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Lucky & Unlucky  ~アドベクシュ冒険譚~  作者: 暇犬
アドベクシュ冒険譚04章 ~遊探の旅路編~
97/157

11 アルティナ、振り返る!

 遥か彼方で空と海を分ける水平線に、太陽の輝きがうっすらと差し始めていた。

 少々肌寒く感じられる乾いた《幻砂海》の風が吹きつける巨大な交易船の艫に、彼女は一人端然と佇む。

 夜明け前に一瞬見える虹色の朝焼けはやがて、いつもの抜けるような青さへと変わり、日が高くなるに、連れ照りつける強い日差しに溜息をつく一日が、又やってくるのだろう。

 荒れに荒れた《カメカメレース》と族長会議を終えて、そろそろ一月になろうとしている。

 今年もまた《黄金路プラチナロード》の往復を許されたナシェムの一族と《カメジロー》は、その恩恵をどの部族よりも早く享受し、道中にあるオアシスの集落に立ち寄りつつ、怒涛の勢いで幻砂海へと至った。

 踊る風が描き出す『風紋』や、岩肌に咲いた『砂漠のバラ』など初めて見る様々な目新しい《大砂漠》の光景は、日々、彼女の好奇心を刺激した。

 巨大な交易船を難なく引く《カメジロー》は、水のように細かな粒子の砂が遥か彼方にまで広がる《幻砂海》を悠々と泳いでいる。

 砂海などとはいっても、所詮は砂である。

 生物の存在を容易く許さぬ場所は、過酷な環境に適応できた砂漠の生命すら拒絶し、ほとんど生き物らしきものの気配はない。カメにひかれる以外での手段ではなかなか渡れぬその海で、カメ達は唯一の覇者として君臨していた。


 いつも後頭部で一つに結われ、馬の尾のようにゆれている黄金色の髪は、その拘束を解かれ、風に任すがままに棚引いている。

 物語から抜け出てきた妖精のごときその容姿と美貌の主は、他に誰もいないその場所で一人、水平線を見つめていた。

 時折、その片腕を上げ、口元から旋律の如き短き言葉が漏れるや否や、指先から強い輝きが放たれる。放たれた輝きは《幻砂海》の水面を叩き、はじけるものの、その光景に彼女は厳しい視線を送る。

 徐々に空に登る太陽に見守られながら、幾度も同じことを繰り返していた彼女だったが、ようやく一区切りつけると傍らにあった荷箱の上に腰かけた。

「こんなのじゃあ、全然ダメね……」

 砂漠の旅が始まって以来、朝晩の日課となりつつあるその行為の芳しくない成果に、彼女は小さく首を振る。

 魔法――類い稀なる出自と、天賦の資質に恵まれた彼女は、その圧倒的な実力故に「努力」や「鍛錬」という言葉とは縁遠い人生だった。一言で言えば、彼女は「天才」である。

 かつて、冒険者として絶対的なアドバンテージを得たはずの彼女は、意気揚々と最初の試練に挑み、見事に敗北した。ケチのつき始めというものだろう。さらに皮肉なことに、圧倒的な力で己を蹂躙した忌むべき《魔将》の呪いは、さらなる強い力を彼女にもたらした。

 以降、冒険者としての類い稀な資質と力は、相棒との強い信頼関係もあって順調に花開き、中級冒険者でありながら同じ酒場の中では、今やその実力を多くの者が知ることとなっている。


 だが最近、その圧倒的な実力と才能を以てしても、打開できぬ事態に彼女は初めて直面した。最も信頼をよせる相棒が死闘を演じるその場面で、彼女はただ立ち尽くし、成行きを見守るだけに終始した。それも二度……。

 己の絶対の頼みとする魔法は、最初の場面では、足止め程度にしか役に立たなかった。二度目においては足止めにすらならず、ようやく邂逅した仇敵の瞳に、己の姿は終始、映る事はなかった。

 その時の自身の感情を表現するには『屈辱』という言葉だけでは絶対的に不十分である。だが。それを解決する手段に全く見通しが立たぬところから、彼女の苦悩は始まった。

 もしも彼女が只の冒険者として生きるのならば、苦悩の必要などない。

 偶々、予想外の強敵に出会い苦戦した。ならば次回はそのような愚を犯さぬよう、事前にしっかりと情報を得て困難を回避し、確実な勝利を積み重ね実力を磨き、己の分にあったミッションやクエストをこなせばよいだけである。

