06 カメカメレース、始まる!
古人は言った……。
カメ達は何故走るのか。そこに砂漠があるからだ。
目の前に砂の道がある限り彼らは走り続けるのだ。永遠にたゆたう時の中、一族の繁栄を背負って……。
カメに見守られて生まれ、カメに見守られて育ち、カメに見守られて逝く。
常に傍らにあり続けるカメと共に生きるのが、我々、砂漠の民である。
同胞達よ、聞こえるだろうか?
闘いに備え逸り立つ『操作士』達の心音が……。
幾重にも折り重なって調和するカメ達の咆哮が……。
想像してみるがいい。
砂塵渦巻く険しき道の先に待つ障害に向かって,果敢に挑むカメと乗り手たちの勇姿を!
知恵と勇気と幸運をもって、それらすべてを乗り越え栄光を掴む輝かしき勝者の誇り高き姿を!
あるいは、闘い敗れ互いを労りあいながらも涙し合う主従の姿を!
今日、このよき日に我々は今再び、その壮大なドラマを目のあたりにする事になるのである。
朝もやの中、ひっそりと静まり返った砂の絨毯の上に鎮座するカメ達の荘厳な姿を見よ!
果たしてどれだけのカメとその乗り手が無事に帰還を果たすのか?
壮大な人間とカメの物語の始まりと終わりに立ち会い、我らの心には何が残るのだろう?
同胞よ、立て! 叫べ! そして、高らかに足を打ちならせ!
闘いに赴く誇り高き勇者たちを最大級の賛辞をもって送り出せ!
我ら砂漠の民に、風と水と光の祝福あらんことを……!
一度喋り始めると止まる事を知らないと評判の名物実況により、誇張気味な表現を駆使した力みがちな文句が、風術魔法によって場内に拡がる。
もちろん、カメ達は咆哮などしてはいない。いつも通り、ただ眠たそうにしているだけである。
彼らは自主的に走るのではなく、人間の都合で無理矢理走らされるのであって、求められる壮大なドラマとやらは、人間側の勝手な演出によるものである。観客達も歓声を上げ、興奮しているものの、その興味の大半は主催者が裏で行うトトカルチョの結果のようだった。
「無意味に……、盛り上がってるな……」
「人間だけ、だけどね」
「なんだか、落ち着かないわ、この場所……」
《カメカメレース》当日、《操作士》のナシェムと共に、ザックス達三人の姿は《カメジロー》の背の上にあった。昨夜、三人はレースのゲストとして参加するように、ナシェムに依頼された。
カメの甲の上にある日よけ幌のついた《操作士》席と甲羅の中央に鎮座する《社》の間に仮設されたゲスト席に座って、三人は周囲を落ち着かぬ様子で見回している。
このレースは交易路の利権の調整が目的の一つである為、何かとエスカレートしがちである。それを防ぐために一般人をゲストとして参加させて、無用な争いを防ぐ事が当初の狙いだったらしい。一族の守り手であり交易路の往復に不可欠なカメが必要以上に傷つき、その結果、部族間抗争に発展すれば大問題である。
だが、時代が下るごとに、レースは再び過激な様相を呈し荒事が増え始めたため、冒険者の出番となったらしい。
有名無実化したものの『ゲストに一般参加者を』という当初の趣旨が守られ続けた結果、ザックス達は建て前と本音がかい離した珍妙な光景を目の当たりにしていた。
『出走第一番《カメノスケ》。《操作士》は華麗な指さばきで名高い《砂漠の芸術家》オージン。そしてゲストは、はるばる《エルタイヤ》からお越しいただいたガランデさん御一家。今日は仕事で留守がちなお父様が、ようやく休みをとっての家族サービスなのだそうです。今日のレースがよき家族の思い出とならんことを、心よりお祈りいたします』
心温まる紹介に会場から声援と暖かい拍手が湧く。
だが、カメの背で手をふっているゲストの家族は、堅気ではありえない強面の父親に、腕の太さが大人の胴回り程度の巨躯の母親、そして子供には……逞しい髭が生えている。おそらく仲の良い家族を装ったつもりの冒険者パーティであろう。
