↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

死は至上の瑞々しさを

作者: 彦星こかぎ
掲載日:2007/04/20

ちょっとだけグロ描写あります。血とか骨とか絶対駄目、という人は閲覧しないことをお勧めします。

 今日の相棒がまだ年端も行かぬ少年だということに、男は少々落胆した。

 男を中心とする半径五キロの円の中で、唯一生きて動いている相手なのである。少しは見栄えのする、話のわかる相手であって欲しいのも当然だ……もっとも見栄えに関しては、男の方も人にどうこう言えるような格好ではなかったが。

 少年は目の前に立つ男について、特に何の感想もないらしい。細い虚ろな目の焦点は、かなり遠くに当てられていた。遠くだろうと近くだろうと、あるのはただ崩壊と残骸と、死だけであるのに。それなら目の前の、形を保った電波塔の残骸の方が、見ていて面白いだろう。残骸の平原に唯一突っ立っている、今にも粉になってしまいそうな、焼けただれてよじれた姿……それが、今日示し合わされた場所だった。

 早く仕事をしてしまおう。


 男は、ここに来て数分で既に埃まみれになってしまった上着を軽く叩いて、少年の注意を喚起した。笑いかける男に、少年は小さくうなずいた。

「さあ、やるぞ。……この仕事は初めてか?」

「初めてだ」

「よし。とりあえずお前、髪を縛れ。紐はここに……」

「いや、自分のがある」

少年はズボンのポケットから、束ねた紐を取り出した。少年の無計画に伸ばされた髪は、埃を浴びたのか生まれつきなのか、ひどく灰色じみていた。

 紐を一本、大胆に後頭部から頭頂部にまわして、強く引き絞る。出来上がった髪の房は、思いのほか高い位置でだらしなく垂れ下がった。少年が軽く頭を動かすたびに、紐が少しずつ緩んでいくのが目に見えてわかる。

 男は笑顔を崩さないままで、軽く息をついた。仕草から察するに、少年は十三歳よりは確実に年下だろう。それでここに仕事を求めるなんて……聞きたくもないような経緯があるに違いない。

「行くぞ」

男が歩き始めると、少年は表情を変えないままでついてきた。乾いた風が流れた。


「……どこまで行っても同じに見えるだろ?」

 男は振り返りながら問いかける。

「最初は、どこへ行けばいいのかもわからない。そりゃあ当たり前さ。だが、場数を踏むと色々見えてくるんだぜ。例えば、これだ」

静かに向き直って地面にしゃがみ込むと、黒く焦げた小石をひとつ拾い上げる。表面は溶けて気泡ができているが、裏側は何の変哲もない灰色だ。

「爆心地の石はこんなもんじゃない。形なんて残っていないさ。それによく見ろ、裏側もこっちは少し黒いだろう? そっちの方が熱かったって事だ」

 男は少年がうなずくのを確認して、石を捨てるとまた歩き始めた。二つの足音以外に、残骸の中で聞こえる音はない。ふと男は、少年の足元を確認してみる。少年は薄汚れたズックを履いている。どこかに穴の一つや二つはあるかもしれない。

「この仕事で稼ぐようになったら、まずいい靴を買うことだな」

男は自分の厚いブーツを示す。

「本気で仕事を始めたら、色んなものを踏みつけにすることになる」

言いながら男は、自分がまだブーツを買えなかった頃のことを思い出していた。仕事を始めたときには少年よりいくらか年上だったが、履物はもっとひどかった。


 薄くなってしまった靴底は、地面の形状をダイレクトに足に伝えてきた。一歩踏み出すごとに、

 ジャリ

と新たに何かが破壊される音がする。もはや粉末に近くなった残骸は、それでもまだ尖っていた。そして

 ぱきん

聞きなれない音に足元を見れば、鼻を男に砕かれた真っ黒い頭蓋骨が、半ば他の残骸に埋もれて、恨めしくも空虚な視線をこちらに送ってきたりしたのである。


「……死体の扱いにも、慣れなきゃいけないぜ。……ああ」

 そこは既に爆心地であった。



 それを呟いたのは少年だった。

「ああ、どうしてこんなに……こんなに、綺麗なんだ?」


「ガラスの破片だ」

 男は少年の隣に立って、周りを見つめた。一帯は日光の中で、きらきらと輝いている。

「真っ先に粉々になるし、よく舞い上がるからな……この辺一面に広がってる。もっとも角は丸く溶けてるから、心配ないぜ」

男は更に一歩ずつ踏み出していった。少年も続いた。

 少年の髪は辛うじてまだ束になっていた。


「さ、仕事だ仕事だ」

 すぐに、柔らかそうな土……かつては土だったもの……を見つけた。少年に大きな破片を大体取り除かせ、細かい砂をひとさじ、箱から取り出した試験管に入れる。試験管を少年に預けて、そこにガラス瓶に入った固定液を流し込む。問題なく完成したのを確認してからコルク栓をして、再び箱に収める。