 しかし、それでは済まぬのが、彼女の実情である。

 平凡とは程遠い彼女と仲間達が抱えた困難の運命は、足踏みや後退を決して許しはしない。容赦なく襲い来る理不尽な状況において、彼女にはそれを乗り越えるだけの絶対的な力が必要だった。

 パーティの中で己が彼に支えられていると同時に、己こそが彼の支えでもある――その自負があるからこそ、最も信頼する相棒の足手纏いになるような不様な真似だけは金輪際、御免であった。

 だが、そのような彼女の苦悩を解決に導く適切な手段は存在しない。《魔将》という絶対的な存在との圧倒的な実力差を狭め、詰め寄り、超越しようなどと考える冒険者などどこにも存在しないのだから……。

 藁にもすがる思いで、購入した魔法指南書はまるで役に立たず、無駄に浪費を重ねた後悔だけが残った。己の心情をそのままに表現した標題も、所詮は商業主義の申し子であり、己がおかれた特異な状況だけが際立っていることを改めて思い知らされる。真に生きた技術とはそれを自在に扱える人間と直接向き合うことでしか得られない――その事実だけが彼女を打ちのめした。

 少しばかり追い詰められた気分で意を決し、同じ酒場に所属する魔法職の上級冒険者に訪ね歩いてみたものの、要領を得られる回答はなかった。いかに上級冒険者とはいえ、彼女のような経験をしたものは皆無であり、その要求に満足できる回答を出せた者もまた皆無だった。逆に己の誇りを害されるかのように渋面を浮かべて、体よく彼女を遠ざけるばかりである。

 只一人、酒場の顔であるバンガスのパーティに所属する魔導士ルメーユだけが、彼女の言葉に耳を貸し、一つの助言をした。

「ガンツに相談してみたらいかかでしょう。きっと貴女の悩みの解決のきっかけを与えてくれるはずですよ」

 その助言に素直に従いガンツに相談を持ちかけた彼女に与えられたクエストが、二軒対面の八百屋《ギガント青果店》の御隠居との小旅行だった。

「気難しい人だから、扱いは丁重にな……」

 魔法と八百屋の間に一体何の関係があるのかと首をかしげる彼女に、ガンツはニヤリと意味ありげに笑うだけだった。

 兎にも角にもどうにか示された一筋の光明を頼りに、彼女はクエストへと赴くこととなった。とはいえ、決して弱みを見せられぬ相棒に気づかれぬよう、どううまく切り出すべきかと悩む。だが、幸か不幸か、己の浪費の証拠を提示しつつ、これ見よがしに追及する場面へと出くわし、新たな仲間と共にその一件を有耶無耶にし、どさくさにまぎれて彼女は出発した。

 ――私の気持ちを察して、少しは快く送り出してくれてもいいじゃない!

 不安を抱えたままの己に、いつまでたってもちっとも気の利かぬ相方にダメ出しを送りつつ、彼女は旅立った。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



《ペネロペイヤ》から荷馬車に揺られての老婆との小旅行は淡々としたものだった。

《ギガント青果店 》――ガルガンディオ通りの小ぢんまりとした店の御隠居である老婆は、その造りに似合わずぺネロペイヤ青果ギルドの有力理事の一人であり、長年培われた彼女の目利きと人脈は、周辺の村々との取引や交渉には欠かせぬものらしい。

 今回の小旅行は、春先に市場に納入される品々の生育状況を確認し、各村の交渉役と値段交渉の調整をするものであり、その護衛として、アルティナがつき従っているというのが名目である。

 最初の頃こそ、己の抱える問題の事で、焦りを感じていたアルティナだったが、荷馬車でコトコト揺られ、さして代わり映えのない緑が芽吹き始めた景色に囲まれるうちに、そのような悩みが瑣末なことのように思えていた。

 常日頃から冒険者に囲まれた環境や、相棒達と顔を突き合わせ続ける毎日は、己の心から余裕を奪っていたことを実感する。その表情に少しずつ柔らかなものが混じり始めた彼女の変化を、荷台の傍らでいつも半分寝ているような老婆は見逃すことなく小さく微笑んでいた事に、その時の彼女は気付かなかった。


