03 ザックス、呆れる!
賑わいが色あせぬままに終幕を迎えた《招春祭》からおよそ十日が過ぎていた。
爆発的に良質なクエストが増加するこの期間はザックス達冒険者にとって、実に慌ただしいものだった。一年の始まりということもあり、引受けるクエストは必ず成功させるのだとゲンをかつぐ者達も多い。
特にガンツ=ハミッシュの顔であるバンガスのパーティの動向は、酒場の内外で多くの者達の関心事であった。
彼らが引き受けたのは、およそ三十年近く攻略不能となっていた上級レベルダンジョン《騎士の迷宮》におけるクエストであり、彼らからの依頼でその攻略にザックスとアルティナが参加した。ストーカーまがいの死神もどきに執拗に追い回されたものの、クエストは無事に成功し、三十年ぶりのダンジョン踏破というおまけつきの結果に、本人達だけでなく酒場の者達も大いに喜んだ。今年はきっといい年になるに違いない――予感が広がる店内は、《招春祭》前の暗い雰囲気を一掃し、連日冒険者達がカウンターに押しかけては、ミッションやクエストにいそしんでいる。
バンガス達とともに《騎士の迷宮》に挑んだザックスのマナLVは40へと至り、ついに上級冒険者となっていた。冒険者となって一年足らずでの上級冒険者職《剣豪》への昇格という前代未聞の事態は、まさに彼の異常な成長ぶりの証といえた。
《アテレスタ》から帰ってすぐに行われたクロルの初めての洗礼の時と同じく、ザックスの洗礼の一切は、イリアによって恙無く執り行われた。その裏側では《ペネロペイヤ》大神殿、そして冒険者協会協会長の協力あってのことであり、最高神殿からの関係者への横やりは今のところないようだ。
目の回るような慌ただしい日々にようやく一息ついたザックスは、ヴォーケンからの呼び出しを受け、アルティナとともに彼の店へと向かっていた。事のついでに《招春祭》以降も彼の店に入り浸り、《爆榴弾》の追加注文分をせっせと作り続けているらしいクロルに、事情を問い正すつもりだった。
これまで起動に大量のマナと時間を必要とする《爆片弾》をさらに改良し、マナを扱う事の出来るものなら誰でも簡単に起動できるようになったこの新たなアイテムに関わる一連の騒動に早々に決着をつけなければ、冒険者の本分であるダンジョン探索に影響をあたえかねない。八百屋の御隠居とのクエストを終えるや否や、直ぐに新製品発表会に駆り出されたアルティナは、詳しい事情を知らぬらしく、『内緒の一大プロジェクト』の仔細は本人の口から聞く事が最も早道らしかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
《ヴォーケンの鍛冶屋》というオンボロな外観のその店は、自由都市《ペネロペイヤ》の東地区のアイテム屋や鍛冶屋が乱立する一角に、相変わらず看板を掲げている。《爆榴弾》の好評な売れ行きによりずいぶんと大儲けをしているようだから、そろそろ店の建て替えを考えてもいい頃だろう。
彼の店へと続くこの大通りは、初めてダントンに連れて来られて以来、すっかりなじみとなったザックスには、通いなれた道である。暇な時には、時折、周辺の店にも足を延ばすものの、ザックスの感性にピタリと嵌る店はなかなか見つからない。アルティナの方はミン達との付き合いの中で様々なお得意先を開拓中らしいが、相変わらず大雑把な金銭感覚のせいで、ザックスに内緒の買い物もずいぶんとあるようだ。彼女の買い物に口出しするような野暮な真似はせぬものの、パーティのリーダーとして、これ以上の理不尽な経費の増額は御免こうむりたい、というのが本音である。
彼の店に近づこうとしたその瞬間、勢いよく開かれた扉から、見知らぬ一人の男が転がり出てきた。顔や身体中に包帯を巻きつけている。
「バカ野郎! 二度とその薄汚ねぇツラ、見せんじゃねえ!」
罵声と同時に銀の閃光が走り抜け、転んだ男の頭上をかすめて、対面の塀に突き立った。一振りの《ロングソード》がブンと鈍い音を立てて塀に突き立ち、揺れている。転げ出た男は起き上がると顔色を変え、慌てふためきながら逃げ出していった。
「相変わらずだな、ヴォーケンの奴……」