「あの子供ってドワーフだよね」
「母親っていう人、女装の冒険者じゃないの?」
「あまり深く気にするなよ。世の中には色んな家族の形があるものさ」
ほとんど投げ遣りな調子でザックスは目を逸らす。おかしな現実からは目を逸らすのが長生きの秘訣である、という誰かの言葉がふと思い出された。
さらに能天気な参加者紹介は続く……。
《神殿付属学問所歴史研究会》、《ファンレイヤ老人会》などなどゲスト達の多くが、明らかに強面の一癖も二癖もある冒険者達だった。その肩書に合わせて変装している者達は、まだ良心的な方であろう。
「なんだか、皆、『やる気満々』ね」
「どっちかというと『殺る気満々』と言った方が正しいような……」
「主役がカメのレースで、あいつら、何をやらかすつもりなんだ?」
眠たそうな顔をしたカメ達の甲羅の上で、不穏な空気をふりまくゲスト達が酷く目立っている。
さらに出走六番目の一団が紹介される番になると、会場が一斉に沸いた。
『出走第六番《カメガロン》。《操作士》は最も危険な理屈屋にして《砂漠の哲学者》ゴズラドス。そしてゲストは今や砂漠で知る者のないほどに日の出の登る勢いの一族、ブリトバとその御家族。オーナー御家族自らの勇気ある出場です。前回は幾多のアクシデントにもめげず終盤のデッドヒートの末、惜しくも三位。今年こそはおそらく、いや確実に、初の栄冠を勝ち取る事でしょう。会場の皆さんは貴方達が一番に帰ってくる姿を心よりお待ちしております』
やんやの喝さいと共に、会場内にシュプレヒコールが湧きおこる。
「この実況、偏り過ぎだよ。ボク、抗議してくる!」
「何よ、まるでもう結果は決まったみたいな言い方して! 私、なんだか嫌な予感がしてきたわ」
「ま、まあ、二人とも落ち着けって。たかが遊びじゃないか」
相変わらず目を逸らしたまま、ザックスは憤慨する二人に投げやりに言葉をかける。
このレース、どうやら裏では様々なやり取りが重ねられているようだ。勝つためにあらゆる手段を、そのような匂いがぷんぷんと漂ってくる一連の振る舞いは、実に冒険者好みであるといえよう。楽しいお祭り気分で参加したつもりのザックスは、当てが外れて肩を落としていたのだが……。
そして、ついにナシェム達の番が回ってきた。
『出走第二十番《カメジロー》。《操作士》は大砂漠一の腰ぬけ、《泣き虫弱虫》ナシェム。そしてゲストはあの《魔将殺し》の冒険者ザックスとそのパーティ。ご存知落ち目のディフェンディングチャンピオン。勝ちたいからといって凶悪な冒険者を雇うなりふり構わぬその見苦しさはなんと大人げない! 一体、何を企んでいるのやら? 砂漠の民の風上にも置けません。その卑怯な振る舞いに必ずや、砂漠の守護者の鉄槌が下されることでしょう』
理不尽すぎる誹謗中傷だった。
だが、この程度初めから予想済みなのか、操作士席に座るナシェムは微動だにしない。
「もう、完全に頭きた! アイツ《爆榴弾》で黙らせてやる!」
「私がやるわ、クロル。渾身の《氷結弾》で永遠に凍らせてあげる! それとも《エルフの呪い》をかけてあげようかしら! ザックス、貴方も何とか言いなさいよ!」
立ち上がって憤慨する二人の背後で、無言のザックスはとうとう頭を抱えて座り込んでいる。
会場からは《カメジロー》とその一団に向け、ブーイングの嵐が乱れ飛ぶ。ナシェムの一族の者達が抗議の声を上げているようだが、それらは全てかき消されていた。
やる気満々、否、殺る気満々のゲスト冒険者達。なぜかほとんど全ての彼らの殺気は、《カメジロー》の上で憤慨しているザックスのパーティの面々に向かっている。