 数日をかけて村々を回って最後にやってきたのが、とある湖のほとりだった。そこは奇しくも昨秋、信頼する相棒が友と数日を過ごした場所であり、彼らの特訓の痕跡がちらほらと地面に残っている。

 御者役をつとめていた下男に薪を拾いに行かせた老婆は愛用の杖を手にすると、アルティナを連れて、湖のほとりへと立った。

 小旅行の間、老婆と二人は特に会話を交わす事はなかった。荷台に並んで座り、時に昼寝をしながら同じ時間をただ漠然と過ごすうちに、いつしか心地良い連帯感に包まれていた。エルフという存在とは全く縁遠いはずの老婆の持つ空気は、なぜか故郷の里で過ごした時間のことを頻繁に思い起こさせた。

「それで、あんたは魔法の何を知りたいんだい?」

 突然、尋ねられ暫し彼女は面食らう。

「魔法のことで行き詰って、アタシの所に来たんだろう? ガンツからはそう聞いていたけどね?」

 アルティナの顔を見ることもなく老婆は言った。ようやく本来の目的を思い出したアルティナは、冒険者となって自身の身の上に起きた事を訥々と老婆に語った。

 故郷を飛び出した事。

《魔将》に出会った事。

 眠りについていた自分を相棒が目覚めさせた事。

 仇敵と再会し、自分の存在が歯牙にもかけられなかった事。

 そして、己の魔法を尽く寄せ付けなかった《魔将》の身を守っていた青白い炎の結界の圧倒的な力を……。

 ――私はあの炎を越えねばならぬのだ!

 率直な想いを己の言葉で彼女は老婆に伝える。だが彼女の思いに老婆は首を横に振った。

「止めておくんだね……。アンタが望んでるのは人の身に余る過ぎた力だ。そんな物を望めばいつか身を滅ぼすよ」

 老婆の言葉には真実の響きを感じられた。だが、それに素直に従うことはできようはずもない。

「でも、それでも、それが私には必要なんです! きっとこの先、又、同じような場面に立つことがあります。そして、その時私は後悔しながら、状況を他人任せにしなければならなくなる。そんなのは嫌なんです。」

 ドラゴンを前に、そして仇敵を前にして全くの傍観者でしかなかった屈辱が脳裏をよぎる。あのような不様な真似は二度と御免だ、というその思いを彼女は必死で訴えた。

「私には力が必要なんです。今度こそ、アイツと渡り合い勝利する力が……」

 暫しの沈黙の後で、老婆がぽつりと尋ねた。

「それが本当にアンタの願いなのかい?」

「あの……、どういう意味ですか?」

 その意図が読めずにアルティナは戸惑いを浮かべる。

「アンタが力を望む本当の目的ってのは、再び仇敵に巡り合い引導を渡すことで間違いないのかって事さ。本当はもっと別な理由があるんじゃないのかい? 例えば……」

 少しだけ意地の悪い笑みを老婆は浮かべた。

「例えば、好いた男に振り向いてもらうため……とかね」

 瞬間、アルティナの顔が真っ赤に染まる。長くとがった耳の先まで真っ赤に染めて、彼女は慌てて否定した。

「ち、違います! そんなのじゃありません! わ、私と彼の関係はそんな物じゃなくて、仲間というか、信頼しあえる相棒というか……」

 別段、老婆の指摘が相方の事を指していた訳ではないことには気付かぬまま、言葉を詰まらせ慌てふためいて、アルティナは弁明する。

「離れられたくない、失望されたくない、己に一目置いて欲しい。人の行動の動機ってのは意外と単純なものさ。大抵はそこから目を逸らそうとなんだかんだと大層な理屈を付けて、人生をややこしくしちまうもんだけど……。まあ、いいさ……。若い時は色々あるものだからね。勘違いあり、誤解あり……。目の前のことにばかり目が行って、つまらない意地を張り、色んな事を見落として、後になって気付くのが人生さ……。あのとき、こうしておけばってね……」

「だから、違うんですってば!」

 老婆の笑い声が湖面に響き渡る。ひとしきり笑った後で彼女は再び、口を開いた。

「青白い炎……か。アンタも厄介な物を見たんだね」

「知ってるんですか、それを?」

 食い入るように尋ねるアルティナに老婆は微笑んだ。

「アンタが見た炎ってのはこういう奴なんだろ」

 言葉と同時に表情を僅かに険しくした老婆は何事かを呟き、杖の先に明かりをともす。その時になって初めて老婆の杖が魔法職の冒険者が良く使う魔法の品であることにアルティナは気づいた。そして灯されたその輝きを目にして、さらに驚きの声を上げる。

