12 ザックス、上陸する!
完走者が優勝者のナシェムと《カメジロー》のみという前代未聞の結末を迎えた《カメカメレース》の翌々日に開かれた族長会議は、大いに荒れた。参加者の大半が包帯姿のままに開かれたその場所に、ナシェムの身辺警護と証言者という立場を兼ねて、ザックス達三人も参加した。
開催当初は、《サンダスト》の街にカメごと突っ込み、大混乱を引き起こしたナシェムに非難の矛先が集まる事が予想された。だが、カメを有する多くの砂漠の民たちが、カメ達の真実を知るや否や、自分達が重ねてきた愚行の数々に愕然とし、言葉を失った。
会議の席上、やはり全身包帯だらけで担ぎ込まれたブリトバが一人、気炎を吐いたものの、彼の言葉に耳を貸す者はもはやいなかった。逆に、それまでの様々な悪行を、傍観を決め込んでいた保守派の者たちが次々に暴露し、さらに彼の債権者と名乗る者達の集団が現れ、その酋長職就任を前提とした投資が失敗し、回収不能となりつつある債権の取り立てを直接始めることで、場はさらに混乱した。その者達の身なりが自由都市同盟に関わる者達のそれに酷似していた事も、大きな物議を醸していた。
砂漠の民の覇権を握るべく、重ねた無茶の象徴である彼の銅像が、ナシェムと《カメジロー》によって破壊された事で、彼とその一族は事実上再起不能となっていた。すごすごと去っていく彼らを尻目に、ナシェムとその一族の元に再び人が集まりはじめ、砂漠の民の危機はとりあえず回避されたようだった。
『現金な奴らだな』
ナシェムの周囲で彼を取り巻き褒めたたえる人々の姿を目の当たりにして、しみじみとザックスは呟いた。
『ナシェムさんだって、きっと分かってるわ。でも、人ってそうやって生きていくものでしょう?』
その特異な出自ゆえのアルティナの視点からの言葉は、全てを物語っているのだろう。
そのような事を囁き合う二人の傍らで、カメの真実についてのより詳細な説明を求められたクロルは、多くの者達に囲まれ、目を白黒させていた。これまでの伝統を全否定されるが故に、簡単に納得せぬ者も多く、カメジローを使っての事実の証明にはさらに数日を要した。だが、それでも多くの者たちが半信半疑であり、事実が受け入れられるには長い時間がかかるだろう。人は見たくない現実からは、目をそむけたがるものである。
「あんなに懇切丁寧に説明してやってんのに、なんで分かんないんだよ!」
同じことを幾度も繰り返させられ、それでも言葉の通じぬ者の説得に、ついに疲れ果ててしまったクロルには気の毒であるが、これも人の世の常である。
《カメジロー》以外のカメの復活については、ヴォーケンの入れ知恵もあって、ザックス達は他の部族の依頼を拒絶した。尤も予想に反して、そのような依頼をしてきた者は少数だった。急激なカメの力の回復によって砂漠の交易路の物資と金銭の流れが害される事を嫌ったこともあるが、当分の間ナシェムの一族が強いリーダーシップを確保する為の足場固めを狙う目的も大きい。
《カメジロー》の突撃によって、背中の社を破壊された全てのカメ達が自然に力を取り戻すにはおそらく長い年月がかかるのだろう。
「人間族の世界の決まり事ってホントに面倒臭いよね……」
欺瞞に満ちた伝統にしがみつく頭の固い老人たちに業を煮やし、他のカメの力を復活させればこれ以上はない証明手段となりうるものの、それを禁じられたクロルの膨れっ面といら立ちは、何故か同じ人間族であるリーダーのザックスに向けられることとなった。
兎にも角にも、予定よりもおよそ一週間遅れで、彼らの砂漠の旅はようやく始まったのである。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「良いお知らせと悪いお知らせがあるのですが……」
その朝の朝食の席で、一族に囲まれ徹夜明けで目を赤くしたナシェムが四人の旅人達に告げた。顔を見合わせた彼らは良い知らせから聞く事にした。
「旅程は順調でおそらく一週間経たずに《ロクセ》に到着すると思われます」
カメジローの力の回復により、これまでの半分に満たぬ時間での到着にナシェムも又、驚きを隠せない様子である。只、交易という面からすると、途中のオアシス集落との取引の頻度との兼ね合いもあり、問題は多い。
「それで、悪い知らせって言うのは……」
「実はその……」