その原因が例によって、《魔将殺し》を始めとしたやたらと目立つ数々の称号のせいである事に気付いていないのは、本人達のみである。客観的に見て、ザックス達をゲストとして迎えたディフェンディングチャンピオン《カメジロー》が最も警戒されるのは当然のこと。だが、ナシェムの一族と《カメジロー》の内部事情を知るザックス達としては、周り全てが敵に等しいこのレースで防衛者としての余裕をみせることなどできようはずもない。
兎にも角にも――。
青く済み渡った空に華々しく打ち上げられた《火炎連弾》の号砲とともに、期待と不安、渦巻く策謀とともに、カメと主とゲスト達の仁義なきレースは始まったのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
圧倒的な巨躯を誇るカメ達を自在に操るのは、《操作士》達の笛の音色である。
カメ達を操る音色はカメごとに異なり、その笛から発せられる音色は人の耳に聞き取れるものとそうでないものがある。《操作士》達はそれを組み合わせた旋律を、笛の作り方とともに口伝として代々語り継いできた。
長い時間の中で、工夫を重ねられた旋律と指さばきは、それぞれの一族の伝統の中で守り伝えられながら独自の発展を遂げていた。
一族の長であり、一族屈指の操り手でもあるナシェムを《操作士》席に迎えた《カメジロー》は、くじで予め定められた順番ごとに出発するカメ達に混じって、混とんとした展開が予想されるレースへの第一歩を踏み出していた。
初めて《砂ガメ》の背に乗るザックスには、生き物の背に乗るというより、巨大な乗り物に乗っているように感じられた。
見渡す限り砂しか見えないその広大な砂漠に解き放たれたカメ達は、ようやく己のあるべき場所に戻れたかのように、自由に歩き始める。街の中で見たものとは比ぶるべくもないスピードで歩き始めたカメ達は、ひたすらに最初のチェックポイントを目指していた。
不意に、《カメジロー》が前を行くカメ達とは別の方向へと進み始める。他のカメの背に乗る者たちは、こちらを気にしている様子を見せるものの、追いかけてくる気配はない。
ゲスト席から立ち上がったザックスは、足場を気にしながら操作士席に座るナシェムの元に歩み寄り、尋ねた。
「ナシェムさん、道を外れてるようだけど大丈夫なのか?」
砂漠に定められた道など存在しない。だが《カメジロー》一匹のみがカメの列から外れ、全く別の行動をとる姿は事情を知らぬ者から見れば、道を外れ迷走し始めたような不安を思い起こさせる。小高い砂の丘の上に向かって歩み続ける《カメジロー》のスピードは徐々に落ち始めていた。
ナシェムは振り返るとにこりと微笑を浮かべた。
「大丈夫ですよ。ザックスさん。理由は直に分かります。それより御三方とも。カメ酔いは大丈夫ですか?」
「ああ、今のところ大丈夫みたいだな……」
カメの背中の上というのは存外揺れる。彼らの座るゲスト席の背後にある《社》が時折ミシミシと音を立てるのには肝を冷やすが、見た目と異なり相当に頑丈な作りであるという。
スタート時の興奮と緊張がまだ持続しているらしく、ザックス達三人は心配されたカメ酔いの症状もなく、最も近くの傍観者としてレースの行方にやきもきしていた。
やがて、砂の丘の頂きへと辿りついた《カメジロー》は、周辺を一望できるその光景を目の当たりにして足を止めた。列をなす他のカメ達が、砂の丘を迂回する姿が一目瞭然だった。
「それじゃあ、ザックスさん。席に戻って振り落とされぬようにしっかり身体を固定しておいてください。これから皆さまに挨拶がてら、一発ぶちかましますので……」
不穏な言葉に眉を潜める。
しばし、周囲をきょろきょろと窺っていたナシェムだったが、やがて振り返りニヤリと笑った。その顔は、いつもの気弱そうに見える男のそれではない。彼はきっと馬の手綱を握ると性格の変わる類いの人間なのだろう。
そこはかとなく嫌な予感を覚え、慌てて、ゲスト席へと駆けもどる。