《貴華の迷宮》から帰還して以来、幾度も挑戦しどうやっても出すことのできなかった青白い炎が杖先に輝いていた。幾人もの上級冒険者達が不可能だといったその現象を前にして、彼女の心音が跳ね上がる。

 あの日の記憶が鮮明に思い出される。仇敵の生み出したテリトリーで、己の放った渾身の魔法を尽く阻んだ炎の壁。怒りにふるえる己の存在を徹頭徹尾無視して、傲慢に振舞い続けた仇敵に感じた屈辱感までが蘇る。

「おばあさん……。一体どうやって……」

 絶句するアルティナの傍らで、老婆は杖先に宿した炎の輝きを消すと大きく息をつき、その場に腰を下ろした。

「やれやれ、この程度で息が切れるとは、アタシもヤキが回ったもんだ……。全く、歳はとりたくないもんだねぇ」

 しみじみと呟く。慌てて彼女の傍らに腰を下ろし、アルティナは逸る心を抑えて尋ねた。

「どうすれば、あんなことができるんですか?」

 目を瞑って息を整えた老婆は、再び穏やかな笑みを浮かべた。

「残念だけど、今のアンタじゃどうあがいたって、あの色の炎を出す事は出来ないよ。例え、出来るようになったとしてもこんな物を自在に扱う事の出来る奴に勝とうなんてのは、土台、無理な話さね」

「そんな……」

「別に意地悪で言ってる訳じゃない。これはそういうものなんだ。これを素で自在に扱える奴はもはや人じゃない。かろうじて真似事の出来るアタシが言うんだ。間違いないよ。おそらく全盛期のアタシにだって無理さ。だから《魔将》って呼ばれるんだろうけどね……。そいつに勝ちたいのならアンタも人である事を捨てるしかない。アンタの身を取り巻く全てのものとの関わりを断ちきって、ひたすらに魔法を極めて、ようやくどうにかできるって所だね……」

 腰を下ろしたまま、老婆はアルティナに向き直る。

「何かを極めるっていかにもすごいことらしく世の中の奴らは言うけどね、そんなの脳なしの戯言さ。それはね……、その力をもって倫理の壁を超えるってことなのさ。時に、己の野心や欲望の為に何百、何千、あるいはそれ以上もの人間を当然のごとく踏みつけ犠牲にし、平然と事を成す……。その結果、巻き込まれた奴の中にはおこぼれに預かった者もいるし、全てを失った奴もいる。大賢者や大魔法使いなんて崇め立てられてる奴らの大半は、そういう事が成せる奴なんだよ。アンタはそんな人生を望むのかい?」

「それじゃあ、おばあさん、貴女も……」

 眼前の老婆が只の八百屋の御隠居ではない事にはもう十分確信があった。彼女はおそらくかつて冒険者だったのだろう。それも己が及びもつかない高ランクの……。

「そうだよ。アタシもね、若い頃は仲間達とずいぶん無茶をしたものさ。あの頃は今と違ってまだ色々と世の中がおおらかだったからね。若さに任せ、『悪漢成敗』を気取って己の力を暴発させ、関係のない人間をずいぶんと巻き添えにしたもんさ。無関心なままでいるアンタ達が悪いなんていってね。背負った恨みの数なんて百や二百じゃ下らないだろうよ……」

 言葉の内容とは裏腹に、その穏やかな表情は変わらない。

「おまけにタチの悪い事にね……、そんな過去にアタシは後悔なんてしちゃいない。時間って奴がそいつら全てを懐かしい、良い思い出に変えちまうんだ。残酷なようだが、アタシ達が踏みにじってきた奴らは踏まれ損なままなのさ。それが創世神の思し召し、というか、人の世の道理なんだよ。身につけた強い力を行使するってのは、そういう事さ。それでもいいって言うのならアンタにそれを教えてあげるよ、いくらでもね……」

