる。
ドリップされるコーヒーの香に包まれながら、涙がこぼれて仕方がない。
「ほら。」
目の前にマグカップ。顔の近くのソファーの下に佐野さんが座る。
「女子高生?」
泣き顔を見られたくなく、背中を向けた。
「どうした…。」
「思い出したの…。全部。」
思い出せた喜びは無かった。
「私…、学校帰りに横断歩道を渡っていて事故にあったの…。」
「嘘だろ…。」
涙は止まらない。
さらに身体を丸くした。
「嘘だったらいいけど、最後に見たもの。黒い大きなワンボックスだった。」
「は?横断歩道で黒のワンボックス?車種は?」
佐野さんがいきなり慌てをはじめた。
なんで、慌てる…。
もう、終わった事だ。
諦めに似た感情が胸に広がる。
「おい!車種思い出せ!いや、それより場所は?」
答えを急かすように身体を軽く叩いているのか、スカスカ佐野さんの腕が何度も擦り抜けるのが分かった。
そんな佐野さんに、逆に私は落ち着いてきた。ブラウスの袖でゴシゴシ涙を拭いてソファーの上に横座りした。
じっと目を見て答え待つ佐野さん。
「車種なんて覚えてる訳ないじゃん。突然なのに。場所は高校近くの駅の近く。」
佐野さんの目が大きく見開かれた。
「女子高生。お前、名前は?」
佐野さんの声が少し震えている。
私は、これから成仏する予定なのに言いたくなかった。
佐野さんに話さなきゃ良かったと後悔しはじめた。
「言え!思い出せてるんだろう!」
大きな声で言われて睨まれる。
「言え!」
「秋山智恵。」
今更、名前なんて知っても意味もないだろう。
しぶしぶ答えた。
「待ってろ!」
ズボンから携帯出すキッチンで電話をかける佐野さん。
マグカップに手を添えると温もりが伝わり癒された。
佐野さんの電話が終わったら家に帰ろう。思い出せた以上、佐野さんに迷惑かけられない。
ここは、私の居場所じゃない。
気持ちを落ち着けながら、心を決めた。
「智恵ちゃん。」
私の目の前に座る佐野さん。
さっきと反対に、妙に優しく名前で呼ばれ穏やかに笑っている。
私に同情してるの?
急に縋り付きたくなり抱きしめて欲しくなった。
そんな、気持ちを振り払い口悪く答える。
「佐野さんが呼ぶと気持ち悪い…。」
「チッ。後で覚えてろよ。」
後なんかないのよ。
まだ、ここに居たいけど帰らなきゃ。
気分が沈み俯いてくる。
「生きてるぞ。」
は?なに言ってるの?
「智恵ちゃん。病院で生きてる。入院してる。
意識不明で額を何針か縫って肋骨二本にヒビが入ってるらしいけど。」
「う…嘘でしょう…?」
入院なんて知らない…。気がついたら、ここに居たのに?
「智恵ちゃん…。」
辛そうな佐野さん。
気持ち悪いなんて、もう言えなかった。
私がここにくる前日に、佐野さんのマネージャーが運転する車が起こした事故だったらしい。
今日は事故から三日目。
佐野さんの迎え途中で遅れそうになり急いでいたらしい。
佐野さんも責任を感じていた。
どうしても気になり、何か出来ないかとずっと考えていたらしい。
病院にマネージャーと一緒に見舞いに行こうとしたら、事務所とマネージャーに佐野さんが起こした事故じゃないから、まずは仕事と止められイライラしていたそうだ。
そんな時に電話で容態を聞きながら家に帰ると私がいたそうだ。
「事故に巻き込んでごめんな。気が付くのが遅くてごめんな。
智恵ちゃんが生きてて良かった…。」
私の頭を撫でるように手を動かす佐野さん。
怪我なんていい。
意識不明なのは、たぶん私がここにいるからだろう。
さっきと違う涙が溢れる、安心して嬉しくて泣くしかなかった。
「どうする?」
「どうするとは?」
ひとしきり泣いた後に聞かれて、鼻をすすり答えた。
「今、すぐ病院いく?」
は?