僅かに言い淀んだ後で、ナシェムは続けた。
「私達、どうやら迷子になってます……」
「はい?」
その言葉に一同の目が点になる。右も左も水平線しか見えぬ幻砂海のど真ん中で、どうやら彼らは道を見失ったらしい。
「ど、どうするんだよ?」
慌てる旅人達とは裏腹に、ナシェム達砂漠の民一同に動揺する様子は見えない。
「だ、大丈夫ですよ。単にいつもの交易路を、少しばかり大きく外れたというだけのことですから……」
「それってよくあることなのか?」
「いえ、このような事は、私の知る限りにおいては初めてです」
自信満々に胸をはるナシェムの姿に、ザックスはずっこけた。
「ナ、ナシェムさん、砂漠の旅の経験が少ない私達にはとても大変なことにしか思えないんだけど、どうして貴方達そんなに余裕があるの? 」
「いえ、私達も十分に焦ってはいるんですよ。只、私にも上手く言えないんですが、実はその……、どうもこれは《カメジロー》の仕業のようでして……」
その言葉に四人は顔を見合わせる。
「なあ、ナシェム……。《カメジロー》ってのは、お前たちが笛で操ってんじゃねえのかよ」
ヴォーケンの問いに対してナシェムは僅かに戸惑いを浮かべて答えた。
「ええ、そうなんですが、実は……大砂漠の旅に出発して以来、《カメジロー》はどうも暴走気味でして。多分、力を大きく取り戻したことでこれまでの笛の旋律とカメ自身のリズムが異なってきたせいだと思って、色々工夫しながら抑えてきたんです。でも、《幻砂海》に入って、《カメジロー》にかかる負担が小さくなると、もう完全に抑えが効かなくなってしまって……」
毎日、《幻砂海》を気持ち良さそうに泳いでいるだけのように見えた《カメジロー》だったが、密かに何かを企んでいたようだ。
「でも、さっき、もうじき《ロクセ》に到着するって……言ったよね。ナシェムさん」
「ええ、私達も毎夜の天測で多少のずれはあるものの、距離的にはほぼ間違いないだろうとは分かってるんですが……。《カメジロー》の奴、どうやら我々を……というよりは、貴方達三人をある場所に連れて行こうとしているように思えるんです」
「俺達を……? 一体どこに?」
頭に疑問符を浮かべて互いに顔を見合わせる。
「おそらく……、幻砂海の真ん中より少し西側にある遺跡の群島です。天候が荒れぬ限り我々も滅多に近づかないんですが……。たぶんその場所に向かって《カメジロー》は一直線に進んでいるんだと思います」
歯切れ悪くナシェムは続けた。
「このような事は、なにぶん、私達にとっても初めてのことですし……。とはいえ、《カメジロー》あっての私達一族ですから、もう腹をくくってやりたいようにやらせるしかないと考えた次第で……」
「そんな、無茶苦茶な……」
「そこに向かっているってのは、間違いないの?……」
アルティナの問いに、ナシェムは頷いた。
「断言はできないのですが、おそらくそうではないかと……。カメジローと共にいると何となくそんな思惑が伝わってくるんです」
三人は再び顔を見合わせる。
「ねえ、ナシェムさん。その群島とやらには一体何があるの?」
クロルの問いに、ナシェムは少しばかり困ったような笑みを浮かべた。
「実は私達もよく知らないんです。遠目からは昔の街並みのようなものも見えるらしいんですが、それ以上は……。交易路から大きく外れていますし、座礁の危険性もあります。おまけにあまり良い噂も聞きませんので、我々砂漠の民は普段あまり近づきません」
「どうするんだい? ザックス」
二人の仲間が不安げに尋ねる。暫し、黙考した後でザックスは口を開いた。
「どの道、《カメジロー》に運命を握られた今のオレ達に選択肢はないんだろ……。だったら、行くところまで行くしかないさ」
退屈もしてたところだしな、というその言葉に皆が苦笑する。
「分かりました。到着はおそらく、明日の昼過ぎ以降になるかと……。《カメジロー》が落ち着く事を祈りましょう」
その話はそれで終わりとなったものの、その日の朝食の時間は珍しく皆、静かだった。
一行が遺跡の群島と呼ばれる場所についたのは、ナシェムの予想よりも早く、翌朝になってからの事だった。小さな小島が点々とする間を巧みに泳ぎながら交易船を引く《カメジロー》は、その中心にある最も大きな島へと向かって泳いでいた。