 その言葉に僅かに驚いた。危険極まりないその力をいともたやすく教えようという老婆の真意が分からない。アルティナの疑問を見抜いたかのように老婆は微笑んで言った。

「理屈ぐらいならいくらでも教えてやるさ。それはアタシでも出来る事……。昔、師匠達に教えられ、アタシなりに考えてやってきた事をそのまま教えてあげるだけだからね。でも、それを己のものとして取り込み実践する事は困難極まりないのさ。不可能といってもよいかもしれない。これまでも幾人も教えを請いにやってきて、あんたと同じように現実に悩み、それでも彼らはそれを求め、アタシは快くそれを教えた。力を行使する事で被るかも知れぬ汚名なんか恐れてる奴に、冒険者なんてつとまりゃしないからね。でも誰一人として、それを成功できるものはいなかった。あのエルメラですらね……」

 懐かしい名前が耳朶をうつ。同時にその事実に愕然とした。

 アルティナが知っているのはあちらの世界のエルメラであって、こちらの彼女とは面識がない。それでも相棒たちと共に《魔将殺し》を行った冒険者の一人としてのその実力と妖艶な美貌は、今でも、酒場の魔法職達の間で伝説として語り継がれている。

 そのような偉大な先達ですら断念したという技を己は会得できるのだろうか?

 そして、人の心を捨ててまでもそれを手にする事を望むのか?

 静かに目を閉じ己に問う。

 忘れようとも忘れられぬ過ぎ去ったあの時から、今日までの出来事を振り返る。

 出会った多くの人々の顔が、そして、仲間の、相棒の顔が思い浮かんだ。

 冒険者としての自身を支えるものの原点とは何なのか――今の彼女には、それが問われているのだろう。

 暫し黙考した後で、彼女は胸に浮かび上がった一つの確かな想いを口にする。

「はっきり言って、今の私にはおばあさんが言われるような状況なんて想像もつきません。でも、私は冒険者です。欲しい物は己自身で手に入れる。それができぬなら仲間と共に……。利害を争う者との衝突は当然のこと。そして、そのために私自身を支える最大の手札は常に保持していたい。これが私の偽らざる気持ちです。おばあさん、こんな理由ではダメ……でしょうか?」

 緊張気味のアルティナの言葉に、老婆の穏やかな表情は変わらない。

「さてね、それを決めるのは未来のアンタだからね。アタシが一つだけ言えるとしたら、世の中にはいくら金を積んでも取り返しのつかぬ事など、いくらでもあるってことさ。人は償っても償い切れぬ事を前にした時、『責任』なんて無責任な言葉に逃げずにそれを黙って背負い、只、己の足で前に進み続ける事だけが唯一の正解だって事を覚えておくんだね……。きっとその重さは、アンタが生まれながらに背負っている物とは、又違った種類の重さであるだろうよ……」

 僅かに彼女は目を見開いた。

 老婆に己の出自については一言も話してはいない。一体どうして、と動揺する彼女に、老婆は穏やかに微笑んだ。

「大して驚くことじゃないさ。長いこと生きてるとね、人の背負ってるものが何となく見えちまうんだよ。アンタがどこの誰かなんて事は分からなくとも、アンタと同じような立場に生まれてきた人間のクセって奴が、何となく目について分かっちまうものなのさ」

「そうだったんですか……」

「尤も、命がけの場面において必要とされるのは、出自だの血筋だのなんてものじゃない。その人が持つ魂そのもの価値が試されるのさ。アンタがアンタの全てを引き換えにしてでも手に入れる事ができるかどうか。これからアンタが手に入れられるかどうかってものは、そういうものさ」

 よっこらせ、と言って老婆は立ち上がる。

「それじゃあ始めようか。心して聞くんだね。方法は二つ。一つ目はさほど難しくない。それは魔法そのものの底上げさ。能力のではなくイメージの……ね」

「イメージの底上げですか」

 老婆は一つ頷いた。

「今のアンタ達は、魔法ってのはイメージの産物って教わるんだろう?」

 その言葉にアルティナは首肯する。

「アタシ達の頃にはね、それだけじゃなくその者の心の在り方も強く影響するって言われてたのさ。あれはいつごろだったかねえ。昔、知りあった頭でっかちの学士達がアタシの前で奇妙な議論を交えてね」