「ザックス。どうしたの? 顔色が悪いわよ?」
「カメ酔いかい?」
心配する仲間達に首を振り、彼は慌てて、座席についてベルトを締める。これまで数多の危機を予感してきた彼の《直感》が、小さな警報を鳴らし始めていた。一族の長にして、《操作士》ナシェム。ルゼアの言うように、やる時はやる男のようだ。
「それじゃあ、皆さん、行きますよ! 舌をかまないようにしてくださいね!」
三人が「えっ」と顔を見合わせた瞬間、ふわりと浮遊感の中に放り込まれる。次いで視界に広がったのは、凄まじい勢いで迫る砂の大地だった。
「のわーー」「きゃあーー」「ひぇーー」と三者三様の悲鳴が砂漠に轟いた。
驚いたのは丘を迂回していたカメ達の列も同じである。砂煙をあげて丘の上から落ちてくる巨大な甲羅の迫力に驚き、列を乱している。
一気に坂を滑り落ちる甲羅が地面に激突するかと思われたその瞬間、小さな旋律が踊り、《カメジロー》は甲羅に引っ込めていた四肢を踏ん張り、減速をかけた。横滑りに流れる巨躯を上手くコントロールして、混乱する列の中に無理矢理身体を割り込ませる。
見事にショートカットを成功させ、順位を二十位から十一位まで上げた《カメジロー》に対して、周囲からは非難轟々である。
「バカヤロー! なんて真似しやがる!」
「テ、テメーら、喧嘩売ってんのか! おとといきやがれ、今畜生!」
「ち、ちびった……」
カメの背のゲスト席に座る冒険者達からの罵声の中、《カメジロー》は平然と巨躯を揺らして悠々と歩んでいく。
その背にあるゲスト席に座っていた三人はしばし呆然としていたが、はっと顔を見合わせるや否や、すっくと立ち上がり猛然と操作士席に詰め寄った。
「ナ、ナシェムさん! 一体、あんた、今、何を?」
訳が分からず事態の説明を求めるザックス達の問いに、ナシェムは笑顔で振り返る。
「いかかでしたか? これぞ、我が一族の先達が生み出した秘儀、その名も《甲羅落とし》! 我が一族は代々この技を使って、厳しい展開の《カメカメレース》を幾度も制してきたのです」
どんなもんだと彼は胸をはる。だが、同行者達の評判はすこぶる悪かった。
「こ、腰が抜けた……」
「次にやる時は事前に言ってよね……。《加速》を使うから……」
「風の結界を張る時間くらい欲しいわ。砂が目に入ったじゃない!」
「す、すみません……」
ゲスト席からの予期せぬ苦情にナシェムは身を縮めた。そこにあるのはいつもの気弱な男の姿だった。
「でも、大丈夫なのか、こんな荒っぽい技、使って?」
「ええ、ご心配なく。《甲羅落とし》の存在は砂漠の民なら大半が知っていますから」
改めて見回すと《カメジロー》を非難をしているのはゲスト冒険者達だけであって、《操作士》達が憤慨している様子はない。
「じゃあ、《甲羅落とし》を逆に使われる事も?」
「可能性はありますが、私の一族ほど上手く使う事ができる者は、今のところいないはずです。減速の瞬間のタイミングを一歩間違えれば、甲羅ごとごろりと転がりますからね」
平然と物騒な事をいうナシェムの言葉に、三人の顔色が変わる。
「だ、大丈夫ですよ。そんなヘマ決してしませんから……。それにこれはそう何度も使える技ではないんです」
「ま、まあ、カメにも相当負担がかかるみたいだし……」
「そ、そうです。それに技が使える砂の丘もなかなかありませんし。砂漠は毎年、風の強さと向きが変わって様相が一変しますから、今回のコース内ではあと、一、二箇所ってところなんです」
出走前から水面下で様々な情報戦や駆け引きが行われているのは周知の事実。協力者の少ないレースで勝ちあがる為にナシェムなりの最大限の努力をしているのだろう。一族の未来を背負う以上、やるだけの事を全てやっても十分とはいえぬのが彼の苦しい立場である。あるいは彼の意地なのであろうか? だが、そのような男のロマンが分からぬ者も世の中にはいる。