平然と呟くザックスの傍らでアルティナの顔が引きつっている。この店ではよくあることで、近所の店の者達や通りを歩く人達の様子にも変わりはない。
逃げていく男の背中を見送ったザックスは、店の対面の塀に突き立つ《ロングソード》を引き抜くと、戸惑うアルティナを促し、扉へと向かった。怒りの度合いによって、投げつけられる武器のランクが上がっていくらしく、拵えのよい鋼鉄製の《ロングソード》から彼の怒りは相当なものだと窺えた。
逃げていった男は一体何をやらかしたのか――興味は尽きぬがうっかり本人にそれを尋ねて、とばっちりを食うのは御免こうむりたい。
開いた扉からそっと中を覗き込んだザックスを出迎えたのは、猛獣の如き憤怒の表情を浮かべたヴォーケンではなく、店番の少年だった。
「大丈夫、親方は今、頭を冷やしに行ってます」
ザックスから《ロングソード》を受け取った少年は、あっけらかんと応対する。開け放たれたままの店の裏口から、井戸水を被っているらしいヴォーケンのうなり声が聞こえた。
「今日は一段と激しかったみたいだな……」
「まあ、よくあることです」
「儲かってるんじゃないのか?」
「ええ、そうなんですけど……。いいことばかりじゃないんです。《爆榴弾》の発売以来、色々とトラブルも増えて……」
「トラブル?」
ザックスの問いに少年は慌てて手を振った。
「いえ、別に大したことじゃありません。ただ、妙な要求をするお客さんが増えてきて……」
「さっきの奴もか?」
「ええ、実は……」
少年が事情を語ろうと口を開こうとした時だった。
店の扉が恐る恐るといった様子で開き、十人前後の冒険者らしき一団が現れた。身につけている装備から魔法職の者達のように見える。ガチンコ力自慢の肉体派が集う武器屋に縁遠そうな客の出現に、ザックスはそこはかとなく嫌な予感を覚えた。
いらっしゃいませ、と営業スマイルを向ける少年に一人の男が口を開いた。
「あの……、こちら《爆榴弾》を売られているヴォーケンさんの御店で間違いないでしょうか?」
ザックスに向かって僅かに肩をすくめてみせると、少年は本格的に彼らに応対する。アルティナと共に店の奥のテーブルに着いたザックスは、彼らと少年とのやり取りを傍観する事にした。用件を尋ねる少年に再び男が答える。
「実は私ども、『攻撃魔法の未熟な詠唱士の会』というものに所属しておりまして……。本日は一同を代表しまして我々が店主のヴォーケンさんにお願いをしに参った次第で……」
「はあ……。一体どのような、御用件で……」
聞きなれぬ集まりの一同の言葉に当惑気味の少年に、男は一つ咳払いをすると胸を張った。
「わ、我々は……、我々の存在価値とパーティ内での立ち位置を守るべく、店主のヴォーケンさんに《爆榴弾》の販売の自粛を要求します!」
「《詠唱士》の立場を不当に貶めるアイテムの販売は断固反対!」
「そうだ、そうだ!」
店内に突然、シュプレヒコールが起きた。
唖然とするのは少年だけではない。傍観していたザックスもアルティナと顔を見合わせた。只事でない状況にも拘らず、すぐさま気を取り直した少年は、彼らに抗弁する。
「あの、申し訳ありませんが、ウチの店もギルドから正式に許可を頂いていますので、そのような事をおっしゃられても困るんですが……」
少年の返答に『攻撃魔法の未熟な詠唱士の会』一同が引く事はなかった。
「冗談じゃねえ、あんなもの売られちゃ、俺達、商売上がったりなんだよ。魔法の扱いを巡って只でさえ、パーティ内で肩身が狭いってのに、あれのせいでパーティを追い出されかけてる奴だっているんだぞ!」
抗議相手が少年であるせいか、感情に任せた不満が爆発し、どうやら地が出始めたようだ。ただならぬ一同の剣幕に少年の顔も引きつり気味である。見かねたザックスが割って入った。
「おい、アンタ達、もう少し冷静に話したらどうだ。あまり無茶な言いがかり付けてると、この店の主人に叩き出されるぞ!」
つい先ほども一人、叩き出されたばかりである。
だが、忠告するザックスの姿を一目見るや否や、彼らはさらに色めきたった。