ナシェムの言うように、《カメジロー》が何らかの思惑を持ってそうしているのは事実らしく、島の入江に到着するや否や、船を引く事をやめ、甲羅の中に隠れてしまい、笛の音色の呼びかけにも一切応じずに眠りについた。
巨大な甲羅を伝って砂浜に下りた三人の冒険者達は、甲板から不安げな視線を送るナシェムの一族に見送られ、その未知の場所に足を踏み入れようとしていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
見渡す限り砂と岩の壁が一面に広がるその島には生き物の気配はほとんどない。渡り鳥の鳴き声すらも聞こえない。《幻砂海》のせいで気温が抑えられているとはいえ、植物も満足に育たぬ環境では、翼を持った鳥ですら生きてはいけぬのだろう。
入江からさらに少し奥へと入ったその場所で、彼らは腰を下ろした。
「くぅー、久しぶりの土の感触! やっぱり揺れてない地面はいいな」
「うん、本当だね。人は土の上に立ってこそ、生きてるって実感できるんだよ」
「貴方達、呑気ね……。もう少し緊張感を持ったらどう?」
ゴロゴロと地面を転がるザックスとクロルに、アルティナが呆れたような視線を送る。その忠告に耳も貸さずに相変わらず、転がり続ける二人を放って、彼女は周囲を見回した。
眼前には明らかに人の手によるものと思われる高い石の壁が立ちはだかり、その向こう側の様子は窺い知れない。
命の気配という物がほとんど感じ取れない不自然さは、この場所に不気味さを醸し出す要因の一つとなっているようだった。
「あの向こう、一体どうなっているのかしら……」
カメジローの背から眺めた時には、尖塔らしき物の姿がちらほらと見えていたが、今は高い岩壁に阻まれ、確認できない。今のところこの島にかつて人が住んでいたらしい痕跡はないが、その岩壁の向こうには何かがある予感がひしひしと伝わる。
「さほど、広くはないんだろうけど、それでも島を歩いて一周する労力は避けたいわね」
アルティナの呟きに意外な答えが返った。
「その必要はないんじゃないかな……、多分」
相変わらずゴロゴロと地面を転がっているクロルが、むくりと起き上がり大きく伸びをする。
「どういう事?」
「ここを見てごらんよ」
クロルとザックスの二人が寝転がっていた場所の砂が取り除かれ、ところどころに緩やかな段差のある石板が現れている。その場所は、階段状の人工の通路のように見える。
「この先に多分、入口……のようなものがあるんじゃないかな、勘だけど……」
ゴロゴロするのも悪くないだろ、と片目を瞑るクロルに、アルティナは肩をすくめた。
「それじゃあ、行ってみるか」
いつの間にか起き上がっていたザックスが歩き出す。直ぐにクロルがそれに続いた。
「ま、待ってよ、二人とも」
慌ててアルティナが二人を追いかける。いよいよ謎の遺跡の核心に至れるかもしれぬという期待に、三人は胸を膨らませた。
砂に覆われたなだらかな斜面を登り切ったその先には、クロルの言うように巨大な入口らしきものが見える。
ねじ曲がった入口の扉は、無理矢理開け放たれたまま朽ちており、原型をとどめてはいない。
「まるで、城壁みたいだな……」
ぽつりと感想を呟きながらザックス達はその中へと進む。その先は短いトンネルになっており、少し離れた場所に出口らしき光がぼんやりと見える。
トンネルは半ばまでは緩やかに下り、そこから僅かに急な勾配となって出口へと続いている。入口よりも若干狭い間口の構造といい、外敵からの侵入に備えての様々な工夫が随所に見え隠れする。この場所が造られたのは遥か昔らしく、トラップも見当たらない。あるいはあったとしても、もはや作動しないだろう。それほどの年月の隔たりを旅人達に実感させた。
出口に辿りついたところで、一行はぎくりと足を止める。彼らの前に人影らしきものが立ちはだかっていた。
一瞬、緊張が走るものの、直ぐにそれは解ける。
「なんだ、只の石像じゃないか。脅かすなよ、もう……」
一行で最も腰の引けていたクロルがその正体に気付くと、ゆっくりと歩み寄り石像の周囲を歩きまわって、それを観察する。
ザックス達の通ってきたトンネルに向かって仁王立ちした石像は、あたかもそこを守護する番兵のように見える。見慣れぬ鎧姿のそれは、製作者が手を抜いたのか兜の中の表情は窺い知れない。右手には、先端部の折れた棒状の武器を持ち、おそらくは槍の類いであろうと推測された。