「もう……。髪が滅茶苦茶になっちゃった。気をつけてよ、本当に……。只でさえ砂漠は乾燥するっていうのに……」
乱れた髪を手櫛で整えながらぶつぶつと文句を言いつつ、アルティナはゲスト席へと帰っていくのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
《カメジロー》のショートカットが成功してから暫くは、レースの展開に大きな変化はなかった。だが時間がたつに連れ、徐々にカメの能力差が現れ始めたらしく、カメ達の列は前後に長く伸びていた。
先頭を勢いよく走るカメに続いて、少し遅れた位置に二番目のカメの姿がある。さらに大きく離れて四匹のカメが集団を作っていた。時折一匹が集団から少し離れては、再び合流する様子が繰り返されている。
「なあ、ナシェムさん、あれ、放っておいていいのか?」
先頭の二匹のスピードは後続のカメ達とは一線を画し、このままでは、引き離される一方である。
「大丈夫ですよ、レースはまだまだ始まったばかり。先は長いんです。それに彼らはおそらくペースメーカーですから……」
「ペースメーカー?」
ゲスト席でのレース見物に飽きたザックスは、ナシェムの側に座り込んでいる。今のところ《カメジロー》に特に複雑な命令を与える必要もないせいか、ナシェムは笛を吹く手を休め、ザックスに説明する。
「このレース、ポイント間のコースの取り方だけでなく、カメの出せる最高速度とその持続距離といった手の内をどれだけ隠せるかというのも重要な駆け引きの一つなんです。しかし、互いにけん制しあっているとレースが進まなくなります。ですから事前にある程度の見返りと引き換えにレースのけん引役が密かに選ばれるんです」
「でも、そいつらを無視してレースすればいいんじゃねえの?」
「ペースメーカーは大抵、折り返し地点で脱落するんですが、たまに最後の方まで上手くレースを運んで上位に食い込むちゃっかりものもいるんです。あるいは自分がペースメーカーであるように見せかけたり……。あの二頭はおそらくそういった類のものだと思われます」
たかがカメのレースと侮るなかれ。様々な戦術や駆け引きがあるようだ。
「それよりも、ザックスさん。いよいよこちらにも刺客が来るようです。くれぐれも挑発に乗らず手出しを控えるようにお願いしますね」
周囲を見回すと、《カメジロー》の前方を走っていたはずの集団との距離がいつの間にか詰まっている。《カメジロー》が集団に追い付くや否や、彼らはさっと別れ、その前後左右にぴたりと張り付いた。《カメジロー》の周囲を囲むカメ達は、大きさこそ一回り程度小さいものの、人間風に言えばどれも歴戦の戦士といった気風を漂わせている。
各々の背中に乗った冒険者達があからさまに挑発と思えるヤジを飛ばし、ときおり、ゴツリと甲羅をぶつけてはナシェムと《カメジロー》をあおってくる。
うっかり魔法や飛び道具で反撃しようものならば、結果の如何あれ、レース後の族長会議でペナルティを喰らわされることもあり、ぶつかる度に大きく揺れる背の上で、《カメジロー》一行はじっと我慢を強いられることになった。
彼らの周囲をとり囲んだ者たちは、おそらくブリトバ一族の息のかかった者たちなのだろう。レースの結果に関わらず相応の見返りが約束されていてもおかしくはない。
前を行く集団と徐々に差が開く事にやきもきしながら、ザックス達は周囲からの下品なヤジを無視して忍耐の時を過ごす。レースに不慣れなゲスト冒険者達を不安にさせ、《操作士》とのチームワークを乱すのは、一番基本的な戦術であるという事を事前に聞いていたためか、アルティナとクロルも落ち着いた様子でゲスト席に座っている。
度重なる挑発に、一向に反応のないナシェム達に業を煮やしたのだろうか?