「お、お前、戦士職だな! さてはあれを買い締めにきたんだろう! チクショウめ! テメエらみたいに安易につまらん便利アイテムに頼る奴ばかりだから、俺達が肩身の狭い思いしなきゃなんねぇじゃねえか! 責任取りやがれ!」
「武器振り回してるだけの脳筋野郎共に、オレ達魔法職の繊細な苦労なんて分かんねえんだよ!」
「そうよ、そうよ! 謝罪と賠償を要求するわ!」
自分のパーティの仲間達に向けるべき恨みつらみを、手近なところで晴らすつもりのようだ。
「お、おい、お前ら……」
言葉を失ったザックスは暴走を始めた草食獣の集団の姿を思い浮かべていた。事情が事情故に力ずくという訳にもいかない。さらに暴走する集団のうちの数人が、目に涙を浮かべて己の不幸自慢を始め、仲間内で盛り上がる。
魔法とはイメージの産物――魔法の源であるマナを術師のイメージによって変換し発動させるものである。
イメージを瞬時に強力な魔法へと変換し発動させるアルティナのようなマネができるのは、上級冒険者ならばともかく、初級職の《詠唱士》や中級職の《魔術士》では滅多にいない。
魔法の扱いになれぬ初級職の《詠唱士》達の多くは、呪文や身振りを行使し、あるいは増幅器としての杖などの道具を使って己のイメージの不足分を補うのだが、如何せんこの方法は発動までに少々時間を要する。見てくれの良さのみを追求し、複雑な呪文やスマートな発動ポーズを競う競技会も開かれるが、入賞者の尽くが実戦では只の役立たずであり、その冒険者生命は短いという。
瞬間の判断が要求される戦闘においては、必然的に攻撃と防御を同時におこなわねばならぬ前衛職の負担が増加し、魔法が発動する以前に決着のつくこともままある。役に立たなかった《詠唱士》達への風当たりが強くなるのは当然のことであり、「楽をしている」「タダ乗りだ」などと理不尽な非難の矢面に立たされた《詠唱士》達は肩身の狭い思いをしているらしい。
探索終了後の報酬の分配では、活躍の有無を巡って取り分を減らされる事もあり、技術習得や自己の研鑽のために高価なマジックアイテムを必要とする初期魔法職冒険者達の懐事情は厳しくなる一方である。
同じ辛さを抱えた者達同士が集まり、語らい、涙ながらに傷をなめ合うのが、どうやら『攻撃魔法の未熟な詠唱士の会』の実態らしい。
留まる事を知らぬその暴走は、さらに店の奥に座っていたアルティナの元にまで飛び火した。
「そ、そこにいるのはもしかして、この間、見せしめにされたエルフじゃないのか?」
「あんただって、辛かったんだろ! 自分の魔法が公衆の面前であんなアイテムごときに後れをとるなんて暴露されて……」
「そうか、それで、ここに抗議にきたのか。あんたも辛かったんだな。分かるぜ、その気持ち」
「全くよ、エルフを見せしめにするなんてとんでもない奴らだわ! ねえ、貴女もどう? 私達『攻撃魔法の未熟な詠唱士の会』は、詠唱士だけでなく孤独な魔法職全ての味方よ!」
依頼主に求められるままにこなした完璧な仕事のはずだったのだが、予期せぬ同情と思わぬ成行きに、アルティナの目は点になっている。
「ザ、ザックス……、私……、どうすればいいの?」
暴走する集団にどう応じてよいか分からず助けを求めるアルティナに、ザックスは小さく首を振る。ここは黙して語らずが、正しい選択であろう。
『ゴメンナサイ。実はアレ……、手を抜いてたの、テヘッ』
などと、言おうものなら彼らのプライドは粉々である。暴走し、迷走する集団が、涙と共に逃走していく姿は哀れであろう。
とある鍛冶屋の思いつきから始まり、脈々たる進化の過程を経て生み出されたアイテムによって引き起こされた理不尽な迫害に対する理不尽な怒りが、理不尽な抗議となって再び跳ね返ってきていた。異様な空気の広がる店内はもはや収拾がつかない状態になりつつある。
混沌とする前代未聞の事態の中で口を開いたのは、しばし、無言でいた鍛冶屋見習いの少年だった。
「あのー、もしよろしければ、皆さんのお悩みを解決する良い方法をご提案したいのですが……」
互いの不幸自慢で盛り上がっていた一同が一瞬、沈黙する。ギギギ、と首だけを向けたその先には、再び営業スマイルを浮かべる少年の姿がある。
――コイツ、イマ、ナントイイヤガッタ?