「まあ、こんなもんだ。これを持って帰れば、もちろん小銭は稼げるが……わかってるだろ? 本当の仕事はこれからだ。何しろ、所有者のいない物の山に公然と一番乗りしてるんだからな」

「ああ」


少年はうなずいて、その場にしゃがみこんだ。男も少し場所を移して、地面を調べ始める。

「これだけ焼けていれば、逆に残ってるのはいいものばかりだ。金、銀、白金……それにほら、宝石もだ」

 男は瓦礫に突っ込んだ手を持ち上げて、少年に小さな石を見せた。墨になった残骸の中で、きちんとカットされた赤い鉱物はひときわ光を放つ。じっと見つめる少年に、男はいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「だけど、よく覚えとけ。この墨はひょっとしてこの石をはめてた指だったんじゃないかとか、絶対にそういう事を考えるんじゃない。きりがないからな」

「わかった。……あのさ」

「どうした?」

「あの人も、仕事が終われば早く帰れって言ってたし……ここに長くいたら、体ってやっぱり蝕まれるよな?」

 少年の問いかけに、思わず男は安堵する。質問の内容はおぞましい事この上ないが、初めて少年が年齢相応に怯えた様子を見せたのだ。


「そりゃあ、危ないさ」

 男は努めて明るく返した。

「一日もいれば、まずは気管からやられる。目にもくるだろうし……後になってどういう影響が出るのか、まだ分かってない。だけどどっちみち、明日飢え死にするよりましだろ?」

「そうだな……」

少年もそれは割り切って来たに違いないのだ。しかし、戸惑うのも無理はない。

「まったく、俺だって、もっとまともな仕事はないのかって言いたいさ。……ないんだな、これが……こうやってゴミ拾いするか、じゃなきゃこのとんでもないゴミ山を作って、作って、死ぬかだ」

「…………」

「俺がまだ小さい頃は、そうじゃなかったんだがな。真っ当な仕事で一生食っていけるって信じてた。お前ぐらいの年だと、どうだ? 将来の夢とか、あったか?」

「……俺は、」


「俺は、医者になりたかった」

「そうか、そりゃあいい。こんなご時勢じゃなきゃ、一番いい仕事なのにな」


 男は少年の方まで寄っていって、一緒に並んで地面を掘り返した。明らかに骨だと分かる残骸は、少年が見る前に遠くに投げ捨てた。


 暑い日差しは遮るものもない残骸の平原に平等に降り注ぎ、二人の背中を焼いた。男はため息をついて腰を上げ、汗をぬぐう。

「たまんねえな。お前も適当に休憩した方がいいぜ、水も少しある」

「わかった」

少年は顔を上げた。初めて少し、笑みを浮かべる。男も笑い返した。

「意外と収穫あっただろ? 爆撃されるのは、たいてい金持ちの町だからな。よく探せば、金もクロムももっと出てくるさ」

「……そうかもな。でも俺、疲れた……」

 少年はしゃがみ込んだままでぐっと大きく伸びをして、そのままぺたんと座り込んで足を伸ばした。それは、平和と呼んでもよいほどに微笑ましい光景だった。

 しかし、

「こらこら。安易に座ると、何を踏みつけてるか分かったもんじゃないぜ。特にこういう座りやすい柔らかさの破片は、だいたい死体って話だ」

それが現実だった。

「……ああ」

 少年はひざを曲げて、地面に触れる面積を減らした。その一方で、右手の指先は静かに地面を撫でている。少年のあずかり知らぬところで、栄え、そして一瞬で滅んだ、その地……そこに視線を落とす少年のやるせない表情は、まるでそう、見つけた時には手遅れだった捨て犬が死んでいくのを、ただずっと見つめ続けているようであった。