「どんな議論だったんですか?」

「そうだねえ、たしか、術者が使いこなす魔法の性質は、その術者の感情が深くかかわるとかなんとか……。炎は欲望を、水や氷は慈愛を、風は自由を、雷は衝動を、大地は安定を。そして光と闇はその者自身の本質を映し出すものだって。そしたら別の学士が言ったのさ。そんなのは屁理屈だって。魔法という非日常な現象を使いこなすのは、その者が如何に非日常に憧れ、空想の世界を己の内に持っているかってことだって。簡単に言えば目の前の現実しか見えない奴に、魔法なんて使いこなせやしないんだって言ったんだよ。アンタはどっちが正しいと思うかい?」

「さ、さあ……、分かりません。どちらも正しいようなそうでないような……」

 僅かに顔を赤らめるアルティナに、老婆は笑った。

「まあ、いいさ。アンタが昔も今も、夢見る乙女だったがどうかなんてことはアンタ自身の内心の事だからね……」

「お、おばあさん……」

 老婆は声を上げて笑う。

「ともかくだね……。経験上、強い感情は強いイメージにつながる。己の内心を自覚する事でアンタの魔法も強く影響を受けるはずだ。後は様々な場所に旅をして、多くの自然現象を直に見聞し、肌で感じ取ることさ」

「自然現象……ですか」

「世の中には未知の事象は多く存在する。アタシの歳になっても知らぬことだらけさ。そしてそれらは優しく美しいものであるだけでなく時に恐ろしい牙を剥く。山が怒り、大地が揺らぎ、風が暴れ、空が割れ、海がおそいかかる。こんなのは序の口さ。風火水土に天候といった様々な要素が混じり合い、圧倒的な力で周囲の環境を豹変させるその脅威に恐れ慄いてこそ、初めてそれを再現できるのさ。ところでアンタは呪文スペルは使わないみたいだね」

「は、はい」

 魔法を習得して以来、大抵の事はイメージで実現できてしまう。《魔将》の呪いを受けた後はさらにその威力と精度が顕著になっているのが今の彼女である。これまでの彼女は、それを不要な物と割り切り、一切行使する事は控えていた。

「古くから言葉って奴には魂がこもるって言われていてね……。人によっては言霊ともいうね。思いを言葉にする事でそれを強く認識する。あるいは言葉を発する事でそれに縛られる――イメージがより強く術者に植え付けられるんだね。戦闘の場面においては、瞬間の判断を必要とし、臨機応変に対応する事も大切だけど、ここ一番ってときには大きな力が必要となる。戦況を圧倒的に変化させるくらいのね。それが魔法職の役割さ。より強力なイメージを構築する為にも、自分なりの呪文スペルを組み立ててみることだね」

呪文スペル……ですか」

「近頃の冒険者の間じゃ、呪文書のようなものが出回ってるみたいだけど、イメージってのは、人それぞれに違う。韻をふんだ耳に心地良い旋律や自己満足満載の難解な言い回しなどよりも、拙い言葉でも自分の心の内と向き合い、そこから生み出された言葉を素直に口にした方が、より術者の力になるはずだよ。そしてそれはもう一つの要素において、より重要になるのさ」

 ここまでの方法ならば今のアルティナでもどうにかできるだろう。となると、多くの者たちが挫折したという問題点は、別のところにあるに違いない。僅かに身を緊張させて、彼女は尋ねた。

「もう一つですか……?」

「そう、それはね……」

 老婆は一つ呼吸を置く。そして初めて聞く言葉を口にした。

 それは、その後のアルティナの冒険での確かな力となり、彼女の魔法をこれまでと少し違ったものへと変えていくことのできる新たな出会いであった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 大きな収穫を得た小旅行での出来事に思い耽っていたアルティナは、近づく足音にふと気付いた。よく知るリズムのその主の登場を、彼女はさわやかな朝の挨拶とともに笑顔で迎えた。

「相変わらず、早いな……」

 ふわわ、と一つ大きなあくびをして眠そうな目をこすっていたのは、ザックスだった。そのまま少し離れた場所にある樽の上に腰を下ろす。

 甲板に舞う風が、二人を優しく撫でるように通り抜ける。下ろした髪を風の思うままにたなびかせながら、彼女はそれに指を通す。遠方を見つめる見慣れぬ相棒の姿をぼんやりと眺めながら、ザックスは再び大きなあくびをした。