「なんだか、生きてるみたいね」
「でも、こんな所に一体だけなんて不自然すぎるよ」
仲間達の感想を耳にしながら、ザックスはしげしげと石像を見つめた。
彼より頭二つ程度大きな巨躯を誇るそれは、戦士である事は疑いようもなく、その肉付きからみても、モデルとなった者は相当な手練であったように見受けられる。
様々な疑問や想像は掻き立てられるものの、ほとんど手がかりらしきもののない現状では、残念ながらそれ以上の詳しい事は分かりそうにない。巨漢の石像から離れた一行は、さらに奥へと足を進め、周囲を探索する事にした。
城壁の中は、自由都市よりも小規模な街の造りとなっていた。砂に半分埋まったその街はすっかり朽ち果て、ほとんどの建物は崩れ落ち、その使用目的すら分からない。
おそらく支配者の住居かと思われる街の中央にある尖塔も、他の建物と同様で、今にも崩れ落ちそうなその場所に立ち入る事は出来なかった。
人間どころか生き物の気配すらないその場所は、沈黙のみに支配されている。吹き抜ける風の音と時折、石の崩れる小さな音のみが不気味に響いた。
すでに日もすっかり西に傾き、ほとんど収穫のない状況で、もはやこれ以上の探索は無意味であると三人は結論付けた。
「これから……、どうするの?」
ナシェム達の待つ入江はさほど離れている訳でもない。無理をせずとも十分に日が落ちるまでに帰りつく事は出来るだろう。
「どうせなら、今日はここに泊って行こうよ」
クロルが唐突な提案をする。仲間達の顔を暫し眺めながら、ザックスは思案する。
「そいつは……、どうかな? 今のところ、危険はないみたいだけど、万が一ってこともあるだろうし……」
仲間の身の安全を第一に考えるリーダーとしての的確な判断のつもりだったが、そうは問屋が卸さない。
「ふーん、やっぱり、怖いのかい?」
「何?」
「まあ、フィルメイアといっても、所詮は戦うばかりだし……、ああ、こういう場面では安全策って奴なのかな。なんだっけ、危ないものには近づかない……とかいうの」
あからさまな言葉でクロルがニヤリと笑う。ザックスも負けてはいなかった。
「面白い事言うじゃないか、クロル。その挑戦、受けてやろう!」
「そうこなくっちゃ!」
見え見えの挑発にしっかりと乗ったザックスとクロルが、互いにニヤリと笑い合う。
「もう……、男の子なんだから……」
二人のやり取りに呆れた様子で、アルティナが溜息をつく。
「アルティナはどうするの? 先に帰ってる?」
「バカ言わないで! 貴方達が残ろうってのに、どうして私だけ、帰らなければならないのよ!」
ツンとすまして答える彼女を、二人が冷やかした。
「くー、アルティナ、カッコイイよ、キミ! やっぱりデキル女はどこか違うね! さすがは冒険者!」
「なんだかんだ言って、退屈してたんだろ、お前……」
途端、二人の頭に大きな氷塊が落ちる。
「私がいなくて、こんな場所で火や水をどうするつもり? それとも要らないのかしら?」
背を向ける彼女に、暫し平謝りする二人の姿は滑稽だった。
「そういう訳で、我がザックスのパーティは、本日このよき日に、この記念すべき未知の遺跡で、野営を決行することとなった。各自、日没までに準備を完了する事! 以上、解散!」
兎にも角にも、未知の遺跡で一夜を明かす事が決まったのだった。
すっかり日の落ちた遺跡の広場に煌々と焚火の炎がきらめいていた。
事前の取り決め通りにアルティナが空に《火炎弾》を打ちあげ、ナシェム達に、島での野宿を知らせると、三人は未知の遺跡のど真ん中で、焚火を囲んで遅くまで談笑した。尤も、村を出て以来、あちらこちらを旅したクロルの独壇場となり、様々な地方に伝わる怪異談を次々にぶちまけては、アルティナを喜ばせ、ザックスはもっぱら聞き役となっていた。
やがて、入江から聞こえる波の音だけがかすかに聞こえるその場所で、交代で寝ずの番をしながら三人は床についた。
天空に真円の蒼月が昇り切ったその夜半、最初に寝ずの番に着いたはずのザックスだったが、徐々に睡魔に襲われ、いつしか深い眠りについていた。深い沈黙に包まれる遺跡に不気味なマナの気配がうっすらと漂い始め、次第に濃くなっていく事を、すっかり眠りこける三人は知る由もなかった。
2013/10/14 初稿