 時代が時代なら、少年は実際にそうしたに違いない。男はそう思った。


「……本当に、何もないんだな」

 少年は静かに言う。

「何もないよ……」

「ああ、何もないさ」

男は遠くを見ながら、自分を納得させるために呟く。

「何もかも、あっさり壊れちまうって事だ。それはもう、どうしようもないさ。ほら、思い悩むのはもうやめな。水……飲めよ」

 男は内ポケットから小さなボトルを手渡して、少年に渡した。貴重な水だが、今が時間帯としては暑さのピークだ。今を乗り切れば、それほど渇きはひどくならない。

 少年はボトルを受け取ると、静かに蓋を開けた。そして……左手で再び焼け焦げた地面に触れ、骨にも似た黒い小さな残骸をもてあそび、


 おもむろに、ボトルを地面に向けてひっくり返した。


「おいっ、お前!! 気は確かかよ!!?」

 男は慌てて少年からボトルをひったくり、地面にしゃがみ込んで零れ具合を確かめた。小さな水溜りは、みるみるうちに渇ききった残骸の中へと吸い込まれていく。

「なんてこった……貴重な水が……」


「やっぱり、ただの水じゃ駄目か……」

 静かな声に男が顔を上げると、中腰になった男の目線より更に下に、少年の顔があった。少年はじっと男を見上げ続ける。少年の目は……最初会ったときにはひどく細い印象であったのに、今はむしろ大きく見える。その濁った虚ろな目は、しかし、沼のように深く計り知れない濃紺であった。

「……本当だ、もう蝕まれ始めてる」

 少年の先程と何も変わらない声を、男は遠くから聞いたような気がした。少年はまるで男の全てを見透かしたように、少し目を細めて……口元を緩める。それは笑みではなく、むしろ安堵であった。

「でも、まだ間に合うね」

 少年は一瞬、軽くうつむいた。


 その弾みでとうとう紐が解けた。

灰色の髪がぱらり、と、再び少年の首の周りに散らばった。



 次の一瞬で、少年は胸元からナイフを引き抜くと、

 ためらわずに男の喉笛を切り裂いた。



「ぎゃああああああっ!」

 血の量は即死であることを示していたが、断末魔の叫びはしばらく収まらなかった。男は少年の側に真紅の血液を噴き出しながら、ひどくゆっくりと倒れていく。少年はすばやく男の背後に回り、今度は背中を縦横に切りつける。すぐさま飛び退いて、やはり噴き出た血を避けようとしたが、少年の服にも顔にも、赤い斑点が描かれた。

 少年は再びナイフを構え、脇から男の腹に刃を食い込ませる。筋肉が一本ずつ切れていく軽い手ごたえと、その先の湿った内臓の弾力が腕に伝わる。内臓はすぐには切れないので、ナイフに引っ掛けて半ば引きずり出すようにしながらあちこちで切り分ける。


 早く切ってしまわなければならなかった。

 十三歳半ばの少年の体力では、一度男が倒れてしまったらもう動かせない。

 そうなる前に、男の外形を全て壊してしまわなければならない。


 ナイフは鼻から頭蓋骨全体にひびを入れ、粘液とともに脳髄を地面に撒き散らせた。


 地面が真紅に染まっていく。

 コップ一杯ほどの水ならあっという間に吸収してしまった残骸の地面も、無尽蔵にあふれ出してくる血は吸い取りきれない。雨のように、血はいくらでも降り注ぐ。

 大地が生を取り戻している。少年はそれを感じた。

 生きている体の中に満たされているあらゆる力が、体の中になみなみと蓄えられ、流れていた生気そのものが、今、体を離れて、人によって壊された大地を潤している。



 ぐしゃり。

 男だったものがとうとう地面に倒れたときには、もはやそんな軽い音しかしなかった。

 そこに落ちているのものは、もう男でも、人でもなかった。ばらばらになって、強い陽射しにテラテラと輝く……それは既に物体であった。しかしその物体は未だに、残骸の平原に瑞々しい力を余すところなく放出し続けていた。



 少年は唇にも付着してしまった血液を拭いもせずに、再び座り込んだ。

 目を閉じれば、その場所が今や生気に満ち溢れているのが分かった。

「…………」

灰色の髪を撫でていく風も、先程とは違う。大地からあふれた瑞々しい力を、この残骸の平原に広げていくのだ。

 じっと目を閉じ続けると、この場所がもっともっと強い力を持っていた頃の様子を想像することができた。ここが賑やかな町であり、この残骸が家であり、道であり、人だった頃。今ここにある力は、その頃に比べればずいぶん些細だ。しかしそれでも少年は、町の様子をありありと思い浮かべることができた。そんな町の活発な喧騒の中に、自分もいるような気分になれた。

そう……

生きて歩いている人々が少しずつ放つ力だけで、地面も風も十分潤っている。人の動きは大地を揺らし、風を起こして、この場所を生き生きとさせている。


 と、石畳の道を歩いていた一人の少女が、路地に座っていた少年を見つけた。少女は白いスカートから突き出た幼い足をまっすぐ立たせて、少年をじっと見つめる。少年が静かに見つめ返すと、少女はにっこりと笑って会釈し、それから歩き去っていった。

 少年は気分が悪くなって、その想像をやめた。


この作品が大学デビュー作、というのだから恐ろしいですね……彦星こかぎです。

これは発表当初より少々修正してありますが、本筋は変えていません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。