「邪魔だったか?」

「いいえ、もう終わったところだから……」

「毎日、熱心だな」

「貴方だって同じじゃない……」

「まあ、俺のは、病気みたいなものだからな」

「病気?」

「ある程度身体を動かしてないと気分が悪くなるのさ。この旅はどうにも退屈なクエストになりそうだし……」

 ザックスは苦笑いを浮かべる。

 ドワーフ郷までのヴォーケンの警護というクエストが名目ではあるものの、砂漠の旅路は、冒険者としては実に退屈極まりないものだった。脅威になるのは時折思い出したように出くわす砂嵐くらいである。

 すっかり元気はつらつとした《カメジロー》によってひかれる交易船のスピードは予想以上に速く、旅程は順調すぎる程に順調だった。長い道中に、たまにちらほらと出現するらしい砂漠の盗賊団すら寄せ付けぬ《カメジロー》の復活した力は、これからのナシェム達一族の心強い味方となるだろう。

 暫し、沈黙して風の吹くままに身を任せていた二人だったが、ぽつりとアルティナが口を開いた。

「ねえ、ザックス、考えてみたら私達、いつも何かに急かされるような日々を送ってきてたよね。こういう目的のない旅も、たまにはいいと思わない?」

「ん、まあな……。お前たちほどじゃないけど、それなりに楽しんではいるかな」

「ふふっ。でも貴方、時々居心地悪そうに見えるけど?」

 厄介事の後始末をようやく終え、ナシェム一族と共に《黄金路》を《ロクセ》方面へと向かって出発して以来、ヴォーケンの伴として交易船に乗り込んだ三人は特にする事もなく日々を過ごす事になった。退屈を持て余していたクロルはヴォーケンと二人で船の損傷個所をあちこち修理し始め、アルティナはルゼア率いる女衆と共に日々のまかないを手伝っていた。昨夜の晩餐では砂漠の民の民族衣装姿を披露して、皆からの拍手喝さいを浴びていたくらいである。

 それに反して、剣の鍛錬以外特にやる事のないザックスは退屈を持て余し、船上で暮らす一族それぞれの仕事の邪魔にならぬ場所を見つけては、昼寝をするという怠惰な日々の連続だった。ナシェム達の忠告に耳を貸さずに、カメジローの背の上で昼寝をしていて、日干しになりかけたのは苦い思い出である。

「貴方、格好つけすぎなのよ。肩肘張らずにもっと童心に帰って子供たちと好きな事して遊んでればいいじゃない。貴方だって集団の中で育ったのなら分かるでしょ? 無邪気な『遊び』の中から人は己の居場所と役割を見つけるものだって……」

「髪や耳を引っ張られたからって、《火炎弾》片手に追いかけまわすのを『遊び』っていうのか?」

「う、うるさいわね。あれは……いいのよ!」

 ザックスのひやかしにアルティナが言葉を詰まらせる。交易の民らしく、エルフという種族に偏見を持たぬ部族の子供達は、容赦のない洗礼で三人を出迎えた。今や、クロルもアルティナも彼らを通してこの船の一員となっている。

 再び訪れた沈黙の中で、ザックスはぽつりと呟いた。

「ここにいて、皆の輪の中にいるとな、故郷を思い出しちまうんだ。いい事も、悪いことも、楽しかったことも、辛かったことも、悲しかったことも……。だから時々、堪らなくなる……」

 アルティナが一瞬息を飲む。ザックスの身にかつて起こった出来事について、彼女は大まかではあるが把握していた。

「ご、御免なさい。気がつかなくって……」

「気にするなよ。吐き出しちまうと楽になる時もあるものさ」

 水平線の上にすっかり顔を出した太陽に手をかざしつつ、ザックスは呟いた。

「そうだね……。じゃあ、私も吐き出しちゃおうかな……」

 らしからぬ頼りなげな言葉に思わず彼女を見つめる。珍しく髪を下ろした姿の彼女の真正面からの視線に、動揺する心を抑え、ザックスは小さく促した。やがて、 目を逸らしたアルティナはぽつりと口を開いた。