《カメジロー》の左側についていたカメの背に乗る三人の女性冒険者達が、すっくと立ち上がる。レース前の紹介で、たしか『伝統的価値観に基づく女性美を守る乙女の会』とかいう長ったらしい名前だった事を、ザックスは思い出した。
――一体、何するつもりだ?
緊張に身を固くしながら無関心を装うナシェムの傍らで、ザックスも又、警戒する。
頭の先から足元まで身体をすっぽり覆った日除け外套を着込んだ彼女達は、三人それぞれ立ち位置につくと、不意に外套を取り払う。
その姿に誰もが驚いた。
外套を撥ね飛ばして現れたのは、実に刺激的な格好で己の身体のラインを誇示する三人の女性冒険者だった。
『伝統的価値観に基づく女性美を守る乙女の会』――主張とは正反対の価値観に則った行動である。
――ハレンチね!
後方でアルティナが小さく呟く声が聞こえたような気がした。
メリハリの効いた身体の曲線を強調するかのように、ビキニアーマーをつけた女冒険者達三人が、めいめいに身体をしならせ、妖艶なポーズをとってザックス達を挑発する。
「おーー!」
ザックスとナシェムだけでなく、周囲の者達全ての視線が彼女達にくぎ付けになる。
中央には人間族。その右側の狐犬族の女性はチャームポイントのミミとシッポを揺らしながら片目を瞑り、さらに左側の女性はエルフ族の血を引いているらしく、怜悧な容姿と浮かべた冷たい微笑がその筋のマニア達を昇天させるに違いない。
やんやの喝さいが起こり、男達は口笛を鳴らす。『踏んでくれ!』などと戯言を叫ぶ者も現れ、《操作士》達の思わぬ動揺に影響されたのか、カメ達の進行に小さく乱れが生じた。
実用的であるか否かをめぐって古から様々な酒場で議論されるお笑い防具にも、このような使い方があったのかと思わず納得する。お色気作戦――その効果は抜群である。
突如鮮やかに砂漠に咲いた三つの花に、すっかり目を奪われたままのザックスとナシェムだったが、不意に、その頭上に小さな氷の塊が生まれ、二人の頭を直撃した。
「痛ってぇ。誰だ、魔法なんか使ったのは……」
協定違反の行為を行った下手人を捜すべく周囲を見回したザックスだったが、意外にも犯人は彼らのすぐ背後にいた。
「頭は冷えたのかしら? 二人とも……。それとももう一発、欲しい?」
アルティナの冷ややかな声が飛ぶ。振り返ったザックスが目にしたのは、アルティナの指先に浮かぶ先ほどよりも少し大きめの氷塊である。
「お前、何考えて……」
苦情を言おうとするザックスの言葉を途中で遮り、アルティナは表情一つ変えることなく冷たく言い放つ。
「ナシェムさんは前を見て笛を吹く事に集中しなさい! ザックスはナシェムさんの邪魔ばかりしてないで、さっさとこっちに戻っていらっしゃい!」
「アルティナの奴……、冗談が分からねぇなあ」
お前だって変な格好してた事あったじゃないか、と頭を擦りながら文句を言い返そうとするザックスの袖を、慌ててナシェムが引っ張った。
「ダ、ダメですよ。ザックスさん。ああいう顔をしている時の女性には、決して逆らってはいけません。挑発や屁理屈なんてもっての他です!」
「そ、そういうものなのか?」
「ええ。ここはひたすら平謝り。それが男の甲斐性というものです」
カメの甲より歳の功。ザックスよりも一回り近く年上のナシェムの妻帯者としての豊富な経験がそうさせるのだろう。
「二人とも! 何をこそこそ話してるの? 私に聞かれると困るようなことなのかしら?」
「わ、分かったよ」
不承不承、ナシェムの助言に従いぶつぶつと文句を言いながら、ザックスはゲスト席へと戻るのだった。
2013/10/05 初稿