自分達の死活問題を左右しかねぬその一言に、騒然とし始めた詠唱士一同に対して、少年はコホンと一つ咳払いした。
「では、こちらの商品などは、いかがでしょう?」
カウンターの上に置かれたのは、全ての混乱の元である件の《爆榴弾》だった。
ザックスも含めた店内の人間全てが、しばし呆気に取られ空気が凍りつく。すぐにすさまじい剣幕で『攻撃魔法の未熟な詠唱士の会』一同が声を上げた。
「ふざけんな、坊主! 俺達はこいつのせいで飯の食いあげになってるって、言ってんだよ!」
「貴女、私達、魔法職になにか恨みでもあるのかしら?」
「ちっ、相手はガキだ! 話にならねえ、責任者出せ、責任者!」
だが、少年は怖じることなく営業スマイルを浮かべたまま彼らに答えた。
「いえ、そうではなくて皆さんがお使いになってはいかかでしょうか、と申し上げているのですが……」
再び一同が唖然とする。少年が提案したまさかの一手にザックスとアルティナも呆気にとられている。一同はさらなる抗議を重ねた。
「なんで、魔法職の俺達がこんなアイテム使わなきゃ、ならねえんだよ!」
「アナタ、私達の実績をバカにしてるの?」
「名誉棄損で訴えるぞ!」
だが、少年は一歩も引かずさらに畳みかける。
「考えてみてください。皆さんの魔法の発動タイミングが前衛職の求める援護のタイミングにぴたりと合えば、全ての問題は解決する訳です。ご存知のように《爆榴弾》の起動は一瞬です。前衛職の脳筋戦士達が眼前のモンスターに夢中になってお戯れになられている間に、後ろからこっそりこれを放り投げて、その間に御自身の魔法の準備をすれば、全く問題ないじゃないですか? なあに、心配ご無用です。皆、目の前の敵に集中して前ばかり見ているんですから、後ろから《爆榴弾》を放りこもうが《火炎弾》を打ち込もうが、その違いに誰も気付いたりしませんって……。素早い援護と臨機応変な機転にパーティ内での皆さんの評価は鰻登り間違いなし! パーティに必要不可欠な人材として、その待遇改善も夢ではありません。結果が良ければ万事めでたしです。そうですよね、戦士さん?」
随所に危ない要素がちりばめられた問題発言をする鍛冶屋見習いの少年は、ザックスに同意を求めた。ここは空気を読み切って、彼に賛同しておくべきなのだろう。
「まあ、そうだな。要は少ない負担でモンスターを確実に仕留められればいいんだから……」
最近、パーティリーダーとして急上昇する気配りスキルのお陰か、状況を完璧に読み切った的確かつ模範的な解答で答える己自身を心の中で自賛する。だが、傍らにいる相棒のエルフ娘の言葉は心なしか冷たかった。
「ふーん、そうなんだ。じゃあ、私もこれからはそれを投げていればいいのかしら?」
プンと頬を膨らます、その姿にずっこける。己の魔法を便利アイテムごときと同格にされ、面白くないのは分からぬでもないが、もう少しばかり状況を考えて欲しいものだ。
ともあれ、戦士職であるザックスの率直な同意に、詠唱士達一同の心は揺れ始めていた。
「た、確かに一理あるな……」
「し、しかし、私達は魔法職なんですよ。魔法を使うものとしての誇りは……」
「誇りじゃ飯は食えないだろ……」
「で、ですが、古の賢人も言うではないですか。『誇りを抱いて溺死しろと……』」
「俺はまだ死ぬ気なんてさらさらねえ……。冒険者として大成した暁には、あの娘にプロポーズを……」
わいわいがやがやと議論が始まった。
提示された合理的な判断をとるか、術師としてのプライドをとるかの二つで集団は割れ始めていた。カウンターの上に箱詰めされた《爆榴弾》を次々に並べ、少年はさらなる追い打ちをかける。
「どうでしょう? 発売記念特価期間は終わりましたが、今ならセット販売で割引となりますので同じくらいお得です。ご購入いただいた方々の中から抽選で……」
手慣れた様子で少年は営業トークを開始する。次々に並べられる爆榴弾に《詠唱士》達一同がごくりと唾を飲み込んだ。再びわいわいがやがやと議論が行われる。
「まあ、物は試しにということで……」
「そ、そんな、あなた、裏切るのですか? 魔法職としてのプライドを捨てるつもり?」
「うるせえ。俺は仲間を見返せればそれでいいんだよ」
「古の賢人も言うではないですか。『小を捨てて大をとれ……と』」
「し、しかし……」
さらに議論は白熱する。
しばらくして……。
ついに結論は出たようだ。数人ががっくりとうなだれるのを尻目に、代表者らしき者が少年に尋ねた。
「そ、その……、今、手持ちが少ないんで、ぶ、分割でも……、いいかな?」
「毎度、ありがとうございます」
さわやかに微笑んで少年は会計をすすめる。すっかり心の折れた一同は、少年の言うがままに、財布を開いていく。
モンスターだけでなく詠唱士達の信念とこだわり、そして詠唱士達の結束をも尽く破壊する《爆榴弾》――恐るべき可能性を秘めたアイテムである。
「ありがとうございました。又のお越しを心より、お待ちいたしております」
少年のさわやかな感謝の言葉に背を押され、丸めこまれた一同は去っていく。
ある者は、《爆榴弾》を両手に不誠実な仲間達を見返す姿を夢見ており、さらにある者は、勢いに任せて買い漁った《爆榴弾》のせいですっかり財布が空になった事実から目をそらし、そしてある者は、魔法職としての誇りと矜持を失い、同士達の本音に呆然としていた。
去っていくその背を見送りながら、その前途に幸あらんことをザックスは心から祈るのだった。
2013/09/30 初稿