「私ね、時々怖くなるんだ……。ラフィーナさんの事、覚えてるでしょ?」

「あ、ああ……」

《貴華の迷宮》の最下層でその姿が異形と化していた事が脳裏をよぎる。

「クロルの手前、ずっと言いだせなかったけど……。あれは一体どういうことなんだろう、ってね」

「アルティナ、お前……」

「アイツ、ヒュディウスが私達に残した呪いの正体ってああいう事なのかなって。ステータスの値が異常値を示す私達は、もう実は……」

 言葉を詰まらせ彼女は押し黙る。それ以上を言葉にするのは恐ろしいのだろう。

「ザックス、貴方、何も思わないの? それとも、何かに気づいてるの?」

 アルティナは探るような視線をザックスに向ける。こういう時の女性というものは妙に鋭い。決して内心を読まれぬように、ふわわと一つあくびとともに伸びをしながら、ザックスは彼女に背を向けた。

「お前らしくないな。考え過ぎだぜ」

「そうかしら?」

 背中に視線を感じつつ、座っていた樽からぽんと飛び降りて、アルティナの傍らに立つ。船縁から見える水面が朝の光にきらきらと輝く様に目を細めながら、ザックスは続けた。

「仮に、オレ達の中に何かがあるとしてもだ。今のお前の側にはオレやクロルがいる。もしもオレ達とラフィーナさんに違いがあるとしたら……、クロルには悪いけど、アイツの伸ばした手を彼女が取ろうとしなかったことだ。オレはそう思ってる」

「どんな困難も仲間と一緒なら乗り越えられるってこと?」

「まあ、そういう事かな。子供騙しか?」

 ザックスの問いにアルティナは微笑んで答えた。

「そういうのでもいいかな、今は……。答えのない問いに堂々巡りなんかしたって、時間の無駄だものね……」

「そういう事だ」

 うまくごまかせたことに内心でほっとしつつも、遥か水平線の輝きの中に小さな陰りを見る。

 自分達の中に眠るもの。その正体は分からぬものの、過去のいくつかの出来事が、それが不穏な存在であることを裏付けていた。だが当事者の首を引っ抱えて問い詰めぬ限り、おそらく真実に迫ることはできないだろう。今は只、時を待ち、再度の戦いに備えて牙を磨くだけである。それまでに、ザックス自身、多くの者に指摘された己の中にある迷いの正体と向きあわねばならない。

 アルティナがぽつりと尋ねた。

「でも、そうだとしたら、彼は……、レガードはどうするのかしら?」

「レガード?」

 聞きなれぬ名に一瞬首をかしげるものの、直ぐに該当する一人の男の姿を思い浮かべた。レガード――獅子猫族出身で、彼らの同期からハオウとあだ名された男である。

「ハオウ……か。アイツは他人とつるむような性格じゃないしな……。どうにかやってるだろ……。あまり気にしなくてもいいさ」

「どうして? 貴方、ずいぶんと好かれてたじゃない。無責任ね! 少しは気にしてあげたら?」

 ――ずっこける。

 あまり思い出したくない思い出が幾つも蘇り、小さな頭痛がザックスを襲った。記憶を取り戻すのも考えものである。

「あのなあ、あれは『好かれてた』ってんじゃなくて、『絡まれてた』ってんだよ!」

 詰め寄らんばかりの勢いのザックスに、アルティナは声をあげて笑っている。知っていて言うのだからタチが悪い事この上ない。

 暫し、笑い続けた後で、真顔に戻るとアルティナは続けた。

「でも、彼も、ヒュディウスと接触してるのでしょう? 少なくともアイツはそう匂わせてた。それに冒険者として貴方以上の成長をしているとも……」

「まあな、でも、調べようがねえからな。協会長のジジイも足取りが全く掴めねえ、って言ってたし……」

 とはいえ、仕事のいい加減さが売りの冒険者協会である。たかが、一人の新米冒険者の足取りをどの程度まで本気になって調べ上げたかという事には、大いに疑問符が付く。

「彼の協力が必要になるときだって、いずれ来るかもしれないわよ。そうしたら……、どうするの?」

「そいつはないな。今度会ったら即、斬り捨てる!」

 いきり立つザックスの姿に、再びアルティナが笑った。明るい笑い声が軽やかな風と共に朝の甲板を駆け抜ける。ふと、その中に小さな足音が一つ紛れ込んだ。現れた足音の主を二人は挨拶と共に気持ちよく出迎えた。

「お早う、二人とも、そろそろ朝御飯だって……」

 砂漠の民の子供の衣装がすっかり板についたクロルが、眠そうな顔をしたまま声をかける。その姿に顔を見合わせた二人は、再び声をあげて笑ったのだった。




2013/10/12 初稿




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