「いや、やめた。せっかく明日の午後までオフだ。
まだ時間も早いし明日にしたら?」
「え?なんで?今でいいですよ?」
「楽しかったから。智恵ちゃんと短い時間だったけど一緒にいられて。
今すぐ終わりなんて寂しいだろ。」
「それは思うけど…。」
確かに楽しかった。
けれど、佐野さんは、佐野悠斗だ。すぐに私の存在は忘れ去られる。
なのに、私は佐野さんに対して友達以上の気持ちになりそうで嫌だった。
帰るとなると、この三日は現実にはありえない夢のような時間。
ずるずる引き延ばさない方が私には良いのかもしれない。
「ま、ご家族も大事な会いたい人も心配してるだろうから、明日の午前中に病院に送ってあげるから。」
考えこむ私に、佐野さんが妥協案を出してきた。
「だから、今日だけ。一緒に遊ぼう。」
寂しそうな顔で言われてしまい、素直に頷いてしまった。
「良かった。それで聞きたかったんだけど、大事な人って誰?」
ずいっと近寄り、妖しく目を輝かせる佐野さん。
今更、家族です。なんて恥ずかしくて正直に言えない。
ついてないテレビを見つめ、答えを考えた。
さらに目の前の佐野さんが身体を乗り出して、唇にかすなか感触がきた。
「分かった?」
「な、な、なんで?」
顔が赤くなり、口を手で抑える。
なに考えてるんだ、この人は。
「したかったから。」
「は?」
「女と居て、こんなに気楽で楽しかったの久しぶりだった。」
じっと私を見て楽しそうに言われた。
確かに女だけど…。何かが違う気がする。
「生身じゃなかったからでしょう?」
「性格まで変わったの?生きてるのに?」
「変わってるんじゃないでしょうか。」
いや、変わってないだろう。
泣いて怒って八つ当たりして私のままだ。
「ふ〜ん。まぁいいや。また会った時に聞く。DVDみる?」
いきなり空気を変える佐野さん。
ついて行けない…。
それからの佐野さんは、
渋い俳優さん素敵ってどこが?どうして?どうゆう所が?
一緒にDVDを見ながらいちいち、うるさかった。
そして、沢山笑った。
翌朝、最後のカフェオレタイム。
佐野さんは、病院まで送ってくれると言うが断った。
よく見たら、顔が疲れていて少しでも身体を休めて欲しかった。
座り心地の良いソファーを軽く撫でる。
「このソファー気持ちよくて好きだった…。」
「いつでも、ソファーに会いに来たらいいよ。」
私はあいまいに笑うしかなかった。
無理でしょう。
平凡な女子高生と佐野悠斗。接点が無さすぎる生きる世界。
この数日がおかしかったんだ。
佐野さんなりの優しさなんだろう。
「本当にありがとうございました。遠くからだけど佐野悠斗さんを応援しています。」
「へ〜。家賃は?」
ニヤニヤとからかうように聞かれた。
やっぱり意地悪だ。
「足りないだろうけど、昨日のキスで我慢してください。」
「あれじゃあ足りない。」
「じゃあ、アルバムでも出たら買って売り上げに協力します。」
あんなファーストキスなんて、忘れられっこない。
これだけカッコイイ素敵な人と密な時間を過ごして現実で好きな人が出来るだろうか…。
いい思い出として残せたらいい。
「じゃあ、そろそろ帰ります。ありがとうございました。」
「大丈夫?」
「帰りたいじゃなくて、身体に戻りたいと思えば大丈夫と思います。」
「じゃあ、またね。」
心配や寂しさが混じった顔を見たら、帰りたくなくなって寂しくなって涙がにじんできた。
「または、ないでしょうけど昨日の雑誌は買いますね。ありがとうございました。」
「智恵ちゃん、冷たいなぁ。」
佐野さんのぼやきを聞き笑いながら、薄く薄くなり意識が無くなった。